占いやまじないをする人をシャーマン(呪術師)といいます。
このページが、呪術師について、少しは参考になろうかと 思います。
参考にした本 「シャーマニズムの世界」 ミハーイ・ホッパール著 村井翔訳 青土社発行 |
本来はツングース語のšaman(シャマン)。ロシア語のшаман(シャマーン)を経由し、各国語に広まった。英語ではshaman(シャマン、シャーマン、シェイマン)。
シャーマンの役割は、別世界の魂や不可視の精霊の世界と接触し、その力が人間の利益となるように働きかけることである。シャーマンは、自ら意識的に脱魂し、自分を別の意識世界に移し入れることができる。つまり、魂を肉体から開放し、別の世界に送り込むことができる。
厳密には、「シャーマニズム」は、「宗教」ではなく、脱魂(エクスタシー)と病気治療の諸手法の全体をいう。シャーマンの医術とは、自然についての知識(薬草など)にもとづく医術と霊的な能力にもとづく医術の混合である。
中央アジアと北アジア(モンゴル、チベット、シベリア、中国北部(満州)、朝鮮)に普通にみられるが、南アジア、日本にもみられる。
シャーマンの役割
@ 部族の精神的かつ、実質的指導者
A いけにえやその他の儀礼をつかさどる「司祭」
B 病人の魂を肉体に呼び戻したり、死者の魂を冥界に送ったりする
C 占い師、預言者
D 病気の治療
E 詩人、歌い手、シャーマニックな行為における主役
シャーマンは、小共同体の指導者となり、病気治療や占いを行い、呪術や悪魔払いの歌や祈祷によって、部族のメンバーを守った。
シャーマンは、特別な衣装と道具と飾り物を身につける。
衣装(外観)は、シャーマンを補助する精霊動物(鹿、鳥、熊など)の姿をなぞらえる。
道具では、手に持つ太鼓が共通する。
飾り物は、光るものや鹿、鳥、熊などのシンボルがつけられる。
徐々に熱狂的になる太鼓と踊りがシャーマンを催眠状態へと導く。最近の実験では、人間をこういった催眠状態(夢遊状態)に導くことが可能であることが証明されている。
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次は、私の勝手な見解でありますが、音楽とシャーマニズムの関連、そして現代人にも、シャーマンの血、あるいはシャーマンを待望する遺伝子が受け継がれていることを象徴的に描いたものです。
「 呪術(シャーマニズム)とは、神や霊などと交信・交流できる人を通じて、いろいろな願い(病気の平癒、天災、たたりの除去、敵の滅亡、その他)をかなえる技術(テクノロジー)である。呪術には、白(良い)呪術と黒(悪い)呪術がある。
呪術師が、神がかり(トランス状態)になるときには、音楽が重要な役割をする。回りで、奏でる音楽の盛り上がりにより、呪術師(シャーマン)は、徐々に神がかりしていく。
音楽には、不思議な力がある。音とは目には見えない「空気の粗密の振動」なのだが、聴く者に、さまざまな感情をわかせる。快・不快、元気・消沈、晴れ晴れ・うんざり・・・などなど。
音楽療法(音楽による心理療法)が、一般的に認知されている。病は気から、という。音楽で、気持ちを前向きにすることで、免疫力(自然治癒力)を高め、治療の効果をあげる などと、「科学的、合理的に」 説明されると、「なるほど」 と思ってしまう が、・・・ それでいいのだろうか? はあ・・・?
我々現代人は、「妖怪」を身近に感じれるほどの感応力も想像力をも失っているのではないか と訴えたい。。
つまり、非科学的、非合理的なことこそ、おもしろいのだ!? 単純シンプルに説明できるほど、現実は甘くはないのだ。私からすると 「科学的」「便利」「速い」「効率化」などといわれると、よくないことが起きると思ってしまう。
ところで、現代の呪術師として、「ミュージシャン」をあげたい。彼らに求められるのは、「カリスマ性、オーラ、そして親しみ」である。彼らは、「音楽」という手段を用いて、聴く者に呪術をかけるが、実に彼ら自身、音楽によって、トランス状態へとはいっていく。つまり、酔っていくのだ。酔えば酔うほど、聴衆は喜び、自分も酔っていけるのだ。そして、彼らの呪術によって、われら聴衆は、いくらかの感情の昇華、心の浄化、つまり「すっきり感」を得、新たに、希望や勇気を得ることができる かのように思う。ミュージシャンは、現代の呪術師である(と言い切ろう)。
← 歌手シャーマン・チョン、シャーマンと名乗るからには、呪術を使うんでしょうか。どんな魔術じゃ?
