ふぃがろ おったびお 日記





2002/01/19(土) いきさつ

僕のHPからここまでおいでになった方はかなり奇特な方だと思います。
さて、指揮者(まだ発展途上)の僕がなんでおったびおを歌うはめになったのか?
まず、それからお話ししたいと思います。

2001年の夏の終わり、僕はあるアマオケの演奏会の打ち上げに
スタッフでもないのに紛れ込んでいました。
かなり、時間も過ぎて、何人かの人が家路についた頃、
本番指揮者のT川先生がお世話になっているというN本先生がいらっしゃいました。
ってか、もともと酒はそう強くないのにかなり呑んでいた僕はわりとべろんべろん。
まずはN本先生からのご講評。お褒めの言葉で一同ワ〜〜 僕もついでにワ〜〜

まあ、ご一緒にどうぞ・・・・ということで
N本先生と、ご一緒に来られた女性お二方が、宴に合流。
更にみんな呑む呑む。(ここのオケの人みんな凄い)
で、そのうちT川先生が、N本先生に僕のことを紹介してくださいましてお話をすることに。
全くの初対面だし、失礼ながら名前もご紹介されたがまともな状態じゃないのでとっくに忘れている・・・・
しかし、ここは先生と呼んでおけばとりあえず間違いはないと言うことで。(笑)

で、酒の席だからと言うわけではないが論じられるものがデカイデカイ。
日本のオペラ界は〜 とか。 日本にはまだオペラは浸透していない!! などなど
特に、オーソドックスな演出での公演の重要性をおっしゃり、
半分酒漬けになっている脳みそで大賛同。拍手喝采。先生万歳!!
「そのうち、うちの練習見においで。」と名刺を頂く。そうかN本先生というのか。

で、席を替わって、お連れの女性お二方ともおしゃべり。
「今私たち、ドン・ジョヴァンニやってるのよ〜〜」
(おかしいなぁ・・・さっき次回公演「オランダ人」とか言ってなかったっけ?)
「ふぃがろさんは合唱とかでも歌っているんでしょう?」
「あ、はい〜〜」
「パートはどこなの?」
「テノールですぅ」
「センセ センセ テノール見つけたよ!!」
(ん?なんじゃ?)
「なんだよ、練習とか来るようになってから徐々に誘おうかと思っていたのに」とN本センセ。
「オランダ人のコーラスですか?でも今からじゃ・・・・」と僕。
「いや、それは本公演なんだけどね、私たちスタジオって言うのがあって〜〜」
ずっと会話形で書くと大変なことになるので要約。
つまり、その団体の合唱団の人で有志が集まり、約一年かけてソロを勉強し稽古して
公演を打ってしまうという凄まじい計画をきかされた。しかももう何年か続いているという・・・・
で、フィガロ、コシとやってきて、次回はドン・ジョヴァンニなんだそうで
オッターヴィオに決まっている人はいるにはいるが、職場の都合でなかなか練習に出てこないので
重唱が稽古にならないというのである。

まあ、オッターヴィオなんてもともとアリアもなくて後から付け加えられたくらい
重唱ばかりの人だからそりゃいないと困るだろう・・・・
とか、考えている間になんだか向こうの算段はついたようで、
既に数に入れているらしい・・おいおい・・

「いや、いきなりモーツァルトのソロなんて無理っすよ・・・大体セッコとかもあって大変じゃないですか?」
「大丈夫よ。私たちだってやっているんだから・・・・・・」とケロリと言われてしまう。

ということで、また名刺をもらって・・・僕も差し上げて、なんだか「そういう話」になってしまった・・・・・

でも、ここで大きな誤解が僕にはあったようだ。
なぜなら、練習の相手として来て欲しいと言われたのだとばかり思っていたのが
向こうは本番も・・・という事だったらしいのである・・・・・

