2004年12月27日(月)
人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。
詩篇 8篇4節〜5節
「人間の弱さ、そして特権」
これはまた、私の大好きな聖書箇所のひとつです。
これはダビデという人が
聖書「詩篇」というところで神様に歌った賛美の歌の一節です。
今年一年間いろいろな事がありました。
みなさんは一年を振り返った時に、
どのような思いを持たれるでしょうか。
私はこの一年振り返って、本当に自分の弱さを感じさせられます。
私は実になんのとりえもない、小さな人間であると思うのです。
大学の試験勉強にしても、クラブ活動においても、
人に何かまかされた時も、
そして私自身の身の回りの生活を見回しても、
うまくこなすということが実にできない者なのです。
さて、人の能力とはどのようなものなのでしょう。
ダビデは言っています。
「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」
ここでの「人を、神よりいくらか劣るものとし」というところを
別の訳の聖書で引いてみると、
「神に僅かに劣るものとして人を造り」となっています。
前のコラムでも分かち合いさせていただきましたが、
神様は私達人間を、御自身に似たものとして造られました。
ただ、わずかにだけ劣る者とされたのです。
そしてその私達に、「栄光と誉れの冠」を与えられたのです。
こんなにちっぽけな、罪に溢れたこの者にさえもです。
なんと深い創造者の憐れみでしょうか。
この憐れみを受けて、私達は目の前のことを一心に取り組み、
そのことで神様の栄光を表していきたいと願わされます。
「人の能力は神様よりわずかに低い」と言われる以上、
怠けることは神様の能力を下げることになるからです。
イエス・キリストの魅せられた、使徒パウロはこう言っています。
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、
困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、
私は強いからです。」
私達のうちに弱さや足りなさがあることは否定できません。
しかし、私達が弱くても神様がその部分をフォローして下さいます。
人間と神様はセットであり、人間が神様というパートナーに
近づいていったとき、そこに完璧さが生まれます。
全てのことをも益にすることができます。
私達だけでは何もすることができない、と思うかも知れません。
それならば、神様に近づき、祈り求めましょう。
私達には弱さがあります。
しかし、神様は私達を心に留められ、顧みられます。
神様とペアになるなら、全ては完全に導かれます。
このことを信じ、神様に信頼していきましょう。
それが私達人間に与えられた特権なのですから。
人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。
詩篇 8篇4節〜5節