Noa's Diary 〜ノアの前頭葉〜

      

[画]の表記があるものは画像付きです。

 

いらっしゃいませ

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改めてのご挨拶現代のご挨拶ホラー映画の本当に怖い理由友達の友達は皆友達〜
日記じゃないのか?!2006年幕開け日記

2006/2/2(Thr)改めてのご挨拶

ようやっと、Goddessのサイトが安定してきました(汗)。途中途中、リンク切れなんか当たり前、背景色と文字色のバランスがへんてコリン星だったり、スクロールができなくなっていたり、しまいにはhtmlの文字だけが寂しく載っていたり、果てにはGoddessのページ自体がなくなっていたりと(笑)。色んな状況を見た方がいるかと思いますが、もうページが消えてなくなるようなことはありません、BBSのリンクも切れないようになりましたので皆様是非ごゆっくりと御覧いただき、書き込みなどもよろしくお願い申し上げます。
リンクを貼っている方々には追って御挨拶とご連絡のメールをいたしま〜す!
Goddessになってから、新曲の製作、リハ顔合わせ、HPの更新、ネット関連の登録内容の変更など、なんだかとても慌ただしく、日記にはなかなか手をつけられないような状況になっていたのですが、ちょっと日記を書き増やしました。ということは少し気持ちに余裕が出て来たちうことでございます。私が日記を書く夜は、暇な夜ということです。といっても、日記が後回し、日記は適当、というわけではないんです。むしろ日記はノアとしては重要な位置にある方なんです。だから時間があるときでないとなかなか手を付けないわけでして。文章を書くのは、非常に根気のいる作業ですな。歌詞と同じくらいの気持ちで書いちゃってるので、結構な時間が必要になっちゃうんです。以前にも豪語した通り、やたらUPする週もあり、全く更新されず沈黙の月間があったりもします(笑)。
しかし日記は更新されていないのに他の部分は更新されているような日は、文章を書く頭のエネルギーはないんだな、と思って下さい。
ではでは、ライブが近付いてまいりました。ライブメンバーは、当日のお楽しみです。あっ!知ってるー!という声が聞こえてきそう(笑)。


2006/2/10(Fri)現代のご挨拶

私と父がコンビニに入ったら、「いらっしゃいませおはようございます〜!」と元気良く店員が迎えてくれた。
「おはようございます。」と父が返したら、店員がギョッっとしていた。
父が、なんでだ?としきりに不思議がっていた。

おはようございますと言うからおはようございますと言ったのに、おはようございますと先に言った人の方が言われてギョッとするなんて、わけがわからない。と(笑)。確かにそうですね。

私はそこで、朝は「いらっしゃいませおはようございます。」と言うのがマニュアルになっているんだよ、自分の意志で特定の人に「おはよう」と言っているわけではない。だから自分に向かって挨拶が返ってくることを想定していないから、返されると驚くんだよ、と言ったら、「寂しい世の中だねえ。。。。」とため息をついていた。。

そのような話があってからも、また夕方コンビニに二人で入った時、今度は「いらっしゃいませこんばんは〜!」と言われたので「はい、こんばんは。」と返した。そうしたらまた「え”。」という顔をされた父。

父はこれからも店員と普通に挨拶ができるようになるまで挨拶をし続ける。


2006/2/8(Wed)ホラー映画の本当に怖い理由

リングハリウッド版を拝見。1時間くらいしてから突然お腹が痛くなり中断。
これって書いていいのかわからないけど、書いちゃいます。

井戸に落ちた女の子が意識を取り戻して、自分がいる状況を把握する。この映画を見ながら「こんな死に方したら辛いだろうな。。」と考えたちょっとの隙間に、なぜか突然何の前触れもなく、猛烈な吐き気が襲いました。え!うわっやばい!と思って、それまでごろごろ横になって見ていたのに、突然立ち上がってトイレへ。

変な話ですみません。私は吐き気と闘いながら、その時に、世界中で実際に井戸の中に落ちて死んだか、殺された人の、死ぬ前に感じたものが今私が感じていることだとわかってしまったんです。本当にそういうことなのか?立証できないだろう。心理的なものとか、医学的な何か原因があるはずだ、とほとんどの方は思うと思います。

しかし私は自分でそうではない、と断言したい。あの時私のまわりには、実際に井戸に落ちて死んだ人の最期の叫びが聞こえていた。

全身にぐわーっと、身の毛のよだつ感じが襲って来る。ここは井戸の底だ。
誰も気付かない。自分では絶対に上がることはできない。。。この状況を把握した時、体はどうなるか。それって、普段考える事ではないし、映画を見ている最中でも、映像を見て怖い怖いと思いながらも、よくはわからない。

