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‥‥2007年3月17日追加。 これ。 |
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歩くピッチパイプ 【あるくぴっちぱいぷ】 | 1980年頃 | kin | 1999年10月28日 |
合宿にパンポロリンを持っていくのを忘れ、音取りできなかったときに、 チューニングピッチパイプ(歯車みたいな吹くハーモニカ)で音取りした経験があります。 そ、kinのことです。あのピッチは回しながら吹かないとメロディにならないので唇が痛くなってね。 でもパート内では曲芸と思われたのか絶賛をあびました。しかしここで懺悔。 そのピッチは都の合唱祭の連続10回出演の記念品だったのです。 2台もらったうちの1台を私が失敬したわけ。今でも活躍してます、家で。だから許してね。 |
アルティー 【あるてぃー】 | 1993年頃 | こみゅーん | 1999年10月30日 |
アルト内で行われるお茶会のこと。 |
アルドリフ 【あるどりふ】 | 1993年頃 | こみゅーん | 1999年10月30日 |
コンパにおけるアルト芸。ドリフターズの曲に合わせ歌い踊る。 「歌と笑いの二本立て」のアルトとして一人前になれるかは、 いかに自分を捨ててギャグに走れるかにかかっているらしい。 |
ウポポ 【うぽぽ】 | 1993年頃 | こみゅーん | 1999年10月30日 |
外渉の俗称。まっきー先輩が創始者である。早稲グリかどこかが演奏した 「アイヌのウポポ」が語源であるらしい。 その時のチラシのポーズを真似て、お尻をキュッと突き出したポーズを取る習性がある。 |
ウナギ 【うなぎ】 | 1985年頃〜 | ニシナガ | 1999年10月22日 |
部所有のカセットデッキを指す。80年代後半、部費で購入したカセットデッキが、高性能との前評判に反して、内蔵マイクがない、 スピーカーは外付けなどの不備が購入後に発覚。最も悪評だったのが、取っ手がなく、持ち運びに不便。 つかみ所がない→よってウナギと命名された。今(90年代後半)はジュニアが跡目を継いでいるらしい。これも伝統である。 |
エコーズ 【えこーず】 | 1999年10月22日 | ||
二松学舎大学混声合唱団コールエコーズの略称。 合唱団の名称として、 普通はコール某や某エコーは多いが、コールとエコー(ズ)がくっつくのも珍しい、と、誰かが言っていました。 |
エコーズ酒飲み会 【えこーずさけのみかい】 | 1996年〜 | えで | 1999年11月17日 |
時に1996年、九段下「さくら水産」という店にて発足!当時のメンバーは私とかまきり先輩、
こみゅーん先輩、うとちゃん先輩の4人でした。
いつも飲みに行くとすれば、このメンバーしか揃わない事から結成され、日頃来ないような人にも誘いやすくする事を目的としました。
初代会長はかまきり先輩で、2代目を私が勉め、S先生を名誉会長に推戴しております。 部活内の内渉が仕切る飲み会とは別物としており、2次会、単なる飲み会の幹事を会長がすること以外は、特にルールはありません。 まぁ、飲み会での最低限のルールを守らせること、くらいですかね。 今では、OB・OGの皆様方との交流会を企画、運営、 幹事も会長の仕事になっています。 残念ながら、後継者不足のため、本年度を最後に消滅が危惧されていますが‥‥。 |
sp 【えすぴー】 | 1992年頃 | ひなっち | 2000年5月21日 |
人名の後につける。『先輩』の略。もともとはリアル版病気ノートで、 画数の多い『先輩』と書くのが面倒なので使われはじめた。誰が最初に使い始めたのかは不明。たぶん同期〜2コ上の先輩あたりだと思う。 |
快傑ズバット 【かいけつずばっと】 | 1977年放映 | ニシナガ | 1999年11月17日 |
