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20040927(月) さようなら!大阪近鉄バファローズ(つД`)ノ

15年間ありがとう!
各紙に内緒で記事を掲載。
近鉄ファン最後の我儘です。
見逃してやって下さいm(_ _)m

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サンケイスポーツ

さようなら近鉄…中村、今オフメジャー移籍の可能性

中村 (パ・リーグ、オリックス7−2近鉄、最終戦、近鉄14勝11敗2分け、27日、ヤフーBB)今オフの去就が注目されていた近鉄・中村紀洋内野手(31)が27日、今季最終戦となったオリックス戦(ヤフー)の試合後に初めてポスティングシステム(入札制度)でのメジャー移籍を示唆した。判断材料とするため、親会社である近畿日本鉄道の山口昌紀社長(68)との直接会談を要望。合併騒動の経緯を問いただしたうえで、ファンに対する謝罪まで求める気だ。〔写真左:近鉄の顔だった中村は試合後、感傷を振りきるように、表情を引き締めた。同下:「近鉄」として戦う最後の試合。ヤフーBBスタジアムには、合併に反対する横断幕がズラリ並んだ(ともに撮影・榎本雅弘)

 二重の区切りとなる最終戦を無事終えて、ヤフーBBスタジアムに集まったファンにも挨拶を済ませたノリが爆弾を投下した。自身の去就に初めて触れて、ポスティングシステムでのメジャー移籍の“権利行使”の可能性をちらつかせたのだ。

合併に反対する横断幕 「まずは近鉄と話し合ってから。ややこしくなると思いますよ。2年前のFAの時に近鉄で日本一になるために残る道を選んだんですから。トゲのある言い方をされるかもしれません。ポスティング? 話が食い違うようならそうなります」

 中村は02年オフにFA宣言して、巨人、阪神、米大リーグのメッツと交渉の末に近鉄残留を最終決断。03年1月に6年30億円の超大型契約を結び、2年後にポスティング移籍を可能とする付帯事項まで盛り込んだ。

 今回の話し合いでは、チームがオリックスに事実上吸収合併される中、自らの契約がどのように引き継がれるか確認したいはず。新球団がどのように受け入れ、あるいは減俸なら近鉄が差額を補てんできるのか。近鉄との話し合いで誠意ある回答が得られなければ海外に新天地を求める腹を固めるつもりだ。

 さらに、仰天要求も突き付けた。「(山口)本社社長と直接話がしたいですね。これまでファンに対しても謝罪のひとつもしてくれなかった。表に出て、謝罪するのが義理人情でしょう。本社社長の声を聞きたい」と一気にまくしたてた。山口社長には今年7月、『なんで中村みたいなアホに5億やらなあかんの』と週刊誌上でなじられた経緯がある。対面することで当時の真意や球団消滅を決断した経緯を問いただすのも狙いのようだ。

 納得できる説明や謝罪があれば、国内にとどまる選択肢があるのかは微妙だが…。統合球団の新監督就任が確実な仰木彬氏の意向が今後、ノリのハートを揺さぶるケースも考えられる。

土井高志

近鉄・中村の契約内容
 02年オフにFA宣言し、03年1月に近鉄と6年契約を締結。内容は、最初の2年目までは年俸5億円。3年目以降は減俸なしの5億円以上での年俸見直し。出来高は別。2年後にはポスティングによるメジャー移籍に関して、本人に選択権を与えている。

大阪近鉄バファローズ球団史
 昭和24年11月26日、近畿日本鉄道を母体として太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)に加盟。この時の球団名は近鉄パールス。結成当初は戦力不足から低迷が続き、33年にはリーグ最低勝率(・238)、36年にはシーズン最多敗戦(103敗)を記録(現在もプロ野球記録)。34年、監督に就任した千葉茂氏の愛称「猛牛」にちなみ、チーム名をバファローに変更する(現在のバファローズは37年から)。43年から巨人、西鉄、大洋を優勝に導いた三原脩氏を監督に迎え、翌44年に球団初の2位。54年には西本幸雄監督のもと、初のリーグ優勝。翌55年もリーグ制覇を成し遂げ、この年はシーズン239本塁打のプロ野球記録をマークした。63年にはロッテとの最終戦(10月19日)に引き分けたことにより優勝を逃したが、翌平成元年には3度目のリーグ優勝を果たす。しかし、巨人との日本シリーズでは、3連勝で王手をかけながらも4連敗を喫しV逸。9年から現在の大阪ドームに本拠地を移し、11年に大阪近鉄バファローズに改称。13年(9月26日)には、北川博敏の代打逆転満塁サヨナラ本塁打で劇的なリーグ優勝(4度目)を飾ったが、日本シリーズではヤクルトに1勝4敗でまたも日本一を逃した。現12球団のなかで、近鉄だけ日本一を経験していないが、パ・リーグで唯一、創立時のチーム名が存続する球団である。

