第331回 日曜地学ハイキング記録
日曜地学ハイキング記録
浦山口付近の地形・地質を観察し、その生いたちを考える
第331回日曜地学ハイキングを平成11年8月15日に実施しました。
前日は関東地方一帯で集中豪雨があり、神奈川県山北町玄倉川では川遊びにきていた家族が濁流にのまれ多くの犠牲者を出しました。西武鉄道吾野駅付近でも土砂崩れがあり当日は電車が不通となるアクシデントも発生し、中止と判断される方が多いと思われましたが、相違して雨のなか多数の参加者があり、集合時刻には雨も上がりました。参加者の熱心さが天候の悪さを吹き飛ばしたようです。
浦山口は、昔から川遊びなどで親しまれ、キャンプ場もおおくあります。近くには、清雲寺のしだれ桜・若御子断層洞及び断層群・橋立鍾乳洞と埼玉県指定天然記念物が3つもあり、これらを結ぶ観光ルートになっています。最近完成した浦山ダムがこれに加わり、大勢の方がおとずれています。
今回の見学コースの概要は次の通りです.
日時:8月15曰(日) 10:20
集合:秩父鉄道「浦山口」駅前
主 催:地学団体研究会埼玉支部、日曜地学の会
案 内:小幡喜一(埼玉県立自然史博物館)
地形図 国土地理院1/25,000「秩父」
主な内容
浦山口は,秩父盆地の南のへりにあたります。南側には武甲山や矢岳など1000mをこす山々が立ち並びます。これらは、石灰岩・チャート・粘板岩・砂岩・塩基性火山岩類からなる秩父帯の地層でできています。これらの地層は、3億年前から1億5000万年前ころ海底につもったものと考えられています。
北側にはおよそ500mよりも低い秩父盆地が広がり、そこには砂岩・礫岩・泥岩などの新第三紀の地層が分布しています。この中からは、岩礁性の貝やサンゴの化石が発見されています。これらの化石から、およそ1500万年前には、浦山口ふきんが紀伊半島のような黒潮の洗う暖かい海だったと考えられます。
この南北の異なった地層は、大きな断層で接しています。地形的には、山地と盆地の境にあたり、断層地形である三角末端面が見られます。新第三紀の地層には、南側の山地から流れ込んだ岩石がたくさん入っています。また、断層の動きによって押し曲げられたような褶曲もみられます。これは、秩父盆地の地層がたまっているときに、この地層が動いていた証拠となります。
コース(見どころ)浦山口駅→
@浦山渓谷キャンプ場(日野断層・しゅう曲)─→
A浦山ダム(山地の地層.秩父盆地の地形)─→
B橋立(山地の地層・鍾乳洞)─→
C浦山口キャンプ場(浦山口断層o秩父盆地の地層と化石─→
浦山口駅 (約4km) 解散 16:00頃
見学ポイントの案内
@ 浦山渓谷キャンプ場
浦山口駅をおりて、鉄道の鉄橋下をくぐり、県道に出ます。浦山川沿いに上流(南)に歩きます。橋立川にかかる諸下橋を渡り、しばらく行くと右手に浦山渓谷キャンプ場入口の看板があります。ここからから、河原に下ります。途中、小さな橋を渡った所に中・古生代の地層であるチャートが露出しています。
キャンプ場の受付わきを下流側の川原におりました。
川原のようす
大きな木のはえていない草地と河原が、洪水のときに水をかぶるところです。雑木林は、洪水になっても流されないところです。広い川原は、川の曲がりの内側にあります。また、曲がりの外側はガケになり岩が露出しています。
川原のようす
川は、浅くて流れのはやい瀬の部分と、深くて流れのゆるい淵とがあります。州が曲がっているところには淵があり. その間に瀬があります。中・下流では、ひとつの曲がりことに瀬と淵が1つずつしかありませんが、上流では瀬と淵がいくつも連続しています。
地層の観察