爆音とともに響く12発の銃声!その凶弾に倒れた青年科学者・飛鳥五郎の敵を討つため、親友の早川健は真犯人を探し、 悪の組織を滅ぼすべく、さすらいの旅に出るのであった。 |
格闘技宣言 【かくとうぎせんげん】 | 1984年 | ニシナガ | 1999年10月22日 |
サッカー狂の新入部員が、当時の日本サッカーリーグ(JSL)のキャッチフレーズを勝手に流用。 合唱祭の紹介でも「合唱は格闘技だ!!」とぶちまけ、審査員を煙に捲いた。 Jリーグ、ワールドカップ出場や 開催など、夢のまた夢、という頃でした。 |
緊急座談会【きんきゅうざだんかい】 | 1990年頃 | たかぽこ | 1999年10月24日 |
当時、ワープロを買ったばかりではしゃいでいた中島が、調子に乗ってプリントアウトして病気ノートに投稿したわが学年5人の座談会。 部員5人の模写が上手くいったと自画自賛しながらも、自分の没個性ぶりに、中島がアイデンティティの確立を急いだという事実は誰にも知られていない。 |
クリニカ【くりにか】 | 1990年頃〜 | たかぽこ | 1999年10月24日 |
次期沼南代表・副学生指揮者・諸係を決めるための話し合いのこと。主に沼南校舎の学食で行われた。クリニカ命名の由来は以下の通り。
来期の構想→構想→こうそ→酵素→酵素入り歯磨き→クリニカ |
劇団ばら百合【げきだんばらゆり】 | 1984年頃 | ニシナガ | 1999年10月28日 |
‥‥というのも女声パートで流行っていたような記憶が。演劇サークルに「白百合」だったか「黒ばら」などというのがあって、
対抗したらしい。直接は無関係でしょうけど、柏のガーベラかリヨンで、よくやっていたお芝居‥‥
泣き落としに屈してカツ丼ならぬピラフをかっこむ犯人役‥‥ニシナガ というのもあった。 |
近藤名奈 【こんどうなな】 | 1993年デビュー | ニシナガ | 1999年10月22日 |
合唱とも二松学舎大学とももちろんエコーズとも何の関係がないのですが、このサイトの管理者が大ファンなのです。
11月1日に新曲「根拠はないけど」発売。
ニッポン一、いや世界一、宇宙一の歌手。 附記 ニシナガは追跡者の本能の命ずるまま、浜松で遂にご本人に遭遇、握手三回、 サイン入り色紙までもらい、その写真をHPで公開するや、他の熱狂的ファンから恨まれ、追われる身になったのであった‥‥ 附記その2 3月18日、中野督夫氏のライブにゲスト出演。その情報が流れるや、ファンが殺到、集結した名奈ファンの数は中野ファンを遥かに凌駕していたという‥‥ 附記その3 平成十二年中は、夏には横浜などでライブを三日間も開催! 更に秋に追加公演を二日、そして新世紀を迎えた一月にも二日間‥‥ 附記その4 そして凱旋! 故郷の名古屋にて、3月30日にライブが行われました。 ‥‥さて、次回は? |
小室 等 【こむろひとし】 | 1984年〜 | ニシナガ | 1999年10月22日 |
この方も、合唱やエコーズとは何の関係はないのですが、やはりこのサイトの管理者が大ファンなのです。フォーク会の大御所。 最近ではNHKみんなのうたで「まゆげの唄」を発表。 |
クロワッサン【くろわっさん】 | 1984年頃 | ニシナガ | 1999年10月28日 |
サニーレタスの別称。 |
ごきぶりの歌【ごきぶりのうた】 | 1985年 | ニシナガ | 1999年10月28日 |
この年の課題曲、「杉の木の歌」三曲を全て替え歌にしてしまった。下手人はテナーである。 例「屋久杉は三千年の歴史を生きた‥‥」→「ゴキブリは三億年の歴史を‥‥」 しかも男声3部(女声は当然、不参加)で朗々と歌い上げるまでに磨きをかけ‥‥ そのままお蔵入り。あ、歌詞を無断引用してしまった‥‥ |
合唱戦隊テノール・V【がっしょうせんたい−】 | 1987年 | ニシナガ | 1999年10月28日 |
平和の歌を守るため、テノールから選ばれた5人の戦士が悪の軍団に挑む!
