1975年12月24日 |
キャロル解散ライブTV放映。 ☆キャロルとは・・・ |
1978年 | K市でポツポツ行われるようになったダンスパーティー −略してダンパ−。 映画「アメリカングラフティー」の影響もあってか30〜40はあるロックンロールバンドがグングン洗練されていく。 その中で、フミヤの「カルコーク」とトールの「シェイク」がK市の2大ダンパ・バンドとなる。 |
1979年 | 「カルコーク」「シェイク」解散 |
1980年 | チェッカーズ誕生! −キャロル、クールス、コースターズと、Cで始まってSで終わる名前がスキだったので ”CHECKERS”。 「このK市始まって以来のカッコイイバンドを作る」 この思いで、トールはフミヤの家へ。トールの勧誘で、ふたりは組むことになる。 あと、ボーカルは2人、ベース、ドラムを探さなきゃと相談しているところにモクがやってくる。メンバーはこれで3人になった。 その翌週、ナオユキがベースとして参加することになった。 ちょうどその頃、全盛期の勢いはなくなったものの開催されていたダンパでちょっといいボ−カルがいるとの情報が入ってきた。 マサハルである。ある日、会合場所に来るように誘う。何も知らないマサハルが入ってくると 「オメデトウ。君も今日からチェッカーズ」 ???という間にメンバーは5人になった。 次のターゲットはユウジ。別のバンドを組んでいたユウジはつれなかったが、そのバンドも解散。と同時にチェッカーズに。 よって、ナオユキはベースからサックスに。 |
1981年 | 残るはドラム。天才ドラマー・クロベーに白羽の矢が。でもクロベーは「キューティス」というバンドを組んでいた。 6人全員で引き抜きにかかる。 ある日クロベーを呼び出し、車に押し込む。クロベーは6人にかこまれ「山に埋める」と脅迫された。 これで、チェッカーズ7人そろった。 |
1981年8月 | 第8回L−MOTION(ライトミュージックコンテスト)本選大会 ジュニア部門グランプリ受賞 |
1981年9月 | LMCジュニア&レディス大会グランプリ受賞 |
プロになる話が来た。けれど、ナオユキとクロベーは高校生。この2人の卒業を待つことになる。 その間、マサハルとユウジは大学へ。フミヤはウエイター、弁当詰めから国鉄へ。 トールは楽器店でセールスマンとして高い評価を受ける。 水曜日にミーティング、日曜日は練習を欠かさない。 |
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1983年3月15日 | K市でラストコンサート。 |
1983年3月29日 | 東京上陸。 |
1983年7月4日 | チェッカーズカット誕生。 |
1983年9月21日 | チェッカーズ旋風・日本上陸の日 退屈退治とココロのフリーセックスを合言葉に 芸能芸術労働者チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」でデビュー |