クリスマスです。テレビを見ていました。誰かが、「今年は2004年だからヨン様が流行ったのかもしれない」とか言っていました。あーなるほど。こういう何の根拠もない考えに素直に感心する私ノアです。というわけで、来年ブレイクするのは野口五郎さんでしょう。え?稲垣吾郎?すでにブレイクしていますね。もしかしたらレッツゴー三匹かもしれません。ゴの響きが入る名前だと売れるのかもしれない。水木ノアという名前は今さら変えられないので、認知の方を変えますか。水木ノアAND誤認とか。水木ノアAND認知後とか?認知後、人生どうなりますか?大変そうですな。 |
「三井住友VISAカード」と、つぶやいてみてください。私は先日人と会話している最中に話の内容的にたまたまこれを言う機会を得たのですが、言ってみてから、はっと気付いた、というか、確信したというか。。 |
クリスマスだというのに、さっぱり明るい文章が出てこないというのは、悲しいクリスマスになってしまったのではなくて、ただフツーに過ごしているからです。おとといだったかな、私は道を歩いていました。そうしたらすずめの御遺体が歩道に小さく倒れていました。しゃがみこんでじっと見てみると、目をつむり、きちんと羽をたたんで冷たくなっていたもので、少しちょんちょんとやってみたのですがやっぱり完全に亡くなっている様子でした。倒れていたところはコンクリートでしたが、すぐそばには歩道と車道をわける垣根がありまして、土の部分がありましたので、私はその土の部分で柔らかい所を手で掘り起こし、穴を作って、そのすずめを埋めたのでした。すずめを埋めたのはこれで3回目です。1、2度は小学生と中学生の頃で、飼っていた猫が捕まえて死に至らしめたものです。猫がすずめを捕るのは習性ですから致し方ない。申し訳ありません、成仏してくださいね、と言いつつ土に埋めてやりました。そんなことを思い出しながら、このすずめはどこにも傷がなく、綺麗にただ寝ているだけの様に見受けられたので、寿命だったのかな、などと根拠のないことを考えながら一応手を合わせ、埋めたことがわからないように土を直してその場を立ち去りました。 |
クリスマスイブです。「軍団」と言えば、思い付くのは皆さんどっちですか?私はたけし軍団です。先程TVCMで「軍団かえる」だったか「軍団ふたたび」だったか、そんなような言葉が言われ、「軍団」の文字がいきなり場面に現れ、そのあとすぐに石原軍団の西部警察のDVDのCMが始まったんですが、私はその「軍団」の文字を見た瞬間は、たけし軍団のことだと思ったんです。すぐに画面が切り替わったので一瞬でしたが。でも、日本で「軍団」って言ったら、普通たけし軍団じゃないですか?え?違う?石原軍団のCMで、私はすっかりたけし軍団を思い出しましたので、たけし軍団の宣伝にもなっているような気がします。石原軍団の皆様、ファンの皆様、申し訳ありません。今日はクリスマスイブです。松屋に行こうっかなーと。 |
お知らせメールより。。 土の上をアリが歩いていてどうして悪いんだろう?アリがいると、花によくないのだろうか? シロアリ、というと、やはり害虫なのかもしれませぬが、土の上を虫や葉っぱを運んで巣に持ち帰るために列をなして歩いているあの黒いアリを、殺す理由が、私にはわからない。。わからない。。 |
すでにツアー報告の一服から、通常の日記に移行してしまっている感。。ま、思い出した時にまたツアーの出来事は書いて行きますので大きく受け止めて下さい(笑)。ノアは間抜けです。ライブしか見た事がない人はあまりそういうイメージが湧かないかもしれないんですが、本当にノアは間抜けです。これまでの間抜けな行動をリストアップすることだけでも、ノア日記はしばらく持ちます。そのうえ、同じ事を何度も繰り返すんです。アホです。しばらく一緒にいればだいたいわかります。その間抜け行動で大失敗をした、そのまさにその間抜け行動を、忘れた頃にまたやる姿に、おそらく爆笑するよりも唖然とするのではないでしょうか。先日私はまた同じことをやりました。確か半年前にもやっています。ヘッドフォンで音楽を聴きながら自分の曲の歌詞を考えていました。ここで、ヘッドフォンで全然普通に音楽観賞をしながら別な曲の歌詞を考えるということについて考えましょう。まだ曲になっていなくて、新しく歌詞だけを考えるなら他の曲を聴きながらでもできるかもしれない。しかしやっぱり歌詞を考えるにしても一緒にメロも浮かんできたりすることもあるので、他の曲を聴きながら本当はあまり進まないのが私です。しかしこの時は、すでにメロが決まっている昔の曲[Noah's
