ルポルタージュにっぽん「ボブ・ディランがやって来た」


このページでは、78年4月15日放映のTV番組、"ルポルタージュにっぽん「ボブ・ディランがやって来た」(レポーター:村上龍氏)の文字起こしをしています。
当時の日本でのディラン像を知る参考になれば、と思います。
◆この番組は、最近(2004年頃だったか?)再放送されました。
このため、文字起こしの意味も無くなった気がしますが、記録ということで置いておきます。
尚、文字起こしは管理人の耳によるものです。

〜音楽とともに番組が始まる〜

来日インタビュー一部

会見司会者:"Super Star.This is Bob Dylan!!"

(拍手)

日本人記者: え〜、大変にお疲れのところを誠に恐れ入ります。え〜私達はあなたの来日を長年待ち焦がれておりました。
え〜、心から歓迎の言葉を申し上げたいと思います。
あのかつてはですねぇ、あの、反戦歌、いわゆるプロテスト・ソングをですねぇ、主に歌われてたと思うんですが、愛をテーマにされた心境の変化とはどういうことなんですか?

Dylan:"They are my most beautiful love songs."

通訳:(Dylanに)"I see."プロテストの曲が自分が1番素晴らしい愛の歌だと思っています。

日本人記者1:あの、一般にですねぇ、フォークの神様と言われてますが、そのことについてはどのようにお思いでしょうか?

Dylan:"Wow,I'm not god of folk song."

通訳:(ちょっと笑いながら)私はフォークの神ではありません。

日本人記者2:それじゃ、なん・・ですか?

日本人記者1:なんでしょう?

通訳:"Then,what are you?"

Dylan:"I'm just a person."

通訳:ただの人間です。

ライヴ会場(78年2月20日)

(手拍子、拍手)

場内アナウンス

え〜、また本日、場内にカメラ及びテープレコーダーの持ち込みは一切禁止となっております。カメラ及びテープレコーダーの持ち込み、ボブ・ディランからの要望も ありまして一切持ち込みは禁止となっております。
入場する際に係員がカメラ及びテープレコーダーのチェックのために、持ち物を少々拝見させて頂きますのであらかじめご了承お願い致します。

Lonsome In My Bedroom一部(78年2月20日)

インタビュー

中山ラビ

村上龍:同じ歌手としてね、ボブ・ディランをどう思うかってことなんですけどね。

中山ラビ:私 大真面目に音楽やってると思って惚れ直しましたけどねぇ。
やっぱ、ああいう凄い人がちゃんと、ちゃんと生きてるという、ちゃんと生活して生きてると思う・・・

村上龍: ミック・ジャガーなんかは結構楽しく生きてる感じするんですけど、あれはどうですか?

中山ラビ:やっぱ、ディランだってそうなんじゃないんですか?

児島鉄平

児島鉄平:とにかく素敵だった、でも、それ以上は言いたくない(笑)

村上龍:うん。

児島鉄平:自分の1番好きな人のねぇ、もう、こう、人前にさらしているみたいな・・・そんな感じで一生懸命見てたから。
結局、今日、にっぽんにいるんだったら、にっぽんに今いるディランが好きですね。

泉谷しげる

泉谷しげる:え〜と、僕が聴いたのはねぇ、60・・・え〜とねぇ、68年ぐらいだと思うのね。
で、その頃ってのは、割とほら、学生さんが、ガッと・・・うん、まぁ、ノリまくってて、いわゆるぅ・・・、西口周辺で、ドーンとやってた頃、もう始まる頃だよね。そういうの。
で、僕なんかも丁度会社引けてね、すぐそういうところワ−ッと、こう行ってね・・・

村上龍:その頃泉谷さんはやってなかったんですか?

泉谷しげる:う〜、あのいわゆる、あの、イタヅラではしてたけど、いわゆる、そうやって、プロになる気とかそういう気は無くて、とにかく、まぁ、漫画家になりたかったわけよ。
で、自分の職業っていうのがそれしか考えてなかったからね。
音楽ってのは、まぁ遊びだと思ってて、その頃、まぁ、ディランいい、いい、って言ってるわけ。その、周りの奴が。
分かんねぇんだよ。とにかく。どれ聴いても、グニャグニャ、グニャグニャ歌っててね(笑)もう、鼻水垂らしたような歌、歌ってるでしょ。
なんでこんなのが良いの?って言ったわけ。俺は。
つまり、こう・・・生理的なところが良いって言うわけよ。
生意気言って、コノ〜!って話になったんだけどね、そこでね。

村上龍:本当は凄く好きなんでしょ?