全三話が作成され、続編「超合唱ベースマン」へと正義の戦いは継承される‥‥
いいのかな〜、このネタ載せちゃって‥‥ |
公認HP【こうにんほーむぺーじ】 | 1998年 | ニシナガ | 1999年11月3日 |
ここです。テナーの頭脳が生み出した、WEB上に展開するマニアックな世界‥‥
当初は「長屋の路地裏」の中で、 サッカーや 駅そばに埋もれていたが、1998年の終戦記念日に独立、以降、 多くの卒業生を悪夢の世界に引きずり戻し、現役生にまで汚染は広がりつつある。 ああ、これから何処へ向かうのだろうか‥‥ |
ケンタッキー 【けんたっきー】 | 1980年頃 | Kin | 1999年11月4日 |
ケンタッキー→フライドチキン→鶏腿の揚げ物→揚げ足鶏→人の揚げ足を取ること。 |
殺気 【ころすけ】 | 1996年頃 | こうづき | 1999年11月26日 |
「さっき」とは読みません。ソプラノのK野先輩によると「ころすけ」と読むそうです。 何故か分かりませんが、K野先輩は妙にこの読み方にこだわっていました。 別にコロッケ好きの某からくりロボットとは関係ないらしいです。 でも、読み方自体は結構キテレツだと思う‥‥。 |
柏駅周辺 【かしわえきしゅうへん】 | 大黒屋 | 1999年12月29日 | |
二三年前まではフツーのところだったが、いつの間にかカリスマ店員なるものがいる、トレンディー(死語)な町へと変貌していた。 この前「アド街ック天国」で取り上げられたとき、30位から1位まで、知っているスポットがひとつもなく、衝撃を受けた。 |
カチカチ 【−】 | 不明 | ひなっち | 2000年5月21日 |
パート練の音取りの時の拍打ち。メトロノームの役割をする。 うっかりシャーペンでやると中の芯が粉々になってしまうのでボールペンや定規がちょうどいい。 |
カ(以下削除) 【−】 | 2000年頃 | たかぽこ | 2000年8月12日 |
テノール(のごく一部)で突如大ブレイクしたWIN用のゲーム。 「Kan○n」とも表記する。 内容は、羽根つきリュックを背負った女の子が「うぐぅ」と言いながらたい焼きを食べるもの。 その内容にテノールめろめろ。困りものです。 |
さわらび 【さわらび】 | 1980年以前〜 | ニシナガ | 1999年10月22日 |
明治大学さわらびコール。合同ハイク、コンパ、そしてジョイントコンサートを行うなど、長年交流がある。 もちろんホームページも相互リンク(最近、あちらが行方不明)の間柄。にも関わらず、カップルが誕生したと聞いたことがないのはなぜ? |
新体連 【しんたいれん】 | 1984年頃 | ニシナガ | 1999年10月22日 |
格闘技宣言により、エコーズは文連を脱退、しかし保守的・閉鎖的な体連に加わることを潔しとせず、 独自に設けたカテゴリー。机上の空論に終わり、後年、地下に潜った。 |
白鷺ダンス【しらさぎだんす】 | 1992年頃 | たかぽこ | 1999年10月24日 |
定演で演奏した「白鷺」という曲にあわせて踊る優雅なダンス。
応用として激しい動きの「老鶏ダンス」もある。 はたはたあーあはたはた。 |
サニーレタス【さにーれたす】 | 1984年頃 | ニシナガ | 1999年10月28日 |
この年の夏合宿の一日、食卓を彩ったサニーレタス‥‥その名称を度忘れしたテーブルの面々、同席のN先輩に尋ねた所、間、髪を入れずに
「これはー、クロワッサンだよー」と一言。 ついうっかり「あ、そうか」と納得してしまった方も情けない。後日、誤解は解けたが‥‥ |
舎歌 【しゃか】 | ? | こみゅーん | 1999年10月30日 |
二松学舎大学のいわゆる校歌。以前はピアノ伴奏がなかったようだ。入学式ではエコーズによる舎歌指導が行われる。
九段会館の壇上で先輩がおっしゃった言葉、 「しゃかはしゃかでも、お釈迦様のしゃかではありません」 当時新入生だった私が入部を決意したことはいうまでもない。 |
新大手町 【しんおおてまち】 | 1992年頃 | りき | 1999年12月25日 |
