Noa's Diary 2004


5メロディすずめの埋葬クリスマスイブアリ間抜けな行動のごく一例洗礼ツアーご報告の合間の一服
ツアーご報告その2 その次の日 事件発生ツアーご報告その1 Fussy!西成にて震えるさて!こじつけが福を呼ぶ
迷惑メールについての疑問ライブ終了恐怖の記憶因果人間の不思議摩訶不思議なバイト運華麗なるバイト歴
考察:格闘技と音楽の関係玉川上水に入らないでくださいまんきつ注意散漫呪怨2ユウタイリダツ

2003 2005 2006

2004/12/25(Sat) 5

クリスマスです。テレビを見ていました。誰かが、「今年は2004年だからヨン様が流行ったのかもしれない」とか言っていました。あーなるほど。こういう何の根拠もない考えに素直に感心する私ノアです。というわけで、来年ブレイクするのは野口五郎さんでしょう。え?稲垣吾郎?すでにブレイクしていますね。もしかしたらレッツゴー三匹かもしれません。ゴの響きが入る名前だと売れるのかもしれない。水木ノアという名前は今さら変えられないので、認知の方を変えますか。水木ノアAND誤認とか。水木ノアAND認知後とか?認知後、人生どうなりますか?大変そうですな。


2004/12/25(Sat) メロディ

「三井住友VISAカード」と、つぶやいてみてください。私は先日人と会話している最中に話の内容的にたまたまこれを言う機会を得たのですが、言ってみてから、はっと気付いた、というか、確信したというか。。
「三井住友VISAカード」に、CMのあのメロディをつけた方はどなたかは知らないのですが、あのメロディを思い付いたきっかけはきっと、普通に言葉で言ってみた時のアクセントだと思うんです。何度も言っているうちに、自然にあのメロディになったんじゃないか?なぜかというと、「三井住友VISAカード」と言うと、あのCMの♪三井住友VISAカード♪のメロディとほとんど音程の上下が同じだからです。会話の中で「三井住友VISAカード」と言ったら、それがCMのあのメロディにとってもよく似ていて、それに気付いちゃうと、もう一度「三井住友VISAカード」と言ったら、もうメロディになっちゃう。もちろんですね、歌詞に曲をつける時はその言葉とあまりにもかけはなれた音程は自然と排除しているし、メロディが先にあってそこに歌詞を載せる時も、おかしい言い回しや、そのメロディに合った言い回しがやはりあるわけなので、全く初めて知った事、というわけでもないっちゃないんですが、とても短い言葉をアピールするためのメロディって、とっても難しいと思うんです。そんな時に、普通に言葉として「三井住友VISAカード」と言ったらそこで初めて、あれっ!あのメロディと同じじゃん!と気付いた時はちょっとした驚きでした。そんなことを思い付いてから、最近私は、ちょっと長い名詞に、言葉として言った通りの自然な、なおかつおかしくないメロディをつけてみることにハマっています(笑)。例えば水木ノアAND認知。これにちゃんとした音程をつけるとするとどうなる。音程を決定するまでに、何度も何度も言葉として言ってみるんです。そうするとだいたいこれかなーという音程が見えてくる。それが曲とかコード進行としてちょっとおかしい所があったらそこは手直し。それでできた、CM用音程のついた「水木ノアAND認知」、どんなメロディだか聴きたいですか?いやちょっと教えられません。あまりにダサかったので(笑)。そして次に、以前の日記のテーマでもある「玉川上水に入らないで下さい」というCMを作るとなったらどんなメロディをつけるか?とも考えました。何度かやってみましたが、コント系のメロディしか浮かばず、真剣に「玉川上水に入らないで下さい」ということをアピールしたいんです、というクライアントの希望には答えられない作品でした。そんなクライアントいないけど(笑)。
私はまだCM音楽は作れん。それにも気付いた一日でした。


2004/12/24(Fri) すずめの埋葬 

クリスマスだというのに、さっぱり明るい文章が出てこないというのは、悲しいクリスマスになってしまったのではなくて、ただフツーに過ごしているからです。おとといだったかな、私は道を歩いていました。そうしたらすずめの御遺体が歩道に小さく倒れていました。しゃがみこんでじっと見てみると、目をつむり、きちんと羽をたたんで冷たくなっていたもので、少しちょんちょんとやってみたのですがやっぱり完全に亡くなっている様子でした。倒れていたところはコンクリートでしたが、すぐそばには歩道と車道をわける垣根がありまして、土の部分がありましたので、私はその土の部分で柔らかい所を手で掘り起こし、穴を作って、そのすずめを埋めたのでした。すずめを埋めたのはこれで3回目です。1、2度は小学生と中学生の頃で、飼っていた猫が捕まえて死に至らしめたものです。猫がすずめを捕るのは習性ですから致し方ない。申し訳ありません、成仏してくださいね、と言いつつ土に埋めてやりました。そんなことを思い出しながら、このすずめはどこにも傷がなく、綺麗にただ寝ているだけの様に見受けられたので、寿命だったのかな、などと根拠のないことを考えながら一応手を合わせ、埋めたことがわからないように土を直してその場を立ち去りました。
次の日、また私はその道を通りました。実は、埋めたことはすっかり忘れていたんです。これは本当です。実際思い出すと、埋めてからその道をまた歩き始め、郵便局に着いたあたりにはもう、埋めたことはすっかり忘れていました。私の日記をよく読んでいる方はもうお分かりのように、私はよく忘れるんです。ま、それはいいとして。。
次の日もその道を通りましたが、歩いている間は全く忘れていました。しかしですね、この感覚を言葉で説明するのはとても難しいのですが、なんだか知らないが突然、植木に目をやったんです。とその瞬間に目に入ったのは私が昨日土を掘り起こしてすずめを埋めてまた元に戻した、その部分でした。そこで初めて、あ。ここにきのうすずめを埋めたんだった。と思い出したんです。不思議だと思いませんか?思わない?心理学的に説明するとすればこうです。すずめを埋めた時、無意識に視界に入っていたまわりの景色が頭に残っていて、なおかつ埋めた後、その行為自体を顕在意識上では忘れたものの、無意識には残っていた。次の日またその場所を通り過ぎる時、同じ景色を無意識がキャッチし、すずめを埋めた事をしっかり意識する前に、自然と埋めたその場所を見る事になった。というわけで、言ってみれば忘れていたことを脳が勝手に思い出した、ということですか。
だがしかし。私はここで、あくまで霊的に考えるのです(笑)。心理学科の異端児と呼んで下さい。すずめを埋めたことなんてすっかり忘れてしまっていたけれども、そこを通る時、埋められたすずめが、「私はここにいます。ありがとう。」と言ったんです。きっとそうです。それで私はここにすずめが埋められていることを思い出し、「成仏しろよ。」とつぶやいて通り過ぎたのでした。他人が見たら、まさに新宿のイッちゃった人ですな。雑踏を歩いていたら突然見知らぬ人との通りすがり、「成仏しろよ。」と言われた。こんなことを自分が経験したら、怖いです(笑)。通りすがりにその言葉を聞いてしまったあのおじさん、あなたのことではありませんので、今頃気にしていたらすみません。


2004/12/24(Fri) クリスマスイブ 

クリスマスイブです。「軍団」と言えば、思い付くのは皆さんどっちですか?私はたけし軍団です。先程TVCMで「軍団かえる」だったか「軍団ふたたび」だったか、そんなような言葉が言われ、「軍団」の文字がいきなり場面に現れ、そのあとすぐに石原軍団の西部警察のDVDのCMが始まったんですが、私はその「軍団」の文字を見た瞬間は、たけし軍団のことだと思ったんです。すぐに画面が切り替わったので一瞬でしたが。でも、日本で「軍団」って言ったら、普通たけし軍団じゃないですか?え?違う?石原軍団のCMで、私はすっかりたけし軍団を思い出しましたので、たけし軍団の宣伝にもなっているような気がします。石原軍団の皆様、ファンの皆様、申し訳ありません。今日はクリスマスイブです。松屋に行こうっかなーと。


2004/12/23(Thu) アリ 

お知らせメールより。。
結構前から気になっていることがあります。
CMで、アリの巣を一気に絶滅させる薬品をよく見ます。最近私が見たのは、小さな花壇の土の上に黒いアリが歩いているため、土の上にその薬品をかけ、アリが死にます、という内容なのですが、この薬品の関係者の方がもしいましたら大変失礼な意見にはなってしまうものの、どうしても私の疑問を消し去ることができません。

土の上をアリが歩いていてどうして悪いんだろう?アリがいると、花によくないのだろうか?
昔から、土にはアリがいたが?アリは害虫だったのか??
どうなんでしょう?

