■B I O G R A P H Y
 今からちょうど7年前の1996年。16歳だった双子のBenjiとJoelはギターを触ったこともなければ、歌を歌ったこともなかった。この2人は10代の初めの頃までは音楽をやろうなんてこれっぽっちも思っていなかった。Twindsは毎日野球ばかりしている野球少年だった。そんなBenjiとJoelはMaryland州の郊外のWaldorfという街で生まれ育った。父.母.兄のJosh.妹のSarah.と決して豊かな生活ではないが幸せに暮らしていた。だがその幸せは長くは続かなかった。1995年のクリスマスに彼らの父親が家を出て行ってしまったのだ。そして2度と戻ってくることはなかった。そこから家族の歯車が大きく狂いはじめたのは言うまでもない。一家はWaldorfの郊外にあった2階建ての家から立ち退きにあう。ホームレスになってしまったのだ。そこで一家は親戚の家に居候することを余儀なくされる。(その後一家は農家に間借りすることになる)「でもこんな状況になっても、ラッキーなことにオレにはJoelがいたし、Joelにはオレがいたんだ。」と後にBenjiは語っている。短気でケンカっぱやいBenjiが毎日タフガイを装う一方で、Joelはどんどん繊細にナイーブになっていった。彼らは1人で2人ぶんの片方の性格を持つようになった。2人は常に寄り添いお互いの足りない部分を埋め合わせるように支えあっていた。

 そしてそのころ2人は兄のランシドやthe Smithのレコードを耳にする。このレコードはTwindsにとってとても影響力があった。そして2人はこの年Beaside Boysの3Cominicationツアーに行った。Twindsは衝撃を受けた。Joelは「このライブがオレたちの人生を変えたんだ。コレこそオレたちのやりたいことだ!って思ったんだよ。」と言っている。ライブから帰るとすぐにBenjiは兄のJoshが買ってから一度も使うことなくクローゼットで眠っていた安いギターを引っ張りだしてきた。そしてJoelは歌を歌いはじめた。Benjiにギターの基礎的なコードなどを教えたのは親友のPaulだった。そしてTwindsは音楽に夢中になった。毎日、学校が終わると部屋に引きこもり何時間もギターを弾き、歌った。

 2人は音楽を始めてから2週間後に「Joel,Benji and Brion Bnad」というバンド名で初めてのライブをしたのだった。Benjiは「ギターコードはDとAとGの3つしか知らなかったんだ。」と笑いながらその頃のことを振り返っている。その後Brianは脱退してしまい、代わりに親友のAaronとPaulがバンドに加わった。バンド名"Good Charlotte"はTwindsの母親が2人が子供の頃によく読んで聞かせた本からつけた。バンドの練習場所はもっぱらAaronの家の地下室だった。なぜなら彼等にはスタジオ代を払う余裕などなかったからだ。Aaronはバンドの練習のためフットボールチームを辞めなければならなかったが、それでもAaronはバンドに参加することにした。これでGood Charlotteの完成である。

 しかし彼らがデビューするには大きな問題があった。デビューのための資金もなければ、音楽業界にコネも無かったのだ。そんなGood Charlotteは荒技に出た。デモテープを作り自分たちのプロフィールと「オレたちはGood Charlotte。今なら待っているより安く契約できるよ」という手紙を添えて、本に載っているレーベルに片っ端から送りつけたのだ。しかし残念なことにこの方法で返事は1つも来なかった。

 1997年6月BenjiとJoelは無事に高校を卒業した。そして2人は母親から思いがけない卒業祝いをもらったのだった。それはカルフォルニアまでのペアの航空チケットだった。カルフォルニアといえばRANCIDのTimとMattがやっていたOPERATION IVYやGreen Dayなどを輩出した伝説のクラブ(ライブハウス)ギルマンストリートのある街。いわゆるPunkの聖地だ。2人が向かったのはもちろんギルマンストリート。そこで2人は大いに刺激を受け、決意を新たにMarylandに帰って行った。そして更なる音楽活動を充実させるため、1998年PaulとAaronとともに活動拠点をWaldorfからMarylandの州都Annapolisに移すことにした。しかしこの決断にもリスクが生じた。そのころTwindsはカレッジに通っていたためAnnapolisに行くということはカレッジを辞めなければならないということを意味していたのだ。しかしTwindsは潔くカレッジを辞めAnnapolisに引っ越した。だがAnnapolisでの生活も楽なものではなかった。金銭的な余裕がない2人は、美容院でシャンプーボーイの仕事.スーパーマーケットの在庫補充係の仕事.レストランのウェイター(コレが一番まともな仕事)をはじめ、普通の人が嫌がるような仕事など30もの仕事をしながら、かろうじて生活していた。

 このころからTwindsはバンドとしてプレイするだけじゃなくて、2人でアコースティックライブもるようになった。ある日、AnnapolisのKidsのたまり場でBenjiとJoelはアコースティックライブをやった。その場に偶然に居合わせたのがBillyだった。Billyはライブ終了後Twindsに話し掛けずにはいられなかった。その理由をBillyはこう語っている。「だってすごくいい曲だったんだ!Annapolisにはたくさんのバンドがいたけど彼らの曲はラジオでヒットする曲だろうなぁって思ったよ」これがきっかけでTwindsとBillyは親友になっった。そのころBillyはドレッドヘアーでOverflowというメタルバンドでプレイしていたメタルキッズだった。そしてこのことをきっかけに彼らは友達になった。