泉谷しげる:物凄い好きですよ。だから、好きだからかえって、あ〜!好き〜!!とは言いたくないというかね、ふん!って感じでね。
軽く見てたいというか、本当はドキドキすると思いますよ。

岡本おさみ

村上龍:ディランっていうのは、好き、嫌いで言えば、どっちでしょう?

岡本おさみ:僕は凄い好きです。

村上龍:最初のコンサートに行かれたらしいんですが、どうでした?

岡本おさみ:僕は凄く構えて聴きすぎたと思うんね、1番はじめ(笑)
それで、こう、一部が終わるまでね、自分でこう、凄い肩張ってたのが、自分があって、それで多分、だから、ファンだから緊張したんだと思うんですよね。
だけど、あの、一部の休憩があった時に、なんか、そういう風に、向こうは、凄く若返って・・若返ろうとしてる感じを受けたのね。

村上龍:あぁ、ディランがですか?

岡本おさみ:うん、それで、でもお客さんは、なんかちっとも若返ってないっていう・・(笑)

村上龍:ハハハ(笑)客の方が若返ってない。

岡本おさみ:つまり、昔のこう、一杯色んなものを引きずったまま来てるっていうような感じが凄くあって・・・・

村上龍:あぁ〜。

岡本おさみ:それで、自分も・・・自分もねぇ、つまり、あの一部終わったところでね、凄い気付いたのね。
あ、今日二部はもっと楽に聴こう、と思って、で、聴き始めたら、なんか、こう、遥かなる歌の旅路というようなね、年齢みたいなものを全部超えちゃってね、なんか、あぁ、少年がいるって・・

高橋三千綱

村上龍:3年間居たんだっけ?アメリカに。

高橋三千綱:あぁ、シスコにね。アメリカつったってさぁ、サンフランシスコだけだからね。

村上龍:いつ頃ですか?

高橋三千綱:え〜とねぇ、66年から9年までかな。
あのねぇ、西太平洋岸最大の学生運動っていうのかなぁ、それはねぇ、丁度、僕は学生だったね。
うちの大学だった。

村上龍:あぁ、本当。

高橋三千綱:うん。殴られたり、な〜んてのが、丁度ベトナム戦争華やかしき頃じゃない。
ボブ・ディランってね、あんまり聴いたけどねぇ、その、今なんか反戦なんて言われてるみたいじゃない。昔言われてたの?
そういう風にして聴いてたっていう記憶が無いね。

村上龍:向こうの人も?

高橋三千綱:うん。

村上龍:あ、本当。

高橋三千綱:うん。

村上龍:やっぱり普通の、そういう歌としてさ日本で言えば、井上陽水とかさ、そういう風にして聴かれてたわけ?

高橋三千綱:そういうのだと思うけどね。

村上龍:あの〜・・・そのミッちゃんのガールフレンドなんか、そういう風に聴いてたわけ?

高橋三千綱:う〜ん・・・結局、ワインなんか飲みながらさ、流れてんのがボブ・ディランとかさ(笑)

村上龍:あぁ〜。

沢田研二

沢田研二:前から5番目のアリーナだったんですけどね、ほとんど正面で。で、顔も良く見えましたし、ボブ・ディラン自身が凄く機嫌良さそうだったし。
一部はちょっと眠かったけど、二部はま、知ってる曲なんかも3曲ぐらいかな、あって・・・結構、あの・・観てよかったなと思いました。