シロアリ、というと、やはり害虫なのかもしれませぬが、土の上を虫や葉っぱを運んで巣に持ち帰るために列をなして歩いているあの黒いアリを、殺す理由が、私にはわからない。。わからない。。
ゴキブリならばもちろん、人間にとってはいいことはないので、見た目もよくないし(笑)、人間にとっては敵の一つなのはわかる(明日シュビドゥバでも、私の敵はゴキブリだと歌っております)。しかしだなー、アリをわざわざ殺すというのは、ガーデニングをしている人間にとって、生き物を殺してまでも、植物を守りたいという気持ちからなのだろうか?しかしそもそも、アリは、植物にとって有害なんだろうか??という、単純な疑問が浮かぶわけです。どなたか、黒いアリを殺すわけとして納得のできる解説がありましたら、ノアに教えて下さい。


2004/12/13(Mon) 間抜けな行動のごく一例 

すでにツアー報告の一服から、通常の日記に移行してしまっている感。。ま、思い出した時にまたツアーの出来事は書いて行きますので大きく受け止めて下さい(笑)。ノアは間抜けです。ライブしか見た事がない人はあまりそういうイメージが湧かないかもしれないんですが、本当にノアは間抜けです。これまでの間抜けな行動をリストアップすることだけでも、ノア日記はしばらく持ちます。そのうえ、同じ事を何度も繰り返すんです。アホです。しばらく一緒にいればだいたいわかります。その間抜け行動で大失敗をした、そのまさにその間抜け行動を、忘れた頃にまたやる姿に、おそらく爆笑するよりも唖然とするのではないでしょうか。先日私はまた同じことをやりました。確か半年前にもやっています。ヘッドフォンで音楽を聴きながら自分の曲の歌詞を考えていました。ここで、ヘッドフォンで全然普通に音楽観賞をしながら別な曲の歌詞を考えるということについて考えましょう。まだ曲になっていなくて、新しく歌詞だけを考えるなら他の曲を聴きながらでもできるかもしれない。しかしやっぱり歌詞を考えるにしても一緒にメロも浮かんできたりすることもあるので、他の曲を聴きながら本当はあまり進まないのが私です。しかしこの時は、すでにメロが決まっている昔の曲[Noah's Ark]を復活させるための新歌詞を考えていたのでした。当然元曲、元メロはあります。音楽観賞をしながら曲ができているものにつける歌詞を考えるというのは、実際皆さんやってみるとわかると思うんですが、そうそう進む作業ではありません(笑)。他の曲がガンガン流れているんですから。こうやって[Noah's Ark]の歌詞を考えるというのは、一生懸命考えているという時間ではなく、おそらく何となく、ぼうっとしながら言葉を並べている、という感じですか?本来はそうかもしれないですな。しかしながらその時は告白しますと歌詞に行き詰まっていて(なんで[Noah's Ark]はすでに出来上がっているのに、新たに歌詞を考えメロも変えるということをするのか、という問題については触れません。長くなるので(笑))、どうにも、前のメロや歌詞にとらわれているせいもあり、浮かばないんでした。それで他の曲を気分転換にかけて聴いていたんです(ちなみにそのとき聴いていたのはLIVING COLOURのSTAIN)。そしたら突然イメージがわいたので、このままそれを聴きながら考えることにしたんです。Noah's Arkとは全く違うメロやリズム(当たり前)ですから、Noah's Arkの元メロを思い出しながら歌詞を考えるのはちょっと面倒です。Noah's Arkを流せばいいのに、なんでわざわざ他の曲を流すかな、と自分でも思います。LIVING COLOURなんかガンガンに聴いていたら気持ちもそっちに行ってしまいます。でも元メロを聴いていたのでは何も浮かばない状況になっていたのでした。それでこういうことをやってみたんですが、それが意外にも、楽しくて、他の曲を聴きながらでも、歌詞を考えるべき曲のリズムや元メロも同時に思い浮かべることが可能なことがわかり、そういう複雑な作業が面白くなってきたので、やってみたのでした。それで完成した新LIVING COLOURじゃなかった、Noah's Arkは12/16のドアーズ年末反省ライブで初演いたします。是非みなさんお楽しみに!もちろん、アレンジ、構成の面でもすでに元曲を45%残したくらいの状態に変わっておりますのでほとんど新曲と思って下さい。ちなみにNoah's Arkという曲は私がソロだった時に初めて出したアルバムの中に入っており、それ以後、演奏をしたのはソロ時代の時と、認知を結成してからほんの1、2回だったと思うので、いずれにしても水木ノアAND認知としての新Noah's Arkは、やっぱ新曲です。というわけで新曲が1曲完成しました!!
で、オチはなんなんや!
いえ、この話はそもそも本題ではありません。ここからがテーマの話題で、この話はいわゆる脱線です(まじかい!)。忘れそうになってしまった本題は、ノアの間抜け行動です。どんなことをやったのかというと、そのヘッドフォンでLIVING COLOURを聴いていた時に携帯の着信が鳴ったので(携帯の着信という音は、他に何の音があっても聞こえてくるのは、なんでなんだろう。これについてものち程改めてテーマとして取り上げたいところ)、思わず立って携帯の音の方に向かっていったんです。そのときにまたやってしまいました。今回は、ヘッドフォンのコードの、耳の下から出ている部分を引っ張ってしまった事で、左耳の接触が悪くなって使えなくなりました。前回はジャック(大きいやつじゃなくて小さくて細いジャック)がまがってしまい使えなくなりました。そう、私はヘッドフォンをしていることを忘れて、そのまま移動しようとすることで、何度もヘッドフォンを壊した事があるのです。携帯に出る、ということ以外に、トイレに立つとか、飲み物が飲みたくなって突然移動するとか、色々です。それもですね、当然ヘッドフォンをつけたままですから、コードが足りなくなった時に頭が引っ張られるじゃないですか。それにも関わらず、自分の頭がなんで引っ張られているかももうわからないんです。普通なら頭を引っ張られたその時に「あ、ヘッドフォンしていた」と思っては外すでしょう?もっと普通なら、立ち上がる段階で外しますがね(笑)。私は、携帯に出る、トイレに行きたい、という次の行動を思った時点で、自分がヘッドフォンをしていることはもう頭になくなってしまっていて、頭を引っ張られたその時に、「なんだ?」と言って、自分の頭を前に思いきり振るんです。これはもう無意識です。気がついたときにはそういう動きをしていて、ヘッドフォンが壊れているんです。アホとしか言い様がありません。頭を引っ張られていることを、瞬間的に「なんだか邪魔なものが自分の頭を押さえ付けている、振払わねば」とでも思っているかのような行動です。ハタで見ていれば。運良く外れヘッドフォンが落ちると、そこでヘッドフォンをしていたことに気が着くのですが、うまい具合に外れなくて、ヘッドフォンが引っ張られて壊れることがあるんです。これをもう何度もやっています。
本題というのは、ただこれだけです(笑)。皆さんは、ヘッドフォンしていることを忘れて、立ち上がって歩き始めた事はありますか?その上、頭を引っ張られてもヘッドフォンの存在などもう忘れていて、自分を行かせまいとしてすがりついている物(者)を振払うかのような動きをして強引にトイレに言った事はありますか?おそらく私だけではないかと思うんですが。。