方向音痴としての呼び声高い私が、(注:都民なのにハチ公を知らなかったり、銀座和光を知らなかった) 沼南練に向かう時、千代田線の「新御茶ノ水駅」でなにを狂ったのか、 「ああ、まだ新大手町だよ。良かった」などと想像で作ってしまった、新しい駅の名前。 これ以降、僕の4年間は、辛酸をなめつくすことになり‥‥(以下略)(TT) |
ジンマシンタロウ 【じんましんたろう】 | 1991年頃 | 大黒屋 | 2000年2月2日 |
農夫さまの変身後の名前。いつもは合唱を愛する好青年だが、お酒を飲むとひとたび、正義の味方
ジンマシンタロウとなり、体中にじんましんが走るのだ!(かっこいいぞ) 普通はショッカーに改造されるが、彼の変身に至るまでの過程はまず春合宿に参加したことにより始まった。 がんがん歌の練習をし、疲労がピークに達したところで打ち上げでこれまたがんがん飲みまくった結果、 自ら肉体を改造してしまったのである。(すごいぞ) 今日も農夫さまは、愛と平和のために歌い続ける。がんばれ農夫さま。 僕たちは応援しているぞ! 後楽園遊園地でジンマシンタロウと握手! 附記 ジンマシンタロウ‥‥この名前は、 何をかくそう私が言った名前です。 (農夫さまごめん‥‥)春合宿の時、農夫さまがおさしみにあたってしまい、次の日顔にじんましんが出てしまいました。佐竹先生は、その顔を見て、 寄らないでくれる?と苦笑い。同じ執行部の私には農夫さま、 ジンマシンタロウなんじゃん??とからかわれ、農夫さまにとってはさんざんな思い出だっと思います。 その後、ジンマシンタロウを、 漢字で陣間真太郎と書くことを、 執行部会で決めました。(また農夫さまに怒られそうだな‥‥) まっきー |
GI 【−】 | 1994〜95 | 鉄屋 | 2000年8月15日 |
競馬のレースの中で最高級のレース。エコーズ的には、 前日土曜日に農夫先輩が女子の後輩にどの馬がいい?と聞きまわる行動。 その結果の成否には責任をもてないが、99年ジャパンカップにおいて、 インディジェナス(14人気2着)を指名するなどなかなか侮れないところもある。 |
高美者 【たかびしゃ】 | 1994年春合宿 | ひなっち | 1999年11月3日 |
この年のソプラノのパート目標である。同音異義『高飛車』なひなっちがパトリだったせいか、ひなっちが考案したと思われている‥‥が!! 実はゆきぼー先輩が考案者なのだ!!! 春合宿のパート目標を決めるソピーのみのミーティング中、ゆきぼー先輩が、(目を輝かせながら) 「高く美しい者でたかびしゃってどお?」と発言されたのだった。もちろん満場一致で決定。 全体のミーティングで他パートに発表した時も、大ウケもとい、一目おかれたものであった。 |
宝箱 【たからばこ】 | 1980年頃〜 | kin | 1999年10月28日 |
九段の部室にあった冷蔵庫。汚くて誰も触りたがらなかった。中身は‥‥推して知るべし!誰の寄贈だったかなあ‥‥まだあるのかなあ。 |
ちょはら 【ちょはら】 | 1993年頃 | こみゅーん | 1999年10月30日 |
「超腹へった」の略。だったような気がする。ベースのS本先輩のお言葉。
附記 『ちょはらじゃー』が正しい活用法よ。ひなっち |
定演 【ていえん】 | 創部〜 | ニシナガ | 1999年12月10日 |
定期演奏会のこと。毎年11月から12月頃に必ず実施。その年度の総決算でもあり、部を挙げての一大イベントです。 どんなに部員が少なくても、どんな難しい課題曲を選んでも、 日本がワールドカップ出場を逃しても、必ず実施します。なぜなら、一度でも実施しないと、 不定期演奏会になってしまうから。 2002年3月(2001年度)までで、三十五回を数えます。 詳細の記録はこちらからどうぞ。 |
テナー/テノール 【てなー/てのーる】 | 創部〜 | ニシナガ | 1999年11月1日 |
講談社『日本語大辞典』によると、男声の最高声域だそうです。そんなことはどうでもいいんです(笑)。 エコーズにおけるテナーとは‥‥一言、ねじ曲がっている、と思います。そして自分の世界を持ち、 さらにそれを現実化してしまう‥‥ で、そのねじれ具合がうまく噛み合えば、抜群のチームワークとハーモニーを形成する。 噛み合わないと‥‥ まず、土台を支えるアルトやベース、主旋律のソプラノに比べ、中途半端である。 ソプラノが歌詞がこうだから曲想は‥‥とやっているときに、テナーはひたすらハミングや「るんるん‥‥」などの繰り返しである。 その反復の間で脳細胞があらぬ方へ彷徨してしまうのです。そんなところではないでしょうか。あくまで個人的見解です。怒らないでね。 そうそう、最近ではマニアックと呼ばれているらしい‥‥ |
