3月のヤンガー日記


2004年3月27日(土)

 多くの会社は此の時期決算期、それ故我が会社(印刷系)は今とてつもなく忙しい。本日はフラニーライブの日なのだが、会社を休むわけにもいかず、出勤である。セッティングはメンバーまかせ、リハも充分出来ないだろう、非常に申し訳ない。仕事を終え、早々に駆け付けるが、ゲストであるSSOMのタカハシさんより遅い到着に。面目ない。

 毎々言っているのだが、忙しい活動の合間を縫って行われる定例フラニーライブの選曲は本当に苦労する。今回は「どフォーク」で演ったナンバーを花巻でも再演することにした。なかなか苦し紛れである。「桜三月散歩道」「なごり雪」「帰れない二人」、そしてタカハシさんを迎え「22才の別れ」「時代」を。

 第二部はうってかわって最近旬であるクイーンの「We Will Rock You」でスタート。本当に何でもアリだな。手拍子をそのまま活かして同じリズムでオリジナルの「mamoland」につなげる。素晴らしい構成だ(自画自賛)。フラニーライブは昨年の12月のライブをピークとしてイマイチ客足が伸びていない。が、本当に音楽の好きな仲間たちが集まって聴きに来てくれるせいか、この日も非常に雰囲気が良く、お客さんにはとても盛り上げていただいた。

   

 今回も楽しいライブとすることが出来て良かった。お客さんは少ないけど、少しでも我々の音楽を聴きたいという方々がいる限り、ライブを、音楽を届けたい、それはそれで非常に幸せな試みなのである。


2004年3月20日(土)

 春分の日。土曜日の祝日は損した気分。KW2Uはもりげきライブが終わっても定例フラニーライブ、そして4月のにっか亭ライブに向けて練習である。いつものなはんプラザが予約出来なかったことで、この日はkatsuの会社の第二事務所を借りての練習となった。今年に入ってからのハードスケジュールは、体力的にもキツイが、何より次のライブまでのスパンが短いため、ライブ自体の構想がイメージ出来ない、イコール純粋に練習自体の方向性が定めにくい状況になっている。よって曲の内容も、指向性も定まらないあやふやな練習になってしまった。反省。練習前の決め事、コンセントレーションはかなり大事だと実感する。

 夕方に練習を終え、夜は飲み会のためT村のR一郎宅へ向かう。諸事情で延び延びになっていた新年会だ。総勢12名が三々五々集まって来る。お好み焼き、刺身(魚介、馬刺)その他たくさんの料理をいただく。メインはあまりにも有名な煮豚。この日はR一郎が私専用に特盛煮豚丼を作ってくれたので、しばらく他の料理に箸が回らなくなってしまった(それでも「煮豚」は翌日タッパーにお土産としてもらって帰った)。料理を満喫し、最近会社で流行っている「マリオカート」(古っ!)に熱中。楽しいひとときであった。

   

 

 現在仕事が超忙しいため、今日は休みであったが明日日曜日は休日出勤である。一応準備もして来たし、お酒もかなり飲んだので、そのままR一郎宅にお泊まりさせていただいた(会社に近いし)。翌日、まだまだ爆睡するタカちゃん、コムを残して一人会社へ向かう。ツライな〜。仕事中、昨晩のメンバーの一人、カミが通りすがりにマックの差し入れをしてくれた。有り難い。


2004年3月17日(水)

 さて、本日は「もりげきライブ」本番です。内容はライブレポにアップしておりますのでご覧ください。ここでは、私のフォーク雑感を少々。(今回の写真はライブレポ未掲載PHOTO。文章にはリンクしていません。)

 中学校に入学した頃の私は音楽にはまるで興味のない、いや、むしろそれを苦手とする少年でした。当時私のクラスでは、終礼後に好きな歌を合唱するという変わった習慣がありました(生徒の投票により週単位で選曲された。主に歌謡曲)。その時に歌われた1曲がかぐや姫の「神田川」でした。また、隣のクラスにはギターを弾く少年がいまして、よく踊り場で彼の弾くギターと歌を聴いていました(この男Tくん、後に高校生であるよしだかずを氏を今の道に引きずり込む張本人である)。

 中学2年、友人がギターを購入して初めてそれに触ってみる。彼の弾く陽水の「東へ西へ」を見て、何か自分にも弾けそうな気分になり、親戚から白いガットギターを借り(当然ピックガードを付け、スチール弦を張る)、練習を始める。初めて自分なりに弾きこなした、と納得出来たのが、今回ライブでも演奏した「22才の別れ」であった。シャッフルのスリーフィンガー、初心者には難しい曲だけに、この曲を弾けた時に得たカタルシスは強烈だった。だが、リードギターのイントロを弾く時に妙な違和感が残った。「音が何か違う・・・。ちゃんと譜面通り弾いているのに」私はそう思い譜面を凝視した。五線譜の「ファ」の位置に「#」の印がある。「#」って確かシャープ?半音上がるってことだよな。いくら音楽が苦手とはいえその程度の知識はある。でも「半音」ってどうやって上げればいいのだ?目の前にフレットが刻まれている。ひょっとしてこの1フレットは半音か?試しに「ファ」の音を1フレットずらして弾いてみる。

ザー!