2004/12/01(Wed) ツアーご報告の合間の一服その2 洗礼 

梅図かずおの漫画「洗礼」って、知ってます?私はこの漫画を中学生の時に読み、この過激なストーリー、この恐怖の絵に何ヶ月も悩まされ、一時期、読んでしまったことを後悔し、梅図氏を本気で恨んだ事さえある、思い出の恐怖漫画です。そのストーリーは強烈だったので、今でもはっきり覚えており、ゴキブリの入った水を飲むシーンやアイロンを体に当てようとするシーンなど、大人になった今でさえ夢に出てくるシーンがあるんです。これを書いているうちにまた梅図かずおが憎たらしくなってきた(笑)。
実はノアは最近歯医者に行きはじめたのですが、その歯医者に、この「洗礼」全巻が置いてあったのでございます。げっ!洗礼だ!と思い、その表紙を見るだけで子どもの頃の恐怖がまた沸き起こってきたのですが、やっぱりその衝動を押さえることはできなかった。子どもの頃あれだけ苦しめられたこの洗礼を、今読んだらどうなのか?という。それを知りたくて、また、結局は部分的に忘れているストーリーを思い出したかったため(笑)、手に取ったわけでございます。しかしなんで歯医者の待ち合い室にこんな漫画が置いてあるん?そっちの方が興味深い。。
とにもかくにも1ページを開きました。数ページ読み進むにつれ、いもづる式に記憶が蘇って来ました。こわいこわい!この話はやっぱり怖い!でもちょっと私も大人になっているため、読みながら泣く、という子どもの不思議な行動を再びすることはなく、落ち着いて読み進めて行きました。冷静に読みながら、この時代に脳移植のネタを恐怖漫画にした梅図かずおって人も、すごいよなあと思ったり、ネタ的に絶対ありえない!おもしろすぎ!というような展開も多々発見し、同じ漫画を全く違う感情で再び読んでいる今日この頃です。
実は私は学生の頃、中野のブロードウェイにて梅図氏本人とすれ違ったことがあります。赤と白かなんかのシマシマの囚人服みたいなシャツによれよれのジーンズをはき、やはりもじゃもじゃの頭で、つっかけサンダルを履いて手ぶらで歩いていました。驚くほど痩せていました。すれ違いざまに「あ!梅図かずおだ!」と思わず発し、振り返ると、彼は前を歩きながら振り返らずに手を振ってくれていました。洗礼の責任を取れ!と言いたいところだったが、そこまでは言えず。。逆に、あれだけの衝撃を私に与えた張本人の姿を真近で見ることができた感動の方が大きかったのを覚えています。まさにアーティスト。


2004/11/29(Mon) ツアーご報告の合間の一服 

全く関連のないネタをここで一つ。ケンジの意味不明な言葉リスト。曖昧なままにしながら人生を謳歌している。
1 ノープログラム(まさに王道の間違い) 2 カーチョイス(カーチェイスのことだと思う。あの映画、すごいカーチョイスがあるやつでしょ?→ものすごい勢いで中古車を選ぶ映画か?) 3 スクランブルエッグル(最後のルの意味は不明) 4 せんさい(詳細のことらしい。読み方を間違っている。) 


2004/11/29(Mon) ツアーご報告その2 その次の日 事件発生  

当り屋だろうか?宿をチェックアウトしてロケッツ入りまで昼飯を食べるため車で出かけた認知。ノアが、靴下を買いたかったため100円ショップを見つけるとすぐに車を止め、皆を待たせて私は店へ入った。戻って来て、さあ出よう、というとき、運転していたケンジが、当てた。後ろをこつっと。あ!と思い一斉に降り返る。止めた時には明らかにいなかったトラックが、もうまさに私達の車の後部にくっつくのではないかという至近距離で停車しているのだ。事情はどうあれ、車と車が当たった感触は間違い無い。というわけで車から降り、後ろのトラックの様子を見に行く認知。トラックは配送の会社のもので、おじさんが降りて来た。そして、案の定、いちゃもんをつけ始めた。「これな、当たったんや。あんたらが後ろに下がって来よったから、全く止まっておったこっちは、当てられたんや。」と。うーむ。確かに、下がったのはこっち。トラックは停車している。しかし、どう見てもこの止め方はおかしい。それに、私達が車を止めた時、前には車がいて、後ろにはいなかった。だから後から来たトラックは、車が二台並んでいたのを見ているはず。そこで自分がこの距離で止めたら、真ん中の車は出られなくなる、というのは運転手なら容易に想像のつくところ。わざと出られなくしたとしか思えない。というわけで、ケンジはもちろん、認知メンバー、ここで引き下がるはずもない。ケンジは最初は冷静に応対はしていたものの、おじさんの態度や言い分に怒り出し、結局喧嘩とあいなった。ケンジも九州人なので言葉もだんだん悪くなり(笑)、かなりの喧嘩ごし。私もね、喧嘩って、好きなんですね(笑)。私の携帯の目隠しシールは「喧嘩上等」の文字になってます。私の携帯を斜めから盗み見した場合、「喧嘩上等」の文字しか見えない。ある時いつものように電車で隣に座ったおじさんが、私の携帯をちら見しましたが、すぐに目をそらしましたのを覚えています。やっぱりちょっと怖いですよねー。ちらっと見たらでかでかと画面に「喧嘩上等」なんか書いてあって足組んでメールなんかしていたら。それでいいんです(笑)。ちら見撃退用ですから。で、話はそれましたが、私も私で、ノア父から借りた車だったので焦り、おじさんと禅問答を、あ違った押し問答をくり返していました。ケンジが警察を呼びました。警察が来て事情聴取と車の様子の調査をしました。結局のところ傷自体が浅いため、本当に今この事故で当たった傷なのか断定することはできず、傷とトラックの高さの関係なども見たのですが、なかなか判定が難しい。しかしおじさんは、自分のトラックのバンパーが、今の事故でへこんだと言い張り、確かにへこんでいるバンパーを何度も指差して警察に主張する。しかしバンパーの方も、客観的にそうだと判定することもできない状態の様子。なんやかんやとやっているうちに野次馬も集まって来た。皆楽しそう(笑)。で互いの連絡先を伝え合い、こちら側が保険で対応することになった。停車している車に向かって後ろに下がったことが事実である以上、こちらが保障する、ってことなんだろうか?おじさんもそれを知っていてよくやっているのではないか?前にも後ろにも動かせない状態に車をしておいて、何とか出ようとしたらやっぱりどこかに当たってしまう、それを悪用して、当てるように仕向けているようにも見えないでもない。というかそういうおじさんに見えました。この場で1万円払え、と請求されましたが当然応じず、保険で対応するから後日連絡、ということで、警察の前で納得させ、その場で解散。不愉快な気分のままロケッツに向かいましたが、ライブは無事終了いたしまして、その後、未だに何の連絡もなく自然消滅となりました。
大阪から父に電話し事情を説明したら、心配するどころかウケていました(笑)。


2004/11/24(Wed) ツアーご報告その1 Fussy!西成にて震える 

大阪の西成区というのは、知る人ぞ知る、そういう街。。ノア、KENJI、fattsはライブ前日に大阪へ前乗りし、宿泊先のホテル近くでFussy!と合流した。そこでの待ち合わせ場所が、西成区の動物園前駅。この動物園前駅、というのもかなりディープだったようで。。。(苦笑)。ホテルを予約したのはノアです。難波ロケッツにほど近く、そして料金が安い、というところからインターネットで探して予約したわけなんでございますが、インターネットというのは、全国、世界、どんなに離れていてもすぐにどこでも予約ができてとっても便利、というメリットは確かにあるのですが、あまりにも簡単に予約できてしまうため、近隣の環境などはあまり考えないでさくさくと予約をしてしまい、全日程の予約が終わった時には、いやあ〜一つ仕事を終えたなあ〜などとセノビーをしてくつろいでいたわけです。しかしですね、Fussy!に、待ち合わせ場所と宿泊先を伝えた所、「西成ですか。。。少し不安です。」という答えが返って来たため、私はなんでだろーと思いましたが、きっとロケッツまで行きにくいんだろう、Fussy!は大阪の道に詳しいからな、そっかあ、しくじったかなーなどと思っておりました。しかしそれは違っていて、確かにロケッツまでの距離は何の問題もなく、むしろ近すぎるくらい近い場所ではあったのです。なんで彼女が不安に思っていたかと言うと、西成、通天閣のすぐそば、動物園駅前、という怖い場所で、それも真夜中に、待ち合わせのためにたった独りでそこで待っていなければならない、という状況が理由だったのです。
幸い、Fussy!も無事で今こうやって生きているわけですが正直、何もなかった、とはおそらく言えない状況だったわけで。。私達が案の定道に迷い、動物園駅までなかなかたどり着けず、車を何度も降りては道行く人に訪ねながら向かっている間彼女は動物園駅前に到着しましたが、そこにはホームレスの方と怖い方しかおらず、にぎやかな街でもなく、コンビニが一つあったためそこへ駆け込み、じっと私達の到着を待っていたのでした。西成の真夜中、若い女の子がでっかい荷物をひきずってきょろきょろしているという状況は、大阪の方ならば、何かあっても「自業自得や。。」と言わざるを得ないものでしょう。私ノアは、ツアーで大阪にしばらくいて、やっとその状況が理解できたわけです。私達の車が到着した時にはFussy!はそれこそ車の中へ逃げ込む、といった感じで。かなり待たせてしまったため、周囲からもかなり目立った存在になりつつある雰囲気の中、ぎりぎりセーフといった具合で彼女を拾い、走り去ったわけでございました。
そしてホテルへ。あまりこれを書くとお世話になったホテルへ失礼になってしまう可能性もあるため詳細は差し控えますが、生まれて初めて泊まった、かなりファンキーなホテルでございました(笑)。とってもお安いのに、受け付けのおじちゃん(なぜかいろんなおじちゃんがたくさん出てくるの)はとても親切で、心温まる触れあいができました。しかしホテルはやっぱり、ファンキーで、ちょっと怖くて、トイレの度に部屋の外へ出なければならず、少しばかり面倒でした、すみません。


2004/11/10(Wed) さて!