 ★岩隈の投手3冠の野望は、達成目前でついえる…

  打球の方向を見つめると、あきらめたように苦笑いを浮かべた。先発の岩隈は二回二死から相川に左越え2ランを浴び、投手3冠の野望を打ち砕かれた。

 「今日はイニングも短かったし、調子どうこうじゃないです。でも、悔しいですね」。最多勝、勝率の2冠は確定。防御率が西武・松坂と0・02差の2位だった。この差を逆転するには1回2/3を無失点に抑えること。3冠奪取を狙っての登板だったが、筋書き通りに事は運ばなかった。

 今季は初の開幕投手に指名され、開幕から12連勝で球団記録を塗り替えた。アテネ五輪代表に選ばれるなど、合併騒動で揺れるチームの中で“希望の星”だった。

 自らの去就については「流れに身を任せるつもり」と話しており、プロテクトされたのちに統合球団でプレーすることが濃厚だ。古くは鈴木啓示、阿波野秀行、野茂英雄から引き継がれたエースの系譜。3冠は逸しても、近鉄最後の1ページに岩隈の名前が記されたのは間違いない。

 ★梨田監督と礒部選手会長が胴上げされる

胴上げ 試合後、梨田監督と礒部選手会長が近鉄ナインやオリックスの吉井、大島ら元近鉄の選手の手で胴上げされた。梨田監督は「あれはいかんよ。さすがに目頭が熱くなった」。5季指揮を執り、古巣の最後の監督となるが「あの胴上げが本当に日本一の舞いなら良かったんだけどね」。心残りもぽつりと漏らした。

写真:サヨナラ、近鉄。シーズン最終戦を戦い終えた梨田監督は、ナインの手で有終の胴上げ(撮影・榎本雅弘)

 ★監督就任が確実視される仰木氏「胸にこみあげるものがあった。ジンときた」

 オリックスと近鉄の統合後の新球団オリックス・バファローズの監督就任が確実視される仰木彬氏(69)はこの日、テレビ局のブースで観戦。かつて指揮を執った両軍の最後の試合については「胸にこみあげるものがあった。ジンときた」と感想を述べた。要請受諾については明言を避けたものの「これでシーズンもひと区切り。前向きに考えている、ととらえてほしい」と話した。

 ◆3度宙に舞った近鉄・礒部 「近鉄はいいチーム。ああやって吉井さんたちが胴上げに入ってくれるチームカラーだったんですから」

 ★“ブルーウェーブ”としての最終戦…伊原監督はエール、大島は目に涙

 “ブルーウェーブ”としての最終戦は、3年連続最下位のシーズンを忘れさせるような快勝。退任が決まっている伊原監督は「寂しい気がするが、感傷には浸っていられない。一緒になって永遠に強くなることを願います」と新生オリックスに“エール”を送った。また、第2打席で二塁打を放ったベテランの大島は「ことし1番の当たり。きょうがこのユニホームを着てプレーする最後。終わってしまったという感じです」と目に涙をためた。

 ★パ最年長投手の39歳・吉井は現役続行宣言

 戦力外通告を受けることが濃厚なパ最年長投手の39歳・吉井は七回に2番手で登板。近鉄・藤井をMAX139キロのストレートで、3球三振に斬って降板した。

 「まだ、野球は辞めへんで。近鉄が最後やから投げたんや。どこへ行っても、投げたい」

 まるで引退試合のようなムードが漂ったマウンドだったが、ベテランは現役続行宣言で締めくくった。

 ◆最終戦で、昨年9月以来となる2打席連続弾を放ったオリックス・相川 「最終戦という雰囲気のゲームで、2打席連続ホームランを打ててうれしいです」

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ニッカンスポーツ

近鉄55年歴史に幕、梨田監督を胴上げ

試合後、ナインから胴上げされる梨田監督。手前は走り寄る吉井(撮影・渦原淳)

