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Chit Chat #3 |
紙で指を切った |
S「その時、通りの向こうからケビンが走ってきたわけよ。鬼のような形相でね。そりゃまあそうだよねえ、サンディとコニーが平然として町を闊歩してるとなれば。」 D「うん。」 (指の背を唇に挟んだまま頷くD。) S「3ブロックほど向こうから、こうダーッと。土煙巻き上げて。馬車馬のように。サンディとコニーも、ケビンが走ってくるのに気がついた。逃げた方がいいよね?」 D「うん。」 S「でも、ケビンはハイスクール時代、なかなかの中距離走者だったんだ。ハードル選手だったっけかな? 今も日に2回、ジムに通っているっていうスポーツマン。そんなのに追いかけられて、女2人、無事に逃げきれるわけがない。ポリスでも呼ばない限りは。だけど、サンディとコニーは、ポリスを呼ぶなんてこと、もちろんできやしない。」 D「うんうん。」 S「2人は辺りを見回した。タクシーを捕まえて、乗り込んで、ケビンの前からトンズラしちまおうってハラで。しかし、そういう時に限って、タクシーなんて都合良く走ってないもんだよね。本当に、必要な時には捕まらないんだよ。必要ない時にはブンブン走ってるってのに。」 D「うん。」 S「サンディとコニーは、走って逃げるしかなかった。だけど、彼女たちはヒールのついたサンダル、片やケビンはプーマのスニーカー。ナイキやアディダスじゃないってとこ、ポイントね。」 D「うん。」 S「振り返り振り返り命懸けで走るサンディとコニー。あっ! コニーが足首を捻って道に倒れ込んだ。何してるのよコニー、あんた死にたいの? サンディがコニーの腕を引いて立たせ、2人は走り続けた。しかし、2人とケビンの間の距離は、どんどんと縮まってくる。怒り狂ったケビンがサンディの首根っこを掴もうとしたその瞬間!」 D「うん。」 S「突然、横のドアが開いた。」 D「うん。」 S「ドアに顔面を強打したケビンは、その場にくず折れた。白目を剥いて。ラッキー、今のうち逃げるのよ。そうしてサンディとコニーは逃げおおせ、ケビンはと言うと、現在、精密検査を受けるべく入院中。」 D「うん。」 S「って言うか、むしろ、意識を取り戻さないんで、植物人間。」 D「うーん。」 S「サンディとコニーは、聞いた話じゃ、今、ナッソーにいるって。」 D「う?」 S「ナッソー。フロリダの先の。」 D「う、う。」 S「どうしたの、あんた、さっきから。」 D「指切った。」 S「包丁で? チェーンソウで? 二枚刃の剃刀で?」 D「これは、多分、紙で切ったんだろうな。痛痒くてたまらん。」 S「何だ、その程度か。」 D「何だとは何だ、失敬な。」 S「俺なんかしょっちゅう紙で指切ってる。」 D「お前がか? 紙を触るってことさえないように思えるんだが。」 S「コピー機運が悪くてね。」 D「コピー機運?」 S「そう。ちょっとコピーしたいな、と思ってキンコース行くと、必ず“用紙がありません”ってインジケーターが点灯してるんだ。」 D「用紙の補給は店員にやらせろ。」 S「俺もそのつもりで、店員に“紙がないんですけど”って言うんだよ。そうすると、店員は包みごと紙を渡してくれる。ひどい時は箱ごと。」 D「で、お前が紙を補給するのか?」 S「うん。おかげで俺、コピー機に詳しくなった。」 D「そんなことで喜ぶなよ、哀しい奴だな。コピー機に詳しくなっても、それで指切ってたらトントンだろ。」 S「まあ、指の傷は治るから別にいいんだけど。」 D「よくない!」 S「そうかな。紙詰まりも直せるようになったし。」 D「そんなに仕事を覚えたければ、職業訓練所へ入ればいいだろう。少なくとも、職業訓練所で真面目に仕事を学んでりゃ、紙で指を切るようなことはない。」 S「職業訓練所の電ノコで指落とした奴の話、知ってる?」 D「そんな痛い話するんじゃない。」 S「痛いの嫌い?」 D「好きなわけないだろう!」 S「他人の痛い話も嫌い?」 D「嫌いだ。自分の痛さを思い出すからな。」 S「平気だって。だってあんた、電ノコで指を切り落としたことないじゃん。