村上龍:あ、そうですか。

沢田研二:はい。やっぱり、大物ですしね。1ファンとして、こう・・・

村上龍:ディランが来て、やってたと。

沢田研二:えぇ、楽しんだと。

Blowin' In The Wind 一部

インタビュー2

清水哲明

清水哲明:プロテストは、まぁプロテストなんだけれども、あのぉ・・・誰でもがねぇ、どんな立場からでも、つまり、"Yes"と言えるね、賛成出来る、あの〜、歌なわけ。

村上龍:えぇ。

清水哲明:あの、だから、まぁ、党派を超えると言えばね、それまでだけど、歌で人生をね、考えるということは、まぁ、いいんだけれども、もう、それをね、またあの・・・ま、レコードなんかであの、学生なんかが、こう、やはり、こう・・・学校終わって、帰ってきて密室でねぇ、聴いてるわけねぇ。

村上龍:うん。

清水哲明:すると、なんかねぇ、そんなことしてるより、麻雀でもして酒でも飲んでさ(笑)もう少し具体的な人生にぶつかった方がいいなぁなんて気もするのね。

牛 次郎

牛次郎:終わっちゃう時、どういう終わり方するのかなぁっていうのが凄く興味あるのね。
例えば、ビートルズがああいう解散の仕方したわけでしょう。それから、ドーナッツ病でビートルズが死んだとかね、あ、いや、ビートルズ御免なさい、プレスリーが死んだとか。
まぁ、自分的には1番格好良い死に方したいんだけども。
ボブ・ディランはどうやって終わってくれるのかと。
終わりに興味があるね。
3つ終わり見てきたから4つ目の終わり、やっぱり見たいね。

立木義治

立木義治:早い時間にバ〜ンと山を散歩なさった方だから、なんかやっぱり非常に傲慢な部分は当然出てくるわけでしょ。

村上龍:えぇ。

立木義治:その傲慢な部分つーのは、写真屋さんっていうか、その映像の分野の人が1番興味を持つ、まぁ小説もおんなじだろうけども、欠陥屋人間の方がむしろ興味を、我々自身は抱くわけじゃない。

村上龍:そうですね。

立木義治:で、写真ていうのは、たった1枚の写真でベトナム戦争が終わったりとかね。
それから筑豊の子供達が幸せになったりとかね、そういうことはないわけですよ。

村上龍:うん。

立木義治:で、たかだか写真じゃないかっていうとこから出発しないとやっぱ写真が面白くなんないんでね。

つかこうへい

つかこうへい:うん、嫌いでもないけどね、あの〜、喫茶店のね、ん〜、コーヒー飲んでる時の音楽だったらいいけどね。
それ以上にしゃしゃり出られるとさぁ、おいおいチョット、チョットっていう感じになるけどねぇ。
だから、芝居はさぁ、どっか戦争に賛成しまそう・・・しましょうじゃなきゃさぁ、芝居になんないわけだからね。

村上龍:うん。

つかこうへい:でも良いよなぁ、戦争反対っつっててさぁ、金儲け出来るんだからなぁ。羨ましいよ俺りゃ。

加藤哲郎

村上龍:結局、僕自身ね、そのディランを知れば知るほどね、僕の中でさめてく部分があるわけよ。

加藤哲郎:うん。

村上龍:それはディランに関してじゃなくてねぇ、こう何かにさめていくんだよね。

加藤哲郎:そうね、割とこう、さめる時期でしょ。で、ディランもさめてる、ディランがもう今Loveを歌ったりさぁ、あの平和Peaceだとか、あの〜、小市民的な歌を物凄く歌ってるわけじゃない。
カーター大統領がねぇ、選挙のコピーに使うぐらいのこう、受け入れられ方っていうのが、キャパが違うわけだよね。

女性著名人(誰か不明)

女性著名人:今度、離婚するんでしょ?

村上龍:えぇ。

女性著名人:女の人1人幸せに出来なくて、世界は変わるとか時代は変わるとか言う資格あるのかなぁ?

