VALE-TUDO ROCK DRIVE’N ROLL | |||||||||||
◆バンド名:DRIVE’N ROLL(ドライヴンロール)◆ | |||||||||||
まずはDRIVE'N ROLLの読み方、「ドライヴンロール」。 “DRIVE AND ROLLをかっこよく縮めたのがDRIVE’N ROLL ぶっちゃけ、このバンド名の読み方は、とてもよく間違われる。 | |||||||||||
◆ジャンル:VALE‐TUDO ROCK(ヴァーリトゥード ロック)◆ | |||||||||||
ヴァーリトゥード・ロックとは過激なダンスミュージック! 色んな音楽ジャンルは勿論、映画やスポーツ・格闘技、 ファッション、・・・ 様々な文化・芸術を取り入れた DRIVE’N ROLL独自の激しくオシャレなダンス・ロック。 そもそもヴァーリトゥードとはポルトガル語で 「何でもあり、全てが有効」という意味。 DRIVE’N ROLLは面白いコト・思い付いたコトなら 何でもやる理論・理屈なんて無視する 脳みその柔らかいROCK集団なのだ。 | |||||||||||
◆英語歌詞の理由◆ | |||||||||||
DRIVE’N ROLLは英語歌詞にコダワっている。 何故ならROCKという音楽を演るには英語歌詞が 一番カッコイイから。 日本で活動する日本人のバンドなのに、何故 全曲・全部が英語歌詞なの? 日本語歌詞の曲も 作って欲しいと言われる事が、よくあります。 日本語歌詞で唄っているバンドは、どれもこれも ヴォーカル・歌が、J−POP(歌謡曲)です。 ギターやドラムが激しくロックンロールしていても ヴォーカル・歌は、やっぱりJ−POP(歌謡曲)です。 日本語の響きやリズムではロックにならないのです。 海外のバンドと歌を比べれば、すぐわかるコトです。 DRIVE’NROLLにとっての歌詞は、言葉で何かを 伝える事より、響きやリズムを最優先します。 ロックは音楽、音の世界ですから、その言葉の意味より 言葉の持つ響きやリズムが一番大切なのです。 発音はどうなの?という疑問をぶつけられる事もあります。 しかしロックは会話ではなく唄ですから、正確な発音は あまり必要ありませんし、 海外には様々な国のナマリがある唄が存在します。 DRIVE’N ROLLは日本人の邦楽バンドですが 楽曲を聴いてみて、どうでしょう? まるで 洋楽ロック、本来のロックのように感じませんでしたか? 英語圏でない国でも本格的に活動しているロックバンドは 英語歌詞である事が多いのです。 ロックを演るのに英語で演るのはごく普通の事、当たり前の事なのです。 つまりロックは、英語歌詞がベストな音楽なのです。 だからDRIVE’N ROLLは全曲全部、英語歌詞なのです。 | |||||||||||
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◆DRIVE'N ROLL History◆ | |||||||||||
HIROとnaoyukiが中心になって結成。当初はバッド・ボーイズ・スタイルのアメリカン・ハード・ロック・バンドだった。
HIROとnaoyuki以外のメンバーはコロコロと変わり、ライヴ活動も思うようにいかない状態なのでとりあえず1st.デモテープを製作し約200本を売る。 そのテープは音楽誌『バンドやろうぜ』で紹介され、ギターテクニシャンの高橋氏に「GUNS'N ROSESを彷彿とさせる、若さ爆発!ハードロックンロール」と高く評価される。 HIRO談:当時はガンズとかモトリー、スキッズに憧れてたもんだから、観に来た客にもライヴハウスの人間にもケンカを売るような、んまぁ〜〜短気で態度の悪いヴォーカリストでした。ロック=デカダンスという時代だったしねぇ…。naoyukiをはじめ、
当時のメンバーは随分とヒヤヒヤした事でしょう。 | |||||||||||
1996年 | 2ndデモ・テープを製作。これも約200本売る。 この頃から都内、および近郊のライヴハウスを中心に月に1〜3本のペースでライヴ活動を行う。 HIRO談:ライヴを始めたばかりの頃は当然、演奏もパフォーマンスも何もかもが未熟でファンなんて一人もいないような状態。客が数人しかいないような会場で活動する時期もあったねぇ。しかし他のバンドには無い、溢れるようなエネルギー&ハイテンションで少しづつではあるがファンを獲得してゆき、名前を売ってゆく…って今でも似たようなモンかっ?! | ||||||||||
