第11章 からくり師

昨年末よりコツコツと始めた古時計修理も、丁度10台仕上げたところである。昭和初期から大戦後、昭和30年代位迄の柱時計で遊んでいる。
 動力はぜんまいーーーこいつが切れていなければ先ず修理できる。それ程に内部は頑強に出来ていて、ギアがすり減ったりという事は先ずない。むしろ最近のプラスチック製のテンプ式時計の方が、故障すれば全部中身を取り替えなければならず、コストがやすい分材料もお粗末である。
 ぜんまい時計はその仕組みが大体似通っているので、1台修理できると後はどの辺りの故障か見当がつく。難解に思えたギアの組み合わせも、今では一度バラバラに分解してから組み立て直せる程になった。(中には最初からバラバラで入ってくるものもあるが‥‥)僕の腕がいいのではなく、最初の造りがしっかりしているからであり、カチンカチンとギアを組み入れていく度その精巧な造りに感心させられる。最後に振り子を付けて、アンクルが歯車に当たるあのカチコチという快い響きが聞こえるようになると、あとはもう満足感だけで一日中飽く事なく眺めている。
 この柱時計だが、今では聞く事もない実にいろいろなメーカーがあった事には驚いた。中には個人のメーカーもある。そのほとんどが名古屋産だ。アイコウ社アイチ時計等は特に有名だったらしく、大量生産の跡がその部品を見れば分かる。今はトヨタが中心になっている愛知の産業構造の変遷にも自然と興味が湧く。何故名古屋に‥‥?この疑問を解いてくれたのが、江戸時代から明治初期に活躍した"からくり師"の存在である。
 愛知県小牧市の秋葉祭り(聖王車)にみられる"離れからくり"、岐阜県高山市に今も伝わる"ほてい台"、からくりの傑作といわれる"茶運び人形"ーーーこれらは全て"からくり師"と呼ばれる人達によって作られた。江戸時代といえば鎖国の時代だ。これらのからくりが西洋から入ってきた筈はない。実際、西洋にはこのようなからくりはない。西洋のからくりは、オルゴールにみられるシリンダー中心の文化だ。ではこの"からくり師"とは一体何者なのか。それを解明する手掛かりは彼等の作ったからくりの中にある。全てのからくりの共通点ーーそれはギアであり、クランクであり、カムである。この組み合わせ方によっていろいろな"動き"が生ずる。そしてギア、クランク、カムといえば時計の部品なのだ。即ち"からくり師"は時計師から生まれたものである。
 16C末に入ってきた南蛮渡来の時計ーーーこれを江戸時代の生活文化に組み入れようとした時、多くの時計技術者が誕生した。
 津田助左衛門は、日本の時計技術の開祖とされている。彼は当時の日本の時法に合致した和時計を作り上げた。彼が尾張徳川家に仕え、名古屋を活動の本拠地にするようになると、当然のように名古屋周辺では江戸期を通じて和時計の生産が盛んになった。また時計だけではなく、時計からくりが開発され"からくり師"の本場となったのである。また一方で、からくり儀右衛門の異名をもつ田中久重が現在の東芝を設立したのは有名だ。
 これら"からくり師"の発想が「こんなものがあったらいいなあ」という遊び心から始まっている事に嬉しくなってしまう。
 「からくり師になりたいねん」というと「どうぞなってちょうだい」と壊れた時計を持ってくる友に閉口しながら、でも夢だけは捨てきれないでいる。