関西、四国ツアーが無事終了いたしました!無事、というのはちょっと簡単すぎるか?という程、実は色々ハプニングはあったのですが。。(苦笑)。それらおもしろハプニング、エピソードも含めて、ただいま関西、四国ツアー豪華版ご報告別ページを新たに製作中です。しばらくお待ち下さい。さて、どこにリンクを貼るかな。ノア日記がいいのか、INFOページがいいのか、くだらないことで悩みながら製作しとります。


2004/10/27(Wed) 悪

関西ツアーで出演する予定の神戸のライブハウスAMSさんに台風の被害はどうだったか訪ねてみたら、幸いにも大丈夫だったとの事。ライブハウスは地下になっていることが多いので、床上浸水までした地域では、地下はもちろん壊滅状態になっているだろう。しかしAMZさんは被害は避けられたようで良かった。
新潟の震災のニュースを見るにつけ、この寒い中電気も食料もなくお風呂にも入れず、不安な毎日を過ごしている人が10万人近くいるというのに、自分は御飯を食べて風呂に入ってテレビなんぞを見てていいものかと、思った人もいるのではないだろうか。しかし自然災害というのは人間の手ではどうしようもなく、とにかく起きてしまったらそこから復旧、復活することを考えるしかない。私は何もできないが、救援物資を送る事を思い付き、インターネットを調べたら預かり所を発見することができた。
日本中で、世界中で毎日、自分の知らない所で、見えない所で、頻繁には報道されない場所で、大変なことが起きているのは確実だけれど、普段の暮らしをしながら、それを考えることはなかなかない。地球上で何が起きているのか、知ろうという気持ちがあれば、アフリカの飢餓のことや、北朝鮮の食料不足のこと、あちこちで今も続けられている戦争のこと、などを知る事はできても、普段日本の中で働き、疲れ、寝る毎日をしながら、実際にそのために行動を起こしている人の数は少ないと思う。しかし、その中でも阪神大震災の時、台風の時、今回の地震の時、つまり「明らかに知っている自分の国の」災害には、何かをしようと思えば何かできる。外国の場合はしようと思ってもできないことがあるが、国内の場合で、特にその場所に近い人達は、具体的に何か救援の類をすることができる。今回の新潟地震のニュースを見ながら、上に書いたようなことを考え始めていたら、本当にすぐ近くで起こっていることなんだと、何だかものすごく実感した私だった。
洗濯物を取り込む時にベランダに出たらとても寒かった。ここよりもっと寒い所で、電気もなく食糧もなく風呂にも入れずじっとしている人達のことを考えたら、送ってもほんの数人くらいにしか渡らない量の食糧なんか送ったって、何かになるだろうか、とも考えてしまった。でも、そうやって送るのをやめてしまうということも、一つの悪だとも考えた。しかし一方で、今段ボールの中に詰め込んである物資を上から眺めると、この箱の中にあるこれだけの物があったとしてもなかったとしても、当地の人達に大きく関係するか?とまた考える。そこでまたしかし、個人で送ろうとした人が私みたいに考えたり、行政が何かやるから(それは当然やるんだけれども)ということで送るのをやめたら、そしてほとんどの人がそうしてしまったら、人間同士の助け合いがなくなってしまうのだろうから、やっぱり送ることにした。
そこで最後にまた一つ考えた。被災地に物資を送ることについて、なんでこんなに深々と考えたり躊躇したりするんだろうと。それが、一番の悪、悪の根本かもしれん、と思った。


2004/10/25(Mon) こじつけが福を呼ぶ

2004年というのは、4という数字が入っていて、4桁をそれぞれ足すと6になる。2005年になると、5という数字で、それぞれを足すと7になる。だから2005年は2004年よりきっと良くなるはずだ。でも5と7という数字が4と6という数字より縁起がいいという証拠はどこにもない。4月はとてもいい季節だし、6月はジューンブライドだ。でも、あまりいい年ではなかったと思ったら、何かこじつけて理由を考える。13日の金曜日にいやなことが起きたら、その日を理由にする。もしいいことが起きたとしたら、恐い日だと思っている日こそいい事が起こるもんだと解釈する。4989というという受験番号で落ちたら、受験番号を理由にする。合格したら、悪い番号ほど、運気が上がるものだと解釈する。都合のいいように考えるのが、人生楽しい。


2004/10/16(Sun) 迷惑メールについての疑問

水木ノアAND認知の窓口メールにも、多くの方と同じように毎日迷惑メールってやつが届きます。Yahooは一度受信箱に届いたメールでユーザーが迷惑メールだと思ったメールは、チェックすると今後は迷惑メールフォルダに入れられるので二度と見る事はないんですけど、それでも毎日かなーりな量の迷惑メールが届き、いつまでたってもその数は減る事はありません。で、迷惑メールを送るなと言っても、送っている側もどのアドレスに送っているのかほとんど把握してないんだろうし、それはもう別にいいんだが(腹立ちも初心者の頃からすると大分なくなって、今は疑問の方が大きくなっている)、迷惑メールを送った人は何の得があるのか知りたいんです。私のこの日記を読んで、解説を下さる方がいたら嬉しいです。デジタル社会の現代で、今一番不思議に思っているのがこれかな。
一番疑問に思うポイントは、迷惑メールを発信している人が毎日どれだけそれに時間を裂いているかは個人差があると思うんだけど(コンピューターで勝手にやることもあるんだろうし)、たとえ少しだとしてもそのために時間、お金を使っているわけで、その行動に見合った報酬が、実際あるのかい?という疑問です。人間って、何ごとも何かしらの見返りをどこかで期待するものです。本当に心から、愛情や夢を持って行うボランティアや家族や友人を助けたり協力しあったりする感情は別として、その行為が特に犯罪や悪事となった場合は、自分にとって特に何の利益や結果をもたらさないものに対して、時間と金を使うことは、あり得ないと思うんです。で、毎日届く迷惑メールについての疑問も、それと同じです。
認知に届く迷惑メールには、言語的に分けると3種類あります。1 英語 2 日本語 3 文字化け それと、添付ファイルがあるのとないのとで2種類。日本語のメールの場合は出合い系サイトへのリンクのクリックを期待したものだったりするので、なんとなく儲けにつながるのはわかるんです。文字化けしているメールは、タイトルから文字化けしていて、何が言いたいのかさっぱりわからないし、これを一生懸命送っている人のことを考えると、人生を無駄にしているように見えてとても気の毒に思い苦笑します(笑)。少数派のMacの存在もわかっているんだろうけども、どっちだかわからないからとりあえず送っとけ、って感じなのでしょうか。
一番不思議なのは、ウイルスに感染した添付ファイルを送ってくる英語のやつです。あれって、送ってくる人は何のために??初心者の頃思わず開けたことがあるんだが、私はMacなので結局何も起こらず、それからもひっきりなしに届いてはいますが、開く前にウイルスに感染していることはわかることだし、Macの場合何も起こらないファイルの方が多く、それに例えば感染したとしても、送った人には何の得になるんだろうか?百歩譲って、送られてきた人が全員感染したら、何が起こるんですか?例えば特定の会社のパソコンネットワークを壊そうとしていても、不特定多数の人に送っているんだろうか?誰かには当たる、という期待で?特定のターゲットではないとして、送る人の数割はMacで、Winの人ももうたいがいはそんなもの読むこともなくそのままごみ箱、実際わざわざ母国語じゃない知らない人からのメールを、なんだなんだ?と思ってじっくり読んだり、ファイルを開いたりさせることはなかなか期待できない。そのくらいは送信側もわかっているはずだ。それなのに毎日送信のために時間とお金を裂いている人って、何が目的なんだろう?と、実に不思議に思います。前述したように、送られてきた人のほとんどがウイルスファイルを開いたとしたら、その人の目的とする結果が起こるのですかな?それは何?それから、とっても興味があるのは、迷惑メールを送っている人達は、誰かに依頼されて、仕事としてやっているのだろうか?それとも自分の仕事の合間に、趣味としてやっているのか?仕事としてやっているとしたら、何を持ってして報酬に換算されるんだろう?送った数だとすると、実際感染しちゃう人はその数に比較したらたかが知れてると思うので、結果に比べたら結構いい報酬?(笑)感染した数は多分確認できないだろうし。誰か教えてください。