1997年 |
3rdデモ・テープを製作、800本を無料配布する。 そのうちの1曲が大阪有線のインディーズ番組で取り上げられ、5日間にわたって繰り返し放送される。
そして某インディーズレーベル主催のライヴイヴェントに出演したことがきっかけで同レーベルのオムニバスCDに参加。2曲提供、リリースされる。
HIRO談:とりあえずCDを出した。新星堂とかで自分たちが参加しているCDを発見したときは、かなり嬉しかったモンである。 naoyuki談:それまではデモテープだったからね。“CD”として店頭に並んだのは正直嬉しかった。って、でも。。。こういう事は言うべきではないかもしれないけど、俺にとっては出来上がりは結構満足出来なかったね。音楽的にも俺らだけ浮いてたのは事実だし、全ての面において、レーベルとのセンスの違いは俺は感じたからねぇ。 | ||||||||||
1998年 |
そのCDに提供した2曲が音楽雑誌『バンドやろうぜ』で紹介され、音楽出版・編集部・有名インディーズレーベル社長の3人に「ヴォーカルの声が最高、エアロスミスを彷彿とさせるハードなR&R」と絶賛される。
HIRO談:ごく小さな記事とは言え、やっぱりメディアで取り上げられ褒められると嬉しいモンである。それも天下のエアロスミスに例えられたんだから、そりゃ〜舞い上がる。 naoyuki談:俺のことって何か褒めてなかったのかよっ! | ||||||||||
1999月 | 東京FMの『エモーショナル・ビートさんしろうSIDE』でDRIVE’N ROLLが取り上げられ代表曲がオン・エア。
HIRO談:ラジオである、ラジオ!それもスペイン坂でヤッてるあのエモーショナル・ビート!普段は超有名アーティストの曲ばかりがオンエアされてる番組である。いったい何万人が聴いているんだ〜〜と思うと鳥肌がたった。 | ||||||||||
2000年 | ライヴ活動を休止して、完全なる自主製作にてアルバムをリリースする事が決まり、準備を始める。
HIRO談:ただひたすらライヴをヤル事に疑問が出てきた。同じ時間と、お金をかけるなら、CDを出してみて聴いてもらって自分達の魅力を広く世間に問いたかった。 | ||||||||||
2001年 |
インディーズ・レーベル“D−RECORDS”を立ち上げ、1st.アルバム『→FOLLOW,DROWN↓』を全国の有名・大手インディーズ取扱CDショップを中心にリリース。
発売後、音楽雑誌『バンドやろうぜ』で紹介されるが、3人の評論のうち某メジャーレーベルのディレクター並木氏には酷評されるも、フジパシフィック音楽出版と、某有名インディーズレーベル社長からは高い評価を受ける。 また、音楽雑誌『ブレイヤー』でも紹介され、角田氏から「プログラミングを駆使した。アグレッシヴなサウンドは、まさに音の洪水とも言える程カラフルな仕上がり。多彩な音楽性が交錯しているが、ダンサンブルかつ刹那的という一つのスタイルに集約されており、完成された音の世界をモノにしてる」と非常に高い評価を受ける。
HIRO談:スーツを着てネクタイを締め、ビジネスバッグにはバンドの紙資料とサンプルCD。CDショップを一軒ずつシラミ潰しに回る飛び込み営業というモノを初めてやった。あえて大手有名店ばかりをターゲットにした。交渉が成立して飛び上がるほどの喜びを覚えたり、ウザそうに追い返されたり…。ミュージシャンというプライドはいっさい捨てて“売る”という目的のタメにペコペコ忍耐できるなんて…。HIROも成長したモンである、ホント良い勉強になった。 | ||||||||||
2002年 | 不定期ではあるが、再びライヴ活動を再開させる。 このHPを開設! naoyuki談:って、俺だけやでー、HTML勉強して、シコシコ更新してるのっ!誰か褒めてやーっ。 | ||||||||||
2005年 | LIVE活動を休止させ、再び初期のスタイル、HIROとnaoyukiで、更なる進化を求めデモを作成する事を決意。不定期ながら、HP上で無料配布中! | ||||||||||
最後まで読んでくれた!?ありがとうね。 | |||||||||||
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