Ark]を復活させるための新歌詞を考えていたのでした。当然元曲、元メロはあります。音楽観賞をしながら曲ができているものにつける歌詞を考えるというのは、実際皆さんやってみるとわかると思うんですが、そうそう進む作業ではありません(笑)。他の曲がガンガン流れているんですから。こうやって[Noah's
Ark]の歌詞を考えるというのは、一生懸命考えているという時間ではなく、おそらく何となく、ぼうっとしながら言葉を並べている、という感じですか?本来はそうかもしれないですな。しかしながらその時は告白しますと歌詞に行き詰まっていて(なんで[Noah's
Ark]はすでに出来上がっているのに、新たに歌詞を考えメロも変えるということをするのか、という問題については触れません。長くなるので(笑))、どうにも、前のメロや歌詞にとらわれているせいもあり、浮かばないんでした。それで他の曲を気分転換にかけて聴いていたんです(ちなみにそのとき聴いていたのはLIVING
COLOURのSTAIN)。そしたら突然イメージがわいたので、このままそれを聴きながら考えることにしたんです。Noah's
Arkとは全く違うメロやリズム(当たり前)ですから、Noah's
Arkの元メロを思い出しながら歌詞を考えるのはちょっと面倒です。Noah's
Arkを流せばいいのに、なんでわざわざ他の曲を流すかな、と自分でも思います。LIVING
COLOURなんかガンガンに聴いていたら気持ちもそっちに行ってしまいます。でも元メロを聴いていたのでは何も浮かばない状況になっていたのでした。それでこういうことをやってみたんですが、それが意外にも、楽しくて、他の曲を聴きながらでも、歌詞を考えるべき曲のリズムや元メロも同時に思い浮かべることが可能なことがわかり、そういう複雑な作業が面白くなってきたので、やってみたのでした。それで完成した新LIVING
COLOURじゃなかった、Noah's
Arkは12/16のドアーズ年末反省ライブで初演いたします。是非みなさんお楽しみに!もちろん、アレンジ、構成の面でもすでに元曲を45%残したくらいの状態に変わっておりますのでほとんど新曲と思って下さい。ちなみにNoah's
Arkという曲は私がソロだった時に初めて出したアルバムの中に入っており、それ以後、演奏をしたのはソロ時代の時と、認知を結成してからほんの1、2回だったと思うので、いずれにしても水木ノアAND認知としての新Noah's
Arkは、やっぱ新曲です。というわけで新曲が1曲完成しました!! |
梅図かずおの漫画「洗礼」って、知ってます?私はこの漫画を中学生の時に読み、この過激なストーリー、この恐怖の絵に何ヶ月も悩まされ、一時期、読んでしまったことを後悔し、梅図氏を本気で恨んだ事さえある、思い出の恐怖漫画です。そのストーリーは強烈だったので、今でもはっきり覚えており、ゴキブリの入った水を飲むシーンやアイロンを体に当てようとするシーンなど、大人になった今でさえ夢に出てくるシーンがあるんです。これを書いているうちにまた梅図かずおが憎たらしくなってきた(笑)。 |
全く関連のないネタをここで一つ。ケンジの意味不明な言葉リスト。曖昧なままにしながら人生を謳歌している。 |
当り屋だろうか?宿をチェックアウトしてロケッツ入りまで昼飯を食べるため車で出かけた認知。ノアが、靴下を買いたかったため100円ショップを見つけるとすぐに車を止め、皆を待たせて私は店へ入った。戻って来て、さあ出よう、というとき、運転していたケンジが、当てた。後ろをこつっと。あ!と思い一斉に降り返る。止めた時には明らかにいなかったトラックが、もうまさに私達の車の後部にくっつくのではないかという至近距離で停車しているのだ。事情はどうあれ、車と車が当たった感触は間違い無い。というわけで車から降り、後ろのトラックの様子を見に行く認知。トラックは配送の会社のもので、おじさんが降りて来た。そして、案の定、いちゃもんをつけ始めた。「これな、当たったんや。あんたらが後ろに下がって来よったから、全く止まっておったこっちは、当てられたんや。」と。うーむ。確かに、下がったのはこっち。トラックは停車している。しかし、どう見てもこの止め方はおかしい。それに、私達が車を止めた時、前には車がいて、後ろにはいなかった。だから後から来たトラックは、車が二台並んでいたのを見ているはず。そこで自分がこの距離で止めたら、真ん中の車は出られなくなる、というのは運転手なら容易に想像のつくところ。わざと出られなくしたとしか思えない。というわけで、ケンジはもちろん、認知メンバー、ここで引き下がるはずもない。ケンジは最初は冷静に応対はしていたものの、おじさんの態度や言い分に怒り出し、結局喧嘩とあいなった。