譜面台の陰から
>テンポについて(三)<
最近になって再びテンポの問題がクローズアップしてきた。
テンポについては過去二回書いてきている。
しかし、それぞれ問題について書いてきて、
さらにまた新たな問題が出てくる。
ギターに関してのテンポの問題の根深さを、
物語っているというのかどうか・・・。
今回は初級、中級、上級、
それぞれの各ポジションに共通のことだと思う。
なにがクローズアップしてきて、
どんな問題になってきているのかというと、
いわゆるCD問題だ。
CDにかかわらず耳に聴こえてくる、
録音媒体のプロの演奏ということだ。
どういうことかというと、
まずギター演奏が上達して来て、
一般に知られている曲を演奏する時によく起こる。
CDから得た曲の情報をそのままインプットして、
自分の演奏に反映させようとする。
その時に起こるのがテンポアップ過多の状態だ。
一般によく知られている曲であれば、
クラシックであれポピュラーであれ、
まず録音媒体から情報を得ようとする。
当然といえば当然な行為ではある。
逆のパターンもある。
すでにCDで聴いて知っている曲を演奏しようと、
練習を始めた時。
すでに聴いて体中にインプットされている演奏スタイルを、
真似してしまうのはこれも当然といえば当然だ。
特にすでに知っている曲が、
自分のイメージぴったりの演奏であれば、
そのままコピーして弾こうとするのも当然と言える。
人間という動物は、自分の感性にフィットしたものは、
良くも悪くも真似しようとするのが普通の感覚だ。
それは音楽の世界だけではなくて、
言葉、ファッション、車などあらゆる分野で共通していることだと思う。
そういう人間の特性からすると、
情報媒体から得た情報は、
いたって簡単に真似してしまうということだろう。
当然ながら嫌いなものに流されるということはないだろうが・・・。
そう考えていくと、
やはり一度得たフィットした情報というのは、
抜きがたい影響をその人に与えるということだ。
演奏という形として見えない時間の流れというのは、
なかなか一人称では判断が難しく、
結局聴き覚えている心地よい情報に流されてしまう・・・。
これが演奏者角一人一人に合わせた速度で弾かれた情報ならば、
特になんの問題もない。
しかし、CDなどは録音した演奏者のものであり、
聴き手の演奏レベルは当然ながら全く考慮されることはない。
ようするに初心者にも熟達者にも同じテンポの情報が入ってくるわけだ。
そして素敵だと感じる感性は演奏技術とは関係なく、
だれもが持っている。
これは大変なことだと思う。
演奏技術とは関係なくそのインプットされた曲のテンポを、
唯一絶対のものとして目指すことになる。
結論からすると、
アマチュアでプロの演奏が録音されたCDと、
同じレベルのテンポで弾ける人はそうとうな少数派でしかない。
ほとんど90パーセント以上はまともな演奏にはならないだろう。
プロがCDを出すということは、
常人ではできないことができるから出すのであって、
これと同等のレベルで普通のアマチュアの人ができれば、
このCDは全く価値のないものになってしまうだろう・・・。
ということは、
真似をしても無駄だということだ。
アマチュアの相撲取りがプロの大相撲の力士と、
まともな勝負をして勝てないのとよく似ている。
人間というのは憧れというものを持っているから、
自分の感性にマッチした演奏というものに、
どうしても近づけたくなるというのは普通のことだとは思う。
しかし、ことテンポに関しては不可能と思ったほうが無難だ。
むしろテンポ感というのは抜きにして、
弾けるテンポでまず曲を完成させて、
そこに自分の感性を投影することを考えたらどうだろうか・・・。
それはかなり可能性のあることだと思う。
その曲のとらえ方は画一的なものではなくて、
いろいろな表現の可能性を秘めている。
その可能性を追求したほうが現実的だと言えるかもしれない。
また、その演奏の評価も得やすくなるのではないだろうか・・・。
無理なテンポ設定というのは、
人前で演奏した時にも崩壊を招きやすい・・・。
やはり自分のいまの演奏技術とよく照らし合わせて、
練習するのが一番得策だと思う。
聴いていて心地よい演奏というのは、
演奏者の技術によく合ったテンポで、
音一つ一つが綺麗に出ている演奏だと思う。
テンポが定まらない演奏というのは、
全体に歪みを伴って聞こえてくるから、
心地よくは聞こえてこない・・・。
おのずと評価も低いものとなってしまうと思う。
最終的なテンポ設定というものは、
慎重に吟味されなければならないと思う。
CDの演奏というものは曲を知ることだけにとどめて、
その演奏に流されることなく、
曲を知った後は慎重に譜読み段階から、
テンポに気を付けて練習するべきだと思う。
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