井戸の底に自分がいる、いうことを認識した瞬間、人間は、言葉では表現しようのない恐ろしい絶望感と、猛烈な吐き気が襲うのです。体中の筋肉が硬直して痛み出し、体中の血がものすごく早く巡って、爆発するかもしれないと思うくらい、ぐるぐる巡るのが感じられます。止まらない震えと吐き気で、水が深くて足が届かない場合は、震えて溺れて、泣いて、吐く。この普段はめったに考えることのないことを私は無理やり考えさせられて、わからせられて、非常に苦しみました。頭を無理やり水の中に押し付けられて、死ね死ね!と言われているときのように、無理やり、「ほら!見ろ!知れ!」と後ろから強制されているようでした。本当に怖かった。

リング(ハリウッド版)っていう映画は、霊が怨念を残していてそれを生きている人達に伝えるために色んなこわいことをする、というよりもむしろ、愛する家族から見捨てられた悲しみ、愛されない悲しみや孤独、そして本当に辛い死に方をした苦しみ、こういうことがテーマになっているとても悲しい映画だと思うんです。ホラー映画は霊が出てくる時の怖さを、いかに怖くするか、というところに技術が行きがちだし、見ている方も、霊が出てくるところの怖い部分を感じたくて見ているのかもしれないのだが、実際、霊が出てくるくらいの状況は、普通じゃありません。何か理由があるから出てくるわけであって、霊が出てくる事自体、そうなったらその裏にはとても悲しい事実があるはずなんです。それを、リングはクリアしているように思えたのでいいホラー映画だと思いました。その分私は辛かったけど(苦笑)。

(私にとって)ホラー映画が何で怖いかって、そうやって実際死んだ人も、その映画のことを知っているからです。広い世の中には、映画のストーリーと似たような状況で死んだ人っていうのがいます。その霊たちが私に何をするのかは、今回のリングでは少し書いてしまいましたが、むやみに書く事はプライバシーの侵害にあたると思うので(今の法律では霊のプライバシーを守るものはないけれど)、書かない方がいいのかもね。。リングは涙でした。

2006/2/1(Wed)友達の友達は皆友達〜

友達の友達は皆友達だ、世界に広げよう友達の、ワッ!をやめた(今日からやらない)その日のいいともを見た覚えって、皆さんありますか?これをやっていたいいともははっきり記憶にあるんですけど、気が付いたらもうやっていなくて、いつぞやからか、やっていないことが当たり前になっていたことに気付いたんですが。

しかしながら20代後半から下の方は友達の友達は〜と聞いても何の事かわからないかな?気付いたら、変わっていた、ということが最近妙に気になってねー。もし今日から友達の友達は〜をやらなくなりました、っていう境目の日を見た人がいたらどんなだったのか、教えて欲しい。結構知りたい。もしかしたら、その日を見てない人でも、こうだった、ということは意外と有名なことなの?

2006/2/1(Wed)友達の友達は皆友達〜

友達の友達は皆友達だ、世界に広げよう友達の、ワッ!をやめた(今日からやらない)その日のいいともを見た覚えって、皆さんありますか?これをやっていたいいともははっきり記憶にあるんですけど、気が付いたらもうやっていなくて、いつぞやからか、やっていないことが当たり前になっていたことに気付いたんですが。

しかしながら20代後半から下の方は友達の友達は〜と聞いても何の事かわからないかな?気付いたら、変わっていた、ということが最近妙に気になってねー。もし今日から友達の友達は〜をやらなくなりました、っていう境目の日を見た人がいたらどんなだったのか、教えて欲しい。結構知りたい。もしかしたら、その日を見てない人でも、こうだった、ということは意外と有名なことなの?

2006/1/10(Tue)日記じゃないのか?!2006年幕開け日記

2006年明けましておめでとうございます。もう半月たっちゃいましたな!
とにかくGoddessHPの外枠を先に作らないと!というわけで日記がおろそかになっていました。そ〜うしたらなんと。。昨年までは、ノア日記を読んでいる人って何人くらいいるのかなー、私の知っている人とメンバーを合わせて10人くらいか?なんて思っていたんです。すみません。何で謝罪するかというと、とんだ間違いでした、思った以上にほんとにたくさんの人が実は読んでいた、ということがわかったからなんです。私も驚きました。こんなに皆読んでくれているのならもっとちゃんと書けばよかったなんて思う2006年初頭。

