譜面台の陰から
>緊張、あがるについて<
発表会が今年も近づいてきました。
みなさんの練習もこれからが本番となっていくと思います。
そして毎回のことながら話題になるのが、
「あがる」「緊張する」というこの二つの単語。
この二つの単語の克服法はないものか・・・。
これもよく聞かれることですが、
一つ言えるのは、
この二つを全く抜きにしてしまった発表会は、
ほぼ意味がないものになってしまう・・・。
これは確実に言えることです。
以前にも一度書いたことがあるのですが、
人間の物事の上達は体で覚えた度合いに比例するということです。
漠然と体で覚えると言っても、
それがどういう状況で覚えていくのか・・・、
よく体で覚えるという言葉は言われるのですが、
それを具体化するとどういうことなのか・・・。
一つにはこれは以前に全く同じことを書いたのですが、
人間というのはパニック状態を作り出すと、
その状況というのは意識を越えて、
体で覚えるというのがあると思います。
降りかかる危機意識は強烈の記憶されるのです。
その状態を作り出そうというのが発表会の意図の一つです。
日ごろの練習では、
なかなかそういう状況は出現することはないと思います。
日常の練習というのはだいたい頭までで止まっています。
体までには降りてこないということです。
しかし、それがパニック状態を作り出すと人間というのは、
全力でその状態から逃れようとするわけです。
そして全力で力を発揮した後は、
その状況を記憶にとどめておこうとするわけです。
置かれた状況の危機を感じた度合いで、
研ぎ澄まされる意識の強度は変わってきますが、
その高度に研ぎ澄まされた記憶はどこに貯蔵されるのか・・・、
体全体で貯蔵しておこうとするのです。
足の指先から手の爪の先、
髪の毛の先までフルに使って貯蔵しようとするのです。
そこで初めてその今の状況というのは、
しっかり体にインプットされるということです。
パニックごとに成長するのが人間と言えるのです。
ここまでは以前にも書いたことと重複してると思います。
ではなぜ「あがる」のか、
また「緊張」するのか。
これは一つには、
結果が見えないことへの恐怖感の現れともいえると思います。
発表会で弾かれる曲というのは、
もちろん初めて取り組んで、仕上げて舞台に乗せるけですが、
だいたい実力より若干難しい曲を練習していることがほとんどです。
これは結果が見えないということとイコールだと思います。
先ほども書きましたが、
結果が見えないことを実行しようとする時というのは、
かなりの不安感があるものです・・・。
この不安感が筋肉を硬直させる原因であり、
手に汗をかかせる原因と言えるわけです。
逆に結果が見える曲。
実力より2〜3段易しい曲を弾く、
もうすでに何度か舞台で演奏している曲を弾く。
この二つの条件が満たされていると、
緊張の度合いはかなり緩いもになると思います。
なぜか・・・、
結果がある程度見えてるからです。
人間というのは結果が見通せてることには、
余裕を持ってのぞむことができるのです。
これは誰でも経験のあることだと思います。
では、発表会でもそのような曲を弾いていけば、
上がらなくいいのではないか・・・。
その通りです。
ではなぜそれをあえてしないのか・・・、
結果が見通せてしまうことには、
パニック状態を作り出すことはできないのです。
ということは平素家で練習してる状況と、
たいして変わらないということです。
これでは発表会を通して上達するという意味の半分は、
そがれてしまいます。
発表会というのは完璧に曲を演奏する場ではないのです。
そういうとまた誤解が生じるかもしれませんが、
発表会の位置というものは、
あくまでも上達する場と考えたほうが正解です。
非常な決意持って練習したことを体に覚えさせる場なのです。
結果が見えてると人間というのは、
大人になればある程度の手抜きが生まれます。
練習に手心を加えてしまうわけです。
見えてる結果に対しては割り算で臨むのが人間です。
逆に見えてないものに対しては掛け算で臨むのが人間です。
この掛け算の練習こそが一番上達する源と言えるわけです。
緊張して当然、あがって当然なのです。
それを押さえる必要も怖がる必要もないのです。
それで誰かに迷惑がかかるわけでもないのです。
ただその状況に自分を置くことの意味だけが重要なのです。
自分を前進させる場というのは貴重です。
時間は待ってはいないのです。
あがる、緊張する・・・、
この状況へ飛び込むのが上達の一番の近道です。
今回の発表会に参加することでまた上達できると思います。
メニューへ
topへ