いくらあんたでも、経験してないことは思い出せないって。あんねえ、メキシコから来た男がいてね……。」 D「やめろって! 指を切り落としたことがなくたって、人間には想像力ってのがあるんだよ。紙で指を切った痛みを知ってる俺は、電ノコで指を切った痛みを容易に想像できちまう。」 S「できないね。」 D「できるね。俺の想像力をもってすれば。」 S「じゃあ説明してみてよ。電ノコで指切った痛み。」 D「よーし、見てろ……(と、深呼吸を1つして)アウチッ!」 (と、D、左手を押さえてダイナーの椅子から転がり落ちる。) D「アウッ! ゆ、指があ〜!」 S「ねえ、何やってんの?」 D「どうだ?」 (D、仰向けに転がったままSを見る。) S「へ? 何よ。」 D「伝わったか? 電ノコで指を切断した痛み。」 S「いーや、何も。」 D「アウッ! 指が、指がもげそうに痛い!」 S「いやもう、もげてるんでしょ、指。電ノコで。」 D「あ、そうか。指がもげて痛い!」 (と、前転1回。その後、笹を食っているパンダのように足を投げ出して座る。) D「伝わった?」 S「うーん、25%ってとこかな。」 D「足りないマイナス75%は何だ?」 S「今の演技は、“指がもげそうで痛い”だったろ? 電ノコ部分がどっか行っちゃってるじゃん。」 D「……結構難しいもんだな。」 S「いや、芝居しろって言ったんじゃなくてさ、ただ説明してくれればよかったんだけど。」 D「そうだったか? まあ、いいじゃないか、俺の芝居が見られるなんて、お前、ツイてるぞ。」 S「そうなの?」 D「そうだとも。こう見えても、カレッジの演劇科ではジェームス・キャグニーの再来と呼ばれてたんだぜ。」 S「へえ、あんた芝居やってたんだ。初耳……。で、何で辞めちゃったの?」 D「ディテイルを語れば長くなるんだが……ま、一言で言うと、時代が俺に追いつかなかったんだな。」 (D、席に戻り、二の腕辺りについた埃を払う。) S「言い換えれば、誰にも理解してもらえなかったってわけか。」 D「失礼なこと言うな。俺の非凡なる演技にも理解者はいたぞ。」 S「誰? 地球人? 枕元のテディベアとか言うなよ。」 D「テディは最後まで理解してくれなかった。俺の演技を一番見てくれた奴なのにな。」 S「そのテディってのは人間?」 D「熊の縫いぐるみに決まってるだろう。」 S「……それじゃあ理解者ってのは?」 D「熊の縫いぐるみじゃあない。」 S「俺は、熊の縫いぐるみかどうかって聞いてんじゃないよ。」 D「ウサギの縫いぐるみでもない。」 S「あんたんち、ウサギの縫いぐるみまであんのか?」 D「あるさ。お前んとこ、ない?」 S「熊の縫いぐるみさえないって。普通、男の独り暮らしの部屋に縫いぐるみはないぞ?」 D「うちには熊のテディと、ウサギのバニーと、ゴリラのシャルロッテがいる。」 S「シャルロッテ? ゴリラなのに?」 D「メスなんだ。」 S「誰がそんな名前つけたんだよ?」 D「デビー。」 S「……そうか、デビーか。シャルロッテもバニーもテディも、デビーが置いてったものなんだな……。」 D「いや、テディとバニーは俺んだ。シャルロッテはデビーから預かってるんだけどな。」 S「預かってる? いらないから置いてったんじゃないか?」 D「あと、えーと、14年したら返しに来てくれって約束だ。」 S「それ、騙されてる。」 D「デビーが俺を騙したって言うのか?」 S「うん。女ってそんなもんさ。」 (しばし沈黙。) D「4歳でも、か?」 S「うん。」 (しばし沈黙。) D「……マシュー。」 S「何が?」 D「俺の演技を理解してくれた奴。やっと名前を思い出した。」 S「理解者の名前、忘れんなよ。で、そいつは演劇科の同期生? それとも、縫いぐるみ?」 D「どっちでもない。」 S「じゃあ何? 演劇科の教授……なわけないし。」 D「1年下の留学生。同じカレッジの劇作科だった。」 S「へえ、シナリオ書いてる奴に理解してもらえたんなら、あんたの演技、それなりってこと?」 D「いや、奴はシナリオ以前に英語さえ怪しかった。何せ留学生だしな。」 S「どこからの留学生? 名前からすると、英語圏って気がすんだけど。」 D「トルコ。」 S「トルコぉ? マシューってトルコ人の名前じゃないだろ?」 