A Hard Rain's A-Gonna Fall(ローリング・サンダーレビュー 一部)

高石ともや

高石ともや:去年の7月から住んでるんだけど、十字で仕切ってね、38じゃチョット広すぎるから。
ここが理科室なんすよ。で、理科室跡はねぇ水が出てるでしょ。

村上龍:38畳・・・

高石ともや:ははは(笑)

高石ともや:昔あの、ほれ、あの災害の後って、水害の後とかさ、なんかそんな水道もないところとかあるじゃない。

村上龍:えぇ。

高石ともや:なんか惨めなイメージがあったわけ。

村上龍:はははは(笑)

高石ともや:それでよそうかなぁと思ったけど、やってみたらそれほどでも無くってね。

高石ともや:要するにジョーン・バエズとボブ・ディランと僕と同じ歳だっていう意識があるんですよ。

村上龍:あぁ。

高石ともや:それでリサイタルをねぇ、半年後にやる時にそれを考えたんですね。
ジョーン・バエズだったら俺だったら全員払うと思うよ。まぁ、500円だったら500円。

村上龍:えぇ。

高石ともや:で、ボブ・ディランにも払うと思うのね。

村上龍:えぇ。

高石ともや:まだ出たばっかりの高い人がそんな、みんな何を期待してお金を払うだろうかって思うわけ。
ってのは、ボブ・ディランが、その、僕が25歳で始めるまでにやったことっていうもの、そのハンデキャップあるからね。

村上龍:えぇ。

高石ともや:そのハンデキャップをずっとやってきたような気もするね。ボブ・ディランが自分で自分の歌を歌う前にブルースをやったり、オールタイムやったり、色んな人訪ねたり。

村上龍:えぇ。

高石ともや:その育みがね、日本っていうか僕等のフォークに無かったっていうか。
その状況が日本に無いのが物凄く淋しくてね。
で、60年代の終わりからここに来たっていうのはそれをやりたくってね。
それで資料ばっかり(笑)結局、資料調査で。で、ここだったら食いつなげるでしょ。長いこと。

村上龍:今日、新幹線で京都に降りましてね、で、高石さんとこ行くっつって、ハイヤーに乗ったら、なっかなか着かないんですよ(笑)
で、運転手の人が猟師やってるとか言って。

高石ともや:ははは(笑)

村上龍:でねぇ、高石ともやって人はねぇ、一体こんな山の中でね、何をするつもりなんだろうって。
大人がね、その、ギター1本で何かするっていうのはどういうことなんだろう?って。
で、それを絶対聞いてやろうと思ってね、来たんですよ。ここに。
だから、僕馬鹿だからね(笑)相手がキャッチボールしてるとねぇ、なんかこう・・・染まっちゃうんですよね(笑)

高石ともや:ははは(笑)

村上龍:空気に(笑)空気に染まっちゃうわけ。それで、犬がいたりね、廊下にギター、ギターじゃないや、好きな絵が描いてあってね、何か分かっちゃうんですよ。肌で。
いいんじゃないかと。

高石ともや:俺としては、やっぱフォークソング、って人に出会って人生曲げられてね、こう、まだこんちきしょ〜、こんちきしょ〜って、こう、で、自分だけだったら、今度、奥さんとかも、子供までも引きずり込んじゃってるわけ。

村上龍:えぇ。

高石ともや:こう、ちょっと意地になりたがってんだね。

村上龍:えぇ。

高石ともや:と、やっぱり、もう出会っちゃって、その女に出会っちゃって、もう、とことん行くよりしょうがないんじゃないかっていう。

七字英輔

七字英輔:60年代っていうのは、輝ける年代だったですね。
つまり日本では黄金の60年代っていうけれども。
僕等の高校時代っていうのは・・・うん、まぁディランはともかくとして、ギンズバーグだとか、それから、クラークだとか、それからあの・・・まぁ今はディランを持ち上げているナット・ヘントフ(音楽評論家)とか。
つまり、教典なわけですよね。我々の。

村上龍:うん。

七字英輔: だからそういう意味での非常に近い感性なんです。ディランもね。

村上龍:うん。

七字英輔:で、あの、だから決して無関係じゃないし、そういうディランってはとっても好きですしね。自分の感性を作ってきたのも、それからそういう感性をテコにして今までこう生きてきてるのも、あの当時のつまり、一種のこう・・・何て言うのかなぁ・・・バイブレーションだっていうような気がしてますね。実感としてね。

村上龍:僕は丁度それに憧れて出てきたから、こんなこと失礼なのかもしれないですども、カウンターカルチャーっていうのがね、日本に60年代の終わり頃、果たしてあったんだろうかと考えるんですね。

