心 月 輪




良 寛 漢 詩
(東郷豊治 編)





団扇 画かざる意 高き哉

纔に丹青を著くれば二に落ち来る。

無一物の時 全体現わる

華有り 月有り 楼台有り。


「なにも描かれてない白うちはこそ深い含蓄があるというものだ
少しでも色彩が塗られたら二級品に堕ちてしまう。
なに物も描いてないとき、すべてがあらわれておる。
白扇の中に花がある
月がある
楼台がある。」




縦い恒沙の書を読むとも

一句を持する如かず。

人有りて 若し相問わば

如実に自らの心を知れ。


「たとい万巻の書物を読破したところで
真の言葉を一つわきまえているのにしくはない。
その真の言葉とはなにかと問うなら
ありのままにおのれの心を知れ
と答えよう。」





清夜 二三更

策を執って門を出でて行く。

藤羅 相連接し

石路 何ぞ羊腸たる。

棲鳥 其の枝に鳴き

玄猿 我が傍に嘯く。

望かに無量閣を望み

濶達 上方に到る。

老松 皆 千尋

冷泉 寒漿湧く。

天風 吹き断えず

弧輪 太蒼に掛かる。

閧ュ高欖に倚って立てば

飄として 雲鶴の翔けるが如し。


「すがすがしい真夜中に
杖をとって門を出てみる。
フジやツタカズラが行けどもつらなっており
石だらけの山路はけわしく曲がりくねっている。
樹木をねぐらにしている鳥が枝で鳴き
くろ猿がわたしの近くまで来て唸ったりする。
やがて向こうに無量閣が見えてくる
上方に達するとあたりがひろびろと開ける。
どの松も古く数百丈もあり
境内の泉につめたい水が湧いている。
風はやまず吹き
月が大空にかかっている。
しばらく高いてすりに
よりかかって立っていると
この身が鶴になって
ふわりふわりと
大空を飛んでいるような気持ちだ。」





遥夜 草堂の裡

払拭す 龍唇琴。

調は白雲を干して高く

声は碧潭に徹りて深し。

洋々として 万壑に盈ち

颯々として 千秋に度る。

鍾子期に非るよりは

箇中の音を弁じ難し。


「夜ながに庵室の中で
龍唇琴をもち出して拭き清める。
弾いてみると
その調は上は天界の白雲より高く
下は緑色の深淵の底までとどくほど。
谷という谷に満ちひびき
年という年に鳴り渡る。
このような名琴の曲を
ほんとうに聞きわけ得るものは
かの鍾子期を措いて外にはおるまい。」





寒夜 空斎の裡

香烟 時 巳に遷る。

戸外に 竹 百竿

床上に 書 幾編。

月出でて 半窓 白み

虫鳴いて 四隣 禅なり。

箇中 何限の意ぞ

相対するも 也 言なし。


「がらんとした夜寒むの部屋に
香炉の煙が久しく立ちのぼっている。
戸外には竹が数百本生えており
床の上には数冊の書物があるばかりだ。
月影がさして窓の半分が明るくなり
虫が鳴いてあたりは静寂だ。
この中にあって
私の気持ちは千万無量だが
この風物とむきあったまま黙っている。」





鳶は喬木の 巓に巣くい

黄雀は其の株に聚まる。

鳶は雀をして雛を啄ましめ

雀は鳶に憑って烏より護る。

此の物 猶尚 爾り

両箇 互いに扶く。

如何ぞ 其れ人と為りて

彼此 相誅することを作す。


「鳶は高い樹のてっぺんに巣をつくり、
雀はその樹の根株のあたりに集まっている。
そして、
鳶は雀をして雀自身のひなに餌をついばませ、
雀は鳶のおかげで烏の危害から身を護る。
このように鳥でさえ両者が相互扶助を行なっている。
人間ともあろうものが
なんで
お互い相手を殺し合っているのだ。」





裙子は短く 褊杉は長し

騰々 兀々 只麼に過ぐ。

陌上の児童 忽ち我を見

手を打ちて齊しく唱う 放毬の歌。


「身に着けている上着は長いが、袴は短く
ただうっとりとした気分で骨惜しみをせず、
あるがままに過ごしている。
路端の子供たちはすぐに自分を見つけて
手をたたき声をそろえて毬つき唄をうたいだす。」