 海峡がまっぷたつに割れて道が開けるイメージ(モーゼの十戒)。これだ!これが半音だ!ギターは1フレットで半音を区切り、多弦で和音を表現する楽器だったのだ!その瞬間自分は今の自分を形成する「音楽」の50%を悟った。それほど運命的な瞬間だったのだ。音楽のまるで苦手だった一少年は自分の力で自らの「音楽」を発掘したのだ。

 その後、新聞配達のアルバイトをしてフォークギターを買いました(このギター、1万5千円のスズキ製。古いけど、思いでがあるので処分出来ず。現在ギター練習中の若者に貸し出し中)。しかし、クラブ活動に忙しい私は特に同級生の間でギターを弾く機会もなかった。中学3年夏、バレーボールの県大会に破れ帰って来た私は敗戦の寂しさの中にもどこか爽快感があった。明日からはギターとともに生きるのだ。

 同じクラスになっていたTくんとコンビを組み、活動を開始した。レパートリーはかぐや姫、風、吉田拓郎、赤い鳥など。と、いっても小学校横の城跡の公園でのストリートライブが中心。でも楽しかった。教室でみんなと「翼をください」を歌った。後輩の女の子の家に招かれ「落陽」を歌った。自宅で「妹」をライブ録音した。酒を飲んで好きな女の子のことを話しながら「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌った。仙台に引っ越すJくんの送別会で「なごり雪」を歌った。唯一の公式ステージは文化祭で合唱部の伴奏だったなあ。目標にしていた予餞会のライブは、ある不幸な事件のおかげで中止になってしまった。このためTくんとのコンビも解散状態に。悲しかった。

 高校に入った私は迷わずギター部に入部、と思いきや、その部のあまり活動的でない雰囲気が納得出来ず、より音楽的な向上を目指して無謀にも吹奏楽部に入部。あの頃は本当に音楽的にストイックだったんだね。吹奏楽をやったおかげで私はミュージシャン内でも譜面、音楽理論にかなり強くなりました。また、クラシックからポピュラーまで様々な音楽を吸収したなあ。そんな見聞を経て、大学時代からはベースを始めることとなります。ただ、そのおかげでフォークとは、それを極めることなくお別れしてしまいました。

 そんな、色々な「思い」を呼び起こさせるライブとなりました。出演者、関係者、ご来場の皆様、本当にありがとうございました。そうそう、中学の同級生であるM夫妻が観に来てくれました。「とても楽しかった」とメールが来た。あの頃の事を思い出してくれれば幸いです。

 岩手を去るじゅんじゅんには特に気の利いた言葉のひとつもかけることが出来なかったなあ。でも、我々の姿を見ていくつになろうとも音楽は楽しいもんだ、そんな事を感じ取ってくれれば嬉しいなあ。ミスチルの「くるみ」のビデオクリップのように。


2004年3月14日(日)

 今日は17日の「もりげきライブ」でのセッションの練習だ。SSOM、荒谷社中、KW2Uがそれぞれ演る曲とは別に、全バンドのメンバーが集って2曲演奏する。こんな機会は結構ありそうでなかなかないものだ。しかも錚々たるメンバーとの共演、とても楽しみである。

 1時にキャラホール集合。続々とメンバーが集まり、円座となり各々がウォーミングアップや練習に余念がない。セッションの曲はかぐや姫(風)の「22才の別れ」と中島みゆきの「時代」である。いよいよ練習開始。「22才の別れ」はSSOMも荒谷社中も持ち曲なのでスムーズに進行する。そのうち、自然とパートが形成されていく。リズム班では私のベースとみゆきちゃんのパーカッションの入るタイミング等何度か試して決定する。ボーカル班(タカハシさん、荒谷さん、katsu、かめ)では歌のパート分け、ハモリの確認がなされる。リードギター班(エンディさん、斉藤さん)ではオブリガードをどう決めるかで議論が交わされている。

  

 日頃はライブで演奏を聴く機会があっても、練習を一緒にすることはない。こうして練習している姿を見ていると、また新しくメンバー個々の姿や役割が浮き彫りになって非常に面白い。荒谷さんは想像通りのムードメーカーではあるが、その蓄積された経験からバンドをぐんぐんと引っ張って行く大きな推進力がある。タカハシさんは皆の意見をまとめ、現実の形としてまとめあげる調整能力に長けている。さすがは編集長だ。エンディさんは具体的なサウンドメイクを提示し、バンドの「色」をコントロールする(驚くほど自分の立場と同じである)。斉藤さんはギター職人。徹底的に自己のサウンドを追究する。まだ若いみゆきちゃんは主張することなくプレイに専念しているが、とかく熱くなりがちな面々の中で冷静にリズムを見据えている。KW2Uははたして他のメンバーにどう写ったのだろうか?

