第337回 日曜地学ハイキング記録
日曜地学ハイキング記録
第337回日曜地学ハイキングを2000年4月16日に実施しました。
1999年8月の多摩川の増水で、地層が新たに削られ、足跡化石が姿を現しました。拝島水道橋付近は、脊椎動物化石が以前からよく見つかっており、専門家から注目されている地域です。足跡化石群は水面ギリギリに露出しており、これから梅雨にかけての増水で消失する可能性が高く、今回の観察もあいにくの雨で足跡化石群は水をかぶっていました。
4月16日 JR八高線・西武拝島線 拝島駅 午前10時集合
解散は、 拝島会館 午後4時頃
今回の見学コースの概要は次の通りです.
コースの概要;拝島駅〜拝島会館〜多摩川(水道橋下)〜拝島会館(日曜地学の会総会)
持ち物;弁当、筆記用具、雨具、ルーペ、軍手、新聞紙、ビニール袋
参加費;100円
案 内;多摩川足跡化石調査団(担当:倉川 博 氏/飯能高等学校)
主 催:地学団体研究会、日曜地学の会
今回は多摩川足跡化石調査団の記者発表資料および同資料をもとに作成された建設省京浜工事事務所ホームページを参考に作成しています。背景は「アケボノゾウの足跡」(入間川足跡化石発掘調査団編:入間市博物館発行)の裏表紙の絵を使用しています。
足跡化石発見の経緯
1999年8月に武蔵村山市在住の福嶋 徹氏が、拝島橋(国道16号線)上流にある拝島水道橋付近に露出している地層から、動物の足跡化石と思われるものを発見しました。発見されたのは水道橋の上流と下流の2カ所からで、2地点間の距離は300mほどです。この地域は、かねてから脊椎動物化石がよく発見されていることから専門家からも注目されている場所の一つでした。
8月中旬の増水のために、発見時には足跡化石と思われるものは浸食によってかなり傷んでいたため、この地域の地質を調査している研究者数名により、緊急の確認調査が9月に行われました。その結果足跡化石に間違いないと判断され、関東平野西縁地域の地質や化石に興味を持ち研究をしている東京都や埼玉県在住の民間の研究グループのメンバーを中心に、多摩川足跡化石調査団(団長:菊地隆男 東京都立大学教授 第四紀地質学)が組織されました。
足跡化石群は多摩川の水面ギリギリに露出しており、春以降の増水により消失すると判断し、昭島市教育委員会の協力のもとに12月下旬に未調査部分の緊急発掘と周辺地域の地質調査がおこなわれました。(記者発表資料より)
足跡化石の概要
発掘は、水道橋の上流側の地点でおこなわれ、既に地表に表れていたものも含め約30uに24個の足跡化石が見つかりました。足跡化石群は細長く分布しており、動物が歩いた方向を示しているものと思わ れます。個々の足跡の直径は30p前後ですが、20p程度の小型のものも含まれます。 また、偶蹄類のものと思われる足跡化石も見つかりました。
この付近の地層からステゴドンゾウの一種であるアケボノゾウの化石が発見されていることから、足跡を残した動物は、アケボノゾウの可能性が高いと考えられています。また、この足跡化石の発見と時期を同じくしてアケボノゾウの幼体頭骨化石、イヌ属の前半身の化石などがすぐ近くで発見されています。
体化石はその生物が死んでから地層に埋積されるまでに、水流などにより運搬されることが普通ですが、足跡化石は地層につけられた生物の生活の痕跡(生痕)であり、その地点に足跡を残した生物が確実に生存していたという証拠になるものです。なお,関東地方におけるアケボノゾウの足跡化石としては,1991年に埼玉県入間市入間川の河床で発見された足跡化石に次いで2例目,多摩川河床では始めての発見となります。(記者発表資料より)
足跡化石が含まれる地層の地質時代
周辺地域の地質調査の結果、足跡化石が含まれる地層は上総層群と呼ばれている地層で、河川の氾濫によってできた多少湿った泥や砂からなる場所に足跡が残されたことがわかりました。時代は新生代第四紀のはじめ頃(約170万年前)と考えられています。
足跡化石を含む地層は加住礫層と呼ばれています。加住礫層は川によって運ばれた礫が主体の地層で、足跡は川沿いの湿地のような場所につけられたと考えられます。加住礫層の上に重なる小宮砂層は貝化石や生痕化石を含む地層で、この中からはアキシマクジラが見つかっています。小宮砂層に含まれている火山灰が、多摩丘陵の堀之内火山灰=約150万年前に対比されます。また、足跡化石よりずっと下位の加住礫層に含まれる山の谷火山灰の年代が約200万年前とされており、その中間となります。