七字英輔:つまり無かったんでしょうね。無かったんだということは、つまり今だから言えるんであってね。
あの、当時の我々はあったような幻想があったわけですね。
例えば、新宿西口広場なんてのがあったから、カウンターカルチャーだったわけですよ。

村上龍:えぇ。

七字英輔:つまりウッドストックにはならなかったけども、なんかそういう夢みたいなものはあったんだっていう風に考えたいっていうところは、そのまさに渦中にいましたからね。

村上龍:えぇ。

The Times They Are A-Changin'(一部)

芥正彦

村上龍:なんか質問するっていうのもあれだし、芥さん自由に話してください(笑)

芥正彦:なんかちょっと汚ねぇなぁ(笑)まぁ、ディランに関してはねぇ、だからあの、まぁ、前から意識してたっていうのかなぁ、でもあいつはデモ行かないもの。
それだけでも俺は好きだったね。特になんかあの、そのさぁ、お前なんか行ったんだろうけど、あのデモっていうのが気に食わなかったわけ。
とにかくあれをバッと切ったりね、とにかく奴等の前にバーンとでっかい鏡を置きたいっていうかさ、だから演劇になったんだとは思うんだけど。
何て言うのかなぁ、あれだけはねぇ、人間の尊厳から外れる気がしてさ、まぁ、今でもそうなんだけどね、そこはどうなの?君(笑)

村上龍:僕ですか?

芥正彦:俺はデモっていうのは一切嫌いだし。

村上龍:僕、行ったことありますよ。高校の時。

芥正彦:(笑)ま、お祭りだから行くんだろうって感じもすんだけどさ。

村上龍:ん〜、でもお祭り程楽しくなかったですけどね。

芥正彦:で、あとほら、70年代ってのはさぁ、色んな宗教の時代の前触れじゃないかって気がするわけ。

村上龍:うん。

芥正彦:だから、60年代は分かんなかったんだけど、だって、ディランだって一種の1個のほら、宗教を作ったわけだしね。

村上龍:うん。

芥正彦:俺は絶対宗教になんないつもりだけどね、まぁ、地下、ま、そういう意味ではアングラっていうのは知らないけど、地下っていうのはあるよね。
今まで1銭も稼いでないし。
とにかくだから、あの、ほら、何て言うかな・・・自分の血や汗を1ミリも、ほら、売りたくないみたいなさ。だから、君にとって地下とは何だ?っていう話を聞きたいね。
それが大体、君の80年代だと思うから。

村上龍:全くそうだと思います。

芥正彦:俺は俺だよ、やっぱりここにいるだろな。で、餓死してるかも分からんしさ。
やっぱ世の中が俺に与えてくれたものに関しては俺も俺なりに愛するからさ、それは、それで俺は返してきてるわけ。

村上龍:うん。

芥正彦:うん、だから・・・愛を告げられなくなったら、愛は無くなるな。

西岡恭蔵

西岡恭蔵:今ねぇ、1番そうありたいと願ってるのはねぇ、やっぱり魂を高揚さすこと。自分もそうだし、お客さんもそうだしね。で、例えば、今、龍さんとだったらね、2人でやっぱり何らかの形で魂を高揚させたいなっていうのね。

村上龍:うん。

西岡恭蔵:例えば、何でもいいと思うの。大袈裟なことだけどね、自分の意識もね、人の意識も、少しづつ、少しづつ、時代に即応してね、変わっていくしね。
ほんで、根本的なのがやっぱり、俺達はやっぱり時代とね、対決してる気分だと思うのね。
それを感じていたいしね、負けたくないしね。


ディランに捧げる歌 児島鉄平

Mr.Dは飛んだもう。昔に遠くて黒い国で。
飛んでしまってからたまらなく、好きになった。
僕は皮の写真を眺め、懐かしがるのが精一杯。
いつしか僕は彼の彼の子供を身篭った。
いつかあなたが言ってた。転がりつづけることはどんなだい?って。
いつかあなたが言ってた。ほんとは君と友だちになりたいって。