 かめの歌う「時代」は多くのメンバーにとっても初めての曲であったが、決め事をしっかりと確認することにより、演奏はまとまって来た。そして練習は終了。さあ、あとは3日後の本番だ。頑張ろう。


2004年3月13日(土)

 来週の「もりげきライブ」のために「なはんプラザ」で練習を行う。テーマは「どフォーク」だ。先月までWSとしてロックをやっていたKW2Uが今度はフォークだ。自ら選んで参加したとはいえkatsuは少し不安気であるようだ。かめは楽しんでいるようで、小道具やネタを何にしようか考えている。

  

 練習終了後はお招きにあずかりふじね夫妻宅の飲み会へ。お友達のマツイくん、スエミさん、アイちゃんもいた。パスタやピザ、美味しいイタリアンをいただく。今日は何とふじね君の誕生日だったそうだ。一言いってくれればよかったのに〜。まほちゃん手作りのババロア風ケーキを持ってニッコリ。まほちゃんも包丁を持ってニッコリ。例によってギターを弾いて歌いまくった。帰りは結構雪が降っていた。春までもうちょっとだな。


2004年3月9日(火)

 盛岡クラブチェンジにて2回目のライブ。今回はプロシンガー山口晶さんの前座である。平日、しかも年度末の超繁忙期の折り、会社の仲間たちを集客することが出来なかった。私自身も忙しく、ライブ直前だというのにどうにも残業せざるを得なかった。katsuも遅れているらしく、かめから「一人でさびしいっす〜」とメールが。何とか仕事を片付け会場にむかう。

 本日の出演者は他にPink Meklanchoria Brancket Band、リボルバー、じゅんじゅんである。Pink〜は岩大のバンド。とてもいい感じのJ-POP風のサウンドであった。リボルバー、じゅんじゅんはお馴染みの仲間たちだ。リボとはなにしろ3日前に一緒に演ったばかり。今回はメインではないので共演などという実験的なことは出来ないが、さすが二人とも安定したステージングを見せた。トークもなかなか乗っていた。続いてじゅんじゅん、本日盛岡最後のステージということで、何とお母さんが見にいらっしゃっていた。歌、トークをもっと聴きたかったが、打ち合わせ、準備のため楽屋へ。

   

 楽屋では本日のメイン、山口晶さんがウォームアップ中であった。KW2U挨拶。気さくな感じの中にプロ独特のオーラを持ち合わせた人柄にやや圧倒されつつも打ち合わせに入る。「ROSE」を軽く音合わせしていると、何と晶さんのギターがからんでくる。むむ。そのうちなぜかブルースセッションに発展。3コードのブルースはミュージシャンにおいて共通の言語。何も語らずとも、お互いプレイするだけでその音楽性のバックボーンまで見えてくることがある。音楽って素晴らしいと実感するひとときだった。セッションを終え、とても和やかな打ち解けた雰囲気が漂った。

 

 さて、出番である。「Give Peace A Chance」をイントロに。いい感じに手拍子も入って来た。続いて意表を突いてオリジナルの「mamoland」へ。終盤に演ることの多いこの曲をあえて始めに持って来た。早くもベースソロ。前回テンパっていたkatsuはなかなか落ち着いているようだ。今回は曲の流れとMCに留意してステージ構成を考えたが、結局はkatsuのペースでMCは進められた。まあ、彼がペースをつかめたということで良しとしよう。曲は他に「ROSE」「Redemption Song」「Sweet Maria」そして2月のkatsuのソロで好評だった「Forever Young」で終了。

 続いて山口晶さんのステージとなった。2台のNationalのギターをオープンチューニングにして使い分け、ソロとは思えないきらびやかなサウンド、伸びのある歌声と聴きごたえのある楽曲、さすがはプロである。特に「よだかの星」は美しいアルペジオと歌メロがとても印象的であった。山本司くんもそうだが、ソロシンガーにとってオープンチューニングは大きな武器だな。晶さんのギターはCS&Nのスティブン・スティルスっぽい眩さが感じられた。アンコールも行われ、とても素晴らしいステージであった。

   