<オリックス7−2近鉄>◇27日◇ヤフーBB

 胴上げ、涙、抱擁…。来季は統合されるオリックスと近鉄が、パ・リーグ今季最終戦としてヤフーBBスタジアムで対戦。試合後、55年の歴史に幕を閉じる近鉄の生え抜き・梨田監督が胴上げされ、両チームのナインは涙を浮かべて抱き合った。合併問題に揺れたシーズンを象徴するような幕切れとなった。

 近鉄バファローズ55年の歴史に幕が降りる日。近鉄投手としては90年の野茂(現ドジャース)以来となる最多勝、勝率、防御率の3冠を狙うエース岩隈が、ラストマウンドに立った。

 防御率以外は確定し、1回3分の2を自責点0で抑えれば、西武松坂を逆転する。2回2死一塁。この時点でトップに立っていたが、走者を背負った降板は自責がつく可能性がある。続投し、オリックス相川に痛恨の1発を浴びた。最後の近鉄史に残る記録がひとつ減ったが、岩隈は「しょうがないです。防御率のタイトルは来年に取っておきます」と前を向いた。

 試合後、岩隈を始め近鉄ナインは、オリックスナインと握手を交わした。チームの存続を訴え続けた礒部選手会長は、共闘した三輪選手会長と握手した。赤堀は、かつての同僚・吉井と抱き合った。近鉄でプレーしたオリックス大島も涙が止まらない。

 クライマックス。梨田監督が5度宙を舞った。礒部も胴上げされた。中村は「監督には内緒でした」と明かした。ナインは寄せ書きしたサイン入りバットも贈った。最後に、梨田監督は「現実として受け止めて、これからもユニホームを着ていくんだから頑張っていこう」と訓示した。猛牛戦士はうなずき、静かに球場を後にした。

[2004/9/28/08:51 紙面から]

写真=試合後、ナインから胴上げされる梨田監督。手前は走り寄る吉井(撮影・渦原淳)


ノリ激白!入札メジャー、球団も容認へ

 「近鉄の主砲」として最後のプレーを終えた中村が27日、今オフのポスティングシステムによるメジャー移籍について初めて口にした。「今まではチームのことを考えてきたんで、自分のためにどうするべきかを考えたい。近鉄次第ですね。話し合って納得がいかなかったら、そういう方向になる」と語った。ポスティングシステムでのメジャー移籍の意思はシーズン前に固めていたが、初めて公に認めた。

 FA権を取得した02年、メッツ入団寸前までこぎつけながら、破談。涙ながらに近鉄を悲願の日本一に導く夢を選び、戦ってきた。その近鉄が、なくなる…。さらにアテネ五輪にも出場した。新たな夢へ向かう気持ちが、より強まっても不思議ではない状況だ。

 合併新球団の主導権はオリックスが握るが、プロテクトなどについては近鉄の意向も反映される。近鉄足高代表は中村をプロテクトする方針を明かしているが、小林球団社長は「個人的には彼の夢をかなえてやりたい」と、米移籍を容認する構えを見せている。球団との話し合いの日取りは未定だが、中村は「納得いくまで、何度も何度も話し合いたい」と話した。

[2004/9/28/08:03 紙面から]


オリックス三輪が今季限りで現役引退へ

 オリックス三輪隆捕手(34)が今季限りで現役を引退することが27日、分かった。度重なる故障で出番が減り、チームの若返りの方針もあり決意を固めたようだ。ブルーウエーブ一筋で11年の現役生活にピリオドを打ち、シーズン終了後、球団側と話し合った上で正式表明する。

 グラウンド内外に確かな足跡を残した。プロ10年の昨年、球宴初出場。今年の6月8日にはFA権を取得した。球界再編問題では、合併当事球団の選手会長として矢面に立った。この日の試合後は近鉄のナインと次々と抱き合い、涙をこぼした。「いろいろと思い出して泣いてしまった。一番の思い出は(96年に)日本一になれたこと」。引退後は未定だが、球団関係者の評価は高く、コーチ就任を要請される可能性もある。

[2004/9/28/08:03 紙面から]


