見学ポイントの案内

stop 1 福岡市江川(新田1丁目)
 上福岡駅から東へ中央2丁目の5差路まですすみ、5差路から南に進むと何段かの坂があった。坂を下ったところが旧江川跡で、遊歩道があった。かっての江川は遊歩道の地下に暗渠となって流れている。

stop 2 福岡新田の水天宮
 遊歩道を東に進むと、福岡新田の先から、江川が姿を現す。その先の水天宮の付近の橋で江川のコンクリートの川底から湧水が噴きあがっている。





stop 3 中之島1丁目
 stop 2 より北に進むと、住宅街の中に古い土蔵があり、その屋根がうねっている。南側の瓦は相当古いようだが、北側の瓦は最近のもののようである。この土蔵は関東大地震により北側の瓦がはがれたそうである。




stop 4 花の木2丁目
 stop 3 よりさらに北に進む住居や畑がとぎれ、東に市立第五小学校を過ぎると、水田があらわれる。水田からこの面が沖積面であることが推察できる。stop 3 と高度差がほとんどない。






stop 5 権現山の緑地公園
 stop 4 より西に進むと、旧河道らしき跡がみられる。さらに進むと高度が増し、再び住居のある地域に出る。そこを右折し北に急な坂道がある。坂道の上が小高い丘となっている。地元では権現山とよんでいる。かって徳川家康がこの地でたびたび鷹狩りを行いこの丘で休んだことに由来するそうである。この東が新河岸川で、その境の段丘崖の斜面を利用して緑地公園が作られている。段丘崖の露頭で関東ローム層とそのしたの礫層が観察できる。stop 6 を見学した後で、ここに戻り、二つの班に分かれ、一つの斑は関東ローム層の火山灰を洗い出し中の鉱物の観察、一つの斑は段丘礫層の礫種や礫径などを調べた。


stop 6 養老橋付近(福岡河岸)
 ここには、かって新河岸川沿いに賑わいを見せた福岡河岸の後を見学した。資料館として保存されている土蔵の屋根に関東大地震の傷跡が残っている。stop 3 の土葬と同様に北側の屋根が損傷している。福田屋の石垣や江戸屋の土壁にも関東大地震の傷跡が残っている。








上福岡市の台地の地形

 富士見市渡戸付近の台地面は非常に平坦で、標高は20mほどを示す武蔵野2面である。ここから砂川堀に向けて急崖あるいは急坂をくだり、標高12m〜10mの立川面に至っている。立川面は堀の方向に傾斜した面をもつのが特徴である。大井町東久保付近はやや凹凸に富んだ地形をしているが10m〜13.5mまどの武蔵野3面である。次いで、小さな堀に沿つて立川面が10m〜12mほどの傾斜をもった面で分布している。富士見市勝灘付近は14m〜15mの平坦な武蔵野3面が分布している。上福岡市立第三小学校から江川の谷に向かって坂になり、江川沿いには立川面が小規模に分布している。江川をすぎると坂があり、15mほどの平坦な武蔵野3面が分布している。武蔵野3面からは中央二丁目にかけて急坂(崖)があり、20mか、それよりやや低い武蔵野2面が広く分布し、中央通りもここを通っている。



上福岡市の地質

 上福岡市に分布している第四紀の地層(第四系)は、上部更新統(後期洪積層)とそれ以前の地層に大別できる。上部更新統は川越台地を形成してきた地層群で、地表から発達する上部の関東ローム層と、その関東ローム層の下位に発達する礫層に区分できる。これらの地層を調査するには、まず自然の切り割などの崖の地層を調べるのが常道である。しかし、都市化が進んでいる上福岡市においては、そのような崖はほとんど無いといってよい。そこで、地下のやや深い地層の層序の解明と分析試料の採取を目的にオールコアボーリングが実施されている。(上福岡市史)

(1)関東ローム層
 関東ローム層は関東平野西方の火山から噴出した火山灰が堆積し、その後、風化・粘土化したものである。火山灰は砂粒のような小さな粒子であり、火山噴火で風により運ばれ、陸化した地表面や湖沼のような瀞水下で堆積する。逆の言い方をすると、流水には流されてしまうため流水下で堆積中の礫層上には火山灰は堆積することはない。すなわち、段丘化した礫層上に堆積した火山灰をみると、その礫層の乾陸化した(段丘化した)時代がわかることになる。
 上福岡市内の最も高い地形面である武蔵野2面には、最も厚い関東ローム層があり、市内で最も古い関東ローム層が分布している。第5小学校の地表から礫層までの地層は、40cmの埋土と表土、80cmの赤褐色ローム層、40cmの暗褐色ローム層、84Cmの褐色口-ム層、160cmのやや粘土化した褐色ローム層、その下に28cmの砂混じりローム層が分布している。礫層上60cmの位置にオレンジ色の軽石が点在している。

(2)武蔵野2面構成層
 市内の権現山の新河岸川に面した崖の地質をみると、50mの表土層の下には385cmの風成の関東ローム層がある。この中には上から50mのところに45cmの層厚で黒色帯が認められる。また、340mのところにオレンジ色の軽石粒が点在しており、東京軽石に対比できると考えられる。この風成関東ローム層の下には灰褐色ローム質粘土層が位置し、細礫を含んでいる。この下には3mほどの礫層が分布している。この礫層の細上部20mはマトリックスが砂質シルトになっており、ところどころに砂層のレンズ状のはさみがある。マトリックスは全体的に砂が多い。この礫層が武蔵野2面を構成した礫層と考えられる。この礫層の下に火山灰質シルト質砂層があり、巣穴状の生痕化石が認められた。これより下位の地質は第五小学校のボーリングで明らかになった地層で、礎と砂・泥が互層するものである(上福岡市史参照)。

(3)武蔵野3面構成層
 この地層については、ふじみ野駅周辺に発達する関東ローム層は最大375mである。この関東ローム層の下部を細かくみても、東京軽石は認められず、東京軽石以降の関東ローム層が分布していることがわかる。すなわち、東京軽石降灰期以後に陸化したことがわかる。この層厚3mの礫層の下には炭質物を含む灰色のシルトが分布している。

(4)立川面構成層
 砂川堀上流の市沢において、河道から離れるにつれ、褐色の風成関東ローム層が厚くなり、逆に黒色表土が薄くなる傾向が読み取れる。




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