譜面台の陰から
>上達について<
2008年もいよいよ終わりが近づいてきた。
振り返るといやに1月から12月までが短く見える。
大体、年々早く感じるというのは、
世の中それだけ忙しいということだろうか・・・。
歳のせいだとは言いたくはない・・・。
一年たってそれぞれの思いの中に、
ギターが浮かんだ時に同時に浮かぶのが、
>上達したのか、
>上達してないのか、
>上達したように思えない、
>後退したんじゃないか、
習っていれば当然いろいろ思いはめぐると思う・・・。
では、この上達という言葉はどんな状態を指しているのだろうか・・・。
これは人によって千差万別であって、
なかなか短い言葉の中で語り尽くすのは難しい・・・。
しかし、ある程度はギターという向かうものが一緒であれば、
共通した状況を語ることは出来ると思う。
まず一番上達したと感じることで重要なのは、
ギターを含めた自分の回りの景色が変わったかどうかということだ。
これは気にしないと気にしないでいるわけだが、
意外に上達したかどうかということでは大きい意味を持っていることだと思う。
だからといって自分の狭い空間に富士山が現れるわけでもないから、
感性の中で見える景色であることは言うまでもない・・・。
景色が変わるとはどういうことだろう・・・。
内装を替えるとかそういう物質的なことではなくて、
自分の感性の中にギターを持つ前と後で感覚が違ったかどうかだ。
ギターを持ったはじめての頃というのは、
ギターを弾いたからといって、
簡単にギターのイメージを体に感じるということはない。
ギターを持ったからといって見える景色が変わるということでもない。
いい曲だといわれて一回くらい聴いてもピントこないのと同じだ。
しかし、ギターを持って練習が繰り返されることで、
自然とイメージの中に変化が現れてくるようになると思う。
簡単にいえば、これが見える景色が変わったということだと思う。
日常の中でギターを実際手に取って練習するまで、
感性の中でギターを感じるということはなかったと思う。
それだけ遠いものだったわけだ。
目に見える具体的な景色も感性に訴えかけがないと、
ほぼなんの気分の変化というのは起こさないものだが、
感性に訴えかけかけがなされると、
見えてる景色の見え方が違ってくると思う。
要するに繰り返しの練習というのは、
常に自分にギターを通して、
自分の感性に訴えかけをしているということだと思う。
この自分に訴えかけることで、
それまでの見える景色を変えていこうとしてるのだと思う。
これは自分に対して能動的な行動だ。
人間というのは同じ空気感、同じ周囲の状況の中では、
時間の経過とともに退屈感を徐々に強くしていくものだ。
この状態があまり長く続くと、
一つのことを続けていくことは出来なくなると思う。
退屈感をひたすら耐える修行をしている人には貴重な状態だと思うが、
普通の人はいかにこの退屈感から抜け出すかは大きな問題だと思う。
退屈感を打破する一つの方法論として、
新しい感覚を持てる状況に自分をおくということがある。
新しい感覚というのは新鮮だから、
退屈感を打ち破るには必要不可欠なものだと思う。
この新しい感覚というのは新しい展開がなされた時に発生するものだ。
この新しい感覚というのはギターで言えば、
今までの練習要素に新しい要素が加わった時が一番強く感じることが出来ると思う。
この新しい要素があまりに巨大すぎると、
手に余ってしまっては逆に敗北感につながってしまうが・・・。
このあたりのさじ加減はなかなか難しいところだ・・・。
しかし、手にしているギターをうまく弾けるようになりたいという要求があれば、
まあ、教室に通っているということは、
当然ながらそういう要求は自分の中に持っているはずだが・・・。
この要求する気持ちが後押ししてくれる。
いわゆる上昇するためのエネルギーだ。
このエネルギーは新しい展開が起こると、
まず一番高いところに急上昇する。
この一番高いところからモチベーションというのは下がり続けるわけだが、
下がったところで次の新しい展開が、
それまで以上の進歩を伴って出現すれば、
そこではっきりした上達を感じることが出来ると思う。
モチベーションが下がったところで、
新しい展開が起こると、
そこでまたエネルギーは補充されて、
また新たな展開に向かって行くことができる。
この繰り返しで技術的には上達していくわけだが、
上達したところで回りを見てみると、
そこで見える景色は意外なほど変わっていると思う。
これが上達した状態にいるというわけだ。
今年始めた人で最初やたら不自然だったギターの持つ姿勢が、
見た目も自然になっているというのは間違いなくほぼ全員にいえる。
なにもしなければなにも起こらないのが人間であり、
行動を起こして一年間道案内人の後についてきてくれれば、
間違いなくギターが手にあることは自然になってきていて、
そこで見る景色は変わっていっていると思う。
見える景色が変わらなければもちろん練習を続けることはできない。
できなかったことをできるようにすることで見える景色を変えていく。
見える景色を変えていくというのは、
退屈させないということとイコールで、
上達していくには絶対に必要だと思う。
逆に上達していくということで、
見える景色を変えていっているとも言えるわけだ。
ようするに上達という状況というのは結局、
ギターを持つ前に見ていた景色が、
ギターを手にして練習を重ねたことによって、
変わって見えるようになったということとイコールだと思う
見える景色が全く変わってないとしたら、
それは上達していないということとイコールになる。
初めに見た景色となにも変わっていないわけだから・・・。
しかし、ギターを多かれ少なかれ練習してくれば、
なにも変わらないということはありえないわけで、
見える景色というのは必ず変化してきていると思う。
この景色の変化を喜び、また楽しみとして感じることができれば、
次の上達も約束されたということだろう。
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