D「本名は知らん。周りの連中が奴のことマシューって呼んでたから、俺も奴のことをマシューって呼んでただけだ。」 S「何でトルコ人が、英語できないトルコ人が、留学してまで劇作科に入るんだよ?」 D「人にはいろいろ都合ってものがあるんだろう。」 S「例えばどんな?」 D「例えばだな、そう、英語を学びに来たはいいけど、劇作科しか空いてなかったとか。」 S「まあ、演劇科より劇作科の方が空席が多そうだな。」 D「例えば、カレッジの受付で“学科は劇作科でいいですか?”と聞かれて、英語がわからないもんで、何となく“イエス”って答えちまったとか。」 S「それもあり得そうだ。」 D「でも留学中に随分言葉を覚えたぞ。俺の演技に惚れ込んで、しょっちゅう俺に会いにきてたから、俺が奴に英語を教えたようなもんだ。」 S「すっかり保護者気分?」 D「まさか。奴は身長6フィート半強、筋骨隆々たるマッチョで、むしろ俺の方が保護されてた。」 S「そんな奴が劇作科に?」 D「だから言ったろ、人にはいろいろ都合ってものがあるんだ。いろんな事情もあるだろうし。それに確か奴は、学年は1つ下だったけど、俺よりだいぶ年上だったはずだ。」 S「何だか、国で問題起こして追い出されたって感じだな。」 D「いやあ、性格は至って温和だったぞ。テディとも仲良かったしな。学生寮の奴の部屋には、テディのお友達が大勢いたし。」 S「ちょっと待て。……あんた、そいつに何もされなかったろうな?」 D「何も、って何を? トルココーヒーはご馳走になったぞ。」 S「それだけか?」 D「甘い菓子パンみたいなやつも勧められたが、ダイエット中だったから断った。」 S「あんた、学生時代からダイエッターだったのか。」 D「ちょうど太り始めた頃でね。服を買い換える金もなかったから、痩せるしかなかったんだよ。」 S「じゃああれだな、最近は服を買い換える金があるから太ってるんだな。」 D「失礼な。これでもじわじわ痩せていってはいるんだって。」 S「で、そのトルコ人には、何もされなかったんだな?」 D「だから何をだよ。」 S「だからその……寝込みを襲われたとか、シャワーを覗かれたとか。」 D「ああ、そっちか。されなかったな。女っ気はなかったけど、それは奴の語学力が女を口説くレベルに達していなかったからで、マシューはゲイじゃなかったと思う。」 S「嘘だね。ゲイじゃない男が、熊の縫いぐるみなんかを集めるもんか。」 D「あん? マシューは、縫いぐるみなんか集めちゃいないぜ。」 S「あんたさっき言ったじゃないか。部屋にテディのお友達が一杯いたって。」 D「ああ、そのことか。確かにマシューの部屋に熊はいた。熊はいたが、縫いぐるみじゃない。」 S「縫いぐるみじゃない熊? ……まさか生か?」 D「惜しいが、ちょっと違う。あれだ、剥製。」 S「剥製〜?」 D「うん、剥製。剥製は、クロクマの剥製が2頭と、ハゲワシが1羽。テンが1匹。あとは木彫りもあったな。」 S「木彫りも?」 D「ああ。マシューが自分で彫るんだよ。上手いもんだったぜ。サーモンを咥えたやつ。俺も1個貰ったが、あれどこ行ったかなあ。」 S「そう言や、ワイズマンさんちの玄関にあったな、そんなの。」 D「……おのれワイズマン!」 S「まあいいじゃないか。あんなもん、持ってても仕方がないだろう。」 D「そういうわけにはいかん。あれは、急に国に帰ることになったマシューが、別れの日の前の晩、俺のために寝ないで彫ってくれた大事な熊だ。」 S「どこ行ったかなあってくらい忘れてたくせに。」 D「それは言うな。いい熊なんだよ。尻に俺とマシューの名前が並べて彫ってある。」 S「やっぱりゲイなんじゃないの? 単なる友情で、熊の尻に名前は並べないでしょ。」 D「そうかなあ? 彼女はいなかったけど、好みの女の話はしたぜ?」 S「ベット・ミドラーとか、アレサ・フランクリンじゃないだろうな。」 D「何でミドラー。何でフランクリン。」 S「ゲイに好きな女を聞くと、大抵そっちの路線になるじゃん。最近だと、マドンナとか。寝たい女じゃなくて、自分がなりたい女像を答えるんだろうね。」 D「マシューの理想の女性は、あれだ。