譜面台の陰から



                   


                     >基礎ということについて<




基礎、基本・・・。

なにをするにおいてもよく言われる言葉だと思う。

言葉でわかっていても実際にどんな意味があるのか、

具体的に分かるかというと必ずしもそうでもない。

漠然と感覚的に分かっている、

と、ここいらへんがほとんどではないだろうか・・・。


 今回、基礎、基本ということを少し掘り下げてみたいと思う。

そんなことは百も承知という意見も出てきそうではあるが、

とりあえず少しでも参考になればというところだ・・・。


 人間というのは、

そもそも不完全な状態の集合体ではないかと思う。

いきなりこう切り出すとなんのとこだと思われるかもしれない。

しかし、自分の体を振り返ってもらいたい。

左右上下全く同じ部分というところがあるだろうか・・・。

実は人間の体というのは全く異なる機能の集合体なんだと思う・・・。

機能が異なるのであれば強さも大きさも全く異なってくるわけだ。

その大小軽重さまざまなものの集合体が人間というわけだ。

これが不安定といわずして何が不安定といえるのか・・・、

というくらいのもじゃないだろうか・・・。

 それほど不安定な人間がまっすぐ歩いたり、

しっかり物を認識できるのはなぜだろうか・・・。

これは感覚というものが網の目のように、

体全体を覆っていて、

相互にプラスマイナスを調整し合っているのではないか、

それによってまっすぐ歩き安定した行動がとれるのではないだろうか・・・。

感覚というと抽象的すぎるということもありますが、

専門的なことはここでは語るのは長くなりすぎるのでやめておきます。

 この張り巡らされた感覚というのは生まれてすでに持っているものと、

長ずるに及んで出来上がっていくものとあると思う。

楽器を弾くというのは後天的に備わってくるものであることに間違いない。

なぜなら何もしなければギターを爪弾くことはできないからだ。

後天的に備わってくる感覚が、

ギターを弾くという行為につながるんだと思う。

しかし、そもそも不安定は集合体である人間が、

なぜ後天的にしても訓練をすれば、

ギターが弾けるようになるのだろうか・・・。

それはその弾くという感覚を体全体に、

敷き詰めることができれば弾くことができるということだろう。


 前にも書いた通り人間というものは不安定な集合体だと思う。

この不安定な集合体をどうやったらギターを弾けるという状態に、

持っていけるのだろうか・・・。

やみくもに弦を弾く、押さえると格闘してもまずそれは無理。

なぜならそもそも人間の体というのは不安定な状態の塊だからだ。

 ギターを押さえて、弾くという行為は、

左右の指が共同で有機的に連携して初めて統一した動きができて、

メロディーが形作られていくと思う。

マクロ的に見れば指の動きでといえるのだが、

実際は体全体といったほうが当たってると思う。

その不安定は状態の一部が指だ。

 では、なぜ不安定な集合体の一つである、

左右の指が有機的に動かせるのだろうか・・・。

ここからが基礎という言葉が当てはまっていくと思う。


 そもそもまったく一本一本力も長さも違う指を、

左右全く違う動きで連携させることは不可能といっていいと思う。

なんで不可能なことが可能になるのだろうか・・・。

そこに基礎的訓練ということが当てはまると思う。

人間の体というのは経験したことを覚えて消化して、

安定させていくという能力が備わっていると思う。

ということはバラバラな指も一定の訓練をすることで、

より良い連携を生む状態に持っていけるということだ。

そのトレーニングが基礎的トレーニングといっていいと思う。

一本一本の指の個性に合わせたトレーニング・・・。

そのようなトレーニングを経て、

指というのは左右連携できるようになるのだと思う。

これが基礎的トレーニングということになる。

 では、なぜ基礎と呼ぶものなのか・・・。

これはもう建築物に例えたほうがわかりやすい。

建築物というのは必ずしっかりとした基礎の上に建てられる。

左右の強度が違ったり高さが違ったり長さが違ったりすれば、

その上になにかを構築することはできない・・・。

目標のないものであればとりあえず建てることはできるだろう。

しかし、こう作ろうという目標を持って建てようとすれば、

それはおおよそ難しいと思う。

似たものは建つかもしれない・・・。

しかし、所詮本物で作ってないものは、

もろく崩れてしまうだろうということしか見通せない。

目的に合わせて基礎になるものをしっかり作れば、

その上に自分の目的にそった本物を建てることができる。


 ここは建物に例えてみたが、

これをギターを弾くというところに戻してみよう。

ギターを自分の思っている方向で弾きたいというのが、

完成した建築物だとする。

その建築物を建てるにはしっかりした基礎が必要だ。

左右ゆがみのない基礎が必要ということだ。

左右のバランスが悪ければ自分の思い描いたものにはならないだろう。

この基礎のバランスをよりよくするのが練習だ。

これはなんとなく備わっているものではなく、

あくまでも後天的に備わるものだ。

だとすれば、この基礎の部分をより確実に安定したものにできれば、

誰でも自分の思い描いたものができるということだ。

人間というものはトレーニングによって、

あらゆる感覚的なものを取り入れていく能力が備わっていると思う。

その能力によって、

太古の昔からの厳しい条件をクリアして今日繁栄してるんだと思う。

だとすれば誰でも間違いなく感覚という基礎を、

しっかりトレーニングして作り上げられれば、

誰でもそれ相応のことがギターでもできるということだと思う。

体また実際に弦に触れる指の不安定な状態にある基礎の部分を、

バランスよく安定させていけば自分の思い描いたところにいけるのではないか。

 不安定な人間の不安定な指という一部を、

しっかりしたトレーニングで安定的に平均化できれば、

ギターは弾けるということだ。

 基礎できているというのは、

実は、不安定な状態の人間を安定化させた状態をいうのではないかと思う。

基礎が大事というのは、

それによって安定した状態を作り出し、

そこでなにかをするということではないだろうか・・・。

 ギターについて言えば、不安定な左右の指を、

よりよく安定化させた状態。

これが基礎ができているということだと思う。



 
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