受付の下流側に広がる川原の対岸に、大きな割れ目のある岩場がみられます。岩場の右側はチャ-トで、中・古生代の地層です。左側は砂岩やれき岩で、第三紀の地層です。そして、割れ目は左右の地層のさかいめで、断層によって砕かれた部分が、断層洞になっています。
第三紀の地層は西(左側)に傾いています。川を上流に歩きながら地層のようすを見てみます。少しずつ傾きがゆるくなり、やがて平らになって、逆に傾くようになっていることに気がつきます。地層全体が大きく下へたわんだように曲がっているのです。きょうは水量が多いため対岸へはわたりませんが、水量が少ない時に来た場合は、対岸に行って、地層の走向や傾斜を測り、地層がどのように曲げられているかを調べてください。
断層の走向・傾斜及び周囲の状況をもとに、この付近における第三紀の地層と中・古生代の地層の分布状態を考察してみます。
A 浦山ダム
県道にもどって、浦山川沿いにさらに上流(南)に歩きます。広い道と交差したら右折し、浦山川にかかる橋を渡ります。左折してしばらく上流に行くと、浦山ダムのエレベーターへの道が左側にありますので、この道を歩きます。ダムが目の前に追ってきます。
ダムの周囲には、橋立層のチャート・粘板岩・輝緑凝灰岩の比較的新鮮なものが分布しています。ダムサイト付近は、NW-SE方向の背斜軸をもつ背斜構造の北翼に位置し、地層は下流側に傾いています。
途中で、道のガケにでている地層を観察します。赤っぽい色の層状チャートがミみられます。これは橋立層群の地層で.小,さな放散虫の死骸が陸からはなれた海底に3億年〜2億年前につもってできたものです。かたくて、ハンマーでたたくと火花をだし、イオウのようなにおいがします。成分は、水晶と同じ二酸化ケイ素でできています。
秩父山地は谷がふかいために、ダム建設に適する場所として古くから注目されてきました。荒川水系には、昭和36年に完成した二瀬ダムのほか、最近完成したこの浦山ダムと吉田町と小鹿野町にまたがる合角ダムのほか、大滝村の滝沢ダムが現在建設中です。
浦山ダムは、秩父市と荒川村を流れる荒川支川の浦山川に、水資源開発公団が建設したものです。1967(昭和42)年に建設予備調査を始めて以来、31年の歳月をかけて1998(平成10)年11に竣工となり、今年4月から運用を開始しました。
浦山ダムは堤高156m、堤頂の長さ372mの重力式コンククリートダムで、集水面積51.6u、総貯水量5,800万(東京ド-ム47杯分)から最大毎秒4.1トンの水を送り出します。東京都内と埼玉県の約60万人の飲料水をまかなうほか、県営の5000kWの発電にも利用します。
ダムの見学のためにエレベーターや階段、同ダム湖(秩父さくら湖)の周辺には、堤体左岸の資料館・観光案内所・レストラン「うららびあ」をはじめ多くの施設があります。
また、ここからの秩父盆地の眺望はすばらしく、段丘地形がよくわかります。
B 橋立鍾乳洞(秩父札所二十八手石龍山橋立堂)
鍾乳洞は、石灰岩が地下水によってとかされ、できたものです。水は空気中の二酸化炭素とむすびついて、炭酸水および重炭酸水になります。とくに、土の中には多くの生物がすんでいるため二酸化炭素が多く、地下水は酸性の水となって、岩のすき間に流れ込んで石灰岩をとかします。こうしてできたのが鍾乳洞です。鍾乳洞が発達し、空気がなかに入るようになると、空気にふれた地下水から二酸化炭素がぬけて、石灰岩が沈澱をはじめます。沈澱した石灰岩が、鍾乳石・石笥などの洞窟生成物です。
おおきな鍾乳洞は、石灰岩の広い台地があるところで、地下水面にそってつくられた横穴式のものが多いようです。
橋立鍾乳洞は武甲山の石灰岩体の西はじに位置し、高さ約75mの高いガケの下にできたたて穴式の鍾乳洞です。昭和11年に県の天然記念物に指定されています。洞内には見学路・照明装置があり、観光洞になっています。
