「 笛 」


むかし、京都に博雅(源博雅)という笛吹きの名人がいました。
三位の位を得ていましたので「博雅の三位」と呼ばれていました。
ある晩、博雅の家に四、五人の盗賊が入りました。
物音に気づいた博雅は急いで布団から身を起こすと
板敷きの板をあげ、床下に潜り込みました。
奥さんや娘さんは、親戚へ行っていてその晩は留守でした。
盗賊は、誰もいないことをいいことに
手当たり次第みんな盗み出してしまいました。

博雅は盗賊が行ってしまった頃を見計らって床下から這い出ました。
見ると、着物も掛け軸もお金もみんなありません。
「ははは・・・よくこれだけ綺麗に持っていけたものだ」
博雅は大口を開けて笑いました。
「なまじっか、物を持っているから悪いのだ。
人間は何も持っていないのがいい。
どれ明け方までもう一眠りしようか」
博雅は寝床に入ろうとしましたが
何気なく枕元の厨子棚を見た時
普段から大事にしていた竹の細笛が残っているのに気づきました。
「ありがたい。この笛には盗賊も気がつかなかったようだ」

博雅は細笛を吹きたくなりました。
博雅は立ち上がり、庭に向って静かに笛を吹きはじめました。
およそ二、三十分も夢中になって吹いていましたでしょうか。
後ろに人の気配がして振り返ると
男が畳に両手をついて控えていました。
「さぞ驚きになったことと存じます。私は先ほどの盗賊です。
どなたもいらっしゃらないのを幸い
手下と一緒に欲しいものを持ち出しました。
車に乗せて住処へ戻ろうとしました時
ふいに後ろからなんともいえないよい笛の音が聞こえてきました。
はじめは何の気なく聞いたいましたが
そのうちだんだん笛の音に引き付けられ
一歩も前へ進めなくなりました。
今まで自分のしてきた悪い行いが
あなたのお吹きになる清い笛の音に対して恥ずかしくなり
こうして駆け戻って参ったのです。
先生、どうか私の罪をお許し下さい。
そして私を弟子の一人にお加え下さい」

博雅は盗賊の真心にうたれ、罪を許し、弟子にしました。
ところが覚えの早いことといったら
他の弟子を追い抜いて、またたく間に上達していきました。
四、五年のうちには
博雅の数ある門弟の中でも五本の指に入る上手になり
七年目には一番弟子になりました。
”用光”というのが、この人の名です。

ある年、用光は故郷の土佐へ戻りました。
その帰り道、船で淡路島の沖にさしかかった時、海賊に襲われました。
用光は今殺されようとする時に
海賊頭に
「私は実は笛吹きだが
一生の名残に笛を吹かせてもらいたい」
と頼みました。
許された用光は、心静かに好きな短い曲を吹きました。
すると不思議なことに
盗賊頭はその曲に聞きほれ、用光が吹き終わると
「先生、あなた程の名人を殺してしまうのはもったいない」
といって、そのまま用光を難波津まで送って来てくれました。

あとでこのことを先生に話したところ
先生は
「そうか、お前の腕前も名人の域に達したわい」
と大層褒めて下さいました。
後に、用光は師匠の博雅にかわって朝廷に仕え
長くその名を後の代まで残しました。

(小島政次郎)




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