譜面台の陰から





                           >基本を練習する<






 ギターを演奏するということ・・・。

ギターは右手と左手がまったく共通項のない動きをすることによって、

音と音が重なりしかも横へ流れていくというなかなか複雑な楽器といえる。

 左指の複雑な、しかも弦と弦の狭い範囲を押さえ、

また上下、横縦、斜めと指板の上をかなりすばやく動き回らなければならない。

また右手が弦を弾くタイミングと左指の動きが一致していないと音にはなってこない。

このような条件をクリアして、

音を完璧に出さなければいけないというのはやさしいことではない。


 演奏される曲というのは、

右手の指、左手の指の細かい動きの規律ある動きの集合体といえる。

 この右手、左手というのはもちろん指だけの問題ではなく、

肩、ひじ、手首、もっと言えば、

体全体が相互に影響しあって複雑な指の動きを作り出している。

このような複雑な指の動きを習得してギターを演奏するには、

なにが一番大事だろうかということになる。

 まず一番に浮かぶのが「基本」という言葉だろう。

これは特にギターに限らず各分野に共通している言葉だと思う。

基本という言葉は共通でも実際の中身はまったく別物だが・・。

では、まったく無関係かというとそうとも言い切れない。

ギターにおける基本とはどんなものだろうか・・・。


 先に書いたような、

極めて複雑な動きが必要になってくるという認識からすると、

とてつもない巨大な課題があり、

先が見えないような多数の指の動きを覚えないといけない・・・、

というような発想になると思うが、

複雑な指の動きも最も必要な動きだけにしぼって、

外側から余分な動きをはずしていくと以外に単純な動きだけが最後に残る。

これは右手の指にも左手の指にも共通していえる。

その単純化した動きをどう練習していくかということについては、

いろいろな方法論が存在している。

しかし、どういう方法論にせよ、

練習はしていかなければならないということでは共通している。

では、どうやって練習していったらいいのだろうか。

 人間は感覚で物事の判断を付ける動物であるから、

一つ一つを感覚として体に取り入れない限り身にはつかない。

頭でいくら分かっても体が反応しなければ、

指は関連性を持って動いてはいかない。

そして体が反応して動くようになるというのはきわめて時間がかかる。

頭で分かったことが体全体にしみこんでいく過程は思う以上に遅いものだ。

だから複雑な動きを全部ではなくて、

きわめて必要な動きにしぼって練習する必要がある。

あまりに全部をゆっくり練習していては人生というのは短いものだから、

演奏するまでにいたらないで、

あの世ということになってしまう。


 ギターを演奏するために必要な最小限の必要不可欠な動きを、

ゆっくり体の感覚として覚えながら練習していく。

さらに練習しているその時間の流れ、空間をも感性に取り入れながら練習していく。

これではいやに抽象的過ぎる話になってしまっているが、

では、具体的にどうやって練習したらいいのだろうか・・・。


一つ身近な旅行にたとえてみよう。

目的地まで歩いて回りの景色を見て感性を刺激しながら歩くのと、

目的地と目的地をバス結んでしまって省略してしまった場合と、

どちらがより感性を豊かにその景色を語れるだろうか・・・。

これは言わずもがなだと思う。

今まで行った旅行を振り返ってみると両方経験してることだろう・・・。


 これはギターの基本練習に極めてよく似ている。

一つ指の動きから次の指の動きまでゆっくり、

その時間の流れまでも感性に取り入れていければ、

ギター演奏が自由になった時、より世界を広げていけると思う。

選択肢を多く持っていれば問題解決法も多く占有することが出来る。

それはどういうことかというと、

それだけ練習していく過程で発生する諸問題をたくさん解決できるということだ。

それによってより広い世界を獲得できれば、

それだけ演奏の可能性も広げられるというわけだ。


 あらゆる練習の中で、

一番最初に触れる基本練習ほど大切なものはないといえる。






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