さらばブルーウェーブ、伊原監督も舞う

<オリックス7−2近鉄>◇27日◇ヤフーBB

 三塁側ベンチで近鉄梨田監督の胴上げが始まると、かつて近鉄に所属した吉井が敵チームの輪に向かって一塁側ベンチを飛び出した。同じ近鉄出身のユウキが続く。そして同じ立場の大島も…。吉井が「チームがなくなるのは腹が立つし、悔しい」と絞り出せば、大島も「終わってしまったという感じ」と涙声。1、2軍全員でグランドを1周する途中で、今度はオリックス伊原監督を2度、胴上げした。もう、このユニホームで戦うことはない。敵も、味方もなかった。

 やりきれないシーズンだった。スタートからつまずき、6月から最下位に定着して合併問題も発覚。9月5日にBクラスが確定し、9月14日に単独最下位が決まった。この日の近鉄戦勝利は、消え行くブルーウエーブが見せたささやかな意地。球団史上最悪の勝率を残した昨年の勝ち星を、わずか1勝だが上回る49勝目だった。

 伊原監督が短い言葉で振り返った。「試合前、それぞれが全力でやろうと言った。最後に勝ててよかった」。守護神山口から初めて受け取ったウイニングボールは、監督付きの前田広報にそっと渡した。オリックス最後のウイニングボールだった。【村野森】

[2004/9/28/07:04 紙面から]




報知新聞

舞った泣いた さよなら近鉄バファローズ
55年の歴史に幕

 近鉄バファローズが涙の胴上げでその歴史に幕を下ろした。今季最終戦で、来季から合併するオリックスとヤフーBBで対戦。敗れたが、試合後には梨田監督、礒部選手会長が胴上げされるなど感動のセレモニーが行われた。この日の実行委員会でストライキ中止の代替試合を実施しないことが決まり、パ・リーグは今季の全日程を終了。ダイエーの松中の3冠王が決まった。


  1 2 3 4 5 6 7 8 9
近鉄 0 1 0 1 0 0 0 0 0 2
オリックス 0 2 0 4 1 0 0 0 X 7
[勝]具台晟 18試合6勝10敗
[敗]阿部健 2試合1敗
[本]鷹野5号(具台晟・2回)
   相川2号2ラン(岩隈・2回)、3号(阿部健・4回)
   北川20号(具台晟・4回)
   竜太郎1号3ラン(阿部健・4回)  


試合後、元近鉄選手らをまじえて、梨田監督を胴上げする近鉄ナイン(カメラ・斉野 民好)
試合後、元近鉄選手らをまじえて、梨田監督を胴上げする近鉄ナイン(カメラ・斉野 民好)
 別れは笑顔だった。試合後のセレモニーで、猛牛ナインが梨田監督へ、ダッシュした。「あれはいかん。協約違反や。皆にどつかれるんかと思ったわ」突然の祝福で、指揮官が5度、宙に舞った。続いて、礒部だ。3か月間、合併問題で矢面に立ち続けた選手会長は、バンザイしたまま4度、夜空に浮かび上がった。

 輪の中には、オリックスの選手が交じっていた。吉井、大島、ユウキ、かつて近鉄のユニホームに袖を通した男たち。94年まで10年間在籍した吉井は、帽子に近鉄のペットマークを書き込んだ。大島は「胴上げに出遅れちゃった。終わってしまったね…」とベンチに戻ると、涙をぬぐった。

 合併する両球団が、シーズン最終戦で激突した。試合前、梨田監督は「これも因縁なのか。うちの何人かは、オリックスに入る。選手も、複雑な思いだろうけど…」と、つぶやいた。激動続きだった今年のパ・リーグを象徴するようなラストシーンだった。

 セレモニー後は対照的だった。オリックスの選手が内野に横一列に並び、あいさつが終わると、伊原監督はスタスタと一塁ベンチへ引き揚げた。契約を1年残して解任される指揮官に対し、同じように今年でユニホームを脱ぐ梨田監督には、ナインがサインを寄せ書きしたバットが贈られた。

 「胴上げでオリックスの選手が入ってくれた。あれが、うちのチームカラーなんです」と、礒部が胸を張った。梨田監督も「胴上げ? これが日本一やったら、よかったけど…と、自分に言い聞かせた。永遠のテーマやった」と、しんみりと振り返った。

 12球団で唯一、日本一に輝くことなく、55年の歴史に幕を閉じた猛牛。球団通算7252試合、ファンからも、選手からも、愛された近鉄バファローズが、長い闘いを終えた。(武田 泰淳)


スポーツニッポン

さらば近鉄 笑顔で55年間のラストゲーム

 
 
