譜面台の陰から
>モチベーションについて<
20011年もいよいよ大詰めとなってきた。
まあ、いろいろと天災花盛りというと語弊がありますが、
これだけニュースの度に、
いろいろ天災のニュースがテレビ画面を賑わせた年もないと思う。
2011年の最後に「譜面台の陰から」になにか決めの言葉はないかなと、
陰からなどというタイトル自体、
なんとなく胡散臭いという意見もありますが、
ま、つぶやき程度に取っていただければ幸いというところです。
それでも一年の締めくくりとして何がいいだろう・・・。
そこで隙間の空いてきた脳みそ空間を一周して、
コツンと当ったのがこれ・・・。
「モチベーション」
正確な意味を知るも知らないもとにかくよく耳にする言葉ではある。
さて、モチベーションという言葉はなんだろう・・・。
国語辞典的な意味で言うと「動機」
なにか行動を起こすときの元になるという意味だ。
ただ普段使っているときには、
もう少しニュアンスを拡大して使っていると思う。
阿吽の呼吸で何を言わんとしてるかは、
感覚的にわかるという範囲で使っている。
あまり感覚的な意味を拡大しても、
今年中に終わらない文章になりかねないので意味を絞って書いてみたい。
「モチベーション」の国語的意味を見てみると、
人間が何かに行動するための動機づけというのがある。
要するに人間が行動を起こすには、
それなりの理由があるということだ。
一番最初に来るのが空腹を満たすということ。
それから何かをしようというエネルギーの発散。
そして自己実現というギターを演奏するなどに直結する動機。
これらには必ず動機づけがあると思う・・・。
空腹を満たすなどというのは自己の生存を確保するという意味で、
当然といえば当然だ。
むしろその先、
自己実現ということがギターを弾くということに直結してると思う。
よく会話に出てくるモチベーションが高い、低い・・・。
これは感覚的によく使う言葉だ。
使うときにそれほど意味は考えてなくても、
感覚的に出てくる言葉の一つだ。
言われたほうも感覚的に解釈して反応する言葉だろう。
では、ギターを弾くと言おうことについて、
モチベーションが高い低いというのはどういう状況があるだろうか・・・。
人間の生きていくうえでの最大の喜びの一つが自己実現だといわれている。
ギターを思ったように弾く。
これも自己実現を目指した行為だと思う。
ギターを弾けるようになってつまらなくなったという人はあまりいない・・・。
この自己実現を目指す行為の動機づけが高い低い・・・。
これは大きな問題提起だと思う。
モチベーションというのは基本的にはギターを手にした時がマックスで、
徐々に下がりつつづけるのが普通だ。
なぜ下がり続けるのか、
一つには自分で自分をほったらかしにすることが原因の一つに挙げられる。
要するにギターを持っただけで何もしないといいことだ。
ある程度の人がギターを買って弾こうと意欲を燃やす、
モチベーションがこのときはマックスに達している。
しかし、楽器というのはそう簡単に弾けるようになるわけでもない。
そこで教室の門を叩くと叩かないでまずモチベーションの高さが決まる。
さっきも書いたがモチベーションというのは、
何もしないと下がり続けるものだから、
門を叩かない時点で楽器の放棄につながっていく・・・。
では、門を叩いた後どうなっていくのか・・・。
門を叩いたところでモチベーションは、
マックスに達していることは間違いない。
しかし、ここから肝心のモチベーションというのは下がり続けるわけだ。
最初のマックスが高いだけにゆっくりではあるが間違いなく下がり続ける。
ここからが非常に重要になってくるわけで、
教室の門を叩いてそれから受け身になって練習する日々となるわけだ。
この受け身状態もそのまま長くなると慢性化してしまって、
最初受けたインパクトはどんどん薄れていく・・・。
要するにモチベーションが下がり続ける状態だ。
ここでこの状態をそのままにしておくと、
きわめて確度の高い状態、
楽器を弾くという体の状態が定まったところで、
ぽっきり挫折という事態に陥る。
この例は数えるときりがないくらい思い出すことができる。
要するに頭の感覚は、体の感覚よりも早い段階で、
結論を出したがるということだ。
大人の頭というのは常に悲観的方向性が強いから結論が早いのだと思う。
体の感覚というのは細胞分裂の速度だから、
まず頭の感覚とは関係なく遅く結果が出てくる。
そこで客観的に見てると弾ける状態が、
そこまで来ている見えているにもかかわらず挫折という事態に陥る。
これは簡単な一言にすると自己実現の失敗ということになる。
こういう事態を避けて自己実現を達成していくには、
どうしたらいいだろうかという話になってくると思う・・・。
前にも何度か書いているが、
モチベーションは下がり続けるもんだということ・・・。
では、この下がり続けるものをどうしていかなければいけないのだろうか。
ここにモチベーションを高めるということが重要になってくると思う。
ではモチベーションを高めるということはどういうことになるのだろうか。
まず「モチベーション」の意味を考えると「動機づけ」というのがあると書いた。
ギターを演奏したいという「動機づけ」
これは自己実現のそのもののだろう。
いかにモチベーションを上げるために自分の頭の感覚を上げていくか、
下がり続ける感覚に歯止めをかけて逆に上げていくか、
これは大きな課題だと思う。
体の感覚といおうのはそれほど変化はしなくて、
頭の感覚が止まった時に止まる。
ということは頭の感覚に刺激を与えて、
モチベーションを上げていけば自己実現は、
誰でも可能ということになる。
ギターという楽器は器用、不器用なく誰でもが演奏可能な楽器だと思う。
では実際に弾けるようになる、ならないはどこに差があるのだろうか、
これこそ究極の理由はモチベーションをいかに上げていくか・・・。
この一点にかかっていると思う。
楽器の演奏というのは、
自己表現ということにかなりのウェイトがあると思う。
自己表現の自己実現の達成といってもいいかもしれない。
難しい曲、易しい曲にかかわらず、
自分のパフォーマンスを人前にさらしてみる。
これは苦くもあり甘くもありの程度はいろいろだが、
かなり強いインパクトのあるものだ。
苦ければ甘くするために人間のエネルギーは集約される。
甘ければより甘いところへエネルギーは集中される。
要するにより高いところへモチベーションは上がっていく。
芸術関係というのは、自己表現が自己実現と直結してるものだと思う。
その自己表現の発露をほったらかしにすると、
それでなくても下がり続けるモチベーションというのは、
最後は跡形もなく消えてしまうだろう・・・。
自己表現という興味をつないでいくということがやはり必要なのだと思う。
そして一つを消してしまって「次のこと」となるわけだが、
次はもっと低い段階で消えてしまうのではないかと思う・・・。
モチベーションを下げていくということは、
この悲観的要素を積み上げていく結果ともいえる。
この悲観的要素を積み上げた状態で「次のこと」といっても、
難しいに決まってるのではないかと思う。
人間というのは何もしないと徐々に悲観的になっていく、
モチベーションの下がっていく状態というのは、
こういうことなんじゃないかと思う。
悲観的になっていく結果として、
飽きるということを引き寄せるのではないかと思う・・・。
ここで自己実現の失敗となるわけだ・・・。
モチベーションを下げないために、
どう自分と向き合っていくのか・・・。
これは2012年の課題かもしれない・・・。
いや過去、未来の共通の課題なのかもしれない・・・。
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