今イギリスのミュージック・シーンで最も注目を浴び高い評価を得、しかも実力も十分に伴っているニューカマーといえば、トラヴィスをおいて他にはいないだろう。これだけ正攻法のロック・メソッドに則りつつ2000年に向かって跳ぼうとしているバンドは珍しい。甘いルックス、人生の喜怒哀楽を緩やかに込めたメロディ、力強くソリッドなギター・ワークと激しくも艶やかな唄声。トラヴィスはまるで、ロック・バンドに必要不可欠な要素を全て兼ね備えているかのようだ。しかも、昨年秋にリリースされた自主制作盤デビューシングル“All I Want To Do Is Rock”は限定700枚を一瞬のうちに売切り、今年初旬にインディペンディエンテからのメジャーデビューを果たす前に、既に雑誌やテレビの音楽番組に頻繁に登場していた。そして、シングル“U 16 Girls”を1枚リリースしただけの「新人」バンドとしては異例の早さでロンドンの老舗ヴェニュー・100 Clubで2daysをソールド・アウトにしている。こりゃあ相当にやり手で、かなり生意気な奴らに違いないぞ、ルックスもいかにもいけ好かないアートスクール系だし……と勝手に先入観を抱いていたのだ。が。
ひょんなことで知り合った彼らは、グラスゴー訛りまるだしの、実によく喋りよく笑う、気取ったところのまるでない朴訥な好青年たちだった。今回ロンドン・アストリアでの公演前に敢行されたインタビューも、ほのぼのした雰囲気の中で行われたが、ヴォーカル・フランの余りのかわいさに緊張したインタビュアーは終始無言(だってすごいかわいいんだもん。すごい好みの顔してんだもん)。ごめんなさい。それと、フランとベースのドギーの必要以上の仲の良さもちょっと気になった(笑)。
ちなみに、この日のギグは大盛り上がりの大成功!トラヴィスの骨太で繊細で、かつ力強い光に満ち溢れたライヴは必見!である。トラヴィスは、英国屈指のベスト・ライヴ・バンドでもあるのだ。
BUK:まず始めに、トラヴィス結成のいきさつを教えて下さい。
フラン(F):「トラヴィスが結成されたのは、1991年で、僕がドラマーの彼(ニール)にグラスゴーのバーで出会ったことが始まりなんだ。」
ドギー(D):「これが重要な出会いだった訳だね。僕はその頃グラスゴーの靴屋で働いていて、そこでニールと知り合ったんだ。フラニーとニールはグラスゴーにある同じアートスクールに通ってて、その頃からニールはドラムをプレイしていたんだよ。」
F:「アートスクールでの生活は退屈なものだったけどね。とにかく、僕はそこでギターのアンディとも出会った。アンディは別のバンドをやっていて、僕にバンドに入らないか、って言ってきたんだ。ヴォーカルを探してるんだ、って。音楽なんてやったことなかったから、何が自分に出来るのか判らなかったんだけど、とにかくバンドに入ってみたんだ。バンド活動は楽しかったよ。アートスクールがつまんなかった分ね。そのバンドはアートスクールにいる間は続けていたけど、僕がアートスクールを辞めて、それで終わった。でも、僕はアートスクールを出て2年になるけど、未だにこうしてバンド活動を続けている訳なんだ。僕はアートスクールにいる間、ずっと自分の絵を完成させることが出来なかった。アイディアは頭の中ですっかり組み立っているのに、それを形にすることが出来なかったんだよ。それで学校を辞めて…。とにかく、何かやってて楽しいことをやろうと思って、バンドに専念したんだよね。で、スコットランドにいる間は、たくさんたくさんギグをやったんだ。なんかトイレみたいな場所でばっかりやってて、僕らはそれを『トイレ・ツアー』なんて呼んでるんだけど(笑)、だってすごく狭くて余り素敵な場所じゃなかったからさ。
その後プロデューサーに出会ったんだけど、これも単なる偶然というか。彼はニール・ヤングの“フリーダム”っていうアルバムや、キース・リチャーズと3枚のアルバムで一緒に仕事をしているような人なんだ。その彼がちょうどマイク・スコットの仕事をやっている時に知り合ったんだよね。で、彼は若いヴォーカリストを探してて。彼が僕らのことを気に入ってくれて、僕らを特訓してくれたんだ。4日間、フルタイムで唄い方から演奏の仕方までね。でも、どういうふうにプレイするか、というのは実はそんなに重要ではなくて、僕らが何をプレイするか、というのが重要なポイントだったんだ。それから6カ月間休みをとって、その後“All I Want Do Is Rock”をレコーディングしたんだ。それからアコースティック・セットの小さなツアーをやって、パブリッシャーが決まった。その時点ではトラヴィスは5人編成で、ドギーはまだアートスクールに通ってて、バンドには参加していなかったんだけどね。
