第2章 SOMEDAY NEVER COMES

 アメリカのひと昔前の名曲に"Someday Never Comes"というのがある。J.バエズが"We shall overcome someday〜"と唄い、B.ディランが"Anyday now I shall be released (きっとすぐに私は救われる) "という曲を書き、日本では岡林が"夜明けは近い〜"と唄わせていた。街には長髪・ジーパン引きずり族が溢れ僕もその中にいた。何をしてきたのか何をするつもりなのか等と問わず、現在だけで手を繋いでいた者達ーーーみんな何かを待っていた。そしてただ漠然といつか未来を持とうとしていた。そんな時代に"いつかなんて日は来ないよ"なんて曲が受け入れられなかったのは当然かもしれない。
 僕らは日頃このいつかという言葉を比較的よく使う。友人には"いつか会いに行くから"と言い、素晴らしい景色の中で"またいつか来よう"と決意する。そしてある日、誰にも会わず何処へも行かなかった自分を見つける。いや時を要さずとも"いつか"で終わらせている事も多い。こうなると成程いつかなんて日は来ないなぁーと考えるようになる。とにかくじっとしてはおれんぞと思うと今度はやたら動き始めたりする‥僕の場合である。
 西岡たかしという人物を御存知だろうか。「誰?それ何する人?」「フォークシンガー」「どんな歌唄ってるん?」「今はあんまり活動してへんけど"遠い世界に"作った人」「それどんな曲?」「‥‥‥」「‥‥‥?」「‥‥‥」ーーーこの辺りで大体世代のギャップをひしひしと感じ黙り込んでしまう事が多い。陽気な時は一節を唄ってみたりもするのだが、後の落ち込みは更に激しい。最後は「関西フォークの元祖"五つの赤い風船"のリーダー」と結んでしまうのが常である。その西岡たかしが後見人となって大阪で"うたワークショップ"が始まってから2年になる。8年前「早よ30代になりや」とほのぼの唄いかけてくれたこの人に魅せられて「30代になっても唄ってられたら幸せやな」としみじみ思ったものである。
 ところが先日、"うたワークショップ"の帰り"飲むとこだわり屋"の西岡さんにしっかり説教された挙げ句「30代は死ぬ気で突っ走れ」と40代の御言葉をいただいた。「お膳立てする大人は誰もおらんかったし、おっても信用できんかった。URCのマークさえ誰も作らんかったから僕が作ったんや」「‥‥‥」ーーー僕らはまだ彼の影の中に身を置いている。
 かつて「大阪の春は春一番コンサートから」と云われていた。福岡風太一人で企画されていたこのコンサートも風太が名古屋に移住すると消滅してしまった。その彼が名古屋で"夢一番"を旗揚げして今年でやはり2年。去年のテーマが"Go for broke(当たって砕けろ)" そして今年は"Life goes on"ーーー
いつかなんて初めから信じていなかった大きな猫達がまた動き始めた。