Dec 2001 |
約2週間のUK Tourを開始。 |
Dec 2001 |
初のDVD/Video "More Than Us: Live In Glasgow"をリリース。 |
Nov 2001 |
第1回 Top Of The Pops Awards Best Albumを受賞。これでAlbum賞は2冠目。当日はGeorge Harrison氏へのトリビュートも披露。 |
Nov 2001 |
約1ヶ月のNorthern Europe Tourを開始。 |
Nov 2001 |
MTV Europe Music Awards に出演。"Side"を演奏。 |
Oct 2001 |
Q Awards 2000で、Best Albumを受賞。3年連続のQ Awards受賞となる。 |
Sep 2001 |
5回目のUSツアーをサポート・アクトにRemy Zeroを従えて開始。 |
Sep 2001 |
2nd Single'Side'をリリース。初登場第14位。 |
Aug 2001 |
Reading Festival初日のMain Stageのヘッド・ライナーとして登場。FranのとさかがPink色に変化。 |
July 2001 |
SingaporeでColdplayとのジョイント・ライブが実現。 |
July 2001 |
2度目の来日。約1週間滞在し、プロモーション、ショーケース・ライブ、Fuji Rock Festival 2001への出演を果たす。 |
June 2001 |
4回目のUSツアーを開始。今回はDIDOとのジョイント・ツアー。 |
June 2001 |
3rd Album'The Invisible Band'をリリース。初登場第1位。4週連続No.1を記録。 |
May 2001 |
3rd AlbumからのFirst Single'Sing'をリリース。初登場第3位。BandのSingle史上、最上位を記録した。 |
May 2001 |
New Albumの発売に先立って、UKで2001年度初のLiveを行う。 |
Mar 2001 |
New Albumのタイトルが'The Invisible Band'に決定。発売は6月、First Singleが'Sing'になることを発表。 |
Feb 2001 |
2回目のレコーディングをLA Oceanway Studioで開始。Webcamも再び配信開始。 |
Dec 2000 |
New AlbumのレコーディングをLondon Air Studiosで開始。レコーディングの模様はWebcamを通して、40秒毎に画像を配信続けた。 |
Oct 2000 |
Q Awards 2000で、Best Live Act In The Worldを受賞。2年連続のQ Awards受賞となる。 |
Oct 2000 |
FranはLA Universal AmphitheatreでのLive中に長年の恋人であるNoraと婚約したことを発表。次のAlbumに収録される予定の新曲'Flowers In The Window'を彼女に捧げた。 |
Sep 2000 |
3回目のアメリカ・ツアーを開始。 また、US限定シングル('Turn', 'Why Does It Always Rain On Me?' バージョンの 'Baby One More Time(VH1 'Storytellers')'を収録)をリリース。 |
Jul 2000 |
初のオーストラリア/ニュージーランド・ツアーを開始。 |
Jun 2000 |
Glastonbury 2000の2日目Main Stageのヘッド・ライナーを勤める。 |
Jun 2000 |
Single 'Coming Around' をリリース。初登場5位を獲得。 |
May 2000 |
Travisのレーベル、IndependienteはAlbum 'The Man Who' がイギリス国内で200万枚のセールスを超えたと発表。 |
May 2000 |
FranはIvor Novello Awardsで、Best Contemporary Song('Why Does It Always Rain On Me?') と、Songwriter Of The Year(Album 'The Man Who')を受賞し、UKを代表する作曲家の仲間入りを果たす。憧れのポール・マッカートニーから賞を受け取る。 |
Apr 2000 |
Album 'The Man Who' をアメリカでリリース。このUS盤には昔のSingleのB Side曲から2曲が追加されている。 |
Apr 2000 |
3ヶ月に及ぶ2回目のアメリカ・ツアーを開始。今回はOasisのサポートとして参加。Neilは奥さんが出産間近な為ツアーには参加せず、Bo Walshが代理ドラマーとして参加。 |
Mar 2000 |
Album 'The Man Who'がイギリスのAlbumチャートの第1位に返り咲いた。トップに返り咲くのは3回目。これはBrit Awards受賞の影響と思われる。 |
Mar 2000 |
Travis は2つのBrit Awards、Best Band と Best Album('The Man Who')を獲得。 |
Feb 2000 |
アメリカでのAlbum 'The Man Who'の発売に先立って、アメリカ・ツアーを開始。 |
Jan 2000 |
Album 'The Man Who'がイギリスのAlbumチャートの第1位に返り咲いた。 |
Nov 1999 |
Album 'The Man Who'から、Single 'Turn'をリリース。第8位。 |
Oct 1999 |
Q Awards 1999で、Reviewで星2つの評価だったにも関わらず、Best Single('Why Does It Always Rain On Me ?'を受賞。賞レースに向け、幸先の良いスタートを切る。 |
Sep 1999 |
初来日。東京、名古屋、大阪、計4公演のクアトロ・ツアーを行う。 |
Aug 1999 |
Franが生まれたStaffordshireで行われたV99に出演した日に、Album 'The Man Who' がAlbumチャートの第1位を獲得。 |
Aug 1999 |
Single 'Why Does It Always Rain On Me?'をリリース。"Travisは我々が必要とするヒーローではない。しかし、非常に美しくやさしい、そして悲しい曲を書くバンドである。"
NMEより。第10位 |
Jun 1999 |
Glastonburyに出演。'Why Does It Always Rain On Me?'を演奏したとたん、空から雨が。ロック・アンセムが生まれた瞬間である。 |
May 1999 |