<オリックス・近鉄>最終戦を終え、55年の歴史に幕を下ろし梨田監督を胴上げする近鉄ナイン(共同)  

<オリックス・近鉄>最終戦を終え、55年の歴史に幕を下ろし梨田監督を胴上げする近鉄ナイン(共同)

 【近2−7オ】さらば、猛牛たちよ。近鉄がヤフーBBスタジアムで行われたパ・リーグ今季最終戦に臨み、オリックスとともにチームの歴史にピリオドを打った。試合は序盤から5本のアーチが飛び交い、オリックスが7―2で快勝。最後は近鉄・梨田昌孝監督(51)の胴上げでフィナーレを迎えた両チームは、来季は「オリックス・バファローズ」として1つのチームで新たに船出する。

 美しい舞いだった。梨田監督の体が神戸の夜空に5度、浮かび上がる。敵地では異例ともいえる胴上げ。だが、敵も味方もない。ヤフーBBスタジアムを埋めた2万9000人が、近鉄最後の日に心から拍手を送った。

 「急にオレを囲むから、どつかれると思った。あの間はさすがに目頭が熱くなった。あの胴上げが本当に日本一の舞いならよかったんだけどね」

 元近鉄の吉井、大島も加わった胴上げに梨田監督は声を震わせた。3度、宙に舞った選手会長の礒部も「近鉄はいいチーム。ああやって吉井さんたちが胴上げに入ってくれるチームカラーだったんですから」と話した。今季のパ・リーグ最終戦は、くしくも合併する近鉄とオリックスの試合。雨も上がり、大勢のファンが詰め掛け、普段とは違う雰囲気に包まれた。

 「オリックスと最後にやるのは因縁なのかな。今年は命名権売却に始まり、鈴木コーチが亡くなったり、ストがあったり、本当にいろんなことがあった。選手は複雑だと思うが、ファンに感謝の気持ちを込めて素晴らしいプレーを見せたい」

 71年のドラフトで2位指名を受けてから近鉄一筋。大阪ドーム最終戦の24日の西武戦では、涙を浮かべた指揮官も笑顔の采配に徹した。胸に「OSAKA」と入った黒いビジター用ユニホームを着た中村が、岩隈が、誰もが特別な気持ちだった。二回に鷹野が左翼席に先制弾を運ぶ。四回には北川も左越えソロ。敗れはしたが、いてまえ打線の意地と誇りを見せた。

 2リーグ分立の50年にパ・リーグに加入。優勝争いに絡めずに「リーグのお荷物」と酷評された時期もあった。だが、野性的な選手をそろえ、豪快な野球は多くのファンの心をつかんだ。18歳の四番の土井正博がいた。草魂・鈴木啓示が投げた。酒豪の首位打者・永淵洋三にメジャー挑戦の道を開いた野茂英雄…。そして、今も語り継がれる88年の「10・19」。パ・リーグ発足から唯一、経営母体が変わらなかった老舗球団も時代の波には逆らえなかった。

 試合後、梨田監督はロッカールームでナインを前に言った。「1年でも長くユニホームを着られるように頑張ってくれ」。4度のリーグ優勝はあったが、1度も日本一になることなく、55年の歴史が幕を閉じた。試合後はオリックスのナインと涙と感謝の抱擁が続いた。その光景は、再編問題に揺れた04年を象徴しているようでもあった。

 ≪青波有終快勝≫“ブルーウェーブ”としての最終戦は、3年連続最下位と今季も最悪のシーズンだったことをつかの間でも忘れさせるような快勝。試合後に胴上げされた伊原監督は「打つべきところで打ち、守るべきところで守ってくれた」と満足げ。この日は長くチームを支えてきた大島、三輪らのベテランも出場。第2打席で二塁打を放った大島は「今年1番の当たりだった。きょうがこのユニホームを着てプレーする最後。終わってしまったという感じ」と目に涙をためていた。

 <仰木氏感慨深げ>オリックスと近鉄の統合後の新球団オリックス・バファローズの監督就任を要請されている仰木彬氏(69)がオリックス―近鉄をテレビ局のブースで観戦。かつて指揮を執った両軍の最後の試合に「静かに見守るつもりだったけど、だんだん胸に込み上げてくるものがあった」と感慨深げで、就任要請については受諾する意向をあらためて示していた。