2004/10/12(Tue) ライブ終了

11日シルバーエレファントのライブが終了しました。そして私は多くの反省と、多くの希望と、やらなければならないことの発見をおおいにした1日となりました。で、ユタカさんに非常に感謝したのは、具体案を出してくれたことです。「具体案」いわゆる「アイディア」を、生み出すことは本当に大変なことです。アーティストは誰しも体験していることだと思います。出来上がった物事に対して、それを評価することは簡単であっても、ではそれがダメだとなったときに別の方法を新たに編み出す事は、評価することの100倍のアタマと、時間がかかる。音楽に限らずどの世界でも同じかもしれません。また、何もないところから何かを生み出すことの辛さは、正直言って私は経験していないでしょう。なぜかというと、どんなに新しい音楽、新しい趣向だと感じられても、それはやはり過去に存在していたものの別表現であったり、過去に存在していた複数のもののかけ合わせだったりすることがほとんどのはずだと私は思っているんです。そして過去にあったものの要素を取り入れたり、そこに別の過去にあったものをまぜたりすることで、それ自体は「今までには確かになかったかもしれない」ものに成長していく。歴史を作ってきた大御所のアーティスト達も、やはり自分達より以前のアーティストから影響を受け続け、その歴史が長く続いていく事で結果10年前、20年前には考えられなかったものが今存在する、その繰り返しだと思います。というわけで、現在私達が新しく作りあげているものも、様々な影響を受けてのことであることは、絶対に否定できない。水木ノアAND認知にとっては新しい試みだとしても、それ自体が新しいわけでは、ない。そこで、確実に「新しい」「誰かのマネではない」バンドになるためには、前述に戻りますが「過去にすでに存在するものの広げかた」に対するアイディアがいかにうまいか、ということがとても重要な気がします。「新しいこと」というのは、今まで地球上の誰もやったことがない、誰も知らないこと、というものではなく、やっぱり例えば他のジャンルで誰かがすでにやっている(それもすごい昔にだったり)、現時点で同じようなことをやっている人はいくらでもいる、というような類いのものであるに違いない。その趣向をこらすということさえも、無いアタマ使って絞り出す、とてもエネルギーのいることだし、新しいことをつくり出す作業に長けている人って、これまで存在しているものの引き出しがとても多いんじゃないかと思う。ただ、「アイディアが降りてくる」という感覚で生み出す場合は一概に言えないかもしれないけれども。しかし心理学的に考えたら、「降りてくる」感覚も、それまでその人がどこかに記憶していたことが突然現れる現象であって、やっぱり何かしらの下地があるはずだ、と言われるのかな?でも私は何か目に見えないものの力も信じているので、そうだとも言えない。なんだか自分でつっこんだりボケたりしている。話がそれました。まとにかく、創作をやっているときの私のアタマの中って、きっとものすごい脳波なんじゃないか、とか考えちゃったりします(笑)。といいつつ、実は脳的にはただの人だったということが、先日のジョー・マクモニーグル氏の超能力実験で明らかになっております(笑)。それは置いといて、客観的に見ているユタカさんから、あのような具体案を出してもらうと、実に目からウロコ、鼻から牛乳、口から納豆。一つのことが失敗したとき、じゃあ具体的にどうしたらいいかという案を出すのって、ほんとに大変ですよ!ユタカさん!すごいじゃないですか!!ありがとうございます。
色々な試みを実験としてやっている時期であるこの水木ノアAND認知は、「新しい音楽を作りたい」「あるジャンルの先駆者になりたい」というような大望はそこら辺に転がしておいて、半年前に作った曲、半年前にやったライブより今、昨日作った曲、昨日やったライブより次のライブを、という短い間隔を目標に新しいことを試しています。


2004/10/03(Son) 恐怖の記憶

あんまり人に話したことはないことなのですが、今さら話すのですけど、実は私には小学3年の時から今まで、ずっとおびえていることがあります。それはある記憶です。小学3年の夏頃、私は学校帰り一人で帰り道をランドセルをしょって歩いていました。友だちののんちゃんちに寄ろうとしていました。ひとりで真夏の炎天下歩いていたら向こうから自転車に乗ってやってくるものすごく太ったおばちゃんを見つけました。そのおばちゃんは以前から知っています。とても変な人で恐かった記憶があります。何もしゃべらず、たったひとりで木造の小さな家に住んでいて(最近どんどん取り壊されている、今は懐かしい昭和の長屋のような家だった)、体はものすごく大きいのに、目が細くて長くて、髪の毛が真っ黒のおかっぱで、ヨレヨレのシャツとモンペみたいな服を着て、にこりともせずうろうろしている姿は、子供の私には驚異でした。いつもは友だちと一緒の時にすれ違っていたので、「またいたぞ!やーいやーい!」などと、皆で遠くからからかったりしていて、それなりに楽しかったのですが、その日は夕方、一人で歩いている時にすれ違ったので、ちょっとぎょっとしてしまったんです。「またあのおばちゃんだ!顔が恐いんだよう。いやだなあ。」と思いながら下を向いて目を合わせないように歩いていたのを記憶しています。そしていよいよ私とすれ違うところまで来た時、なんとそのおばちゃんは自転車に乗ったまま私に向かってきたので、まじでビビリました。「うわっ!なんだなんだ!」と慌てて、思わずランドセルをしょった背をそのおばちゃんに向けたんです。とその時、おばちゃんが、私の頭に手をふりかざし、何をするのかと思ったら、私の頭に太った大きな手のひらをドスンと乗っけたのです。頭に手のひらを感じた私は「えっ?!」と思って振り返ったら、私の頭に手のひらを乗せたまま、細くてながーい目で、無表情のまま私を見ているんです。自転車はもちろん止めています。無言のまま数秒が過ぎました。どうしていいかわからなかったので、おばちゃんが次の行動に出るまで私は石になっていました。何秒か恐怖の時間が過ぎ、そのおばちゃんは私の頭から手を離し、小さな声で何かをつぶやきました。そしてまた無表情のまま自転車で走り去りました。何を言ったのか、それは全然聞き取れませんでした。何を言ったのかとっても気になっているのですが。その次の日からも、相変わらず週に何度かそのおばちゃんを見かけたのですが、あれ以来何もされていません。それにたったひとりの時におばちゃんとすれ違ったのは、結局あの日だけだったのです。また一人の時に会っていたらまた何かされたのか。それもわかりません。ただ私は、あの時おばちゃんは私に何か呪文などをかけて、呪われてしまったのではないかとか、恐いことばかりを考え、友だちにも親にも話さず、今日まできています。今もあのおばちゃんの顔ははっきりと覚えているし、頭に手を乗っけられた時の恐怖もはっきり覚えています。あの頃はとても歳をとった人に感じていたけれども、今その人の外見を思い出すと、あの頃おそらく40歳くらいだったと思う。結局、どんな意味を持つ事件だったのか未だもって全くわからないのですが、あれから私は何か不吉なものを背負って生きているのではないかと、たまに考えちゃったりするんです。。あのおばちゃんに会って真相を確かめでもしない限り、一生気にして生きていくことになるんだろう、と、なかば諦めています(笑)。