袖裏の繍毬 直千金

謂う 言 好手 等匹なしと。

箇中の意旨 若し相問わば

一 二 三 四 五 六 七。


「私の袖の中にいつも入っているあや糸の手毬は値千両と申してよい。
毬つきにかけては、私ほどの上手は世に比類がなかろう。
毬つきの極意をもし教えてくれというなら
一 二 三 四 五 六 七
それだけ。」





也 児童と 百草を闘わす

闘い去り闘い来って 転 風流。

日暮 寥々たり 人帰って後

一輪の名月 素秋を凌ぐ。


「子供たちと草引きごっこをして
何回も何回も飽かずに遊んでいると、なかなか風雅なものだ。
日暮れて子供らが立ち帰ったあとはたださびしく
秋をわがもの顔に月がポッカリ昇っておる。」





索々たり 五合庵

室は懸磬の如く然り。

戸外 杉 千株

壁上 偈 数編。

釜中 時に塵あり

甑裡 更に烟なし。

唯 東村の叟ありて

頻に叩く 月下の門


「五合庵のわびしさは
部屋の中に一物として見るべきものもない。
戸外は多くの杉木立に囲まれ
壁上に偈を数編貼りつけてあるばかり。
釜は時折いないから中にちりがたまり
せいろうもいっこうに炊烟をあげない。
ただ東方の村の老人だけが
しばしばこんなわびしい庵にも
月下に遊びにきてくれる。」





東山に 明月出て

楼上 正に徘徊す。

君を思えども 君見えず

琴酒 誰か 為に携えん。


「東山の上方に明月が出たので
月を観にたかどのにのぼって歩きまわる。
君の身をしきりにおもうが、君は遠くに離れていて会えぬ。
君でなくてだれが私のために
琴や酒を携えて来てくれようか。」





朦朧たり 春夜の月

手を携えて 歩 遅々。

忽ち人語の響に驚き

水禽 翼を皷って飛ぶ。


「おぼろ月の春のよる
友人と手を携えて、ぶらりぶらりと散歩する。
俄かに水鳥が翼をうって飛び立ったのは
二人の話し声に驚いたのだろう。」





青山 前と後と

白雲 西 又 東

縦い 経過の客あるも

消息 応に通じ難かるべし


「前も後も緑の山
西も東も白い雲
そんな環境にわしが住んでいるのだから
たといそばを通り過ぎる客があっても
こちらの様子はわからぬであろう。」





仏は是れ自心の作

道も亦 有為に非ず

爾に報ず 能く信受して

外頭に傍うて之くこと勿れ

ながえを北にして越に向うも

早晩 到着の時あらんや


「ほとけはひっきょう自分の精神が作りだす問題であり
みちも作為でつくり出せるものではない。
君にお知らせする、この趣意をよく合点して
横道にそれないようにせよ。
南の越に行くのに、車のながえを北に向けて進んだのでは
いつになっても到着する時があるものか。」





言語は常に出で易く

理行は常に虧け易し。

斯の言の出で易きを以って

彼の行の虧け易きを逐う。

弥 逐えば 則ち弥虧け

愈 出だせば 則ち愈非なり。

油をそそぎて火聚を救う

都て是れ一場の癡。


「言葉を口に出すのはいつもやさしく
道理にかなった行いはいつも欠けやすく
安全とはいかぬものだ。
出し易い言葉で、欠け易い行いを逐かけるのでは
逐えば逐うほど行いは欠け
出せば出すほどいよいよいけない。
あたかも火事を消すのに油をかけるようなもので
全くたわけた話しである。」





指に因って其の月を見

月に因って其の指を弁ず。

此の月と此の指と

同じに非ず 復 異に非ず。

将に初機を誘わんと欲して

仮に箇の譬子を説く。

如実に識説し了らば

月もなく 復 指もなけん。


「指で月を示すともかんがえられるし、
月で指を知るとも考えられる。
この場合、月と指は同じものではないが、
さりとてちがったものでもない。
この比喩は初学者を導くため、
仮に説かれるのだが、
その道理がそのままわかれば、
月もなく指もなく、
本来無差別なることを会得するだろう。」





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