第13章 フォークデストロイヤー

     会社でビラまきしたら家に電話がかかってきた
     「あんたの息子さんはアカですぞ」
     母さん落ち着き騒がず俺らにこう言った
     「お前の思った通りやればいい」

     会社でストライキやったらポリ公家にガサ入れに来た
     家中家捜しして帰ってった
     母さん落ち着き騒がず俺らにこう言った
     「お前の思った通りやればいい」
       やればいい やればいい お前の思った通り
       お前の信じる事を やればいい 
                     (Let It Be)
 俗に言うビートルズ世代と若く新しいビートルズ世代との間でフォークに出会った僕は、そのどちらからもビートルズのコピーを聞かされてきた。どちらもサウンドはビートルズ風だった。しかしジョン・レノンの詩はどうだったろう。日本語版の詩集も出て、それを唄いやすいようにアレンジしたものは何度か聞いた事がある。無論英語の韻は無視されていたし、(ジョンは韻が好きだ。"ノーウェアマン"はno-whereでは何処にもいない人なのに、now-hereにすると今ここにいる人に早変わりする。そしてどちらもスペルは変わらない。)所詮日本語に訳す事自体、不可能な気がしていた。それなら好きなように訳した方が分かりやすい。  
 岡本 民&フォークデストロイヤーズのLet It Beを聞いた時、これこそビートルズの正しい解釈の仕方ではないかと思った。しかもジョンの抽象的な形容は決して崩されていない。"パンク以降のフォークを目指す"という彼等のレパートリーは、ビートルズから"ちゃんちきおけさ"までジャンルを全く気にしていない。なのに、その選曲とアレンジには系統だったものが感じられた。それは多分に岡本 民の詩に拠っているのだが‥‥。
 彼等はその名の通り、ビートルズを、ふるいアメリカを、日本の演歌をぶち壊しバラバラにしながらも、それぞれの詩の本質をとても大切にしている。それがまた僕にはピッタリとくる。僕が彼等の唄に陶酔できるのはきっと、デストロイヤーズがぶち壊していこうとするものがビートルズそのものではなく、メロディーの為の言葉であり、それに固執しようとする僕やロック世代にアピールしていく彼等のパワーに直接触れたからだろう。彼等には言葉の為の手段としての音楽がある。
  HELP! もういやだぜ HELP! こんな生活
  HELP! 逃げ出したいぜHELP〜〜〜!
    掌についた黒い油は いくら洗っても落ちやしねえ
    こんな生活繰り返し 年老いていくなど真っ平さ
       金を稼ぐ為に生まれてきたんじゃねえ
       こき使われる為に生まれてきたんじゃねえ
       だけど金が無くちゃ楽しくやってけねえ
  won't You please please Help Me (HELP)
 この日彼は本業の古本屋を閉めてコンサートに駆けつけてくれた。「日曜は客が少ないでしょう」と尋ねると、「イヤ日曜は子供達が二百円握りしめて漫画を買いに来ます」と脂ぎったハキハキした声が返ってくる。一つ一つの会話にグイグイ引き寄せられる。「長い付き合いになりそうや。今後とも宜しく」ーーー手を握り返しながら"いつ会いに行こうか"と、そのことばかり考えていた。