2004年6月27日(日)
フラニーライブから一夜明け、今日は来週のリズムヤンガー川崎遠征に向けての大事な練習日であり、気がぬけない日々である。その前にひとつ重要な会合が!我が母校、花巻北高等学校、そして私の在籍した吹奏楽部の定期演奏会が開催された。何と今年は40周年記念とのことである。数週間前に通知が来て、演奏会の直前にここ数年組織的な運営がなされていなかったOB会を正常に機能させようと、総会を開催するとの旨で、同期のメンバーを召集することになった。朝から夜まで多忙な私に替わってパーカッションのS子が連絡を引き受けてくれた(感謝)。同期14人程いる中で今回私を含め5人が集まることが出来た。トランペットのS氏、クラリネットのM子、ホルンのY子、皆なつかしい仲間だ。
他にも会場に入ると意外にも懐かしい、かつて同時期に吹奏楽に親しんだ先輩、後輩の皆さんが揃っている。手前味噌で恐縮だが、出席率の良い年代は部としてのまとまり、演奏会の盛り上がり等が良かったような気がする。私自身自分の時代はとてもいい音楽が出来たと自負しているので、この顔ぶれはとても嬉しいことだ。中でも2級下の女子は数十人が全員出席を果たしていた。当時とても可愛かった後輩たちは今はいずれも母親の年齢になっていたが、どこか懐かしい面影を残していた。
議事は活発に進行し、いくつかの決め事を経て、そろそろ演奏会の時間が近付き、お開きとなった。今後のOB会の活動に期待が持てる。入り口の立て看板(こういうのも昔作ったなあ〜)の前で記念撮影などして、会場の中へ。ロビーには40回までのポスターや写真が展示されている。会場はすごい入りである(帰りに受付の新OBに聞いたところ1200人超の入りだったそうだ)。思えば花北吹奏楽部のここ数年の規模、そして演奏力は大したものである。これだけの規模と大勢いるOBを持ってして何の助力も出来ていない現在の体制は実に惜しいといわざるを得なく、これを機に後輩たちの少しでも力になりたいと思ったものだ。
ジャズとかロックを主に演っている私にとって、吹奏楽を演っていた3年間はとても異質(?)な感じもするが、それはそれで最高に楽しい3年間であったし、今でも当時の仲間は大好きな面々であり、私にとって音楽的な故郷(いくつかあるが)といえる。後輩たちの見事な演奏を聴く。私たちの時に比べ、より洗練された素晴らしい演奏であるが、それでも当時の自分たちを思い起こさせ、泣けそうな気持ちになる。
そんな素晴らしい現役の花巻北吹奏楽部であっても県下ではなかなか一位の壁は厚いようだ。だが、花北には脈々と受け継がれている素晴らしいポップス・ステージがある。当時から「ポップスの花北」といわれ、定演の楽しさ、充実度は花北の伝統なのだ。蛇足ながら、我が「花巻リズムヤンガー」の存在と貢献がそれに一役買っているというのも否定出来ない事実だろう。ヤンガーにはかつて多くのOBが在籍していたし、ここ近年の中学校との交流から、現役メンバーの中にはヤンガーと共演してきた子供たちの顔も見える。ヤンガーの活動が、子供たちにポップス、ジャズの楽しさを「芽」として植え付けていけるのであれば嬉しいことである。
今回は残念ながらヤンガーの練習のため、第一部だけを聴いて帰らなければならなかった。残念。同期の仲間とはぜひまた今度飲み会をしよう、という事で別れた。せっかく召集しておいて置いて帰って行くようで大変申し訳ない。
2004年6月26日(土)
今日はフラニーライブである。今回もまた豪華なゲストが出てくれることになった。私は本日は仕事のため、終了後急いで到着、慌ただしい入りとなった。サウンドチェックは出来ず、しかもベースは初物のアスリートである。一発合わせの音だしに不安を感じつつ、開演となる。
ゲスト一人目は「こんやのむぞう」氏である。実はお馴染み、盛岡の某一味の頭領にしてフォークジャンボリーの主催者のY氏である。今夜は特にしみじみとした味わい深いナンバーを聴かせてくれ、普段の「その一味」「ひなげし」「ソロ」とはまた別の「のむぞう」的な世界にビックリでした。特に本人すら出どころのよくわからないという「ピエロ」のおじさんを歌った曲、最高でした。泣けました。
二番手はSSOM、何かと昨年の秋以降深いおつき合いをさせてもらっております。が、実はSSOM名義でのフラニーライブは今回が初めてなのでした。叙情派フォーク、実にオレ的にツボであります。新曲「八月」を披露してもらいました。う〜ん、いい曲だ〜。アルバムに入ってないのが惜しいくらいだ。今後のライブ活動にも期待大です。