等身大ポスター 【とうしんだいぽすたー】 | 1996年〜 | たかぽこ | 1999年12月18日 |
以前大流行した国民的美少女戦士アニメのキャラクターの等身大のポスター。部屋に張ると生活に潤いが出る。 貼って以来ボクの部屋では「家主には挨拶をせずポスターにだけ挨拶するヤツ」や、 「下から覗き込むヤツ」が後を絶たなかった。余談ですが、 ボクは「赤い人」のポスターが欲しかったのだ。ホントはね♪ |
卓球 【たっきゅう】 | 不明 | たかぽこ | 2000年1月26日 |
説明の必要のない、日本においてはポピュラーなのにマイナーとされるスポーツ。もっとも、
天才少女が登場したあたりからイメージも変わってきているようだが。 エコーズにおいては合宿の定番だった時期があり、 投稿者1年の春合宿では「卓球台の有無」を宿に確認をしてほっと胸を撫でおろしたことも。 なお、結構心得のある人間がいるもので、好敵手を求めていた指揮者の先生のお相手には事欠かなかったような気がする。 |
タタッキー 【−】 | 1994年頃 | ひなっち | 2000年5月21日 |
カチカチをする人。ほぼカチカチと同義。 |
ダイエット宣言 【−】 | 1997年 | こうづき | 2000年4月2日 |
飯田橋のゲームセンターで、S先生とよっしー(兄)先輩、こうづきの3人でプリクラを撮った時に選択したフレームのこと。 フレームの下部にダイエット宣言と書いてあり、何となく面白かったので、それを選択した。しかし、よく考えたら、 プリクラを撮った本人たちは、皆やせ型の体格で、ダイエットする必要などまったくない。撮り終わった後に、 他の部員から何でそれにしたんですか?と突っ込まれてしまった。(笑) |
二松学舎大学 【にしょうがくしゃだいがく】 | 1880年頃〜 | ニシナガ | 1999年10月22日 |
時に明治中興、押し寄せる西洋文明に対し、東洋古来の伝統文化を忘れじとの気概を以って、三島中州師が起こした。ってことは、 西洋音楽に依っているエコーズは二松の鬼っ子なのでしょうか? |
似てねぇモノマネ 【にてねえものまね】 | 1884年〜 | ニシナガ | 1999年10月31日 |
武田鉄矢、田村正和、柴田恭平、高島忠夫、その他諸々。 |
似てる物まね 【にてるものまね】 | 1996年〜 | たかぽこ | 1999年12月18日 |
しゃかもと君(仮名)のやる某先輩の物まね。以前、彼は九段下の駅から505教室に入るまで、ずっとその先輩のまねをしていたことがある。
とにかく絶品でした。聞いていたのがたかぽこだけだったのが悔やまれるところ。 ちなみに彼は見境なく物まねをしていたので、 結構似てないのもありました。 |
西船橋のヤクルト 【にしふなばしの−】 | 農夫 | 2000年4月18日 | |
これは、江東区近辺で外部練があった時、柏方面在住者は西船橋経由で帰ることが多かったのですが、乗り換えのこの駅で行われる恒例バトルです。 ここで誰かが必ずジュースを買おうとしますが、その時周りの者が、販売機のボタンをそれぞれ好き勝手に押すのです。 もっとも確率が高かったのがヤクルト(仲良く2個)。練習に疲れた喉に染みました。その後、60円のヤクルトが出るのは当たり前と判明。 同じ価格帯に限定したルールが出来ましたが、お汁粉やコーンスープが出てくるなどなかなか楽しめました。 こうして何気ない一時にも部員の親睦は深められていたのでした。綺麗にまとめたな、おい! |
NORIO 【−】 | 1993 | えむてん | 2000年8月23日 |
(1)
スプレーのりの商品名。発売元は住友スリーエム。
本体缶側面に「僕、しっかり貼れるノリオです。」とある通り、強力な接着力が特徴。
姉妹品に「貼ってはがせる」NORIKOがあり、
定演編集係がお世話になるのは後者。 (2)エコーズの指揮者、佐竹先生のお名前。練習後のお茶のとき、 りきが先生同席の場で「ノリオクン」と口走ったため驚いて振り向かれた先生に、 えむてんが(1)の説明をして半ば強引に御納得いただいた、という事件があった。 |