ケンジも九州人なので言葉もだんだん悪くなり(笑)、かなりの喧嘩ごし。私もね、喧嘩って、好きなんですね(笑)。私の携帯の目隠しシールは「喧嘩上等」の文字になってます。私の携帯を斜めから盗み見した場合、「喧嘩上等」の文字しか見えない。ある時いつものように電車で隣に座ったおじさんが、私の携帯をちら見しましたが、すぐに目をそらしましたのを覚えています。やっぱりちょっと怖いですよねー。ちらっと見たらでかでかと画面に「喧嘩上等」なんか書いてあって足組んでメールなんかしていたら。それでいいんです(笑)。ちら見撃退用ですから。で、話はそれましたが、私も私で、ノア父から借りた車だったので焦り、おじさんと禅問答を、あ違った押し問答をくり返していました。ケンジが警察を呼びました。警察が来て事情聴取と車の様子の調査をしました。結局のところ傷自体が浅いため、本当に今この事故で当たった傷なのか断定することはできず、傷とトラックの高さの関係なども見たのですが、なかなか判定が難しい。しかしおじさんは、自分のトラックのバンパーが、今の事故でへこんだと言い張り、確かにへこんでいるバンパーを何度も指差して警察に主張する。しかしバンパーの方も、客観的にそうだと判定することもできない状態の様子。なんやかんやとやっているうちに野次馬も集まって来た。皆楽しそう(笑)。で互いの連絡先を伝え合い、こちら側が保険で対応することになった。停車している車に向かって後ろに下がったことが事実である以上、こちらが保障する、ってことなんだろうか?おじさんもそれを知っていてよくやっているのではないか?前にも後ろにも動かせない状態に車をしておいて、何とか出ようとしたらやっぱりどこかに当たってしまう、それを悪用して、当てるように仕向けているようにも見えないでもない。というかそういうおじさんに見えました。この場で1万円払え、と請求されましたが当然応じず、保険で対応するから後日連絡、ということで、警察の前で納得させ、その場で解散。不愉快な気分のままロケッツに向かいましたが、ライブは無事終了いたしまして、その後、未だに何の連絡もなく自然消滅となりました。 |
大阪の西成区というのは、知る人ぞ知る、そういう街。。ノア、KENJI、fattsはライブ前日に大阪へ前乗りし、宿泊先のホテル近くでFussy!と合流した。そこでの待ち合わせ場所が、西成区の動物園前駅。この動物園前駅、というのもかなりディープだったようで。。。(苦笑)。ホテルを予約したのはノアです。難波ロケッツにほど近く、そして料金が安い、というところからインターネットで探して予約したわけなんでございますが、インターネットというのは、全国、世界、どんなに離れていてもすぐにどこでも予約ができてとっても便利、というメリットは確かにあるのですが、あまりにも簡単に予約できてしまうため、近隣の環境などはあまり考えないでさくさくと予約をしてしまい、全日程の予約が終わった時には、いやあ〜一つ仕事を終えたなあ〜などとセノビーをしてくつろいでいたわけです。しかしですね、Fussy!に、待ち合わせ場所と宿泊先を伝えた所、「西成ですか。。。少し不安です。」という答えが返って来たため、私はなんでだろーと思いましたが、きっとロケッツまで行きにくいんだろう、Fussy!は大阪の道に詳しいからな、そっかあ、しくじったかなーなどと思っておりました。しかしそれは違っていて、確かにロケッツまでの距離は何の問題もなく、むしろ近すぎるくらい近い場所ではあったのです。なんで彼女が不安に思っていたかと言うと、西成、通天閣のすぐそば、動物園駅前、という怖い場所で、それも真夜中に、待ち合わせのためにたった独りでそこで待っていなければならない、という状況が理由だったのです。 |
関西、四国ツアーが無事終了いたしました!無事、というのはちょっと簡単すぎるか?という程、実は色々ハプニングはあったのですが。。(苦笑)。それらおもしろハプニング、エピソードも含めて、ただいま関西、四国ツアー豪華版ご報告別ページを新たに製作中です。しばらくお待ち下さい。さて、どこにリンクを貼るかな。ノア日記がいいのか、INFOページがいいのか、くだらないことで悩みながら製作しとります。 |
関西ツアーで出演する予定の神戸のライブハウスAMSさんに台風の被害はどうだったか訪ねてみたら、幸いにも大丈夫だったとの事。ライブハウスは地下になっていることが多いので、床上浸水までした地域では、地下はもちろん壊滅状態になっているだろう。しかしAMZさんは被害は避けられたようで良かった。 |