さて、KW2Uいよいよ登場、となるところですが、今回は「宮澤勝彦ソロ」名義なのです。いろんなことで最近疲れが見えて来た(?)KW2U、ここで少し休止?というか気分転換の意味も含めて今回はkatsuのソロにメンバーがサポートする、という企画を立てました。・・・ところが、結果的には、やっぱりやってるじゃん!っていわれそう?katsuが持って来た4つの新曲はいずれも完成度の高い名曲で、いつしかメンバーのハートも上向き、KW2U的ないつものサウンドになってしまいました。そんな中で特筆すべきは今回お手伝いいただいた及川ジョージさん、素晴らしいピアノと熱いプレイスタイルは観客の皆様のハートを存分にキャッチしたようです。そんなわけで苦難続きのここ最近ではありましたが、今回はフラニーは超満員のお客様の入り、そして大変盛り上げていただきまたしても嬉しい結果のライブとなりました。一緒に演っていただけるミュージシャンの皆様、そしてお客様に本当に感謝です。
そして、今回もたくさんのミュージシャン、そしてお客様とともに打ち上げをむかえることが出来ました。何度も繰り替えし言っていることですが、ライブの楽しい雰囲気をそのまま残して引き続き「飲み会」が行われるフラニーカフェ、本当に最高のスポット、音楽バカの「聖地」となりつつあるような気がします。写真はお馴染みOHHOのリーダー、シンちゃんと「ほうほうエンジェルバンド」のななっち。
さて、第4部セッションスタート!請われて出て来たのは私とSSOMエンディさんからなる兄弟ユニット「DNA」です。ついにこの日が来たか〜。お互い打ち合わせ好きな性格(?)にも関わらずここ数日の多忙さから、まったく仕込みなしで「何やろうか?」状態でスタート。まずは無理めのオフコースを歌って撃沈。起死回生を狙ってかぐや姫の「妹」をパクり、即興で替え歌「弟よ〜♪」とやって見た。リハ中にエンディさんが息子に「今日のオカズは何々を〜」といっていたのをネタにしてみた。エンディさんも即妙に「アニ〜キよ〜♪」と返したので場内は大爆笑。久々の大受けであった。のむぞう氏などは感激して「このユニットを世に出したい」と言い出す始末。やめてくれ〜。
続いてやなぎ氏登場。「よしだかずをのブルース」(おそらく即興)を。八割方の歌詞が「昨日よしだかずをと飲んだ〜♪」で構成されている(笑)。そして満を持してのむぞう氏登場。有名な「マリファ○の歌」から恒例の全員参加(!)ブルースセッションに突入。いつもながらの見事な客さばきで、その場にいた全員に今日の感想をブルースで即興で歌わせた。マスターまで歌わさせられたのは笑った。その間ずっとピアノを引き続けていたジョージさんもニッコリ。我が友人「風屋」氏ものむぞう、やなぎ両氏とともに渋〜い憂歌団のナンバーを歌ってくれた。シンちゃんをひきづり出して皆でOHHOバージョンの「TSUNAMI」を。サビは大合唱になってしまう。写真はベースを弾くエンディさんとジャンベを叩くかめ。その後も「かめなな」セッションで「ROSE」、ついには好評だったkatsu新曲「憂いのブルース」を再リクエストされ、katsuも大変嬉しそうだった。
次のライブに向けてとても励みとなる、そんな一夜となりました。
2004年6月19日(土)
今日は花巻リズムヤンガーのライブである。リズムヤンガーは日本で最も古い歴史を持つビッグバンドとしてここ数年つとに有名になって来たのか、招待ライブが多く、県外等に出かけて演奏するケースが多かった。結果、地元花巻ではなかなか演奏する機会がない状況であった。久々に花巻でライブが出来て嬉しい。会場のブドリ舎は新花巻駅近くにある、蔵を改造したイベントスポットである。私にとってヤンガー加入後初めてライブを行った思い出の場所でもある。そういえばあの時は加入してわずか1週間でジャズの何たるかもわからぬままステージに立ったものだった。無知とは恐ろしいものだ。リズムヤンガーでジャズを始めていろいろなミュージシャンと音楽的体験を通じ、今まで「いっぱしに楽器が弾ける」と思い込んでいた自分を深く省みるきっかけになった。