youtubuにありました↓。
おわび、同じシャーマンでも、この歌手シャーマン・チョンとは字が違ってました。
シャーマン・チョン(鍾舒漫、簡体字:钟舒漫, 拼音: zhōng shūmàn 。1984年6月20日 - )は、香港出身の女性歌手・女優。
本名は鍾舒曼、英語名はSherman
Chung。
日本史において、正式の初代の統治者は、邪馬台国の「卑弥呼」である(と思っているが)。卑弥呼は呪術によって、国を統治した。呪術に堪能なる者が、統治者の第一の資格であった(ようだ)。また、男を立てると、争いばかりしているということで、女である卑弥呼が立てられたらしい。(男が立とうとすると、ゴタゴタするが、母ちゃんを立てておけば、家は丸くおさまる(のではないか?)。
「日本の宗教的な土台は、呪術が根本」 と私は思う。実のところ、宗教と呪術の境界ははっきりしない。宗教に、呪術的要素が大いに入っていたりする。たとえば、仏教における、「密教」などは、呪術てんこ盛り。これについては、仏教を広めるときに、地元の信仰・呪術を否定せずに、吸収し取り入れたからであります。たとえば、チベットでは、地元呪術を取り入れ、チベット密教となったし、中近東のゾロアスター教の一派の神ミーロを信仰する人たちには、このミーロを神から仏へと昇格させ、「阿弥陀仏」として、仏教に取り込んだのであります。
ところで、仏教の創始者である釈迦は、呪術は動物的行為である として否定していたようです。
釈迦の教えは、真理に目覚めた人、仏、(たぶん、本当の人間) を目標にしていた。つまり、我々自身が仏という最高の境涯を目指すというものであった。一方、呪術は自分以外の神聖・不可思議な何者かに依存する生き方であろう。
後世の仏教の学僧は、布教の手段(方便)として、当時のインドの民衆に広まっていた「呪術」を取り入れた。これは、方便であるとはいえ、始祖である釈迦の教えに 反している であります。その後、呪術化した仏教は、後のヒンズー教の中に取り込まれてしまって、インドの仏教はなくなってしまった。ヒンズー教において、釈迦は9番目の神となっています。つまり、仏教の呪術化は、結果として、インドでの仏教を滅ぼしたのです。
ところで、芸術家の岡本太郎氏は、また別の切り口から呪術をみている。呪術の世界に、「人間の生命にそなわる根源的なもの」を見出している(ようだ)。つまり、渾沌として、不合理で、かつ爆発的なエネルギー(生命そのもの)であり、文明の発達によって、人間と自然とが分断され、個人の生命が卑小化され、規格化されることに警鐘をならしている。
岡本氏は、「古代の呪術」から、現代にまで通じる何ものか?を再確認し、それを「芸術」に昇華しようとした。「芸術は、呪術である」とまでいっている。岡本太郎氏は、リーダーであり、尊敬され、我々の遠く及ばない世界(芸術、原理?、真理?)へ行き来できた、本物の「シャーマン」・・・占い師という意味ではなく、深く洞察できるリーダー ・・・であったと思う。氏は、我々を真の「人間」へと回帰させるべく、真のリーダーであった。
さらに、岡本氏は、有名な言葉 「今日の芸術は、きれいであってはならない、うまくあってはならない、ここちよくあってはならない。」といっている。
それは「きれいであること、うまくあること、ここちよくあること が良いこと である」という今日の既成の価値観への挑戦であり、また我々をその価値観の呪縛から開放し、根源的な生命の”爆発”(瞬間的に開ききること)へと回帰させるものであろう。
ときどき、更新し、書き加えています。そのため、文脈がとんでいたりします。
2012年01月。