でまあ、その時期に曲をとにかく書きまくって、練習をいっぱいやったね。ベースとキーボード…この2人は兄弟だったんだけど、彼らが抜けてそれで、このドギーが加入した訳なんだ!ドギーッ!!」
D:「イエーッ(笑)」
F:「で、トラヴィスはベスト・メンバーの4ピースとなったんだ。僕らはお互いのことを5年以上も知ってるし、とても仲がいいからさ。だから、ドギーはもともとベースなんてやってなかったんだけど、そんなことはどうでも良くて、とにかく彼が入ってくれたことに意義があるというか…。まあ、その後彼は練習練習練習の日々だったけど。週に15〜16時間とかね。それから、1996年の6月1日にみんなでロンドンに移ってきたんだ。その理由の一つは、僕らが今まで描いてきた場面の背景がずっとグラスゴーで、いい加減飽きてきた、ということなんだけど。それで僕らはビッグ・バナナにやってきたんだ。」
BUK:ビッグ・バナナ???
F:「ニューヨークはビッグ・アップルでしょ。だから、ロンドンはビッグ・バナナ。」
D:「ロンドンは僕のカタチにちょっと似てるんだよ〜(笑)」
F:「(笑)彼、立派なプレイヤーなんだけどね、これでも(笑)。とにかく、すぐにレコード会社との契約が決まって、その直後にアルバムのレコーディングに入ったんだ。それが1996年の12月。レコーディングはニューヨークのスタジオでやったんだけど、そこはジェフ・バックリィが“バリー・エンジェル・フォー・オートマティック・ピープル”をレコーディングしたところなんだよ。ボブ・ディランもそこでレコーディングしたりしてて、なかなか設備の整ったスタジオなんだ。それで、アルバムと、シングルのB面の曲なんかを録音したんだけど。レコーディングも曲作りも、それなりに大変な作業ではあったけどね。だって、僕らはまだ結成して6カ月そこそこのバンドだったんだから!」
BUK:ロック・スターになりたい、というのは子供の頃からの夢だったんですか?
F:「ううん、全然!確かに子供の頃かあさんに、『僕、大きくなったら有名人になりたい!』って言ったことがあるような気がするんだけど。でもね、グラスゴーは小さな都市だから、そこで裕福になりたいんだったら、ロック・スターになるか、テレビに出る芸能人になるしかないんだよね。」
D:「それか、弁護士ね(笑)。」
F:「僕はね、建築家になりたかったんだ。他にも色々なりたいものはあったけど…結局ロクでもない奴になっちゃった(笑)。でもドギーは小さな頃からスターになりたかったんでしょ?」
D:「うん。10歳の時だったかな、学校で『大きくなったら何になりたいですか』って訊かれて、『スターになりたい』って答えた記憶があるよ。」
アンディ(A):「良かったな、スターになれて(笑)」
D:「うるせえ(笑)」
F:「そういう有名になるチャンスって、自分では気付かないうちにやってきたりしていてね。」
BUK:実際あなた方は、デビュー前からテレビの音楽番組に出演したり雑誌で取り上げられたりして、新人にして早くも注目を集めてきましたよね。
F:「そうだね。これぞ名声を得る過程、って感じでね。確かに僕らは少しずつそういう名声みたいなものを勝ち取ってきたと思うよ。でも、それは、とても理解のあるいい人たちが音楽業界に働いていて、僕らを支えてきてくれたからだと思うんだ。そう、運が良かった、って言えるんじゃないかな。僕らはまるで子供みたいで、自分たちでは何だかよく判らないまま幸運に恵まれたって感じだよ。すごく不思議な、手品みたいなことが次々に起こるんだ。一つ起こるとそれがどんどん次を引き起こしていくっていう。」
D:「ドミノみたいにね。」
BUK:では、そのように「期待の大型新人!」みたいな扱いを受けることをどのように感じていますか?