いや、適当に書き流していたわけではありませんよー。

何で読んでいる人のことを最初に書いたかというと。。例のごとく、上記の話題から一時話を飛ばします。昨年テレビの中でのあるコメントがしばらく頭にこびりついていて、別に私が言われたわけではないのだけれどもなんとなく印象に残っていたことがあるんです。
どこかのテレビ局で、インターネットをテーマにした話題を話している番組があったとき「もはや「日記」を人に公開するというおかしな時代になった」というコメントがあり、またもう一つ、「どこの馬の骨ともわからん赤の他人の、一般人の日記なんか誰が読むんじゃ!」というコメントを聞いたときは、それってアタイのことだと思って、テレビの前で「。。。。。」状態に陥りました(笑)。

そんな中で、私の日記、「ノア日記」とは自分にとって何の意味があるのだろう、と考えたりしていました。私は影響されやすいですねえ。。いかんいかん。
そこで年末年始に公開日記についてぼんやり考えていたのですが「公開日記」という言葉自体も非常に新しい言葉だということに気付きました。「公開日記」なんて言葉を夏目漱石なんかに言ったら、「それは日本語として間違っていますねえ。」とか言われるのじゃないか?(笑)

「日記」という言葉はそもそも他人に見せるものではなく、自分自身が自己反省したり、本日起きた出来事を自分で記憶しておくためなどに書いたりするという定義があるから、誰かに読んで欲しいな、と思っている時点でそれは日記とは言わないかもしれないんですよね。そこで私のこれまで書き続けてきた日記にはどんな意味があるのかともう一度考えて、それで他の皆はどんな目的で書いているのか知りたくなり、色んな人の日記を読んでみたんです。インターネット上の、もともと知り合いの日記や、バンドやアーティストのサイトの中にあるリーダーの日記や、適当に文字を打って検索して出てきた膨大な検索結果の中にあった全く知らない人のブログや、とても有名な人のたまに書いている手記とか。それを読んでいるうちに、文面やスタイルこそ違えど、私はそこにある共通点を見つけたんです。というのは、日記を「公開」している人というのは、アーティストなど何かをやっていて、活動そのものを知って欲しいという目的があろうと、特定のテーマについて掘り下げている人がそれについて毎日書いている日記であろうと、特に何をしているというわけではない、ただ今日一日あった出来事をひたすら書き綴っている日記であろうと、やはり「公開」なんだ。

どういうことかっていうと、もともと定義されている「(誰にも見せない)日記」ではない、ネットに載せるという手段を選ぶところからすでに、やはり自分以外の人に「読んでもらう」ことを念頭に置いているわけです。絶対読んでもらいたくなければネットには公開しないだろう。何かを目指している人もそうでない人も、訴えたい何か、知って欲しい何か、読んで欲しい何か、がある。。そう感じました。他の人に対して、問いかけがあるんです。訴えがあるんです、不満を爆発させている日常の出来事を綴ったものであっても、ノートにぶつけて書いて、それを誰にも言わないという意識や行為とは全く違う意識構造が感じられます。

そう考えると、「もはや「日記」を人に公開するというおかしな時代になった」というコメントに対して別な視点をすれば「公開されているのは日記ではない、公開されているものを「日記」と言うことが問題なのである。ネットで公開されている、現状「日記」と呼ばれているものには、何か新しいコトバを作るのが妥当だ。」とは言えないか?エッセーとか、自叙伝、とか他にも今あるじゃん?という意見もありましょう。しかし、今ある日本語では正しく表現できない「日記」があることを感じるんですよ。エッセーでも自叙伝でもない、ほとんど「日記」なのだがやはりただの「日記」ではない「現状日記と呼ばれているもの」が、ネット上には溢れているんです。

例えば誰にも見せないことを前提とした、今日一日起きた出来事をノートに書く場合を想定してみましょう。

「今日A子に会った。久しぶりに顔を見たが、プチ整形をしたんだろうか、私が知ってるA子の目はもっと細くて小さかった。今日会ったら、はっきりとした二重で、私よりも大きな目をしている。私は整形は否定しているわけじゃないから、本人から言って来たら「いいじゃない?目、大きくなったね。」と、その話題に乗ろうと思っていたのに、ついぞ本人からこの話を持ち出すことはなかった。」ごく単純な短い日記の一例です。

ネットに同じようにこの話題を載せるとき、これを全くこのまま上げる人はたぶんいない。A子という実名を「ある友人」としたり、それにこんな日記じゃ文章が短すぎるし体言止めっぽくて本当に「ただの日記」です。「ただの日記」をネット載せている人は、私の研究した限り(何を研究しとんのか)、存在しないような気がする。話題は同じでも文面がいじられます。多分確実にいじる。やはり「公開」を意識しているんです。どんな単純な、「ほとんどただの日記」と呼ばれそうなものでさえも、「ほんとうのただの日記」ではない、というわけです。「読まれる」ことを意識しているのがネット上のほとんどのそれに感じられる。

