Closing Time

Ol' 55
I Hope That I Don't Fall in Love with You
Virginia Avenue
Old Shoes (And Picture Postcards)
Midnight Lullaby
Martha
Rosie
Lonely
Ice Cream Man
Little Trip to Heaven (On the Wings of your Love)
Grapefruit Moon
Closing Time (instrumental)



トムがアサイラムとの契約を結んだ後、コーエンは、プロデューサー、ジェリー・イエスターに連絡を取った。
モダン・フォーク・カルテットやラヴィン・スプーンフルを経てプロデューサーとなり、ティム・バックリーの作品を手がけた人物だ。
コーエンは、モダン・フォーク・カルテットのマネージャーでもあり、当時すでにアソシエーションのセカンド・アルバムなどをプロデュースしていたイエスターの手腕を高く評価していた。
イエスターは、トムと面識がなかったので、彼を自宅に招いた。するとトムは、家に入るなり、イエスターのピアノの前に座り、演奏を始める。
その演奏を聴いた瞬間、イエスターは、トムを気に入り、プロデュースを快諾したのだった。

こうしてハリウッドのサンセットスタジオで1stアルバム"Closing Time"のレコーディングが始まる。
できあがった作品は夜のイメージを持っているが、実際の録音は毎日10時から17時までの間に行なわれた。(予約が埋まっており、その時間帯しかスタジオが使えなかったのだ)
だがこのことは、良い意味で参加メンバーに影響を与えたと言えるだろう。
健康的な時間帯に限られた時間で集中したメンバーは、今なお人々を惹きつけて止まない傑作を完成させたのだから。

レコーディングに要したのは1週間半という短い期間。その間メンバーは、ブースを特に設けず、全員の機材を置いた同じ部屋で、和やかに演奏を行った。
主な参加アーティストは、全員イエスターの友人で、ベースのデヴィット・ヴァット、ドラムのジョニー・サイダー、ギターのピーター・クラインズ。
殆どの曲は、この基本メンバーで録音され、いくつかの曲では、ストリングス・カルテットが加わった。

もっとも全てが順風満帆というわけではなく、トムとイエスターはアルバムの方向性で対立していた。
2人は話し合い、シンプルな作品を作ることで合意したものの、トムが標榜したのはピアノ中心のジャジーな作品。一方イエスターはよりフォーキーなイメージを描いていた。

スタジオでは、右も左も分からないガキみたいなもんだった。レコーディングって作業を前にして、手も足もでなかった。

初めてプロのレコーディングに望み緊張していたトムは、イエスターに任せる他なかったが、ウッドベースやミュートトランペットの音を入れることは譲らなかった。
こうして作られた"Closing Time"。トム自身はフォークとジャズの間でどっちつかずの作品になったと述懐しているが、これは謙遜というものだろう。
リリースされたのは、フォークとジャズが程よく入り混じり、情景を喚起させる名盤だった。

1. Ol' 55
"One, two, three, four..." トムの静かなカウントから輝くようなピアノで始まるオープニング曲。
アルバムを代表する1曲であると同時に、永遠に色褪せない傑作といっても過言ではないだろう。
幸福の女神を乗せて、夜明けに恋人の元から家へと車を飛ばす。まさに路上讃歌ともいえる歌詞は勿論、それを瑞々しく歌いあげるトムのヴォーカルも印象的だ。

トムによれば、この曲を書いたきっかけは、友人ラリー・ビーザーとのエピソード。
カー・デート中にガス欠となったビーザーは、トムにガソリン代を貸してくれと頼んだ。
トムは快く応じたのだが、ビーザーの車は、'55年型のキャディで、バックでしか走れなかったらしい。
もっともこれはエンターテイナー・トムが話を盛っただけだろう。
多くのファンは、Ol'55とはトムの愛車だったビュイック・ロードマスターを歌ったものだと信じている。彼はビュイック・ロードマスター、ビュイック・センチュリー、ビュイック・スーパーの55年型を所有していた。

コーエンは、かつて彼が手掛けた女性シンガー・ソングライター、ローラ・ニーロの時と同様、有名アーティストに、トムの曲をカヴァーさせることによって、トムの知名度を高めようとした。
この結果、イーグルスは本作を1974年の作品"On The Border"でカヴァーしているが、トムは「イーグルスのアルバムのいいところは、ターンテーブルの埃よけになることぐらいかな」と答えている。
他にもEric AndersenからLisa Bassenge Trioまで沢山のカヴァー・ヴァージョンがあるが本作を超えるものはない。

イエスターは述懐する。「Ol'55はいい曲だ。僕らはあの曲にはまり、ひたすら歓喜にひたっていた。みんなで腰を下ろして、1stテイクを聴いていると、(ドラムの)ジョニーがハーモニーをつけて歌いだした。その声を聴いていると、マイクの前で歌えよと言いたくなるぐらいだった。トムも凄く気に入っていたし、2人の声質はぴったりだったんだ」