 終演後、来場のお客様と記念撮影。ふじね様ご一行いつもありがとう。まほちゃんには差し入れをいただきました。タカハシさん、来週のどフォークよろしくお願いします。かめは晶さんのCDを買いご満悦でツーショットをパチリ。楽屋で片付けを終え、今度は4人でパチリ。明日が仕事でなければ晶さんと酒でも飲んでいろいろ話でもしたかったところだな。5月にまた共演の話もある。


2004年3月6日(土)

 そんなわけで、今日はバンビーノライブである。katsu with 2Uは今回不参加。私が単独でリボルバーのゲストとして参加する。PAの準備の関係で5時半に北上バンビーノにむかうが、あいにくの大雪、前を除雪車が走り、到着が遅れてしまった。小川氏にプリアンプを借用した。忙しい彼はアンプをセッティングすると帰ってしまった。ご苦労様である。
 
 今回の出演者は盛岡の佐藤ミノルくん、仙台の佐藤友信くん、盛岡の高校生デュオTWO FINGER、北上のリボルバーである。

 私はリボルバーのステージのラストに出演する。リボルバーはコピー、オリジナル6〜7曲を演奏し、中小路くんの紹介で私が登場。演奏スタート。曲は彼らのオリジナル「UK」である。アップテンポのマイナー調。印象的なギターのイントロにベースがからむ。我ながらいい感じに合わせられた。彼らの曲にスピード感とノリが加わる。エンディングでは打ち合わせ通り及川くんのギターソロの後に私のベースソロに突入する。ベースソロなんて、ちょっとやり過ぎでは?と意見したが、どうしてもいれて欲しいとの依頼で、昼間フレーズを考えて来た。彼らの熱望が功を奏したかなかなかの熱い仕上がりとなった。

   
 
 もう一曲は私のリクエストで「帰り道」を。リボルバーの名曲である。ほのぼのとしたフォークタッチの曲。エンディングで倍テンポになり楽しいムードで終わることが出来た。演奏はなかなか好評で、見知らぬお客様からも「ベースが入ると深みがあっていいですね」と言われた。嬉しい限りである。

 リボルバーのMCで、バンビーノの店員の子が辞めることを聞いた。どの子かと思い、直接お店の子に話すと何と「私です」とのこと。笑顔の可愛い、感じのとても良い子だ。KW2Uも9月から3回出演したが、いつも笑顔で応対してくれ、大変お世話になっている。実家に帰るとのこと。なんだか残念だ。リボルバーも「なごり雪」を彼女に送っていた。記念に皆で写真を撮った。これからもバンビーノで会ったちょっとしたミュージシャン達を覚えててくれれば嬉しい。

 

 別れもあれば出逢いもある。今日は江刺在住というブルース・シンガーの方がずっとライブを見ていてくれた。帰り際に少しお話もした。今後何かと良いおつき合いができれば、と思う。


2004年3月5日(金)

 荒天。2月中旬の暖かさからまた冬に逆戻り。朝から雪だ。かと思えば盛岡に差し掛かったあたりで良い天気になり始める。うつろいやすい天候は春が近い証しなのだろうか。

 

 夜は水沢にて先日の「さくらフェスタ」の反省会が行われる。と、いっても実質はWHITE SPIDERの飲み会らしい。昼過ぎにリボルバーの及川くんからメール。明日の「バンビーノライブ」の件。ついでなので彼も水沢の飲み会に打ち合わせがてら誘うことにした。
 
 仕事が多忙なので残業を少しこなしてから行く。9時過ぎに北上で及川くんと合流。水沢に入り目的の店「アルハンブラ」に行くきっかけを見失い、市内を数分迷走してしまった。及川くん、すまん。なんとか到着。「アルハンブラ」はWHITE SPIDERのギタリスト、カツト君が経営する小洒落たバーである。中では宴もたけなわ。WSのメンバーと、イベントで親しくなったGuiter Shopのみゆきちゃんが飲んでいた。皆は急な及川くんの登場に驚いていたようである。迷走の結果かなりグロッキーなオレと及川くん。それでも話ははずみ、「さくらフェスタ」の話題から音楽談義まで。と、こうしてもいられないので我々はギター、ベースを出して明日の打ち合わせをする。明日の「バンビーノライブ」ではリボルバーのゲストとして2曲ほどベースを演奏することになっている。コード進行、構成についての打ち合わせ(練習)は10数分くらいでなんとかまとめた。こんな短時間の練習でもやっておくとおかないのでは格段に完成度が違う。やって良かったと思う。

   

 その後また飲み会に復帰。それにしても慌ただしかった。途中から参加したし、話にも合間をぬって入った感じ。もちろんお酒は飲んでないし、楽しくはあったが、かなり不完全燃焼ぎみな飲み会ではあった。