私の場合も上の論理の流れに沿って(くだらない論理ですがな)、確実に、広く一般に「読んでもらう」ことを前提に考えている「日記(他の言葉は現状わからない)」です。多くの人に読んでもらって、水木ノアという人となりを知ってもらう(言ってみりゃ自己顕示)こと、私の音楽と共にある表現の一つである言葉だったり、というわけです。ただそこには、音楽とは関係なく、私がフツーに生活している間にふと思った疑問とかくだらないことも音楽活動の意識から離れてたくさん書いているんですけど、その中には、一人でノートに書くのとは違う何か、精神状態があります。他の人はどう思っているんだろ、私の考えはどうなんだろ、この考えっておもしろくない?みんなこれ知ってる?こんなことあったのよぅ、聞いてくれる?というような、「自分以外の人間を明らかに意識した文章」で、「ほんとうのただの日記」ではないのは確かですね。そしてそれは特定の○○さんなどを意識しているのではなく、不特定多数(誰かが読むかもしれない)という意識だから、手紙でもありません。

そういうことで、「日記をネットに公開する」という言い回し自体が間違っていることになるんじゃないか、というのが私ながらの結論。あ〜、暇人か私は!(笑)なんて左脳的なんだ、自己嫌悪。

「日記をネットに公開するおかしな時代」というコメントにも、見い出される現代社会の特徴というか、問題というのが多分あって、まあこれを日記と言わないようにしたとしても、この特殊な文章(様々な公開日記の中でも、特に「自分の主張をするわけでもない、ただ身の回りに起こった出来事なのに「他人が読む」ことを前提に書かれる文章」にスポットを当ててみましょう)の誕生は、そうだなあ私が子供だった約20年以上前には起こり得ないことだったと感じています。
日常の不満や、人生の中の辛いこと、楽しいこと、などを自己成長や自己反省のために書くのではなく、他の誰かに知ってもらい理解してもらい共有してもらう、そしてそれが会った事のない人でもいい、普段会うことはあんまりなくても、知っている友達ならなおさら嬉しい、という潜在意識、ぼんやりとはしていても心のどこかで、人との心の接触を求めているという、なんとなく悲しい現代社会を感じるんです。

GoddessオフィシャルサイトはGoddessの活動を宣伝するためのホームページであることが当たり前で、私の意識のほぼ大半はその考えでホームページを更新しますが(水木ノアAND認知時代も同様)、Goddessオフィシャルサイトの一画にあるノア日記に手をつける時、全くそれだけの意識か、と問われたらそうではないというのが正しい答えなんだと思います。私という一人の人間の考えていること、私という一人の人間が経験したこと、そういったことを私以外の人に発信したい、という意識も、少なからずあるわけですね。ただやっぱり最後には私という人間を日記から知ってもらって、もし興味を持ってくれたらライブに来て直接声をかけてネ、という気持ちがあるんですけどね(笑)。そこがアーティスト日記のいやらしいところだと思いますな(爆)。ま、そのくらい自己顕示欲が強くないとできない商売かもしれないのですが。

というわけで、「Diary」というタイトルも、何か他のタイトルに変えようかしら?と思う新年。しかし英語でも日本語でも他に言葉が浮かばないので、何か妥当な言葉を知っている人は、連絡してネ。

。。。。。。。。。。。。。。
で、冒頭の内容の続きに戻るんですが。
日記を書かなくなって、結構たっていたんですね。GoddessHPに移行する、と決まる前からも、日記を書かなくなり始めていたようです。そこから今日までの間、ノア日記が全く更新されなくなったことでぼちぼちとメールが来始めていました。最初の頃は私も読んでくれていることがわかっている人からだったのですけれど、12月後半くらいに入って来ると、Goddessへ改名しますとのメールを皆さんに出したことでの返事の中に、「日記、最近書いてないですね」や「日記どうしたの?とりあえず今までの読んじゃったよ。」という文面があったりして、ほっ!読んでくれているのか、この方も!こりはヤバイ!と思ったりしていました。
さらに年が明けて2006年。年賀状の中に、「日記が更新されてないからよっぽど忙しいんかね。」や「なんかあった?日記何も書いてないけど。珍しい。」や「早く日記の方も更新してくださいね。」というメッセージが書き添えられており、メールと合わせるとついに30件。へ?30件?てお思いになる方もいるでしょう。いやいや、誰かに読まれるという意識があろうと、実際読んでいる人はほとんどいないだろうと思いながらひたすら書いていた私にとっては(さびしー)30人っていうのは、ものすごく驚愕の人数なんですよ!

で、まとめ。日記なのか日記じゃないのかよくわかららないものだと自分で定義しちゃいましたこのNoa's Diaryの方もちゃんと曲と一緒に増やしていきますので今後ともよろしく!



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