第4章 童話作家

 「苦労しなさい。無理はしないように。」という忠告をいただいたのは、北海道大滝村の北湯沢ユースでヘルパーをしている時だった。
 除雪車が通る本道から入り込んだ建物へ続く100m程度の坂道の一日3回の除雪、屋根から落ちた雪が跳ね返って窓ガラスを割らない為の建物の周囲の溝掘り、屋内で過ごす時間の大半は厨房での食事作りに追われる生活の中で、意味もニュアンスも違う苦労と無理の区別すらはっきりせず、言葉にするのは(特に他人に云うのは)簡単だと実感したものだ。自然と共存する雪国の仕事に終わりはなかった。「毎日雪だるまが作れていいですね」という内地からの手紙に閉口させられたのを今でも思い出す。
 仕事に終わりがないとなるとどこで終わりにするかが問題になる。そして如何にして終わりにするかを考えるようになる。つまりはどこで手を抜くかと云う事に他ならないのだが、一人では絶対無理という結論を僕は案外早く出して手を抜く事を正当化してしまった為に、一冬中良心の呵責に悩まされる事はなかった。それでどこで手を抜いたかというと僕の部屋にあてられていた部分の窓ガラスの前の溝掘りをパスした訳で、良心はちっとも痛まなかった代わりに春まで雪に埋もれた生活を送らねばならなかった。窓の外はガチガチに凍りついた雪の壁となり12月にはもう陽光も差し込まなくなっていた。
 この薄暗い部屋の数少ない来訪者の中に一人の童話作家がいる。同郷で歳も同じであった事もあって出会いの時から夜を徹して話し合う仲となったが、朝になると僕を揺り起こし自分は寝るという薄情な奴だった。
 童話の事もよく話してくれたが、なかでも「日本ではハッピイエンドはあまりうけない」というのをよく覚えている。「主人公はどないなるの?」「悪いけど最後に死んでもらって星か花になってもらう」「かわいそうやね」「うん‥ 」「悲しいね」「‥‥うん 」「淋しいね」「‥‥‥‥」
 童話は時代を反映している。桃太郎や一寸法師の背景には下克上の思想があった。民衆の為に身分も金もない者が戦って勝利をおさめるサクセスストーリー‥‥今の時代にそんなヒーローは要らない。むしろ人間性を殺して永遠な何かに姿を変えるのは昔ながらの悲話哀史の流れに近い。華やかな時代の底で僕らの世代を培ってきたのはそんなセンチメンタリズムだったのだろうか。
 故郷に帰った彼は家を継いで寺の住職になる。再会したのは一年程前‥‥京都で飲みに出かけたのだが、しかしその時の僕は彼に対して少なからず腹を立てていた。ここ数年彼が童話を書いていない事に対してである。 
 「忙しいんか?」「うん‥」「続けんとあかんで」「ああ‥でも文章で表現してないから活動してないとは限らない」ーーーその言葉は逃げ口上としか思えなかった。僕自身唄わないフォークシンガーを自負していた時期があったからだ。
 (童話作家でいてくれよーーー)彼を見送りながら淋しくて仕方がなかった。
 その彼から電話がかかってきた。「童話出版するで」「えっ!」「原稿があがったら出版社に売り込みに行く。あかんかったら自費出版してもう一度売り込む」「うん」「コピーして送るわ」「待ってる」「10年かかったで」「主人公は星になるんか」「うん」「しゃあないな」「うん しゃあないわ」ーー何人でも星にしてちょうだい。花にしてちょうだい 。それからゆっくりと夢織り始めたらええんや。