2004年というのは、4という数字が入っていて、4桁をそれぞれ足すと6になる。2005年になると、5という数字で、それぞれを足すと7になる。だから2005年は2004年よりきっと良くなるはずだ。でも5と7という数字が4と6という数字より縁起がいいという証拠はどこにもない。4月はとてもいい季節だし、6月はジューンブライドだ。でも、あまりいい年ではなかったと思ったら、何かこじつけて理由を考える。13日の金曜日にいやなことが起きたら、その日を理由にする。もしいいことが起きたとしたら、恐い日だと思っている日こそいい事が起こるもんだと解釈する。4989というという受験番号で落ちたら、受験番号を理由にする。合格したら、悪い番号ほど、運気が上がるものだと解釈する。都合のいいように考えるのが、人生楽しい。 |
水木ノアAND認知の窓口メールにも、多くの方と同じように毎日迷惑メールってやつが届きます。Yahooは一度受信箱に届いたメールでユーザーが迷惑メールだと思ったメールは、チェックすると今後は迷惑メールフォルダに入れられるので二度と見る事はないんですけど、それでも毎日かなーりな量の迷惑メールが届き、いつまでたってもその数は減る事はありません。で、迷惑メールを送るなと言っても、送っている側もどのアドレスに送っているのかほとんど把握してないんだろうし、それはもう別にいいんだが(腹立ちも初心者の頃からすると大分なくなって、今は疑問の方が大きくなっている)、迷惑メールを送った人は何の得があるのか知りたいんです。私のこの日記を読んで、解説を下さる方がいたら嬉しいです。デジタル社会の現代で、今一番不思議に思っているのがこれかな。 |
11日シルバーエレファントのライブが終了しました。そして私は多くの反省と、多くの希望と、やらなければならないことの発見をおおいにした1日となりました。で、ユタカさんに非常に感謝したのは、具体案を出してくれたことです。「具体案」いわゆる「アイディア」を、生み出すことは本当に大変なことです。アーティストは誰しも体験していることだと思います。出来上がった物事に対して、それを評価することは簡単であっても、ではそれがダメだとなったときに別の方法を新たに編み出す事は、評価することの100倍のアタマと、時間がかかる。音楽に限らずどの世界でも同じかもしれません。また、何もないところから何かを生み出すことの辛さは、正直言って私は経験していないでしょう。なぜかというと、どんなに新しい音楽、新しい趣向だと感じられても、それはやはり過去に存在していたものの別表現であったり、過去に存在していた複数のもののかけ合わせだったりすることがほとんどのはずだと私は思っているんです。そして過去にあったものの要素を取り入れたり、そこに別の過去にあったものをまぜたりすることで、それ自体は「今までには確かになかったかもしれない」ものに成長していく。歴史を作ってきた大御所のアーティスト達も、やはり自分達より以前のアーティストから影響を受け続け、その歴史が長く続いていく事で結果10年前、20年前には考えられなかったものが今存在する、その繰り返しだと思います。というわけで、現在私達が新しく作りあげているものも、様々な影響を受けてのことであることは、絶対に否定できない。水木ノアAND認知にとっては新しい試みだとしても、それ自体が新しいわけでは、ない。そこで、確実に「新しい」「誰かのマネではない」バンドになるためには、前述に戻りますが「過去にすでに存在するものの広げかた」に対するアイディアがいかにうまいか、ということがとても重要な気がします。「新しいこと」というのは、今まで地球上の誰もやったことがない、誰も知らないこと、というものではなく、やっぱり例えば他のジャンルで誰かがすでにやっている(それもすごい昔にだったり)、現時点で同じようなことをやっている人はいくらでもいる、というような類いのものであるに違いない。その趣向をこらすということさえも、無いアタマ使って絞り出す、とてもエネルギーのいることだし、新しいことをつくり出す作業に長けている人って、これまで存在しているものの引き出しがとても多いんじゃないかと思う。ただ、「アイディアが降りてくる」という感覚で生み出す場合は一概に言えないかもしれないけれども。しかし心理学的に考えたら、「降りてくる」感覚も、それまでその人がどこかに記憶していたことが突然現れる現象であって、やっぱり何かしらの下地があるはずだ、と言われるのかな?でも私は何か目に見えないものの力も信じているので、そうだとも言えない。なんだか自分でつっこんだりボケたりしている。話がそれました。まとにかく、創作をやっているときの私のアタマの中って、きっとものすごい脳波なんじゃないか、とか考えちゃったりします(笑)。といいつつ、実は脳的にはただの人だったということが、先日のジョー・マクモニーグル氏の超能力実験で明らかになっております(笑)。それは置いといて、客観的に見ているユタカさんから、あのような具体案を出してもらうと、実に目からウロコ、鼻から牛乳、口から納豆。一つのことが失敗したとき、じゃあ具体的にどうしたらいいかという案を出すのって、ほんとに大変ですよ!ユタカさん!すごいじゃないですか!!ありがとうございます。 |