F:「うん、それは事実だもん(笑)!でも、僕ら自身では、何も前と変わっていないよ。インタビューとか受けても自分じゃ読まないし、たまに雑誌に載ってる写真は見るけどね。なるほど、って感じで。」
D:「男前に撮れてた?」
F:「まあね(笑)。そう、雑誌は写真を見るくらいだし、テレビはね、見ないから。ラジオも聴かないんだけど、たまたま偶然自分が出て、曲が流れているのを聴いたことがあるんだけど、退屈だったかも(笑)。そんな感じだから、自分たちが変わったとか、自分たちはスターなんだ、なんて思ったこともないよ。」
D:「誰も僕たちのことなんて知らないよー、ってね(笑)。みんながみんな自分たちのことを知っているなんて思えない。もっともっと自分は小さいんじゃないかな、って感じるんだ。」
F:「でもね、注目されるのはいいことだと思ってるんだよ。それだけみんなが僕らの音楽を聴いてくれる機会も増える訳だし、それで自分たちの士気もあがるというか。情熱を傾ける術がある、っていうのは一番大切なことなんじゃないかな、って思うんだ。働いて働いて、ギグ演ってギグ演って、曲書いて曲書いて、それで誰かに訴えるものがあれば、いいことだと思うんだ。」
D:「だから、なんか最初の一点をクリア出来ればあとは割合スムースに行くんじゃないかな。」
BUK:ではこの辺で少々ファーストアルバムについてお訊きします。このあるアルバム『Good Feeling』にはライヴと同様のヴァイヴがあるというか、ライヴ・サウンドっぽい音作りと構成になっていると思いました。これは最初から意図されたものなんでしょうか?レコーディングに入る前に予め何かコンセプトのようなものはありましたか。
F:「このレコーディングは、本当に短い期間に行われたものなんだ。アルバムの録音そのものは4日位でやって、ミックスには全部で2週間かかってる。ミックスは結局2回行われたんだ。プロデューサー/ミキサーのスティーヴ(・リリーホワイト)がモリッシーのミックスに入って、作業が中断したからね。もう一回最初からやり直し、ということになったんだ。だから、このアルバムからライヴっぽい印象を受けるのも解るよ。次のアルバムは、もっと凝った音作りになるんじゃないかと思うけどね。…昨日テレビでやってたスティービー・ワンダーの番組観た?『クラシック・アルバム』っていうタイトルだったと思うけど。なんかね、アルバムの曲を色々なミュージシャンたちとセッションするだけの番組なんだけど、その、セッションから生まれてくる音がとてもエネルギッシュというか、とてもいい雰囲気の中から湧き出てくる感じだったんだ。そういう音のほうが、綿密に作り込まれた音よりよっぽどいいんじゃないかと思ったんだよね。」
D:「みんなで一つの部屋に集まってセッションしながら音を出していくほうが、僕らには自然なことなんだ。」
F:「“U 16 Girls”のB面に入ってる“Hazy Shades Of Gold”を録ってる時にさ、僕はギターやドラムのテンポとかレベルをモニターで確認しながら唄ってたんだ。でも、ドギーがその僕の前に立ちはだかってて、全然他のメンバーの状況が判んないんだよ(笑)。『おい、ドギーちょっとどけよ』って言ってんのに、何回も何回もわざと同じことする訳。その度に唄録り直しでしょ。『この****野郎!お前オレの美しい声を潰す気かっつーの!(爆笑)』。もう、ホントにどうしようもないヤツなんだよ、こいつ(笑)」
D:「まあ、そんなふうに和気あいあいとレコーディングするのが僕らの性に合ってる、ってことで(笑)」