私のセットは久々のヤンガー用。ウッドベースとスティングレイをそれぞれミキサーでSWRにイン。この日に合わせてウッドベースには新しいピックアップ「Realist」を装着したのだが、まだ試験段階にて今日はいつものフィッシュマンでいくことにする。幸いにコンディションは万全である。
さて、開演を控え、いつしか客席は満員状態に。用意した席はすべて埋まり、階段も席として使われ、メンバーの控え室であった2階も開放した。それでも座り切れず立ち見のお客様も出た。軽くリラックスしたムードでやると小さめな会場をセッティングしたのだが、なかなか力の入る状況にとなってきた。
演奏スタート。テーマに続き軽快に「Strike Up The Band」を。私がエレベに持ち替えファンクナンバーを。「Some Skunk Funk」大好きな曲である。リハで音量バランスを調整していたのだが、本番ではややベースが大きかったようである。katsuは沢田オン・ステージのようだといっていた。4ビート、バラード、ボーカルナンバーを交えて第1部終了。会場にはkatsu、かめ、ふじね夫妻、キョウスケが来てくれている。そしてHPを見てOHHOのシンちゃん、江刺の学くんが来てくれた。ジャンルが違う音楽ではあるが、仲間が応援してくれることは非常に嬉しいものだと感じた。
そして第2部。新バンマス鎌ちゃんのトランペット、パーカッション、MC(?)をフューチャーした「マンボ・マンボ」でスタート。お馴染みの「Aトレイン」、ボーカルナンバーを挟んで超難曲「OLEO」を。昨年から引き続き演奏し、周囲をハラハラさせている曲である。何とか勢いで完奏。あとはもう楽しむだけである。摂子さん、由美さんのツインボーカルと様々なソロプレイヤーをフューチャーしたR&Bナンバー「All Right OK You Win」。この曲でのアドリブ・ソロはその都度コンマスの指示で突発的に選ばれる。しかしながら、リハでベース・ソロを指示されていたので、八割方来るな、という感じで準備をしていた。ベースの状態が良く、結構いい感じでソロインが出来た。さて、2コーラス目で少しフレーズを・・・と思った瞬間、金属的なハイノートが。早くも鎌ちゃんがアドリブ・インして来た。もう1コーラス弾きたかったところだったが、積極的に切り込んで来る演奏には文句はいえない。さて、曲は掛け合いによる大合唱、そして手拍子で、大盛り上がりのうちに終了。アンコールを1曲演奏し、本日のプログラムは終了となった。
演奏の内容的には完全とはいえないものである。何しろ短期間の間に約1時間半のプログラムなのだから、練習は完全に行き届かなかった。しかし何度もいうようだが久々の花巻でのライブ、そしてお客様の顔がわかるちょうど良い規模のステージ。ヤンガーの演奏を待望し集まってくれたお客様の熱いハート、それらがすべて反応しあい、熱く、楽しいステージとすることが出来た。2週間後には今年の大舞台である川崎での七夕コンサートに向かう。それに向けてのいいイメージ作りと起爆的な材料とすることが出来たと思う。
2004年6月18日(金)
会社の後輩であるS嬢が退社、東京に行って勉強しつつむこうで再就職することになった。若いうちはいろんなことにチャレンジすることもいいだろう。S嬢の所属していた2つの課と、仲の良かった面々が集まって送別会を開いた。
場所は盛岡大通りの「B」。例のサバゲ仲間のオーナーシェフのトラットリアである。仕事で30分ほど遅刻。申し訳ない。会は早くも盛り上がり、「ソルティドッグ」を「うめ」と言った飲んべえのF氏の前にはK慈氏の策略でおびただしい数のソルティドッグが注文され大笑いだった(悪のりのあまり、店のウォッカがなくなる始末)。最初は調子よく飲んでいたF氏も途中でさすがに飽きたらしく小声で「ばがやろう」とボソリ。さらに笑えた(その後お酒は皆でわけて飲んだ)。
その後もオーナーシェフC氏が持って来た馬やちょんまげなどのかぶりものをかぶったりで店内大騒ぎであった。最後に大きな花束を贈られてS嬢ニッコリ。皆のカンパで現金も。東京での暮らしは大変なので、これで冷蔵庫を買ってくれとのこと。