2. I Hope That I Don't Fall in Love with You
"Ol' 55"に続いてトムのカウントからスタートするのは、バーで恋に落ちる男を歌ったナイーヴかつ優しいバラードだ。
イエスターはこう語る。「物語ソングの傑作だよ。(トムの)ギターがすごく気に入っているんだ。どこか変わっているところがね。彼ならやるだろうって分かっていたけど、聴くたびに新鮮なんでびっくりさせられるよ」
"I hope that I don't fall in love with you"という歌詞がラストで"I'm just fallin' love with you"に帰結する流れは、後の作品の歌詞世界の原型ともいえる。

3. Virginia Avenue
ミュート・トランペットがアルバムのジャジーな部分を強烈に引き出しており、本作が同時代の他のソングライターと一線を画すことを如実に示している一曲。

4. Old Shoes
"Wild Horses"や"Sweet Virginia"といった(後に兄弟分となるキース・リチャーズがいる)Rolling Stonesの匂いも感じさせるアコースティック・ナンバー。
デュエット・ヴォーカルは恐らくジェリー・イエスター。

5. Midnight Lullaby
一度流れをスローダウンさせるようなピアノのイントロダクション、そして再び登場するミュート・トランペット。
"童謡を聴きながらお休みの時間だ"と歌い、ラストでは"Mocking Bird"のコーダも登場する。
60年代よりも一世代前、まさにトムの父親の時代の映画のストーリーのような古典的な世界観は、トムのバックグラウンドを示唆しているとも言える。

6. Martha
曲中の語り手トム・フロストは40年も前の恋人に電話をかける。
違う道を歩み異なる家庭を持ちつつも、かつて確かに愛し合っていた恋人。
電話越しに彼女を想う男の染み入る感情をストリングスが盛り立てる名曲。アルバム中でもとりわけ詩情あふれる1曲で、ティム・バックリィが74年の作品"セフロニア"でカヴァーしている。

7. Rosie
"Martha"がかつての恋人を歌っているのに対し、この曲で登場するのは、片想いの相手Rosie。

窓に腰掛け、ホーンを吹く。起きているのは月と俺だけ。

情景が目に浮かぶかのような歌詞、そして明るさと暗さ(メジャー調とマイナー調)が同居しているようなサビのメロディーはトムならでは。
控えめなボンゴ・ドラムも、邪魔にならずしかし、くっきりとコード進行に陰影を与えており、後半でトムは冒頭の歌詞をかみ締めるかのように再び歌っている。個人的には本作屈指の名曲だと思う。

8. Lonely
手に入らない愛への想いを"Rosie"とは異なった側面から切り出している。
ここで歌われるのは失恋の絶望感。
ピアノだけの伴奏が孤独感を、そしてサステイン・ペダルで引き伸ばされた音が喪失感を見事に演出している。
トムが演者としても一流であることは、サウンド越しにも明確に見て取れる。

9. Ice Cream Man
"Ol'55"とともに本作を代表する名曲。
高いポジションでピアノ(と鍵盤を叩くリズム)⇒ベースラインが加わり、ウッドベースが加わっていくというイントロダクションの巧みさ、そこから(本作で最も)速いテンポで歌われる韻を踏んだワンマン・バンドのストーリー。エレクトリックギターもヴォーカルの間を縫うように歌っており、一流のジャズ・ロックといえる。
ラストで夢のように消えていくチャイム音まで1秒も無駄のない作品。

10. Little Trip to Heaven (On the Wings of your Love)
本作中でも特にトランペットが活躍する、ジャズ色の強い1曲。
"Ice Cream Man"で上がったテンションをゆっくりと落とす優雅な曲調が印象的だ。

11. Grapefruit Moon
ピアノ、ヴァイオリンというシンプルな構成で演奏される感動的な1曲。
ジェリー・イエスターは素材の良さを引き出すことに全力を注いだのだろう。

12. Closing Time
ラストを飾る感動的なインストゥルメンタル。トムがイエスターに「インストゥルメンタルで何かやらないか?」と提案して作られた。
当初なかなか曲もタイトルもまとまらず危うくレコーディングから外されるところだったが、イエスターの「いっそのこと(タイトルは)"Closing Time"にしようか」という発言でタイトルが決定。
日曜日の夕方頃に急遽、イエスターが沢山のミュージシャンに電話をかけ、集めた3人のミュージシャンとともにレコーディングされた。
メンバーは、ジェシ・アールリッチ(チェロ)、アーニ・エギルソン(ベース)、トニー・テラン(トランペット)。エギルソンは呼び出された時はバーベキューの最中でいい具合に酔っていたらしい。
イエスターは、このレコーディングを振り返り、こう語る。「終わった後も、誰ひとりその場を離れようとしなかった。めったに経験できないような素晴らしいマジカル・セッションだったんだ」


"Closing Time"は、名曲の詰まった傑作であり、評論家からの受けも良かったが、セールス的には期待外れだった。だが、後に多くのアーティストが名盤として本作を挙げることになる。


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