 その後TwindsはAnnapolisのアパートを追い出されてしまう。そんな2人はBillyの家に転がり込んで、居候生活をはじめる。そしてBillyに一緒にバンドをやろうと口説いたのだった。そして1週間後、BillyはOverflowのギタリストとして最後のステージに立った。

 BillyがGood Charlotteの一員になってしばらくすると事態は急展開する。なんとGood Charlotteは地元のコンテストで優勝したのだ。そして"Can't go on"は地元のコンピレーションに収録されたのだ。Good Charlotteの快進撃はこれだけに終わらなかった。なんとBlink-182.Bad Religionとプレイすることになったのだ。そしてその後Litの東海岸ツアーのオープニングアクトに大抜擢されたのだ。しかし、ここでもまた大きな問題があった。ツアー移動のための交通費がなかったのだ。もちろん車もなかった。「オレらのママは自分のアパートも持ってなかった。他人の家を間借りしてたんだ。ママがもってるのはミニバン1つだけ。そんなママがオレたちにこう言ったんだ。"ライブにはママのミニバンで行けばいい。あなたたちがミニバンを使ってる間私は歩いて仕事に行くわ。"って。」とBenjiはこのことについて語っている。TwindsのママのおかげでGood CharlotteはLitの東海岸ツアーのオープニングアクトを務めあげることができた。

 1999年12月にGood CharlotteはNew York Cityで再びLitとプレイすることになる。するとGood Charlotteに次々と契約のオファーが舞い込んできた。Good Charlotteは2000年5月にEpicとの契約に合意、サインした。

 さっそくGood Charlotteは1stアルバムの製作に取りかかった。プロデューサーはDon Gilmoreが迎えられ、New Yorkのレコーディングスタジオでアルバム製作は行われた。GilmoreはGood Charlotteの音楽を聴いてその辺にいるPunk-Pop-Rockバンドとは何かが違うと感じたそうだ。1stアルバム「Good Charlotte」は2000年9月に発売された。このアルバムに入っている「Little Things」がMTVでプッシュされていたこともあり1stアルバム「Good Charlotte」はビルボードチャートに99週連続チャートインという記録を打ち立てた。

 でもGood Charlotteは一向にライブ活動を休むことはなかった。MxPxのサポートとして3か月間一緒にツアーをまわった。途中ドラムのAaronの脱退という大きな事件があったもののサポートドラマーを向かえてGood CharlotteはWarped Tour(世界一のパンクバンドフェス)に参加した。

 このノンストップのツアーの合間、2002年2月〜3月にかけてGood Charlotteは2ndアルバムのレコーディングを行った。プロデューサーはEric Valentineが迎えられ、ハリウッドでレコーディングが行われた。そして完成したアルバム「the Young And the Hopless」は10月1日に発売され、ビルボードチャート初登場7位にランクインされ発売から2ヶ月後にはゴールドディスクを獲得した。この時もGood Charlotteはもツアーを続けていた。オーストラリア、ニュージーランドにもツアーに行った。そして1月New Found Grolyとともに来日した。1/8〜1/11のNFGのオープニングアクトとしてだけでなく、1月12日には原宿アストロホールでワンマンライブを行った。2003年春からはまたNFGとCivicツアーを敢行。大盛況に終わった。

 そんなGood CharlotteはサポートドラマーだったChrisを2003年7月26日に正式に5代目Drumerとしてメンバーに迎え入れ、Summer Sonic 2003に出演!!来日中はハードスケジュールにもかかわらず、日本各地で(北海道.東京.名古屋.大阪)パワフルなステージを日本のGCファミリーに見せてくれた。大の日本好きのGood Charlotte[得にBenji!!]は日本語もとても上手になってたし、とにかく最高!!これしか言葉が出てこない。詳しくはみんなのTour Diary[ライブレポ]を読んでくれればわかります。

 Summer Sonic 2003の後はヨーロッパツアー。その後に北米に戻り9月18日〜11月11日までMest/The Living End/Goldfinger/Eve 6/Something Corporateをサポートに迎え、北米ヘッドライニングツアーをする。2004年はGood CharlotteのDVD発売で一年が始まる。そしてまた日本で彼らのショウが見れるのだ。東京.大阪.名古屋で計6公演。またGCファミリーの前ですばらしいライブを披露してくれることだろう。そして、このツアーが終わったらしばらく姿を消してレコーディングにとりかかるそうだ。3rdアルバムの発売予定は来年の夏。GCからキッズへ。たくさんのメッセージがつめこまれた良い作品をまた世界中のGCファミリーにとどけてくれることは間違いない。

ここにあるbiographyは管理人@YUKIがオフィシャルサイトのBIO、ラジオ、雑誌のインタビュー等を元に書いた物です。
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B E N J I
J O E L
B I L L Y
P A U L
C H R I S
 名前 名前 名前 名前 名前
Benji Madden

Joel Madden
Billy Martine
Paul Thomas
Chris Wilson
 誕生日 誕生日 誕生日 誕生日 誕生日
1979年03月11日
1979年03月11日
1981年06月15日
1980年10月05日
1980年05月05日
 身長 身長 身長 身長 身長
5フィート7インチ
5フィート8インチ
5フィート11インチ
5フィート9インチ
5フィート11インチ
 出身 出身 出身 出身 出身
Maryland Waldorf
Maryland Waldorf
Maryland Annapolis
Maryland Waldorf
Utah SaltLake