トゥルーリー・スクランプシャス。」 S「……誰?」 D「トゥルーリー・スクランプシャス。チキ・チキ・バン・バンのヒロイン。子供の頃見ただろう、映画。」 S「……あー、見た見た。小学校の映画上映会で5回くらい見たわ。」 D「何で5回も見るんだよ。」 S「毎年チキ・チキ・バン・バンだった時代があったんだよ。校長が好きでさ。」 D「ふうん、いい校長じゃないか。俺も嫌いじゃないぜ、あの映画。ケン・フューズの素直な演出がよかったよな。イアン・フレミングの原作の持ち味を生かしてる。」 S「あれって、イアン・フレミングだったの? イアン・フレミングって、ジェームス・ボンドの、モデルの人だよね?」 D「モデルじゃない、原作者だ。いきなり車が空飛んだり、変な武器が出てきたり、“そんなバカな”っぷりが007と通じるだろ。」 S「あー、そう言や、チキ・チキ・バン・バンって、水陸空兼用のスーパーカーだもんねえ。」 D「それのヒロインのトゥルーリーが、マシューの理想の女だった。」 S「……うーん、やっぱりゲイじゃないの、彼氏。」 D「何で?」 S「だって、ヘテロの男なら、“すっごくオイシイ”なんて名前のお人形みたいな女は好きにならない。」 D「いいじゃないか、マシューは純情な男だったんだよ。それに、奴に名前の意味がわかってたとは思えん。」 S「そんな英語力で、よく劇作科を卒業できたな。」 D「だから卒業はしてないって。何でも、国で親父さんが倒れたとかで、稼業を継ぐって帰っていったよ。」 S「彼氏の家って?」 D「政治家だって。」 S「ワーオ。ゴージャス。」 D「今頃は奴も、踊って歌って木彫りもできる政治家として、トルコ国民に愛されていることだろう。」 S「そんな政治家、嫌だな。トゥルーリー・スクランプシャスが好きな政治家って想像できないぜ。……待った、“踊って歌って”って、踊って歌うのか?」 D「踊って歌っちゃダメか?」 S「ダメってわけじゃないけど、そんな話、聞いてなかったからさ。」 D「そりゃあ言ってなかったからな。俺は歌も踊りもからっきしだが――」 S「知ってる。」 D「何でお前が知ってるんだ?」 S「ワイズマンさんが“隣の奴が風呂に入ってる時には耳栓が必要だ”って、俺の分の耳栓も用意しておいてくれたから。」 D「お前の分の耳栓を用意する財力はあるくせに、俺の夜食と熊を盗んでいくとは、おのれワイズマン!」 S「俺はまだあんたの歌、聞いたことないけど、かなりひどいらしいね。」 D「いや、得意じゃないだけで、それほどひどくはない。」 S「踊りよりはマシってわけか。」 D「俺のダンス、何でお前が知ってる?」 S「ずっと前にクラブで見かけた。」 D「何だと? そんな偶然、許すまじ! で、お前、見てたのか? 俺が踊ってるとこ。」 S「最初はあんただって思わなかったけど、だんだんとあんた以外の何者にも見えなくなってきた。そんな踊りだった。」 D「……忘れてくれ。知り合いに無理矢理連れていかれたんだ。悪夢だったね。」 S「それにしちゃ楽しそうに踊ってたけど? あれが踊りなら。何て言うかなぁ……。」 D「言葉で表現しないでよろしい。」 S「ベリーダンスのビデオを1/20のスローで再生したような。」 D「当たり。」 S「何が?」 D「マシューはベリーダンスが実に上手かったんだ。さすがトルコ人なだけある。」 S「そいつ、確かマッチョガイだったよな?」 D「ああ、そうだが?」 S「何で男がベリーダンス踊るの!? 何でマッチョがベリーダンス踊るの!? やっぱりそいつ、ゲイだよ!」 D「女だろうと男だろうと、上手に踊れりゃいいじゃないか。」 S「よくない! ベリーダンスは、ゴージャスなプロポーションの女がセクシーな格好で踊るからいいの! 6パックに割れた男の腹がぶるぶる震えてたって、何もよかないだろ!」 (S、テーブルをダンダンと叩く。Wがやって来て、Dのカップにコーヒーを注いで去る。) D「うん、いいタイミングでお代わりが来た。いつもこうであってほしいね。」 S「で、いつものことながら、俺にはお代わりくれないんだよな、畜生。」 |
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