第347回 日曜地学ハイキング記録
日曜地学ハイキング記録

見沼たんぼで潮干狩り


第347回日曜地学ハイキングを平成13年4月15日に実施しました。
 見沼田んぼでの地学ハイキングは、234回(1989.12)、277回(1994.4)、307回(1997.4)以来となります。今回は、5000年前にタイムスリップして、縄文時代の見沼田んぼの環境を探るため遊水池の工事現場を歩き、地層の堆積の様子や貝化石の観察をしました。


4月15日  浦和くらしの博物館駐車場 午前9時40分集合
         解散は、 国際興業バス「念仏橋」バス停 午後4時頃

持ち物;弁当、筆記用具、雨具、ハンマー、軍手、新聞紙、ビニール袋
参加費;100円(保険代・資料代)+100円(豚汁代)
案 内;岡本清(浦和西高)久津間文隆(川越初雁高)



縄文時代の見沼田んぼ

   浦和市は、その大半を大宮台地と呼ばれる台地面に占められているが、藤右衛門川、芝川、綾瀬川およびその支流などによって台地面が刻まれ、谷底低地が樹枝状に広がっています。台地西側には広大な荒川氾濫低地が分布し、台地東側には芝川流域の見沼低地や、東側境界付近の中川低地などが分布しています。見沼田んぼは、芝川流域の見沼低地の泥炭地だったものを江戸時代の新田開墾によって農耕地になったところです。
 見沼を囲む大宮台地のほとりには、縄文時代前期(今から5000〜6000年前)の遺蹟、中川貝塚(大宮市中川)や山崎貝塚(浦和市三室)があります。貝塚からは、マガキ・ハマグリ・オオノガイ・サルボウ・ハイガイ・アカニシ・ヤマトシジミなどが採取されています。ここはもと奥東京湾が入り込んでいたことが貝塚の存在で立証されます。貝塚は人々が生活した跡ですから、食糧とした貝殻のほかに土器や石器・骨角器などが出土しています。
 見沼田んぼは、古くは東京湾の海水が入り込む、水鳥が遊び、魚が泳ぐ広大な入江だったようです。今から5000〜6000年前を境に入江が後退し、海退後には古い荒川が延びてくるにしたがい出口が塞がれて、大きな沼沢地帯が出現しました。荒川の下流が土砂の堆積で次第に高くなったため、沼沢地帯では、枯れて溜まった水草や枯れ葉が長い年月の間に堆積しだんだん浅くなっていきます。たまった植物の残骸が腐ることなく長い間に炭化して泥炭の層を形作ります、こうして泥炭地が形成されました。
 こうした見沼田んぼの変化を如実に示した遺跡として寿能泥炭層遺跡(大宮市寿能町)があります。この遺跡は昭和54年(1956)から昭和56年にかけて発掘調査されました。海進によって海中に没した縄文時代前期を除いて、除々に泥炭層が堆積した低湿地に変わり、さらに江戸時代前期の溜井造成期までの時代の移り変わりとともに、自然環境の変化に適応してきた見沼周辺の人々の暮しぶりを垣間見るできる貴重な遺跡です。


左図は「泥炭湿地の成り立ち」(農文協「地形が育む農業」)


縄文海進と貝塚遺跡
水子貝塚を参考にしてください。


最終氷期の海退・縄文海進

 最終氷期の大陸氷床は約2万〜1万8000年前に最も拡大し、その後の気候の温暖化とともに急速に融解しはじめ、約6000年前には北米・北欧の大陸氷床はほぼ完全に消失した。世界の海面は最終氷期の極相期には最も低下し(−80〜−130m)、大陸氷床の融解とともに上昇しはじめた(後氷期海進)。
 もし−130m付近まで海面が低下すれば、対馬海峡の大半は陸化し日本列島は朝鮮半島・中国大陸とほぼ陸つづきであった可能性が大きい。
 一方、縄文時代前期には海面上昇のため内湾の奥深く海が進入して「縄文海進」と呼ばれている。東京湾の奥深くまで進入した海は中川沿いに「奥東京湾」を形成した。縄文海進の海は約6000年前には現在の海面高度に達し、奥東京湾や濃尾平野では海抜3m付近まで海面が高くなった。この時代を後氷期海進(縄文海進)の高頂期(最高海面期)と呼ぶ。したがって、約1万年前から6000年前までの4000年間の海面上昇量は約40mにも達し、平均的な海面上昇速度は1年間に1cmという速さであった。
 最近1万年間(完新世)の前半が急速な海面上昇期であったのに対し、後半は相対的な海面安定期といえる。安定した海面に応じて河川が運搬した土砂は内湾を埋めたて、河口の位置は前進をしてきた。最近の6000年間は海面の安定期ではあるが、詳しくみると数mの上下振動を繰り返してきた。
 「百年・千年・万年後の日本の自然と人類 − 第四紀研究にもとづく将来予測」(日本第四紀学会編,1987年8月,古今書院発行)より


 《現在との年平均気温差》                      《世界と日本の動き》
      +3  +2  +1   0  -1  -2  -3  -4  -5
      -+---+---+---+---+---+---+---+---+-  最終氷期の終了
 一万年前              |                    *  縄文早期の列島人口2万人
                   |               *     上野原遺跡
 九千年前              |          *            西アジアで農耕・牧畜開始
                   |    *                  暖流が日本海に入り日本風土形成 
 八千年前              |*
               *   |                       世界各地で農耕・牧畜が始まる
 七千年前        *     |                       暖温帯落葉樹林が列島に拡大
            *      |                       縄文海進のピーク
 六千年前        *     |                       三内丸山遺跡
               *   |                       縄文中期人口26万人
 五千年前              | *                     三大河川で都市文明誕生
                   |     *                 八ヶ岳周辺の縄文遺跡
 四千年前              *
                 * |
 三千年前              |  *                    中国で春秋戦国/稲作日本伝来
                   |         *             縄文末期人口7万5千人
 二千年前              *                       弥生稲作北進
                  *|
                   |  *                    民族大移動/古墳時代人口540万人
 一千年前              *
                *  |                       中世温暖期に日欧で開墾進む
                   | *                     小氷期で北米移民/科学革命
 現在                *


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