譜面台の陰から
>楽譜とタブ譜<
久しぶりに楽譜を買いに出かけた。
ほんとに久しぶりだ。
書棚に並んだ楽譜を見ているというのは、
なんとなく気分がいい・・・。
気分が高揚してくることもある。
知らなかった新刊に驚くこともある。
楽譜を手に取りパラパラめくっては、
驚いたり感心したり・・・。
それにしてもタブ譜付きの楽譜が増えたことに驚く。
出版不況の昨今、
少しでも買い手を開拓するには仕方ないのかもしれない。
それが理解できないほど頭は固くない・・・。
逆に積極的に取り入れてしまったほうが、
いい結果をもたらすこともある。
演奏するということに限って言えば、
音符の読み方を覚え、
その音符がギターのどこにあるのか、
どこのフレットでどこの弦を使ったらいいのか・・・。
音を実際に出すまでにこれだけのプロセスがある。
苦労してようやく音の位置は何とか理解出来た。
しかし、これだけではもちろんメロディーにはならない。
音符の長さを理解しなければならない。
しかもギターはコード楽器であるわけで、
音の積み重ねを一つ一つ読まなければならない。
ギターの曲を一曲い弾くには、
これだけのプロセスを踏まないとたどり着けない。
どれも細かい作業で、
しかも強力に我慢と忍耐を強要される。
このプロセスの楽譜を読む部分を省略したのがタブ譜弾きだ。
その曲を完成させるために、
使用するフレットを六本の線に数字で書きこんでしまう。
六本の線はギターの弦ということだ。
今はちょっとした曲ならばだいたいCDに入っている。
そこからメロディーの情報を得ることができる。
あとは示された減と書かれた数字をひたすら繰り返せば、
そこそこCDから得た曲になる。
苦しい忍耐と我慢を一足飛びに飛び越えて、
曲を手にすることができる。
しかし、ここで溜まってしまうと、
問題を次第に大きく引き寄せていくことになる。
タブ譜というのを、
A地点からB地点(目的地)への道筋と考えてみよう。
たとえばこの道筋を、
手書きの一本道で示されたらどうだろうか・・・。
普通示された道筋をわき目も振らず歩いていくだろう。
帰りも同じ道をわき目も振らずまでかどうかわからないが、
そのまま帰ってくるだろう・・・。
じゃ、この道筋を付近まで書かれた一枚の地図を渡されたとしよう。
行きは、一番太く分りやすく近い道を選んで、
目的地まで歩いていくと思う。
しかし、帰り道ちょっと時間に余裕があれば、
一本隣の道を選んで帰っても面白い・・・。
次に行く時は、また違った道を歩いても景色が面白いかもしれない。
周辺が書かれた地図を持つと、
プラスアルファの楽しみを味わうことができる。
ようするにここ言わんとすることはすでに明白だと思う。
タブ譜で弾き続けるということは、
近道であり結果も早く出てくる。
しかし、その曲の持つイマジネーションまでを持つことは難しい。
もちろんメロディーから受ける印象は持つことができるわけだが・・・。
しかし、楽譜にはメロディーだけでなく、
いろいろな可能性を示してくれる。
自分独自の音の取り方を考え方を持たしてくれる余地を示してくれる。
これはその曲に、自分自身の大きな可能性を持たせてくれるものだ。
要するに自分自身の解釈を示すことができるということだ。
このことは曲がたんに弾けるという状況から飛び出して、
その曲に対する自分の主張を展開できるということだ。
ギターで曲を弾くことによる、
イマジネーションの発展を促すというものだ。
結局最終的になにが言いたいかというと、
結構簡単な一言になってしまう・・・。
ここまで書いてきて一言かいということだが、
一言です・・・タブ譜で終わらせないで、
もう一歩先を目指そうということです・・・。
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