譜面台の陰から
>ギターを知る<
ギターを演奏している。
では、ギターという楽器をどのくらい知ってるだろうか・・・。
意外とギターのことを聞かれて、
さしたることを答えられないということは、
少ないことではなく、
むしろ多いのではないだろうか・・・。
かなり難しい曲を演奏していて、
ギターに触れてる期間もキャリアも長いという人で、
意外なほど初歩のことを知らないということがある。
あまりのことに、
こちらが、えっ!!っと答えに詰まるケースもある。
あまりに初歩のことで言葉が詰まるのだ。
たとえばギターの知識などという試験問題を作って、
テストをしたらどのくらいの点数が取れるだろうか・・・。
一つ二つくらいということもあるのではないかと思う。
曲が弾ければそれでいいといえばそれまでだが、
それではギターの楽しみのわずかな部分しか楽しんでいないことになる。
もちろんギターを演奏できるということは、
それだけで大きな喜びであることには間違いない。
それを否定するということもない。
しかし、人間というのは話をして仲良くなれば、
相手のことを知りたいと思うのが普通だろう。
まったくお互いを知らないまま付き合うということは、
基本的にはできないはずだ。
ギターに初めて触れた時点では全くギターのことというのはわからない。
わからないから習いに来るわけで、
全部分かっていれば習うこともないのかもしれない。
しかし、普通に考えたらギターに初めて触れた段階では、
何も知らなくて当然だろう。
その何も知らないゼロの段階からギターとの付き合いが始まるわけだ。
しかし、そこから知識としてのギターを知ろうとしないと、
何も知らないままギターと付き合っていく羽目になる。
対人間同士でも何も知らない知ろうともしない距離の人間と、
長く付き合っていけるだろうか・・・。
それこそお互いの役目が終われば終わりの関係であり、
発展はしていかないと思う。
いわゆる意味のほとんどない関係ということだろう。
楽器とは演奏することで付き合っている。
そういえば確かにそうだ。
楽器というのは弾けば音は出るのだ。
ただ言ってしまえばそれだけ・・・。
楽器の持っている世界のほとんどは闇の中で、
そこに明かりをつけようともしない。
表面的なところだけで楽器と付き合っていれば、
結局、最終的に何でもない関係になって終わってしまうものだ。
いわゆる飽きてしまうということにもつながる。
またもう少しきつい言葉にすると挫折だ。
楽器との付き合いのおいての挫折ということになる。
人間というのの葉相手をより深く知ることで、
情の部分で付き合えるのではないだろうか。
楽器と情の部分で接していくには、
演奏しながら楽器のその周辺のことを知っていくことが、
実は重要なのではないだろうか・・・。
何も知らなくても演奏はできるし音も出る。
しかし、感性の部分では付き合いはできないと思う。
感性の部分で付き合いがないと表現にはつながらない。
楽器を演奏するというのは自己表現でもあるから、
演奏する人によって同じ曲でも、
受け手に違った印象を与えることができる。
自己表現というのはそうだから面白いし興味もわいてくる。
ギターに対してより知識を深めて演奏に相対した時と、
まったく何も知らずにただ演奏するのとでは、
やはり大きな差があると思う。
ギターをより深く知ることによって、
ほかの楽器にまで興味がいけば、
そこでまた財産を増やすことができる。
要するに「そして、それから、それから・・・」
という興味の階段を上っていければ、
ギターを演奏する楽しみの厚みも違ってくるのではないだろうか・・・。
ギターの各部分の名称もわからないということがあった。
これは別に初心者ということに限らない。
かなりの実力者であっても答えられないでいることがある。
これは演奏することには興味があっても、
ギター自体には興味がないということだろう。
極論すればギターのことはどうでもいいということだ。
演奏している自分の楽器の材料がなんなのかを知らないで、
音のどうこうを語るのはどうもなじめない。
きちんとそういうところを理解して、
音について語れば実りもあると思う。
音の違いにもより多様性を持って語れると思う。
そこにそれぞれの演奏者の個性があり、
その個性をぶつけることで、
また興味の世界を広げることができると思う。
たとえばギターを演奏している人たちと、
なんの興味を持たないで、
ギターを演奏しながらギターを楽しく語れるだろうか・・・。
ギターという共通の楽器を弾きながら、
実はつまらない同士でしかないのではないだろうか・・・。
ギターとは限らず、
楽器を弾けるようにしていく過程というのは、
同時にその楽器の周辺、
また、もうちょっと広げて音楽という芸術の世界を、
知識として知っていく過程ではないだろうか・・・。
その曲を弾けたか弾けないかだけを問題にしていたのでは、
なにも広がってはいかないと思う。
せっかくギターという楽器を手に取って、
何もできなかったところから演奏できるようになって、
それだけで終わりというのでは、
それにかけた労力とお金があまりにもったいないというものだ。
かけた労力とお金というのは、
やりようによって何倍にもして自分に返すことができる。
かけた労力とお金そのままで終わるのか、
何倍にもして自分にリターンさせるのかは大違いだと思う。
ま、ここのところをあまり強調すると、
それはそれであまりよくないのかもしれないが・・・。
楽器をより広い知識を持っていくことは大事なことだと思う。
同時に自分の世界も広げていけるのと思うからだ。
ギターをより興味の持てる相棒とするには、
よく知っていくことが大事だと思う。
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