F:「朝の4時までだらだら飲んでて、突然アイディアが浮かんでレコーディング始めた、なんていうこともあったよ。『よし、いっちょやるか!』って(笑)」
D:「グラスは全部どけて(笑)」
A:「よっしゃ!充電完了!(笑)」
F:「そうやって出来ていった曲をうまくまとめあげてくれたプロデューサーは、本当に優れた人だったと思うよ。」
BUK:ザ・シーホーセスのジョン・スクワイアがギターでゲスト参加していると聞いたんですけど。
F:「ううん。彼はファースト・シングル、“U 16 Girls”のジャケットのアートワークをやってくれたことがあるけど、ギターを弾いてもらったことはないよ。」
BUK:なんだ、嘘だったんだ。では、タイトルを『Good Feeling』にしたのは何故ですか。
F:「“Good Feeling”っていう曲が入ってるから。内容的には“Feeling Good”のほうが正しいかも知れない。いい気分になる、って大事なことだし、僕らのキーワードみたいなものだと思ったから、このタイトルにしたんだ。この曲はシングルのB面にもなってるんだけど、どれがB面だ、なんてレコード会社が決めることであって、僕らは『これはA面、これはB面、これはアルバム用の曲』なんて区別して作ってる訳じゃないから。B面、て嫌な呼び方だよね。」
ニール(N):「アルバムのタイトルに特に思い入れなんてないし、今の僕らに一番ピッタリなのが“Good Feeling”っていう感じだったから、じゃ、それでいいや、ってそのまま使ったんだ。」
BUK:判りました。では、例えば“Tied To The 90s”を始めとして、このアルバムには楽観主義と悲観主義の両極が描かれているように思うのですが…。
F:「僕はいつでも楽観的な人間でありたいと思ってるんだ。」
BUK:そのように、人間の感情の2面的な部分を描くというのが、テーマとしてあったりするんでしょうか。
F:「分裂的、ってことかな(笑)。でも人間は誰でも、両極的な矛盾のなかで生きてると思うんだ。それが僕らの曲にも自然と反映されてる、ってことじゃないかな。」
D:「で、人間の多くはその両極において、楽観的な考えのほうを選択しているんだよ。」
BUK:では、どういったものからアイディアやテーマを得て曲作りをしてますか。
F:「ええっと、ジョニ・ミッチェルの『ブルー』っていうアルバムがあるんだけど、それを聴きながらね、彼女にこんな素敵なメロディが書けるなら僕にも書けるんじゃないかな……とか思いながら書いてるんだ(笑)。最初に聴いた時は『わ、すごい!』って感動しただけだったんだけど、自分なりにその感動を解決する方法を編み出したというか。心にひっかかる部分を拡げていって別の曲に仕上げるという感じ。クラシックな曲やアルバムを聴いて、それにインスパイアを受けて曲を書くことが多いよ。歌詞のテーマは、たわいないことが多いと思うけどね(笑)。」
D「曲はね、そうやってインスパイアを受けたもののコンテクストを並べ替えるというかさ、パクるんじゃなくて、幾つかのポイントを並べ替えて別の曲にするんだ。クエンティン・タランティーノが『レザボア・ドッグス』を映画にした時、そうやって文脈みたいなものをまるで無視して、アドリブみたいに撮影を進めていって、あとから起承転結のある話にまとめた、って聞いたよ。」
BUK:昨今のイギリスのミュージック・シーンは、「ストレート・ロックの王権復古」というか、よりストレートでダイナミックなロックに回帰する傾向にありますよね。例えばオアシスやクーラ・シェイカー、オーシャン・カラー・シーン……。こういった傾向をどのように捉えているか、教えて下さい。