デイリースポーツ

ノリ爆発「ファンに謝罪を」
55年の歴史に幕を下ろし梨田監督を胴上げする近鉄ナインら関係者
55年の歴史に幕を下ろし梨田監督を胴上げする近鉄ナインら関係者

 ノリが爆発した。来季から合併するオリックス対近鉄の最終戦が27日、ヤフーBBスタジアムで行われ、オリックスが有終の美を飾った。これでパ・リーグは全日程が終了。試合後は両軍選手の握手、近鉄・梨田監督、礒部選手会長の胴上げなどセレモニーが行われた。一方で中村紀洋内野手(31)は、近鉄本社の山口昌紀社長に対し直談判を要求。不発に終われば、ポスティングによるメジャー挑戦を示唆した。オリックスは両チームに在籍したベテランの大島、吉井が活躍した。


 感謝の思いを伝えたかった。「一番、チームを大好きだと思っている人」。梨田監督をみんなで囲みたかった。正真正銘の近鉄最終戦。中村は試合前から選手、スタッフと打ち合わせ恩師を5回、宙に放り上げた。合併阻止のため闘った同い年の礒部選手会長も2度、胴上げ。球団消滅の怒りを胸に秘め、最後のグラウンドを目に焼き付けた。

 ロッカーへ入り普段着に着替えても、現実を受け入れられる気分にはなれない。やはり口を開かずにはいられなかった。愛車の前で足を止めると、思いの丈を一気に吐露。近鉄本社社長に対し、直談判を要求した。

 「(近鉄本社社長)山口さんと話がしたいね。選手の気持ちを伝えたい。不安な気持ちで野球をし続けた。その中で謝罪もない。紙とかホームページじゃなく、ファンにも謝罪してほしい。トップの声が聞きたい」。相手がだれだろうが関係ない。義理を尽くせない相手なら、迷わず刃を向ける。ばらばらになる仲間、応援するチームをなくすファンのため一歩も引くつもりはない。

 不信感を持ったまま、来季の契約も結ぶつもりはない。02年オフ中村はFA宣言したが、メジャー行きの夢を断念し近鉄残留。それだけに「なんで4年契約したのか。契約が2年残った状態でチームがなくなると分かってたら、残ってなかった」と、だまされたという気持ちは強い。

 今オフのポスティングでのメジャー移籍に関しては「近鉄次第。話して納得できなければそうなるでしょうね」と明言。義理を尽くす場所を無くした侍が、海を渡る覚悟を決めた。



岩隈“3冠”ならず

 近鉄・岩隈が投手部門3冠王の獲得に失敗した。27日のオリックス戦で1回2/3を無失点なら西武・松坂を抜き防御率で単独トップだった。だが、二回一死から安打で走者を許し、二死一塁から相川に痛恨の左越え2ランを被弾。最多勝、最高勝率の2冠は確保したが「うわーっ。しゃあない。来年の目標ができた。今年をいい経験にしたい」と悔しさ一杯だった。



青波V戦士ら最後の輝き
近鉄ファンのスタンドへサインボールを投げ込むオリックス・吉井
近鉄ファンのスタンドへサインボールを投げ込むオリックス・吉井

 消え行く『ブルーウェーブ』の最後。栄光と屈辱の両方を知るベテランたちが飾り、華やかにラストゲームを締めた。

 95、96年のV戦士・大島と小林が躍動した。大島は四回、右翼越えの二塁打を放ち、大量点のおぜん立てをした。小林は、退団が決定している吉井の後を受け、七回一死で志願の登板。下山を空振り三振に打ち取り、ひと花咲かせた。

 大島は梨田監督の胴上げに吉井、ユウキら“近鉄OB”とともに参加。「こうなってしまったけど、新球団を応援してほしい」と、合併には複雑な思いも。小林は「震災があったから、日本一より95年のリーグ制覇のほうが思い入れがある」としんみり。登板が終わって大島に出迎えられると思わず涙をこぼした。

 解任が決定している伊原監督は、エンドランあり盗塁ありの“伊原野球”を披露。ナインからの胴上げ後「初めてもらったウイニングボールは、苦労を共にした前田広報にあげたい」と“参謀”の労をねぎらった。

 神戸に根ざして14年。幾多のドラマを巻き起こした「青波」の名は、新チームから去り行く者たちの活躍で、その歴史に幕を下ろした。




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最後にもう一度。
みんな、ありがとう。

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