年を重ねること

人生は、ある物事に向けて向かっているその最中は、時と場合によって非常に早く過ぎているようにも感じたり、なかなか時間が過ぎないように感じたりもしますが、総合的に見て、死に至る直前には(もし死の前に自身の人生を振り返る余裕があった場合に限るけれども)誰しも、人生はあっという間だったと感じ、記憶に残っている様々な事が、もう数十年も昔に起こった出来事だということをすごく不思議に感じるんじゃないかと思うんです。

 

過去を振り返って、今でも鮮明に覚えている色々な事件からもう何年も経っていることに不思議さを感じられない心境になったある日私は、今からまた何十年も過ぎて自分が死ぬ時に同じ事柄を思い出しても、今とあまり変わらないのではないかと何となく思ったら、「時が全てを解決するなんて嘘じゃないか」と思ってしまった。

 

しかし、人生を長く生きれば生きるほど、その経験した同じ事を思い出した時、何が違うと言えば、きっと、それに対する感情の薄れなんではないかと思いました。あれからこんなに年月がたったのか、と思うのは人生いくら長く生きても同じだとしても、今は思い出すだけでその時に感じた感情も思い出され、体中の毛が逆立ったりする事柄が、長く生きれば生きる程、それを楽に思い出し、あんなことがあったな、と平静で考えることができる、そういう事柄が一つ二つ増えて行くにつれ、その人に人生を感じるというか、長く生きた人の落ち着きや長く生きないと出てこない魅力のようなものが作られていくのかな、などと考えます。

 

自分が経験したことでまだまだ自分の中で消化しきれていない、自分という人格を色付けするにまで至っていないこととほぼ同じような経験を、他の誰かもしていて、それに関して相談を受けた場合は、自分も感情移入してしまうので的確なアドバイスはなかなかできません。そうなると、相談した人間と相談された人間とで、そういう経験に対しての愚痴の方向へ流れて行きやすい。お互いに同じ辛さを経験していることを分かち合う話し合いです。

 

しかしその経験が自分の中で完全に消化され、その様々な複雑な感情の変化を乗り越えて解決を見、一つの人生の経験として終了し、さらにそれからしばらく時間が経っている人間だと、的確なアドバイスができるのでしょう。人に対して的確なアドバイスができる人間になるには、やはりそう考えると時間が必要であると思いました。年令も重ねたほうがいいに違いはありません。人生まだまだだな、と、美輪さんを見ていて思った今日この頃。