荒川の中流域の川本町で第三紀の地層を観察し貝化石を採集しました。
前日の夜に九州地方に上陸した台風が、日本列島を駆け抜けていった。埼玉県内でも前日から大雨が降り、荒川は増水し様相を一変していた。午後からは台風一過の晴れ空であったが、参加者は少なかった。川本町から寄居町にかけての荒川の河岸には、1千万年〜1千5百年万前の海底に積もった地層がよく露出している。川本町明戸付近に露出する地層からは、貝の化石をはじめ、いろいろな種類の化石が出る。これらの化石は1千万年前の海に生存していたものだが、現在の海に生息している貝類と同じ種類のものや、近い親戚にあたるものである。上流から下流に向かって地層や化石を調べていくと、時代が新しくなるにつれて当時の自然環境がどのように移り変わっていったかがわかる。
10月18日 秩父鉄道 明戸口駅 改札前 午前10時集合
今回の見学コースのポイント
@ 川本町付近の荒川河岸の地層観察
A 貝化石の採集とその名前の同定
B 当時の海の様子を貝化石から考える
荒川対岸まで6〜7km歩く。増水した荒川に沿って歩く。
荒川の流れのために河原のレキや砂が運び去られ、その下にかくされていた古い地層が地表に顔を出している。この地層は土塩層と呼ばれ、泥岩でできている。泥岩は海底や湖底に積もった泥が固まってできた岩石である。また土塩層は多くの化石を含んでいる。化石の種類は,二枚貝が最も多く、他に巻貝、ツノ貝、魚のウロコ、木の葉、カニの巣穴の化石が見つかっている。また、まれにサメの歯、魚の骨の化石も発見されている。木の葉以外は、すべて海の生物の化石で、木の葉は陸から河川によって運ばれてきたものである。このことから土塩層は、海底に堆積した地層だということがわかる。さらに貝の化石のなかには、新生代新第三紀・中期中新世の後半(1000万年ほど前)にだけ生存していたことがはっきりしている種類が見つかっていることなどから、土塩層は1000万年ほど昔の海底に堆積した地層だということである。
寄居町から川本町にかけて,荒川の河岸で見られる中新世の地層は,土塩層のほかにもいくつかあり、土塩層より下位の小園層や荒川層にも貝の化石が含まれているが、種類がまったく違う。時代が移り変わる間に,海の深さや水温などの自然環境が変化したことと、貝自身が進化していったことが考えられている。
地層の観察
まず河原に下りたところで,足元に見られるのはどんな地層か観察した。この地層は細かな砂の混じった泥が固まってできた砂質泥岩で、できていた。このなかには、海に棲んでいた貝類の化石がたくさん含まれていた。この地層の中に白色や赤褐色をした厚さ数cmほどの薄い地層が何枚もはさまれている。これは火山灰や軽石の層であった。この地層 は、海底に泥や貝殻が堆積していた頃、近くの陸地火山がたびたび噴火し、飛んできた火山灰や軽石が海底の泥の上に堆積したことを示している。さらに岩の表面をよく見ると、岩石にさけ目があった。
化石を掘り出す
ここでは合までに次の種類の化石が発見されている。@,二牧貝(28種)、A,巻貝.(8種)、B,ツノ貝(1種)、C,ウミシダ、D,ウ二、E,力二、F,サメの歯、G,魚骨、H,魚のウロコ、I,海藻 J,木の袋 K,生痕(スナモグリの果穴など)等。
貝化石は石灰質の殻がよく残されているが、乾くと非常にもろい。岩石に埋もれた状態で掘り出し、神に包んで持ち帰った方が良いそうである。殻が割れても木工用ポンドを水に薄めて全面に塗れば、化石が乾いてボロボロになるのを防ぐことができるそうだ。