2004/09/25(Mon) 追伸:因果

本当にあった○○○の○○○を昨日から見始まっているので、それが原因してこの火事に出くわしたのではないかとちょっとびびるノアです。。


2004/09/25(Mon) 人間の不思議

本日、新宿の南口を夜8時過ぎにボーカルレッスンの生徒さん達と歩いておりました。いつも通り過ぎる屋台がいつも通りにありました。「あれ?あの状態って、もしかしたらヤバイ状況なのでは。。。?」ふと屋台の方を見ると、ドカンのような置き物からちょっとした(といっても今思い出してみたら結構大きい)火が出ていて、おじさんがパタパタと、布を降りおろしている。ああいう所に居合わせると、最初、何が起こっているのかわからないものなんですね。今思えばあれは確かに火事なのに、その瞬間は、おじさんが何かの用事で大きな火を起こしているのか?とか考えてみたりしていた。しかししばらく見ていたら、これは本当にまずい危ない状況なのだと認識することができたので、「これは大変だ!火事だ火事だ!これは火事だよね??!!何とかしなければ!」と、皆で回りを確認し、コンビニがあったのでかけこみ、前の屋台が火事だから、バケツに水をくんでください、と頼んだ時は、店員のおじさんも、屋台ということだしそれほど大きな火が出ているとは思わなかったらしく、水?じゃあ洗面器で。。みたいなノリでした。しかしそうこうしているうちに別の方が入ってきてかなり慌てている様子。見ると、あれよあれよという間に火が大きくなり、一人では全然消せない状態になっている!屋台の天井よりずっと高く火が燃え上がっているのです!そこで店員さんも驚き、「これは消化器だ!」と、消化器を手に持って店を飛び出しました。その時は相当に燃え広がっておったので、レッスンの生徒さんの一人が消防署に電話をし、周りの数人の方も連絡しておりました。屋台のとなりに置いてあったバイクを急いで移動している方もいました。何も持っていない私達はただ見ているしかありませんでしたが、消化器をしばらく出し続け、やっと火は収まったのです。やれやれ!火は消えた、よかった!というわけで、いやあ、大変でしたなあ。と言いながら帰り道、結局何もしなかった自分の無力さを感じていました。本当に危険な状況に陥ると、不思議なことに、これってなに?何でもないんじゃないの?と勝手に思ってしまう。以前テレビで、危機的状況に陥った人間は、なーぜか、何でもないと思い込む、という習性があるという検証を見たことがあったのですが、やはり自分も同じでした。。。。すぐにこれは危険だ!と判断することが何故できないんだろう。


2004/09/20(Mon) 摩訶不思議なバイト運

バイトについてのノアの信じられない本当の話。ちょっと前にあった出来事。とある昔からのお気に入りの喫茶店でバイトのはり紙を見つけた私は、飛び込みで店に入り、バイトをしたい旨を伝えた。店長と外国人の店員がおり、店長が「履歴書を持って改めて来て下さい」とおっしゃったため後日また来る約束をしてその日は帰宅。次の朝電話をすると、外国人の店員が電話に出、本日履歴書を持って改めて伺いたいことを伝えると、「今日夕方5時に来て下さい」とのこと。約束通りの時間に向かった。しかし昨日の外国人の店員ともうひとり外国人の店員がいるのみで、店長は不在。上司らしい外国人と面接をし、早速あさってから来て下さい。という。店長はいらっしゃいませんがいいのですかと問うてみたが、「テンチョウヨルシカコナイネ。ワタシガココヲウゴカシテル、ワタシガキメテモンダイナイネ」というので、まあ大丈夫だろうと思いとりあえず決まったことを喜びながら帰宅した。
その日の夜、店長から電話がかかってきて、実は夕方あなたを面接した外国人は、クビにしたので、明日からは私とあなたと、若い外国人の3人だけになりました。急いで仕事を覚えなくてはならない状況になってしまいましたが、なんとか頑張っていただけないか」という。えっ??!!なんで???今日の今日だと、私が関係しているのか?とやはり思ってしまう。「いえ、全く違う問題ですから、気にしないで下さい」と店長。漠然と広がる不安の中一夜を明かした次の日、いきなりベースのケンジから電話。「面接に受かったといっていたあの喫茶店は今大変なことになっている!」と。何があったのか、そしてどうしてケンジが知っているのか??なんだかわけがわからないノア。
実は、ケンジのバイト先の同僚が今朝あることをぼやいた。「夕べ取引先で傷害事件が発生して、たまたま居合わせた自分が、証人として警察に連れていかれ、喫茶店の店員と自分は夜11時くらいまで拘束された、ひどい目にあった。」そしてケンジ「へえ〜大変だったねえ。どこの店よ?」同僚「Y街のTっていう喫茶店なんですけどねえ〜。。」。。。ケンジもびっくり、それは私が夕べ面接に行った喫茶店ではないか?!
なんだどういうことだ、と、一部始終を目撃していた同僚に詳細を聞く。「面接がどうのとかで言い合っていて、店長が怒り、外国人の店員はキレ、店はめちゃくちゃ、ガラスも割れ、もう一人のしたっぱらしき外国人は喧嘩の途中で逃げた。警察が来て捕まり、商店街中の人が集まる大騒ぎだった、冷蔵庫も倒していた。」とのこと。
そう、原因は私です(笑)。あの外国人は、私が面接に来ることを店長に連絡していなかったのです。自分がいない間に勝手に採用をした店員を叱り飛ばした。そうしたら、あなたはいつも来ないじゃないか!と反論した。そこで大喧嘩になり、警察沙汰になったのでした。原因は私とはいうものの、私に責任はない!私は面接に行っただけです。しかしながらこのことが原因で警察沙汰になり、不思議なことにたまたま居合わせた人が、ケンジの知り合い(私も知り合い)だったため、この一件が私の知ることとなった。
一夜考えましたが、喧嘩の責任は私にはないとはいいつつも、このような状態になったところに私は非常に行きにくい。客もまだ居たので客も驚いていた、ということなので、お客がいるにも関わらずそのような事態になる、ということは、店員にも店長にも何か問題があると思うし、なにしろコトの発端は私が面接に行ったことが関わっているわけだから、何も知らないふりをして勤務をするのは(知らなかったのなら約束どおり出勤しただろう、でも今は知ってしまっている)どうだか。色々考えて、翌日、よんどころなき事情ができたため行けなくなってしまった、本当に申し訳ない、と電話をした。電話に出た店長は疲れ果てており、あーそうですかーはあー、と、もうどうでもいい、という感じで応対している。まさか夕べの一件を私が知っているとはよもや思わない店長。店長にとっては、警察沙汰になった原因の人間が、次の日になってやっぱり勤務しない、という。こいつはなんなんだ、と思ったかも知れない。私としても、ただ単に、あの喫茶店にひと波瀾起こさせるためだけに顔を出したようなもんじゃないか!
証人として連れていかれた同僚A君、「原因はノアさんじゃん。。。」


