アイスマン
価値観ってものは人それぞれ違う



私の価値観と大きくかけはなれているども



それは登山家



はっきりいって何が楽しいのかわからん



高い所からの景色をみたいのであれば飛行機で十分



苦しさや充実感を味わいたいならトライアスロンにでもでればよかろう




なぜゆえ山なのだ!!




ましてや死んでしまうかもしれないというのに・・・



まったくの謎です



登山家といえば思い出されるのが英国の登山家、ジョージ・マロリーである



「なぜ山に登るのか」の問いに「そこに山があるから」と答えたのはあまりにも有名



彼は登山家連中の中ではカリスマ、もしくは名言を残した人という地位なのだろう





本当に名言なのだろうか?








その答えはである







「そこに山があるから」



無鉄砲さ100%の発言である



考えてもみてくれ





連続レイプ犯(Kとしよう)がいたとする



刑事「どうして見知らぬ女性にイレたんだ?」



K「そこに穴があるから」




はたしてこれでも君はマロリーの言葉を名言といえるのか?



例が極端すぎると反論する方もおられるだろう



しかし本質的には同じことではないだろうか



マロリーの言葉を正当化するのであれば、それは同時に犯罪者Kをも正当化することになる






アイスマンという人物をご存知だろうか?



1991年にオーストリア・アルプスの氷河で、約5000年前のミイラが発見された



歴史に興味のある私にとってはかなりビッグニュースであった



今まで想像の中でしか逢えなかった当時の人がそこにいるのだ



でもアイスマンの立場にたってみるとすなおに喜べない



「死して名を残す」ほど名誉なことはないだろう



しかし「死して屍を残す」ほど不名誉なことはない



またCTスキャンやDNA測定などの検査



彼もまさか5000年後にこんな状況に陥るとは夢にも思わなかったであろう



しかも正式な名前があるだろうに、勝手に「アイスマン」って名づけられるという屈辱



俺ならばそんな状況には耐えられない





さて登山家の話にもどる



無事登頂に成功し、帰還すればノープロブレム



だが遭難しそのまま死んじまう可能性はかなりであろう



しかし山での遭難の場合、気温の低さで遺体がそのままになる



もしくはミイラ化してしまう



つまり 遭難死→アイスマン という道が用意されている



何千年後かに発見されるとしよう



「当時の人間のミイラ発見!」という見出しで(ミイラ化した写真付き)新聞の一面を占拠



勝手に命名され、検査をうけるという屈辱



その屈辱に耐えうるなら私は止めません



 
    アイスマン氏 約5000歳



それでも登ると言う輩がいましたら



呼ばせてください、兄貴!
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