組曲「鐘の港」
私は1934年頃、長崎を訪れた想い出があるが、作曲を思い立ったのは最近「九大」の招きで福岡に行った時で
ある。その時或る人にそれを計ったところ、古い記憶だけで書くことを薦められた。理由は、今日の長崎の変容だった。
これは、いたましい原爆を知らないー現代文化の手の届かなかった大戦以前の長崎ー今よりもっと異境のイメージの濃かった
長崎の思い出なのである。 1972 May
鈴木 静一
T海を渡るアンヂェラスの鐘(稲佐にて)
秋だった 。
目の下に拡がる海の向こうにあの異人館や唐風の寺
そして壮麗な2つの天主堂がひときわ目だつ
長崎の街が秋空の下に息づいていた
さっきまで足下の造船所からのハンマーの騒音はいつか消え
海に街に夕暮れが忍びよっていた 右の天主堂(大浦)だろう鐘の音が起った
それに誘われるよう左の(浦上)方から別の鐘が……
あ々! アンヂェラスの鐘!
ふたつの鐘は互いに響き交わし安息の夜を迎えようとし
街には灯かげがまたたき始めるー
Uプロムナードと蝶々夫人の幻想
次の日は音もなく降り注ぐ秋雨に明けた
古めかしいしかしそれがなんとも懐かしい電車の走る街を散歩する
出島--眼鏡--橋唐風の寺院--
蘭館と呼ばれるオランダ風の古い洋館--
私は強い異国情趣溢れる街のたたずまいに酔いあてもなくさまよう
踏んでいく濡れた石畳の道はオランダ坂そして美しいサンタマリアが
やさしく手をさしのべる天主堂--
やがて私は街と海を見おろす庭園の中に八葉の屋根をいただいた
異人屋敷を見つける
まるで待ちかまえていたようひとつのメロディが高く耳に溢れた!
プッチ−ニ
このオペラ"蝶々夫人"の(或る晴たる日に)だった
V遠い祭りと祭りの街
今朝も稲佐の山路を歩く
静かだった毎日響き渡っていた造船所のハンマーの音が無い--
その静かさの彼方から微に笛や鉦太鼓の音が海を渡って来ていた--
そうだ!今日は諏訪神社のお祭りお宮日!
唐人行列--オランダ漫才--船御輿--
それから中国の竜頭籠からとった蛇踊り--
長崎のエキゾティカは頂天に達する!
何十年も見なれた筈の人達まで気を昂ぶらせはやしたてる!
祭りの街はたのしい喧騒にふくれあがっていた