2004/09/19(Sun) 華麗なるバイト歴

ノアはバイト経験についてならば、かなり誰にもひけをとらない程経験があります。これは逆に言えば、バイト転職が多い=続かないとも言えます(笑)。高校を卒業間近にして初めてやったバイトからこれまでの間やったバイトは、コンビニ店員、電話交換手、喫茶店のウエイトレス、レストランのウエイトレス、カラオケボックスの店員、大手企業のコールセンター、エステティシャン(フェイス)、通販電話受け付け、家庭教師、家庭教師あっせんのテレアポ、塾講師、電話割り引き商品のテレアポ、調査会社のデータ収集、名簿販売(いけないことだ。。)、キャバクラでのカバーバンド、チラシポスティング、コピー用紙のルート配送、電気メーカーの故障問い合わせカスタマー、ホテルのベッドメイク、フリーペーパーの配付、工場での検品、工場軽作業、通販注文商品の荷造り発送、テレビ番組閲覧の依頼電話、データ入力、在宅宛名書き、在宅で小学生の通新教育の採点、ボールペンの組み立て、などなど。
数は多いが、10年ちょっとの期間で、かけもちもあったため、一番続いたのは3年くらい。最も最短で1ヶ月。いや、上の日記に書いたバイトに関しては、面接に行って採用が決まったその次の日、行かないでやめている。これが一番短いとも言えるが、働いていないので除外。その間演奏の仕事はひたすら続いておりますが、他ジャンルのバイトとなると、我慢しないで仕事ができるのはせいぜい3時間。しかし先日ギタリストの布袋さんが、バイトは本当に続かなかった、とおっしゃっておられたため、なんとなくほっとした私(笑)。
このバイトに関しては、本当に面白いエピソードが数限り無くあります。面接の時間にぎりぎりになってしまっているのに履歴書も書き上がっていない私。ラーメン屋でラーメン食べながら履歴書を書いており(この時点で不採用確実)写真を貼る糊を忘れたので麺を写真の裏にくっつけて上からぎゅうぎゅう押し、見た目的にちゃんと貼れたようにして持参。面接の途中で面接官が私の履歴書をひっくり返した時に写真が外れ、その裏にはラーメンの麺が付いていた。。。。。。不採用。
勤め始めてから約1ヶ月の間に、皿を5枚以上、グラスも3つは割っていたレストランにて。とある日、スパゲティナポリタンを注文のお客さまに持っていく途中、となりのお客さまの足下に置いてあった荷物につまづき、お客さまの膝の上にナポリタンをがっつりのっけてしまった。ここへ店長走り込み、ふるえながら「もーういい!おーまーえーはークビだ!帰ってくれ!」(本当にこう言われた)
ドラマの台詞のように実際言うこともあるんだなあ〜!と違うところに心を動かされながら帰宅。
今も登録している会社だが、真夏の最高に暑い炎天下、ポスティングで住宅街を一日中歩き回りタオルが何度もしぼれるほどに汗をかいた私。その後はどうしても行かなければならない、なおかつ綺麗にしていかなくてはならない所への用事があった。着替えは持ってきていたが、あまりの暑さと枚数の多さになかなかハケず、約束の時間ぎりぎりまで配付。あと30分で着かなければならない。場所的に、1分たりとものんびりはしていられない計算だ。そこで東京都内某市の大きな公園の中の公衆トイレに入り、洗面所で1枚目のタオルを水で濡らしトイレに入り、服を全部脱いで体を濡らし、2枚目の乾いたタオルで体を拭き、着替えの服を着てトイレを出てから、持参した洗顔フォームで洗面所で顔を洗い、また下地から化粧をやり直して、髪の毛もぐしゃぐしゃでひどい状態だったので一度公衆トイレから出て水場を探し、砂場に見つけた水道で頭を流し、一つにまとめて上に上げ、あたかもきっちりアップにしたかのような髪型に整え、汗でどうにも重くなっていたTシャツとジャージは捨ててきた。「夏だったらまだいいけど、冬にこんな生活していたら辛いよなあ」と、ホームレスのことを考えながら電車に乗った。普通女の子なら、考えるのはそこじゃないんじゃないか??
とにもかくにも、自分の言い逃れようのない落ち度によりクビになったところ、アルバイトの人と打ち解けられず孤独に耐えかねてやめたところ、理由もわからず契約更新してもらえなかったところ、倒産により全員同じ日に解雇され、夜はパアーッと打ち上げしたところ、バカ上司のバカ振りに本気で抗議し、大喧嘩になって「こんなとここっちからやめてやるよ、いるほうがバカだ!!ふざけんじゃねえバカヤロー!」と怒鳴り散らして出たところ(本当にこのように言い回しました。本気で怒ると、ほんとにドラマみたいに言うんだなあ)、などなど、やめた理由も様々ですが、いつもどんな形でもやはり人生経験にはなるし、やめてもつきあいの続く友だちも中にはいる。バイトの思い出は永遠に続く。。。


2004/08/03(Tue) 考察:格闘技と音楽の関係

ユタカさんのご感想。アーティストの批評を全て格闘技に置き換えて発言するという唯一無二の個性を持った音楽評論家という顔、なんかいいんじゃないかなあ、イケるんじゃないかと考えたりしてるんですが、どうでしょう。[ユタカ]の発言を読むと、パッと見格闘技のことを言っているように思えるのだが、よおく読み進めていくと、実は音楽の評論だということがわかる。実に面白い表現の仕方だと思うんですが。

しかしここで疑念が一つ。全ての評論を格闘技に置き換える、ということを徹底した場合、音楽以外に、格闘技にも精通している人のみが、[ユタカ]の評論を読んで、そのアーティストの様子を理解することができるのではないかという予測です。でもね、私は格闘技は好きだが精通している程ではないのに、理解できたんです。かえってわかりやすい。音楽や芸術ってのは、比喩的な表現の方が返ってそのアーティストをうまーく表現できることがよくあるじゃないですか。直接的な解説だと、それ、しか答えがなくなってしまう。数学ではないから答えは無限にある。そう、お客さんの数だけある。そういう中で、ユタカさんの感想が、まだ見ていない人の想像力を膨らませ、直接的な表現だったら、ライブを見たりCDを聴いたりしたときに、そうではなかった、で終わる所が、比喩的な面白い表現だと、人によってそれを様々に捉えることができる。ある意味、特定の知識を持っている人へ向けてのマニア的な評論のようであって、実は逆に幅広い人に理解できる表現かもしれないと、感じたのであります。


2004/07/27(Thu) 玉川上水に入らないでください

私は先日、用事があって三鷹に行った。懐かしい。私は20〜23才まで三鷹に住んでいた。今はもう1年に2、3回しか行かなくなっていたので、あまりに変化しているのに驚きながら、ちょっと懐かしいので散歩をすることにした。三鷹ってのは非常に文学的な街だ。シブリの森美術館の近辺を歩いていると、ある立て看板が目に止まった。
「玉川上水に入らないでください」。
この文字を見たら、私の予想では、ほぼ大半の日本人の大人が、太宰治を思い出すんじゃないかと思うが。え?思い出さない?三鷹に住んでいるころはこの立て看板を見つけることはなかったので、ちょっとした発見だったんだけれども、太宰治が生きていたころには、この立て看板はあったのだろうか?と思った。いや多分なかったと思うし、この「玉川上水に入らないでください」という文章それ自体に、なんだか太宰を思わせるというか、思い出せ、という三鷹市の意図を感じたのは私だけだろうか??
もしそうだとすると、三鷹市と太宰の関連を強調したい三鷹市として、玉川上水近辺に、「太宰治は玉川上水で入水自殺をしました」と書くのは直接的すぎるので、「玉川上水に入らないで下さい」という言葉によって、「ああ太宰は入って死んだんだよなあ」と、人に思い起こさせる、という効果を狙っているのかもしれない。くっくっく(笑)。やいこら、そんなことは考えてなかったぞ、お前の考え過ぎだ!というならば、単純に今でも玉川上水に入ろうとする人がいるから、「入らないで下さい」と書いたのかしら。とにかくね、玉川上水=太宰治という図式が、もう自然になっちゃってる。少なくとも私は。日本人は皆そうなんではないか?というのは勘違いかなあ?
ところで、私は愛する人と一緒に死ぬ、ということ、心中という考え方は、嫌いではない。本当に心中したり、しようとしたりした方にとっては、嫌いではない、という言葉はあまりにも軽々しいかもしれないけれども。でも、正直な素直な感情として、入水は、いやだ。断る。他の方法を考えようと言うと思う。


2004/07/27(Tue) 空

皆さん、空を見上げていますか?私は毎日、しょっちゅう空を見上げます。この東京に長年暮らしていて、客観的に特に理由が見当たらないのに空を見上げている人はほとんど見たことがありません。空を見上げている人がいたとすれば、それは客観的に見てもわかる理由がある時だけです。たとえば花火大会。たとえば航空ショー。でも私は毎日、ちょっと時間があれば空を見上げます。なんでかっていうと、UFOを見つけたいからです(笑)。ここまで読んで、風情のある理由を考えていた?いやいや、この東京で空を見上げるのは、宇宙人は絶対TOKYOを偵察するだろうと思っているからだけです(笑)。

これは、人が客観的に見ても納得できる理由とは言いがたい。でも、私にとっては大事なことなのです。今までノアは、これはUFOに違いない、と確信を持てた謎の物体を多分4回見ていますが、ここしばらく、音沙汰がないので不安なのです。寂しいのです。姿だけでも見たい。触れられなくても、話せなくてもいい。ただ姿だけ、直接この目で見られれば。。ちょっとした片思い気分ですな。そういうわけで、最近スピルバーグの[TAKEN](10巻シリーズ)を見始めています。もうすぐ結末に至ります。自分は宇宙人にアブダクトされた可能性が高い、と本気で思っている方は是非御覧下さい。彼等の目的がわかります(笑)。いや、カッコワライじゃない、私ゃ本気だ!