洞窟は、ほぼ南‐北方向に延びる急傾斜(西に約80度)の割れ目系に支配された形態を示しています。そのため見学路はこの割れ目系に沿って下から上に観覧できるように、各所に急なハシゴや階段が設サられています。
入口と出口の比高は約30mあり、洞内には鍾乳石・カーテン・石柱・石笥・フローストーン等の洞窟生成物が見られますが現在、流水がないのでその成長は停止状態にあります。
洞窟は、最初入口より奥に向かって傾斜しており、角れき混じりの粘土や砂の堆積物がたまっています。やがて平坦となり、南方に延びる支洞と北方へ延びる主洞とに分かれています。
また、東端の洞床の一部はフローストーンによっておおわれています。この付近より、見学路は立体交差したり、階段やハシゴを利用しながら急傾斜の割れ目系に沿って、上に登っていくことになります。
C 浦山口キャンプ場(浦山川右岸及び荒川との合流点付近)
浦山口駅手前の国道にもどり、国道140号線に出ます。交通量が多いので、気をつけて横断し左手の常盤橋を渡ります。
橋の上から浦山川の下流を眺めると、左岸に第三紀のれき岩からなる切り立ったカケが見られます。また河床から右岸にかけてチャートや塩基性凝灰岩など中・古生代の地層が露出しています。
二つの地層は、川を境に浦山口断層で接しています。断層は、さらに下流のガケで実際に確認することができるので川原に下りて、走向・傾斜を測って調べてみます。
橋を渡って間もなく右に下りる細道があります。周りの地質・地形等に注意しながら進み、浦山ロキャンブ場に出ます。比較的大規模な断層は、境目に「断層破砕帯」をはさみ、崩れやすく、侵食に弱いため洞窟等を形成する場合もあります。前方にある木橋の下付近で、岩相が著しく変化していますが、これから河原や崖などを観察してみます。
下流の河床には、れき岩・砂岩・泥岩で、第三紀の平仁田層がみられ、ところどころに北西〜南東方向の中断層も観察されます。
れき岩層中には、第三紀層の砂岩・れき岩や角ばった石灰岩れき等が多量に含まれています。これは、当時、すでに秩父盆地の下部層・盆地南縁部が隆起侵食されていたことを物語っています。
また、保存の悪いサンゴや貝の化石も含まれています。そのなかまの現在の分布から当時の海岸は岩礁やサンゴ礁で、暖かく浅い海であったことがわかります。
なお、荒川右岸の道を上流にたどり久那橋をくぐるあたりのガケには、地層の形成当時の様子を推定できる堆稚構造(荷重痕・スランプ構造等)がみられます。
まとめ
浦山口は、秩父盆地の南のはしにあたります。盆地と山地は地層のようすが異なり、そのさかいめは、大きな断層になっています。
山地には、武甲山をつくる石灰岩や、浦山地域でよくみられるチャート、あるいは、粘板岩、砂岩、塩基性凝灰岩などがみられます。これらの地層は古・中生代の3億年〜1億5千万年前の海底の海底につもったものです。
秩父盆地は新生代第三紀のおよそ1500万年前の地層で構成され、その上をおよそ40万年以降の段丘れき層・ローム層がおおっています。
両者をさかいする断層は、ENE−WSW方向に延びる日野断層・影森断層、および NNE−SSW方向の浦山口断層です。断層の周辺には、向斜構造・小断層などの地質構造もみられます。
第三紀の地層は、盆地を構成する地層の上部にあたる秩父町層群平仁田層で、れき岩・砂岩・泥岩からなります。この付近のれき岩には、南側の中・古生代の地層の上昇にともなって供給されたチャートや石灰岩の角れきや、暖かい海の岩礁でくらす貝やむサンゴの化石が含まれており、当時の様子を知ることができます。
ハイキング記録『ホーム』へ戻る