F:「いい面と悪い面の両方があるよね。リスナー側が激しいものばかりを求める傾向になるのは困ったことだと思うけどね。それに、ストレートで古典的なロックン・ロールって、その形式みたいなものに気をとられすぎているような気がするんだ。ダイナミックなロックの中にだって、もっと静かで優しくて、ハートフルな曲があってもいいと思うんだ。」
F:「まあ、もちろん僕はそういうオーソドックスなロック・バンドにいてよかったと思ってるけどね。ただヴォーカルがいて、ギターがあって、ベースがあって、キーボードがあって……コンピュータで音楽を作るより、よっぽど楽しいと思うよ。」
F:「それに、60人編成のオーケストラを使ったりとかね。もちろん、それは悪いことじゃないっていうか、オーケストラを使った音楽も素敵だとは思うんだ。でも、それをロックに用いるっていうのは、まるで意味がないような気がする。お金の無駄だよ。」
BUK:でも、とあるストリングス構成を取り入れているポップ・バンドの人が、こういうオーケストラ編成にすることによって自分のロマンチシズムを表現することが出来る、と言っていたのですが。
F:「ああ、全くその通りだと思うよ!でも、最後には、そんなこと言ってた人だって、ストレートなロックに帰っていくんだから。表現に限界を見てしまうのさ。結局、単純なロック・サウンドのほうが表現に幅がある、ってことに気付くんだよ。」
D:「さもなきゃ、毎日楽団を引き連れて行進しなきゃなんないしね(笑)。」
BUK:(笑)判りました。ところで、あなた達はノエル・ギャラガーのお気に入りのバンドだそうですね。
D「彼がそういって僕らの名前を口にしてくれたりするのはとてもいい宣伝になるし、僕らのことを気に入ってオアシスのサポート・アクトに指名してくれるのは嬉しいことだよ。でも、重要度、という意味で言ったら、他のファンの人達となんら変わったところはないけどね。誰が一番大事なファン、ということはないのさ。」
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Travis QT (865KB)
BUK:では、近々日本に行かれるとのことですが、
F:「うん。でも来年の話だと思うよ。楽しみにしてるよ。」
D:「もうちょっとだから待ってて。すぐに行くよ。待ちきれないな!」
F:「僕の友達のプリテンダーズが日本に行って、とても素晴しかったって言ってたよ。日本のファンはとても誠実で、熱心で、親切で。全く違う文化、っていうところにも興味があるね。君は自分の国の文化をどう思う?」
BUK:えっ。う〜ん、もちろん自分のベースになっていますから、好きですけど。でも、あなた達の文化とは全然違うと思います。考え方とか……。
F:「そこが面白いところなんだよね!違うものに触れる、っていうのがさ。」
BUK:フロント・アクトのイエロー・モンキーをどう思いますか?
F:「いいバンドだよね!うん、リハーサルでちょっと見たけど、いいと思うよ。70年代風だよねえ。彼らすごくポピュラーなんだね。音楽もいいし、人もいい人達だったよ。あと、Tシャツがかっこいいんだよね(笑)。あれ欲しいなあ。あとで絶対頼んでみようっと。」
BUK:こういう、多国籍というか、違う国のバンド同士が一緒にやる、というのはどうですか。
F:「素晴しいね!」
N:「特に日本人のファンの人はとても熱心というかさ、すごく盛り上がるって聞いたよ。」
F:「1900人の人達がこのアストリアに集まってる、ってだけでも興奮しちゃうのにね!」
*追記:大盛り上がりのステージ終了後、フランは無事イエロー・モンキーのボーダー長袖Tシャツをゲット!打ち上げでも、自慢げに着ていました……。