バッハッハ 【ばっはっは】 | 1993年夏合宿中 | ひなっち | 1999年10月25日 |
ソプラノはセカンドパートのみでバッハ・グノーのAve Mariaの音取りの最中、りゅうが何を思ったか、 「バッハが笑った。バッハッハ。」と言ったのが運のつき。その後卒業までロングヒットをとばす流行語となった。 劇団名、歌、発声など様々な用途で愛されることとなる。 |
バルディエル 【ばるでぃえる】 | 1996年〜1997年頃 | こうづき | 1999年11月26日 |
某エヴァに登場した使徒の名前。参号機を乗っ取った敵として有名で、プラモデル化もされた。沼南の部室には、 こうづきが作ったそのプラモがある。沼南の部室にシン○君のポスターを貼ったら、 30分後に他の部員からクレームがきて、泣く泣く自ら剥がしたこうづきが「これならOKだろう」と思い、 部室の棚の上に置くことにした‥‥というのがその経緯である。しかし数ヶ月後、 ある後輩がそれを見て何か思うところがあったらしく部室を掃除、その時、使っていないレターケースの中に哀れにも収納されてしまった。 |
パンポロ 【ぱんぽろ】 | 1982年頃〜 | kin | 1999年10月29日 |
もともと「パンポロリン」と言っていたのが一期上のN先輩。いつ頃「リン」がとれちゃったの? 当時2台しかなくて、
私等の卒団時に記念品として2台献上、全パート分そろったんだヨ。
附記私たちの卒業記念品として、専用ケースを2台分寄贈しました。ニシナガ |
病気ノート 【びょうきのーと】 | 1980年頃〜 | kin | 1999年10月29日 |
最初はごく真面目な団内日誌としてスタートさせたのが、80年代初頭。 しかし当時「気違エコーズ」と呼ばれていたエコーズにまともな日誌がつづくはずもなく、「気違ノート」と言っていた記憶があるけど、 ちょいと自信がありません。最近ではWEB上にも現れた‥‥ |
ファイト! 【ふぁいと】 | 1984年 | ニシナガ | 1999年10月22日 |
本当は“f”なのでフォルテ。楽譜も読めないで入部した暴れん坊たちが勝手にそう解釈した。ちなみに“ff”はダブルファイト、“p”はパワー。
この解釈で歌うと指揮者が卒倒する。 附記mfはメガフォルテ(メガファイト?)といいました。Q崎 附記2Might&Fightと言った記憶もあるが‥‥ニシナガ1999年11月17日 |
ぽんぽこぺん 【ぽんぽこぺん】 | 1980年頃〜 | kin | 1999年11月5日 |
学舎祭でエコーズが出すカレーハウスの屋号。前年にサンドイッチ屋「森のくまや」がふるわなかったので、 ごはんものにしよう、ということからカレー屋になった。「ぽんぽこぺん」は、 知る人ぞ知るわれ等の一期上のA大先輩の命名、というより苦慮・熟考の果てに、彼の「ぽんぽこぺん‥‥」、 というつぶやきから決定された。 |
ボーイスカウト芸 【ぼーいすかうとげい】 | 1997年夏 | こうづき | 1999年11月26日 |
ボースカウトに所属していたよっしー先輩と、
現在も一応所属しているこうづきが、
やはり少年時代に所属していた佐竹先生を笑わせるために夏合宿で行なった芸。 ボーイスカウトで教わったキャンプの歌 『キャンプだホイ!』の歌詞を宿泊先の地名に合わせてアレンジした、 『土樽だホイ!』を歌った。評判はそれなりに良かったが、 歌った二人が共通して知っている歌が他になかったので、結局1回かぎりの芸になってしまった。 |
船で海を旅することになる 【ふねで−】 | 1980年頃 | Kin | 1999年11月4日 |
言うまでもなし。
航海することになる→後悔することになる。 何かを部会で決めるとき、 当時の部長の「本当にいいんですか? 船で海を旅することになりますよ」と言ったのが発端。 |
部長&学指揮オンステージ(仮題) 【‥‥】 | 1996年〜 | たかぽこ | 1999年12月18日 |
沼南練習のとき、幕が閉じた状態でステージに上がっておき、ポーズを決めてから幕を開けてもらっていたしゃかもと君(仮名)とたかぽこのこと。いや、 あの幕電動だったから、つい。 |
