譜面台の陰から
>願望と現実<
楽器を演奏する。
この演奏するといえるところまで、
たどり着くのは結構大変だと思う。
もちろんギターを練習し始めて、
10人同じスタートラインに立って、
演奏するというところまでいきつける人は、
どのくらいいるだろう・・・。
統計を取ったことがあるわけでもないし、
ギター界全体でもそんな統計は存在しないだろう。
でも、10人が全員ギターを演奏する、
というところまで行けるとは限らないことだけは確かだろう。
いろんなところでけつまずいて終わる人って、
決して少なくない数だと思う。
そのサバイバル的な日数を乗り越えて、
演奏するところまでたどり着く・・・。
これは大変なことだと実際思う。
ギターを演奏するというところにたどり着けたということは、
一つの目標をクリアしたことになると思う。
そしてここからがまた難しい道のりとなるわけ・・・。
演奏することができるようになったというだけでは、
実は何も弾けない・・・。
一つの曲をたとえば人前で演奏する場合。
単純にただ演奏しようとしてもとても弾けるものではない。
演奏するためには演奏するための要素を、
少なくとも数種類クリアしなければ演奏はできない。
実はここからが重要なことになるわけだが、
自分がいま演奏しようと練習してる曲に対して、
練習が積み重なってある程度演奏することに余裕が出てくると、
こう弾きたいといおう願望というのが出てくると思う。
ギターが弾けるようになりたいという願望を持って、
教室の門を叩いてくるわけですが、
そこで教室の椅子に座って立ち上がれば、
もう演奏することができるようになるわけでもない。
そこではまず演奏したいという願望を押さえて、
単純な練習曲から初めて延々と積み重ねていかなければ、
演奏したいという願望は叶えられない・・・。
しかし、楽器を演奏するということは、
自己実現の手段であるわけだから、
演奏できるようになれば、
このように弾きたいという願望が出てくるのが自然だ。
自己実現というのは人間生きている限りついて回るものだ。
自己を表現しようという願望がなければ、
実際生きていくことはできないと思う。
これは人間生きていくための本能でもあるわけだ。
特に楽器を演奏することが、
自己実現のパフォーマンスということでもなく、
日常の生活にも常にある行動だと思う。
仕事においても、
ああしよう、こうしよう、ああしたい、こうしたい・・・。
これ、自己実現ということで括れると思う。
こう見てみると人間というのは、
常に自己実現との戦いという気がする。
ギター演奏での自己実現というのは、
より感情的であり、心情的であるもんだと思う。
人間の深層にダイレクトであるがゆえに、
コントロールすることが難しいと思う。
人間というのは第三者に対しては、
良くも悪くも感情をコントロールできる動物だと思う。
しかし、これが一人称になると、
なかなか難しいものになってくると思う・・・。
やはり人間というのは良くも悪くも、
わがままなところがあるということだろう。
第三者に対してわがままをコントロールする分、
一人称である自分に対しては、
逆にわがままを通そうとするんだろう思う。
ギターという楽器を演奏できるようになろうという願望は、
ある種わがままな自分を表現する手段なんだろうと思う。
自分の演奏しようという曲が弾けるようになったというところで、
なんの制約も受けず自分なりの気分で演奏したい・・・。
これは結構当然な気持ちだと思う。
曲が弾けるようになったところでわがままになりたい・・・。
そう特に意識することはないと思うが、
人間というのは一人称になったところでは、
意外なほどわがままになりたいんだと思う。
まあ、そういうわがままという言葉が適切かどうかわからないが、
とりあえずわがままに演奏したいという欲求というのは、
意外なほど強いんだと思う。
まあ、単純に一言でいうと、
「ほっといてくれ!!」という演奏だ。
わがままを願望と少し綺麗な言葉に置き換えて、
わがままと願望を一緒にするなという意見もあると思いますが、
ここはイコールで考えてみたいと思う。
なぜかというと、
人間の願望というのは一人称の中で醸成されてくるもので、
ほとんどわがままという言葉で表現してもそうは変わらないと思う。
もちろん異なる意見があるということを踏まえたうえでだ。
このこうして弾きたいという一方的な願望がはたして、
100パーセント曲の演奏に反映されて、
思った通りの演奏になるかどうかということだ。
ほぼ間違いなくそうはならないだろう・・・。
やはり楽器を演奏して自己表現をするということは、
抑えるところは抑えて、
第三者との共通項を見出して演奏しなければ、
なんら自己表現とはならない。
自分の部屋だけの世界であればそれでいいということもある。
しかし、第三者に向かっての自己表現というのは、
相手との共通項を増やして演奏しなければ、
何も表現として受け取られることはないわけだ。
自分の願望を抑えるというのではなく、
第三者との共通項をいかに増やすかと考えてみれば、
今の自分の実力でこの曲に対してどうしなければいけないか、
ということが出てくると思う。
今ある曲の難易度、自分のいまの実力、演奏経験・・・。
こういう様々な現実をまな板の上に乗せて、
この一つ一つの現実にどう対処していくのか、
それが一番重要なことだと思う。
こう弾きたいという願望を振り回しても、
実際いまある演奏力の現実を乗り越えて、
自分のパフォーマンスを演奏に反映させることはできない。
この願望と現実ということを考えながら練習してもいいと思う。
また、じっくり向き合えば、
より今の自分を表現できる演奏になるのではないだろうか・・・。
これからクリスマス会に向かっての練習に、
生かせればと思う次第です。
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