あんまり人に話したことはないことなのですが、今さら話すのですけど、実は私には小学3年の時から今まで、ずっとおびえていることがあります。それはある記憶です。小学3年の夏頃、私は学校帰り一人で帰り道をランドセルをしょって歩いていました。友だちののんちゃんちに寄ろうとしていました。ひとりで真夏の炎天下歩いていたら向こうから自転車に乗ってやってくるものすごく太ったおばちゃんを見つけました。そのおばちゃんは以前から知っています。とても変な人で恐かった記憶があります。何もしゃべらず、たったひとりで木造の小さな家に住んでいて(最近どんどん取り壊されている、今は懐かしい昭和の長屋のような家だった)、体はものすごく大きいのに、目が細くて長くて、髪の毛が真っ黒のおかっぱで、ヨレヨレのシャツとモンペみたいな服を着て、にこりともせずうろうろしている姿は、子供の私には驚異でした。いつもは友だちと一緒の時にすれ違っていたので、「またいたぞ!やーいやーい!」などと、皆で遠くからからかったりしていて、それなりに楽しかったのですが、その日は夕方、一人で歩いている時にすれ違ったので、ちょっとぎょっとしてしまったんです。「またあのおばちゃんだ!顔が恐いんだよう。いやだなあ。」と思いながら下を向いて目を合わせないように歩いていたのを記憶しています。そしていよいよ私とすれ違うところまで来た時、なんとそのおばちゃんは自転車に乗ったまま私に向かってきたので、まじでビビリました。「うわっ!なんだなんだ!」と慌てて、思わずランドセルをしょった背をそのおばちゃんに向けたんです。とその時、おばちゃんが、私の頭に手をふりかざし、何をするのかと思ったら、私の頭に太った大きな手のひらをドスンと乗っけたのです。頭に手のひらを感じた私は「えっ?!」と思って振り返ったら、私の頭に手のひらを乗せたまま、細くてながーい目で、無表情のまま私を見ているんです。自転車はもちろん止めています。無言のまま数秒が過ぎました。どうしていいかわからなかったので、おばちゃんが次の行動に出るまで私は石になっていました。何秒か恐怖の時間が過ぎ、そのおばちゃんは私の頭から手を離し、小さな声で何かをつぶやきました。そしてまた無表情のまま自転車で走り去りました。何を言ったのか、それは全然聞き取れませんでした。何を言ったのかとっても気になっているのですが。その次の日からも、相変わらず週に何度かそのおばちゃんを見かけたのですが、あれ以来何もされていません。それにたったひとりの時におばちゃんとすれ違ったのは、結局あの日だけだったのです。また一人の時に会っていたらまた何かされたのか。それもわかりません。ただ私は、あの時おばちゃんは私に何か呪文などをかけて、呪われてしまったのではないかとか、恐いことばかりを考え、友だちにも親にも話さず、今日まできています。今もあのおばちゃんの顔ははっきりと覚えているし、頭に手を乗っけられた時の恐怖もはっきり覚えています。あの頃はとても歳をとった人に感じていたけれども、今その人の外見を思い出すと、あの頃おそらく40歳くらいだったと思う。結局、どんな意味を持つ事件だったのか未だもって全くわからないのですが、あれから私は何か不吉なものを背負って生きているのではないかと、たまに考えちゃったりするんです。。あのおばちゃんに会って真相を確かめでもしない限り、一生気にして生きていくことになるんだろう、と、なかば諦めています(笑)。 |
本当にあった○○○の○○○を昨日から見始まっているので、それが原因してこの火事に出くわしたのではないかとちょっとびびるノアです。。 |