ひわいたいそう 【ひわいたいそう】 | 1980年代初頭 | kin | 1999年12月22日 |
アルトの夏合宿の芸の一つ。 「右肩あ〜げて左肩あ〜げてもいちどあ〜げてよく振ってホイ」というフレーズを頭の先からつま先まで延々と続ける。途中 「あ、よいさよいさよいさよいさ」という合いの手が入るとそのままの格好で一回転。少しでもふらついたり、 息が上がったりしたら、その後、地獄のパト練が待っていた(‥‥というより当時パトリのkinがただそうしただけ)。 さすがにその横暴極まりないパトリが4年を迎えると同時にその芸も闇に葬り去られ、最後の年はピンクレディーのメドレーになった記憶がある。 そのほうがよっぽどハードでした。へーへー‥‥ |
部室の本棚 【ぶしつのほんだな】 | 大黒屋 | 1999年12月29日 | |
そこは合唱部らしく楽譜や声楽の教本、教科書が入ってる。しかしそれに混じって、「オルフェイスの窓」 「恐怖新聞」「サイファ」 「コージ苑」(九段)、「美少女戦士セー○ー・ムー○」 「われら混声合唱団」(沼南)なども入っており、部員たちの趣味の広さを物語っている。 |
浮浪者ごっこ 【ふろうしゃごっこ】 | ツナ子 | 1985年頃 | |
合宿の自由時間に廊下の片隅などに数人が集まって、無気力に床に座る。会話として「腹減ったな」「あぁ」など。 首にタオルをひっかける、ごみ箱を覗き込んだりするなどのスタイルはなかなか真に迫ったものがあった。 練習しなくても誰でもすぐにできるため連日のように行なわれたが、すぐに飽きられた遊びだった。 |
マニアック 【マニアック】 | 1985年頃 | ニシナガ | 1999年11月2日 |
テナーの別称。 でもさ‥‥マニアックなのがテナーなんじゃなくて、テナーのごくごく一部がマニアック‥‥ ではないんでしょうか‥‥え、違うの‥‥? |
メキシコの青い空 【めきしこのあおいそら】 | 1985年 | ニシナガ | 1999年10月28日 |
1986年メキシコ・ワールドカップのアジア地区最終予選、日本は韓国とのホーム&アウェイの一騎打ちとなる。 ホームの国立競技場、土曜日の全体練習をすっぽかして日の丸・チアホーンで武装したニシナガは、 伝説の木村カズシさんのFKを聖火台の横から目撃することになりました。結局、1−2、 0−1で二戦二敗‥‥ ドーハ以前に最も世界に近づいた日でした‥‥ メキシコの青い空は、後年特番のタイトルにもなる、 実況を担当したNHKの山本浩アナの名文句。 附記後年、その山本アナの倅の授業を受け持つことになろうとは‥‥。ニシナガ2007年3月17日 |
山登り 【やまのぼり】 | 1985年頃 | ニシナガ | 1999年11月2日 |
テナーのコンパ芸。 最低3人で実施可能。2人が懸命に断崖絶壁を登る‥‥すると落石が! という芸。 全く伝承されず、闇から闇へと葬られた。 |
龍語録 【りゅうごろく】 | たぶん1995〜 | ひなっち | 2000年1月13日 |
りゅうの名言集。ひなっちの手帳の中に書き留められている。
同期の集まりでさりげなく使用すると、りゅう以外の全員は幸せになる、不思議なコトバ。 ほとんどはりゅうの言いマチガイなので、 りゅうにとっては屈辱らしいが‥‥ひなっちにとってはライフワークである。 りゅうが生きている限り、龍語録も増えつづけるのだ! |
レナウンのCMソング 【−】 | 1995年頃まで | シア | 2002年4月17日 |
ソプラノが合宿時に宴会芸として利用。宴会にふさわしいノリの良さと、少し色っぽい踊りは、見る者を魅了し、 またこの芸を深く愛する者も少なくなかった。ただ初めて見た者(特に男性)にとっては、かなり刺激的だったらしい。 いつ頃から始まったのか分からないが、1990年半ばまで続いていたことが確認されている。 |
わさびコール 【わさびこーる】 | 1980年頃 | Kin | 1999年11月4日 |
明大さわらびコールの愛称、と言うより、こっちが勝手につけて遊んだ。 向こうからは 「コールえいず」と返ってきた。笑えない冗談だ。 |
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