秋田明大

村上龍:この番組はボブ・ディランに関する番組なんですよね。

秋田明大: はい。

村上龍:それで、ディランに関することをずっと追っていくと、やっぱり、あの、60年代いっていう時代のことになってしまって、それで、こうやって車で来たんですけど、あの、僕ずっと考えてたんですよね。
何をね、聞きに秋田さんのところに来るんだろうってずっと考えたんですけど、結局なんていうのかなぁ・・・ずっとここに来る汽車の中でも考えてたんですけどね、あのう、結局僕は、あの、何かをこう、質問しに来るんじゃなくてね、なんかこう・・・秋田さんになんか、1つだけこう言いたいことがあって来るんじゃないかっていう気がずっとしてて、秋田さんから見ると僕なんかもう関係、僕も本当に関係無い人間なんだけど、僕は違うんですね、秋田さんっていう人は。勝手にあの、何て言うのかなぁ、やっぱり、今の秋田さんがどうであれ、ほんとに英雄なわけです。
僕なんかにとっては、僕の世代にとっては。
だから、何て言うのかなぁ・・・凄く言い方は悪いんだけど、これからね、僕は仕事をして行くと思うんですね。その上で、あの、僕が昔TVで観たり、それから本を読んだりしてほんとに感動した人達にね、あの、恥ずかしくない仕事をしたいなと思うんですよ。言い方が凄くおかしいんですけど。
だから、そのことだけをね、なんか、言いに来たような気がするんですね。秋田さんに。なんか・・・質問じゃなくて。

秋田明大:うん。う〜ん・・・どうなんですかねぇ・・・なんか、昔、なんかあることがどっかにあったっていうようなね、で、それはなんか、綺麗に見えるかもしれませんけどね、なんかどろどろした、それは、人間の怨念とか何とか言うんじゃなくて、どろどろして、目茶目茶ななんか・・まぁ、時代がどっかにその、あったって・・・いうことじゃないかと思うんですけどね。

村上龍: だから、勿論それは、そういうものであっただろうしね、僕なんかは、TVのブラウン管を通してしか、それから新聞を通してしか分からなかったことなんですけど、やっぱり、あの・・・ずっとそれまで18年ぐらい生きてきてね、17年か。こう・・・僕、佐世保なんですよね。で、エンタープライズへ来てから、それからあの頃、そんなぐしゃぐしゃしたものがあったんですけど、それでやっぱり、こう・・大きく僕は、変わったと思うんですね。僕自身。
僕はこれからやるんだし、その上で、あの・・・あの時の日大全共闘の闘いは僕等にとって、何て言うのかな、凄く勇気付けられたし、考えさせられたし、感動・・・あの・・・を、与えてくれた物凄くパワーがあったっていうことを言いに来たと思うんですよ。今がどうであれ。

秋田明大:うん。

村上龍:だから、まぁ、NHKの人は色々質問して欲しいのかもしれないけど、僕は本当はそれだけなんですね。

村上龍:もう東京には、全然帰ろうっていう気は・・帰ろうじゃないや、行こうって気は無いんですか?

秋田明大:いや、暇があったら行ってみようとは思いますけどね。

I Threw It All Away 一部(78年2月20日)

村上龍:ラッシュ見て思ったのは、あの・・・スパイ大作戦という映画を、TV映画を凄い思い出して、あの中で主人公が、あの、「おはようフェリップス君」という始まりで、そしてあのテープでは、「ところで君の使命だが」っていう風に始まるんですよね。
それで、その、この番組のここまでは、結局、その・・・資料をね、提供してるだけで、「ところで君の使命だが」っていうのは無いんですけども、う〜ん・・・恐らく、その「ところで君の使命だが」っていうのは僕がこっから出て行って、家に帰っても見付かんないんじゃないかと思うんですね。
それで、その・・・その次のやつは、結局、絶えず、こことは違う場所、こことは違う場所にあって、あの、その違う場所に行くには、やっぱり飛ぶしかないんだろうと思います。
ただ、沢山の人にあって疲れましたけど、みんなそれぞれ、生きててね、生きてるっていうのは単純なことだけど、あの、凄いなと思いました。
ただでも生きてるだけじゃ、全然つまんないから、その・・・「ところで君の使命だが」っていうのが大事でそれを探すために、ほんと、飛ばなきゃいけないんだなぁと、そう思いました。


Dylan in Japan / 1978年 初来日