本日、新宿の南口を夜8時過ぎにボーカルレッスンの生徒さん達と歩いておりました。いつも通り過ぎる屋台がいつも通りにありました。「あれ?あの状態って、もしかしたらヤバイ状況なのでは。。。?」ふと屋台の方を見ると、ドカンのような置き物からちょっとした(といっても今思い出してみたら結構大きい)火が出ていて、おじさんがパタパタと、布を降りおろしている。ああいう所に居合わせると、最初、何が起こっているのかわからないものなんですね。今思えばあれは確かに火事なのに、その瞬間は、おじさんが何かの用事で大きな火を起こしているのか?とか考えてみたりしていた。しかししばらく見ていたら、これは本当にまずい危ない状況なのだと認識することができたので、「これは大変だ!火事だ火事だ!これは火事だよね??!!何とかしなければ!」と、皆で回りを確認し、コンビニがあったのでかけこみ、前の屋台が火事だから、バケツに水をくんでください、と頼んだ時は、店員のおじさんも、屋台ということだしそれほど大きな火が出ているとは思わなかったらしく、水?じゃあ洗面器で。。みたいなノリでした。しかしそうこうしているうちに別の方が入ってきてかなり慌てている様子。見ると、あれよあれよという間に火が大きくなり、一人では全然消せない状態になっている!屋台の天井よりずっと高く火が燃え上がっているのです!そこで店員さんも驚き、「これは消化器だ!」と、消化器を手に持って店を飛び出しました。その時は相当に燃え広がっておったので、レッスンの生徒さんの一人が消防署に電話をし、周りの数人の方も連絡しておりました。屋台のとなりに置いてあったバイクを急いで移動している方もいました。何も持っていない私達はただ見ているしかありませんでしたが、消化器をしばらく出し続け、やっと火は収まったのです。やれやれ!火は消えた、よかった!というわけで、いやあ、大変でしたなあ。と言いながら帰り道、結局何もしなかった自分の無力さを感じていました。本当に危険な状況に陥ると、不思議なことに、これってなに?何でもないんじゃないの?と勝手に思ってしまう。以前テレビで、危機的状況に陥った人間は、なーぜか、何でもないと思い込む、という習性があるという検証を見たことがあったのですが、やはり自分も同じでした。。。。すぐにこれは危険だ!と判断することが何故できないんだろう。 |
バイトについてのノアの信じられない本当の話。ちょっと前にあった出来事。とある昔からのお気に入りの喫茶店でバイトのはり紙を見つけた私は、飛び込みで店に入り、バイトをしたい旨を伝えた。店長と外国人の店員がおり、店長が「履歴書を持って改めて来て下さい」とおっしゃったため後日また来る約束をしてその日は帰宅。次の朝電話をすると、外国人の店員が電話に出、本日履歴書を持って改めて伺いたいことを伝えると、「今日夕方5時に来て下さい」とのこと。約束通りの時間に向かった。しかし昨日の外国人の店員ともうひとり外国人の店員がいるのみで、店長は不在。上司らしい外国人と面接をし、早速あさってから来て下さい。という。店長はいらっしゃいませんがいいのですかと問うてみたが、「テンチョウヨルシカコナイネ。ワタシガココヲウゴカシテル、ワタシガキメテモンダイナイネ」というので、まあ大丈夫だろうと思いとりあえず決まったことを喜びながら帰宅した。 |
ノアはバイト経験についてならば、かなり誰にもひけをとらない程経験があります。これは逆に言えば、バイト転職が多い=続かないとも言えます(笑)。高校を卒業間近にして初めてやったバイトからこれまでの間やったバイトは、コンビニ店員、電話交換手、喫茶店のウエイトレス、レストランのウエイトレス、カラオケボックスの店員、大手企業のコールセンター、エステティシャン(フェイス)、通販電話受け付け、家庭教師、家庭教師あっせんのテレアポ、塾講師、電話割り引き商品のテレアポ、調査会社のデータ収集、名簿販売(いけないことだ。。)、キャバクラでのカバーバンド、チラシポスティング、コピー用紙のルート配送、電気メーカーの故障問い合わせカスタマー、ホテルのベッドメイク、フリーペーパーの配付、工場での検品、工場軽作業、通販注文商品の荷造り発送、テレビ番組閲覧の依頼電話、データ入力、在宅宛名書き、在宅で小学生の通新教育の採点、ボールペンの組み立て、などなど。 |
ユタカさんのご感想。アーティストの批評を全て格闘技に置き換えて発言するという唯一無二の個性を持った音楽評論家という顔、なんかいいんじゃないかなあ、イケるんじゃないかと考えたりしてるんですが、どうでしょう。[ユタカ]の発言を読むと、パッと見格闘技のことを言っているように思えるのだが、よおく読み進めていくと、実は音楽の評論だということがわかる。実に面白い表現の仕方だと思うんですが。 しかしここで疑念が一つ。全ての評論を格闘技に置き換える、ということを徹底した場合、音楽以外に、格闘技にも精通している人のみが、[ユタカ]の評論を読んで、そのアーティストの様子を理解することができるのではないかという予測です。でもね、私は格闘技は好きだが精通している程ではないのに、理解できたんです。