翌日はヤンガーのライブなので終了後はすぐ帰ろうと思ったが、R一郎によびとめられる。迎えが来るまで1時間だけカラオケに付き合ってほしいとの事。1時間を条件に私とN氏が参加。皆誘うといよいよ帰れなくなるので3人だけでカラオケに突入。私はメンツによってカラオケのレパートリーを変える方で、今日は「愛の言霊」を始めとして「今夜はブギーバック」「if」などラップ入りの曲で責めてみた。R一郎とのデュエット「奇跡の地球」は我ながら圧巻(?)の出来だった。ダラダラしたところなく1時間を充実して歌うことが出来、満足して帰路についた。ちなみにこれだけ大盛り上がりした今日の私の酒量はビールをコップに1杯だけである。安上がりな体質。
2004年6月12日(土)
昨日の雨もあがり、大変良い天気である。午後2時からKW2Uの練習がポラーノ広場で。到着するとかめが具合悪そうにジャンベの練習をしていた(二日酔いらしい)。katsuもやって来て練習開始。今回はkatsuの新曲が4曲もある。なかなか充実した練習が出来た。
練習も終わり、夜は「ひなげし」のライブ観戦である。各々自分の用事をこなしつつ盛岡へ出発。私は途中矢巾の「ボートハウス」により、荒谷さんに差し入れ&激励。再び合流し、かめの運転で「にっか亭SPIRITS」についた。
かずを氏はレイ・チャールズが亡くなったのがかなりショックだったらしく、昨日から飲み続けで、非常に元気がなかった。ステージに立つとさすがにいつもの本人に戻っているようだったが、どこかで自分を鼓舞しつつ何とか維持させている、そんな様子が見てとれた。とはいえ、「ひなげし」のステージは大技、小技のきいた素晴らしいものだった。やはりレイに捧げる「我が心のジョージア」。かずを氏はノーマイクで切々と泣きながら歌っていた。たまやんのギター、山崎さん(にっか亭)のピアノもとても良かった。最後にかずを氏が歌ったあの曲はなんて曲なのだろう?「こんな月の夜はお前と一緒に聴きたい」と歌い、敬愛するミュージシャンの名前を連呼する。オーティス・レディング、レイ・チャールズ、ボブ・マーリー、スティーヴィー・ワンダー・・・。音楽への「愛」があふれた素晴らしい曲だったな。
演奏が終わり、かずを氏は一緒に酒を飲んでいたが、「刺身が食いたい」と言い残し、店を去ってしまった。残された我々は山本司バンドを聴いていた。もっとも私はたまやんとずっと喋り続けだったので司くんの今日の演奏は殆ど聴けなかったのだが(汗)。
2004年6月11日(金)
レイ・チャールズが亡くなったというのをライブ日程を確認するかめのメールで知った。ついでに今日ふじね床屋で飲み会がある事実も判明。またしてもkatsuの連絡ミスだった。
やはり仕事が遅れ、9時半頃ふじね床屋に到着。店に入るとジョージさんがピアノを弾いていた。かめが「沢田さん、早くベース持って来て〜」と、早くもセッションの誘いが。車からベースを出していると、店からは音が漏れている。「我が心のジョージア」だ。ジョージさんの素敵なピアノ、katsuのハープ、かめのジャンベが何気ない理髪店の一角から夜空に溢れ出していく。まるで魔法のような瞬間に感じた。偶然ではあるが、次回ライブでジョージさんとセッションしよう、といっていたこの曲、はからずもレイ・チャールズの追悼ということになってしまった。店に入り「ジョージア」に始まり数曲をセッションした。私はまだほとんどお酒も、本日のメインであるカニクリームコロッケも食べてないのに(泣)。
とはいえ楽しい夜だった。メンツはふじね夫妻と甥っ子のキョウスケ、ジョージさん、スエミさん、アイちゃん、katsu、かめである。katsuが仕事に出かけてからも宴はまだまだ続き、夜中の3時くらいまでジャンベを叩き、まほちゃんは踊っていた。結構飲んだかめはふじね宅に泊めてもらうことになった。帰りは雨となった。
2004年6月5日(土)
花巻リズムヤンガーの佐藤薫くんと岸本由美さんが4月に結婚した。今日はその「結婚を祝う会」がホテル花城で行われた。堅苦しい会じゃないから、ノーネクタイでいいよ、という言葉を信じて会場に行ったら、何と出席者男性の95%がネクタイ着用だった。軽くショック。会はヤンガーの演奏、薫くんの会社の方々の余興で大変盛り上がり、楽しいものになった。(詳しくはヤンガーHPにて)
お二人とも音楽好き同士、家庭を大事にしつつ、これからもバンド活動に励んでいただきたいなあと思った。ところでここホテル花城にて明日は私の父親の一周忌の法要の膳が設けられるので、連日の日参ということになる。先程はベース等機材の搬入とともに明日のお土産の御菓子も搬入ということになった。フロントの川村さん(フラニー常連)には大変お世話になっている。