2nd Album 'The Man Who' をリリース。 プロデューサーにはNigel Godrich (Radiohead) とMike Hedges (Manic Street Preachers)を迎えた。タイトルはOliver Sacks著の精神分裂症の症例集、'The Man Who Mistook His Wife For A Hat'から付けられた。 NMEのレビューでは6点(10点中)。NMEはこのレコードを"バラードの詰め込みすぎ" と解説。そして1st Albumの"激しさ"が減っていることを残念がった。音楽雑誌はもっと痛烈で、その内2誌は2点と採点。初登場第5位 |
May 1999 |
Single 'Driftwood' をリリース。第13位。しかしNMEは辛口の批評。この曲が "時間の無駄で中途半端に良い"と説明。 |
Mar 1999 |
Single 'Writing To Reach You' をリリース。第14位。 "たとえこの曲が以前にどこかで聞いたことがあって、それがOasisの'Wonderwall'だったとしても、Travis素晴らしい仕事をした" とNMEは絶賛した。Franはこの年沸き起こった、盗用疑惑を認めた。BBCラジオで "どうしていけないの? ただコードを拝借しただけなのに"と語った。 |
Jun 1998 |
2nd Albumの作成後、休暇を取った。 1st Albumの時と大きく違い、6ヶ月にも及ぶレコーディングになった。また6つの異なるスタジオを使用し、フランス、ノルマンディーの the Chateau De La Rouge Motte studioには3週間滞在した。 |
Mar 1998 |
Single 'More Than Us'をリリース。このEPにはOasisのNoelがギターで参加した"All I Want To Do Is Rock"のライブ・バージョンが収められた。 NME はRadioheadに好意的にたとえた。"感情的に高揚させられる曲。ただシンプルに感情に忠実で、穏やかに悲しいギターの音と声・・・" 順位不明 |
Jan 1998 |
1998年の Brit Awards Best Newcomer にノミネートされた。しかし賞はStereophonicsが受賞した。 |
Oct 1997 |
Single 'Happy'をリリース。 "非常に素晴らしい曲" とNMEは簡潔に評した。順位不明 |
Sep 1997 |
1st Album 'Good Feeling'をリリース。このAlbumはたった4日間でレコーディングされた。プロデューサーはSteve Lillywhite。第7位. NMEのレビューでは8点(10点中)。NMEはこのAlbumを絶賛し、 "たくましく鮮やかで、時々美しい" そしてこのAlbumを "スリリングで際立ったポップ・ソングを書き上げることで、感情の爆発を表現することに成功している"と評した。 |
Sep 1997 |
Travisは11日間のオアシスのイギリス・ツアーにサポート・アクトとして参加。 |
Sep 1997 |
日本のTV番組の収録を兼ね、London AstoriaでLiveを行う。この時のフロント・アクトはイエロー・モンキー。 |
Aug 1997 |
Reading Festivalの2ndステージに出演し、来年はメイン・ステージに昇格することを約束した。 |
Aug 1997 |
Single 'Tied To The Nineties' をリリース。第38位。 |
Jun 1997 |
Single 'All I Want To Do Is Rock'を再リリース。 "エモーショナルなパワー・ポップ"の一つであると、NME は絶賛した。 第39位。彼らはNoel Gallagherが彼らのファンであると聞き、強力なサポーターを得た。 |
Apr 1997 |
Catatoniaのイギリス・ツアー にサポートとして参加。 |
Apr 1997 |
Single 'U16 Girls'をバンドの1st SingleとしてIndependienteからリリース。
第40位。 |
Oct 1996 |
Travisは デビュー EP, 'All I Want To Do Is Rock'をFranの母親からお金を借りて、自主レーベルRed Telephone Box labelからリリース。 たった750枚しか作られなかったが、NMEはこれを Single Of The Weekとして取り上げた。 |
Sep 1996 |
Travis はMcDonaldと契約し、彼の新しいIndependiente labelの初めてのバンドとなった。 |
Jul 1996 |
FranはGo Discs! label の社長、Andy McDonaldとKing's Cross近くのWater Rats Venueでのギグの後に会った。彼はTravisのデモテープを聞いて彼らと仕事をすることにすぐに興味を持った。 |
Jun 1996 |
ロンドン移転の為の休暇中に、Neilは結婚した。 |
Apr 1996 |
Sonyとの契約金を使って、 FranはDougieとロンドンへ旅行し、リハーサル場所を北ロンドンのGreen Lanesに見つけた。 |
Mar 1996 |
グラスゴーでのTrash Can Sinatrasのギグのサポートの後、FranはMartyn兄弟が彼の音楽的ビジョンに会わないと感じ、Glasgow School of Artで彫刻を専攻していた古い友人のDouglas Payne(Bass)をベースとしてバンドに誘った。しかし彼はグラスゴーのジーンズ・ショップで働いており、今までに楽器の演奏すらしたことがなかった。 |
Jan 1996 |
Franはレコード発売に関してSonyと契約をした。これは小さな前進だった。 |
Jan 1995 |
アメリカのエンジニア、Niko Bolas (Rolling Stones/Neil Young) がRadio Scotlandでのセッションを聞いて彼らと仕事がしたいとオファーしてきた。彼らはスタジオで4日間一緒に過ごした。 |
Jan 1994 |
グラスゴー周辺をメンバーのMartyn兄弟(Bass, Keyboards)らと演奏し回ったが、全く活動に進展はなし。この頃バンド名をTravisに変更した。このバンド名は映画、'Paris,Texas'の中でHarry Dean Stantonが演じた役名に由来している。 |
Jan 1991 |
Fran Healy,はGlasgow School Of Artに入学後、Horseshoe pubでNeil Primrose(Drums)と出会った。彼は"Glass Onion"というバンドで同じGlasgow School Of Artの学生だったAndy Dunlop(Guiter)と共に活動していた。Franはその後、シンガーとして参加。音楽活動を中心にすべく、Franは大学を中退した。バンドはNeilが働いていたPubの上の階で練習を行っていた。 |