かえってわかりやすい。音楽や芸術ってのは、比喩的な表現の方が返ってそのアーティストをうまーく表現できることがよくあるじゃないですか。直接的な解説だと、それ、しか答えがなくなってしまう。数学ではないから答えは無限にある。そう、お客さんの数だけある。そういう中で、ユタカさんの感想が、まだ見ていない人の想像力を膨らませ、直接的な表現だったら、ライブを見たりCDを聴いたりしたときに、そうではなかった、で終わる所が、比喩的な面白い表現だと、人によってそれを様々に捉えることができる。ある意味、特定の知識を持っている人へ向けてのマニア的な評論のようであって、実は逆に幅広い人に理解できる表現かもしれないと、感じたのであります。 |
私は先日、用事があって三鷹に行った。懐かしい。私は20〜23才まで三鷹に住んでいた。今はもう1年に2、3回しか行かなくなっていたので、あまりに変化しているのに驚きながら、ちょっと懐かしいので散歩をすることにした。三鷹ってのは非常に文学的な街だ。シブリの森美術館の近辺を歩いていると、ある立て看板が目に止まった。 |
皆さん、空を見上げていますか?私は毎日、しょっちゅう空を見上げます。この東京に長年暮らしていて、客観的に特に理由が見当たらないのに空を見上げている人はほとんど見たことがありません。空を見上げている人がいたとすれば、それは客観的に見てもわかる理由がある時だけです。たとえば花火大会。たとえば航空ショー。でも私は毎日、ちょっと時間があれば空を見上げます。なんでかっていうと、UFOを見つけたいからです(笑)。ここまで読んで、風情のある理由を考えていた?いやいや、この東京で空を見上げるのは、宇宙人は絶対TOKYOを偵察するだろうと思っているからだけです(笑)。 これは、人が客観的に見ても納得できる理由とは言いがたい。でも、私にとっては大事なことなのです。今までノアは、これはUFOに違いない、と確信を持てた謎の物体を多分4回見ていますが、ここしばらく、音沙汰がないので不安なのです。寂しいのです。姿だけでも見たい。触れられなくても、話せなくてもいい。ただ姿だけ、直接この目で見られれば。。ちょっとした片思い気分ですな。そういうわけで、最近スピルバーグの[TAKEN](10巻シリーズ)を見始めています。もうすぐ結末に至ります。自分は宇宙人にアブダクトされた可能性が高い、と本気で思っている方は是非御覧下さい。彼等の目的がわかります(笑)。いや、カッコワライじゃない、私ゃ本気だ! |
ノアは先日、生まれて初めて、漫画喫茶なるところに偵察に行きました。通称マンキツ、って言うんですか。どこの漫画喫茶であるかは明かせません。これから書く事を考えると。。 1時間たったの100円という内容だったもので、へえー!漫画も読めてネットも無料でドリンクも飲み放題で、1時間100円とは、ずいぶん安いもんだなあ〜と思って、行ってみる事にしたのです。受付に行くと、3時間パックを勧められたので素直に従いました。しかし2時間目以降からは280円になるとのことで、なーんだー100円なのは最初の1時間だけか。。でもそういうことは最初の宣伝では言わないのが常。仕方ないと思い。で280円×2=560円ですから、それに100円を足して、単純に660円になると思っていました。しかし渡されたレシートには820円と書いてある。一瞬、アレ?とは思いましたが、深くは追求せず(やっぱり皆そうなんでしょうかねええ)、そのまま指定の部屋へ。 全て個室なためとてもゆったりでき、内容はとても満足できるものでした。ま、いっかーと思いながら3時間気ままに過ごし、そしてチェックアウト。そこで何故か、1020円です、と言われたのです。 うーむ、どうしてだか、聞こうかな、聞こうかな、と思いましたがやはり深くは追求せず。。(やっぱり皆もそうですかい?) こういうところは、意外とそのままにしちゃう性格のノア。レシートを何度見返しても、その料金体系の意味がつかめません。3時間たって外へ出た時、金額はびびたるものだが、なんだか新宿あたりで「2時間〜円ポッキリ!」という呼び込みに釣られて入り、2時間後がっくり肩を落として出て来る経験をした男性方の気持ちがわかったような気がしました。。 深くは追求しません。しかしもう二度と行かないだろう。と思います(苦笑)。少なくともあのマンキツには。行く時はしっかりネットで料金体系を調べてから行きましょう! |