2004/07/21(Wed)まんきつ

ノアは先日、生まれて初めて、漫画喫茶なるところに偵察に行きました。通称マンキツ、って言うんですか。どこの漫画喫茶であるかは明かせません。これから書く事を考えると。。

1時間たったの100円という内容だったもので、へえー!漫画も読めてネットも無料でドリンクも飲み放題で、1時間100円とは、ずいぶん安いもんだなあ〜と思って、行ってみる事にしたのです。受付に行くと、3時間パックを勧められたので素直に従いました。しかし2時間目以降からは280円になるとのことで、なーんだー100円なのは最初の1時間だけか。。でもそういうことは最初の宣伝では言わないのが常。仕方ないと思い。で280円×2=560円ですから、それに100円を足して、単純に660円になると思っていました。しかし渡されたレシートには820円と書いてある。一瞬、アレ?とは思いましたが、深くは追求せず(やっぱり皆そうなんでしょうかねええ)、そのまま指定の部屋へ。

全て個室なためとてもゆったりでき、内容はとても満足できるものでした。ま、いっかーと思いながら3時間気ままに過ごし、そしてチェックアウト。そこで何故か、1020円です、と言われたのです。

うーむ、どうしてだか、聞こうかな、聞こうかな、と思いましたがやはり深くは追求せず。。(やっぱり皆もそうですかい?)

こういうところは、意外とそのままにしちゃう性格のノア。レシートを何度見返しても、その料金体系の意味がつかめません。3時間たって外へ出た時、金額はびびたるものだが、なんだか新宿あたりで「2時間〜円ポッキリ!」という呼び込みに釣られて入り、2時間後がっくり肩を落として出て来る経験をした男性方の気持ちがわかったような気がしました。。

深くは追求しません。しかしもう二度と行かないだろう。と思います(苦笑)。少なくともあのマンキツには。行く時はしっかりネットで料金体系を調べてから行きましょう!


2004/05/20 注意散漫

先日、私ノアはm-revoイベントのライブ会場渋谷asia Pに到着してから、ものすごく大事なものをなくしていることに気付きました。私がいつも持ち歩いている袋で、その日はアコーディオンにしっかりくくりつけて出かけたんです。その中には花園神社で購入した芸の道のお守り、歌詞ノート、ネタ帳、スタジオの会員証、譜面書き用の写譜ペン、花粉症用の鼻シュッシュ(上記のジャンルからは離れるシロモノだが)などが入っていて、これがないと、不便も多く気持ちも落ち着かず、ないことに気付いた日にゃー、今夜のライブがうまくいかないという意味なんではないかとか、芸の神様に見放されたということではないか、とか、色んな考えに捕われて、出演時間まで不安な時間を過ごしました。しかし、出演時間が近くなるにつれ、なくなっちゃったものは仕方ない、なくなったということは、今まで使っていた物を全て新しい物に取り替えなさい、お前の神様は変わった(??)、とかいう意味なんだろうと勝手な前向き解釈をし、気合いを入れてライブに望んだわけでございます。

結果は、今までよりもお客さまの評価はありがたいものでございました。私たちとしては終りなき反省と課題の発見が死ぬまで続くのはわかってはいますが、前回よりも進歩したという観を得ることは出来、やはり後者の前向き解釈の方が正しかったのだ、という根拠のない確信を持って帰路についたわけでございます。

すると。家に着いてポストを見たら、入っていたのでした。。大きな袋が、ぎりぎりにポストに押し込められておったのでございます。ここにあるということは、私は歩き始めてすぐにどこかでそれを落し、近くの人が見つけてポストに入れてくれた、ということでしょう。それはそれは非常に嬉しかったのですが、ここでハタと疑問が思い付きました。

---ミュージシャンやっている人かな、と思わせることはできるこの不思議な落とし物には住所が少しでもわかるものは一切は行っていず、また、ポストにも表札を出していない私なのに、誰がどうして、ここが落とし主のポストだとわかったか、という疑念もありますが、まあいいでしょう(笑)---

見つかってしまったので、出演時間までに捕われていた不安はとりあえず回避、しかし後者の前向き解釈も意味のないものとなったわけで、私はここで、それがなかったことで精神的に非常に苦しい一日を送った、という事に対して、何か意味付けをしなきゃならんのです(笑)(ノアは起きた出来事全てに意味付けをするクセがあるわけ)

それは何だろう。。多分こういうことだと思います。大事な物はしっかり注意して持ち歩け。

これだけかい!

自分にとって大事な物をなくすと、なくした時にその大事さを改めて感じる、というのはここで改めて言うまでもなくどの方も十分御存じの、昔から言われている常識ではあります。しかし、体験しないと人間ってなかなか理解しない、アホな生き物でもあります。それも、1回や2回じゃまだわからない。何度も何度も体験しないと、それが自分の記憶にしっかり残るものにならないアホな生き物です。特に私ノアのように、何度も同じ過ちを繰り返しているような、一度体験してその時痛い目を一瞬見ようとも、それを学習する能力に欠けている人間にとっては、本当に大事なものを何度でもなくさないと、注意散漫は治らないのであります。

ノアは日々注意散漫です。

朝起きた時に今日着て行く服を手では探しながら学生時代にサークル仲間と議論したハードロック論を再考し、歩いている時はカラスがゴミをつついている姿を見て、自分の捨てたゴミがつつかれたら何が出て来るか、恥ずかしい物はないか、こいつだと特定できる物が入っていなかったか考え、人と会い、彼や彼女が懸命に自分の不幸のありさまを赤裸々に話している時は、その人のほくろの位置や耳たぶの大きさを観察して将来どんな人生を送るのだろうとなんとなく考え、夕方歩いている時はこれまで亡くなった有名な芸能人をテーマにひとり山手線ゲームをし、風呂に入っている時は明日着て行く服を考える。

こういうね、注意散漫になんとなく、なんの足しにもならない事を常日頃つらつらと考えているような人間は、やっぱり財布や定期や一番大事な音楽用具一式やなんかを、落とすんですよ。やる気あるんかい!と叱ってください。。


2004/04/14(Wed)呪怨2

 呪怨2を見たのは、2003/08/31のことです。日記に書いてあったので間違いありません。それなのに、あーそれなのに、今日は2004/4/14。また借りて来たのです。なんでかっていうと!見てないと思ってたからです。。
 さすがに2も怖かったなあ!と思っていたのにも関わらず、8か月もたつと、見た事さえ忘れてしまっているのか!人間ってそんなに物事を忘れ去ってしまうものなのか!いや、私が人一倍忘れっぽいだけです。。
 なんか自分の脳みそが憎たらしくなった。いや、これは怨念に違いない。呪怨に取り付かれて、これから私は一生、何度も、呪怨を繰り返し借りてしまうのだ。。んなわけない。


2004/01/26(Mon) ユウタイリダツ

また、勇太入り立つ、なんだこれ、幽体離脱した。ユウタイという言葉は優待しか、ないんだなー。ユーザー単語登録しとかないと!よく使う言葉だからな。
 ノアは全部幽体離脱したことはなくて、上半身だけ(起き上がって振り向いたら自分は寝ていた)、金縛りを解こうとして思いっきり手を振払ったらザバっという音がして、一生懸命動かしている自分の手はへにょへにょの水みたいな状態になっていて、肉体の手は布団の中だった、という体験だから、ちゃんとした離脱とは言わないのかもしれない。
 今回も中途半端な離脱で、金縛りがあまりにも苦しいので首を思いっきり左右に振ったら、またザバっていう音がして、首から上は軽々動いて家の中の左右の景色はちゃんと見えるのに、枕と頭がこすれる感覚が全くないのでおかしいなと思いよく考えたら、自分が今見ている方向と違う方向に顔が向いていることがわかって、頭が抜けたのだから今度こそ全部いくぜ!と思って思いっきり起き上がったのだけど、やはり上半身だけで、足は肉体の中にしっかり入っていて出ることはできない。
あんまり長くやっていると、頭に酸素がいかなくなるかもしれないとへんなことを考え、仰向けの状態からゆっくりそのまま後ろに倒れ、枕の感覚がするまで沈んでいこうとしたら、またザバっという音がして、魂の頭部分が肉体に戻ったようだった。

結局また、浮遊して遊ぶことはできなかった。

もし全部抜け出して、短い間だけでも好きなところへいくことが出来るなら、キアヌ・リーブスの部屋へ行く。
いや、やっぱりそれではせっかく時間を超えて時空を超えて動けるのにしてはあまりにも狭くてもったいないことだから、やっぱり火星とか金星とか、行ければ海王星なんかに行って、どうなっているのかこの目で確かめたいと思う。
キアヌの部屋へ行ってもキアヌに私が見えないんじゃ、意味ないし。

2003 2005 2006