先日、私ノアはm-revoイベントのライブ会場渋谷asia Pに到着してから、ものすごく大事なものをなくしていることに気付きました。私がいつも持ち歩いている袋で、その日はアコーディオンにしっかりくくりつけて出かけたんです。その中には花園神社で購入した芸の道のお守り、歌詞ノート、ネタ帳、スタジオの会員証、譜面書き用の写譜ペン、花粉症用の鼻シュッシュ(上記のジャンルからは離れるシロモノだが)などが入っていて、これがないと、不便も多く気持ちも落ち着かず、ないことに気付いた日にゃー、今夜のライブがうまくいかないという意味なんではないかとか、芸の神様に見放されたということではないか、とか、色んな考えに捕われて、出演時間まで不安な時間を過ごしました。しかし、出演時間が近くなるにつれ、なくなっちゃったものは仕方ない、なくなったということは、今まで使っていた物を全て新しい物に取り替えなさい、お前の神様は変わった(??)、とかいう意味なんだろうと勝手な前向き解釈をし、気合いを入れてライブに望んだわけでございます。 結果は、今までよりもお客さまの評価はありがたいものでございました。私たちとしては終りなき反省と課題の発見が死ぬまで続くのはわかってはいますが、前回よりも進歩したという観を得ることは出来、やはり後者の前向き解釈の方が正しかったのだ、という根拠のない確信を持って帰路についたわけでございます。 すると。家に着いてポストを見たら、入っていたのでした。。大きな袋が、ぎりぎりにポストに押し込められておったのでございます。ここにあるということは、私は歩き始めてすぐにどこかでそれを落し、近くの人が見つけてポストに入れてくれた、ということでしょう。それはそれは非常に嬉しかったのですが、ここでハタと疑問が思い付きました。 ---ミュージシャンやっている人かな、と思わせることはできるこの不思議な落とし物には住所が少しでもわかるものは一切は行っていず、また、ポストにも表札を出していない私なのに、誰がどうして、ここが落とし主のポストだとわかったか、という疑念もありますが、まあいいでしょう(笑)--- 見つかってしまったので、出演時間までに捕われていた不安はとりあえず回避、しかし後者の前向き解釈も意味のないものとなったわけで、私はここで、それがなかったことで精神的に非常に苦しい一日を送った、という事に対して、何か意味付けをしなきゃならんのです(笑)(ノアは起きた出来事全てに意味付けをするクセがあるわけ) それは何だろう。。多分こういうことだと思います。大事な物はしっかり注意して持ち歩け。 これだけかい! 自分にとって大事な物をなくすと、なくした時にその大事さを改めて感じる、というのはここで改めて言うまでもなくどの方も十分御存じの、昔から言われている常識ではあります。しかし、体験しないと人間ってなかなか理解しない、アホな生き物でもあります。それも、1回や2回じゃまだわからない。何度も何度も体験しないと、それが自分の記憶にしっかり残るものにならないアホな生き物です。特に私ノアのように、何度も同じ過ちを繰り返しているような、一度体験してその時痛い目を一瞬見ようとも、それを学習する能力に欠けている人間にとっては、本当に大事なものを何度でもなくさないと、注意散漫は治らないのであります。 ノアは日々注意散漫です。 朝起きた時に今日着て行く服を手では探しながら学生時代にサークル仲間と議論したハードロック論を再考し、歩いている時はカラスがゴミをつついている姿を見て、自分の捨てたゴミがつつかれたら何が出て来るか、恥ずかしい物はないか、こいつだと特定できる物が入っていなかったか考え、人と会い、彼や彼女が懸命に自分の不幸のありさまを赤裸々に話している時は、その人のほくろの位置や耳たぶの大きさを観察して将来どんな人生を送るのだろうとなんとなく考え、夕方歩いている時はこれまで亡くなった有名な芸能人をテーマにひとり山手線ゲームをし、風呂に入っている時は明日着て行く服を考える。 こういうね、注意散漫になんとなく、なんの足しにもならない事を常日頃つらつらと考えているような人間は、やっぱり財布や定期や一番大事な音楽用具一式やなんかを、落とすんですよ。やる気あるんかい!と叱ってください。。 |
呪怨2を見たのは、2003/08/31のことです。日記に書いてあったので間違いありません。それなのに、あーそれなのに、今日は2004/4/14。また借りて来たのです。なんでかっていうと!見てないと思ってたからです。。 |
また、勇太入り立つ、なんだこれ、幽体離脱した。ユウタイという言葉は優待しか、ないんだなー。ユーザー単語登録しとかないと!よく使う言葉だからな。 結局また、浮遊して遊ぶことはできなかった。 もし全部抜け出して、短い間だけでも好きなところへいくことが出来るなら、キアヌ・リーブスの部屋へ行く。 |