続きはまた次回。

ちなみに日記とは書いてあるが毎日は多分かけないのでそこら辺はご容赦を。



2002/02/05(火) ○×スタジオのお稽古。


前回から半月たってしまった。日記というのにはほど遠い・・・・・

さて、打ち上げから立つこと一月くらい、
何にしても「おいで」と言われているものを無視しているわけにもいくまい・・・
とにかく、覗きに行ってみようと思い立ち、都内某所へ出かけていった。
お稽古は平日の夜に行われていた。道でその稽古場を探している途中、
前回の打ち上げで会った女性に呼び止められる。
「ここって分かりにくいのよぉ・・・」何ていいながら裏道に入っていく。確かに初めてでは難しそうだ。
中に入ると、N本先生など数名既にいらっしゃっていた。
余裕を持って出たはずなのでまだ稽古時間ではないはず。
いらっしゃるのは女性ばかり。ドン・ジョヴァンニでしょ?と思わなくはなかったが
男声の方はやはり定時にはなかなか現れないという。
見学ということで、はじーーーの方に邪魔にならないように座った。
稽古が始まって、なるほど同じ役の人が何人もいる。
本番では幕を分けるが、今はまだどこを歌うかは決まっていないので順番に同じ所を稽古していく。
こういう稽古は実はなかなか見せてもらえないものだ。
今までに僕はいろんな市民オペラなどに見学を申し込んだことがあるが
キャスト練習のようなものはたいてい断られてきた。
ドンナ・アンナが歌うところはほとんどオッターヴィオが一緒に寄り添うように出て、重唱の所も多い。
曲としては良く知っているのだが、歌う・・・と思って譜面を追っていくとなかなか気持ちも違うものだ。
で、驚くのが、みなさん普段は合唱を歌っている方々というも、よく歌う歌う。
セッコなども、イタリア語もなめらかに出るのに驚かされた。これはエライことになった。と思った。
セッコなんて歌った経験のない僕はイタリア語は読めはしてもそう会話のように流暢に出るほどではない。

3時間近い長丁場の稽古。先生もそうだがピアニストの方もとても重労働だろう。
正直、歌う・・・ということについては積極的になれなかったものの
この稽古に通ったら、得るものはとても多いなぁと感じた。
とうとう男声は一人も現れず、その日の稽古は終了。
その後、今までどんな勉強をしてきたかなどの話などを先生とさせていただき、
歌うと言うことはとりあえず、また後日正式に決めることにして
見学という名目で通わせていただくこととなった。
しかし・・・・・セッコどうしよう・・・・・・



2002/02/14(木) セッコ

レチタティーヴォ・セッコ・・・
モーツァルトのオペラをするに避けて通れないものです。
いままで、フィガロの結婚などの譜読みをしているときに、
楽譜に書いてあるコードを弾きながら言葉を入れてみるのは割合楽しい作業である。
今回もそこから始めてみた。とぅっといるみおさんぐえ・・・・・・・・
さんぐえは「血」だなあ・・・などといろいろ考えながら。
でもこんなのはとても時間がかかるのである。しかもちっともイタリア語に聞こえない。
はて、どうしたものか??? そこであるテノール歌手さんに相談をしてみる・・・・・

「セッコってどうやって勉強するんです?」
「そんなの・・・・・・・ひたすら読むんだよ・・・・・」

別のテノール歌手さん
「セッコってどうやって稽古してます?」
「イタリア語をイタリア語のように読むことからはじめて・・・・・・」

また別のソプラノ歌手さん
「セッコってどうやって覚えてます?」
「電車の中で念仏みたいに覚えているわ」

総合して・・・・・ひたすらイタリア語読みし・・・唱える・・・・?????

という様な試行錯誤がはじまった。

しかし、スコアを読む・・という作業を電車の中でしたことはあるんですが、
イタリア語を念仏のように唱えるのは初体験。
確かに周りは二度と会わない人なんだからと思いつつも・・・・
2回ほどやったが周りの反応がどうしても気になり、結局集中出来ないのでやめてしまった。

ああセッコ・・・・・・きっと本番までこいつは僕を苦しめるだろう・・・・



2002/03/18(月) 日記とは名ばかりで・・・・


本当にすみません。週間どころか月刊ですね。まったく・・・・・

セッコに苦労しつつ、アンサンブルに苦労しつつ、なかなか稽古に参加出来ない日が続きます。
その間に、他の皆さんがどんどん出来てくるのをたまにひょっこりと出席するような形に
やむを得ずなっている僕はどんどん皆さんの足を引っ張る形になっていきました。

このままではいかん!! と焦る日々です。

さて、オッターヴィオ君ですが、読めば読むほどこの男情けない・・・・
半分ヒステリーになっているドンナ・アンナに金魚の糞のようについてまわっている。
第1幕では、ドン・ジョヴァンニに襲われたというアンナの話を聞きながら
ついぞコトにはいたらなかったというのを聞いて「ほっとする・・・」あたり
第一あのしどろもどろの言い訳を聞いて・・・・まあこの辺は解釈の分かれるところですねぇ。

あの長い長いオペラの中で、ドン・ジョヴァンニに
敵対心むき出しに出来るところはせいぜい第1幕のフィナーレだけ。
第2幕では敵を取るまでなんとやらというアリアもあるものの、
結局は騎士長がドン・ジョヴァンニを地獄に引きずり込むわけで・・・・・・
これも僕的には死んだ騎士長がオッターヴィオを見て「だめだこりゃ!!」と思って
自らの手で敵を討ったように思えるのですがね
最後には、ああしたことがあったばかりなのにもかかわらず、
喜び勇んで性急にアンナに結婚をと口にするあたり、
「お前なぁ・・TPOってものを考えろよぉ・・・」とつっこみを入れてしまいたくなります。
そりゃぁ、待ってくれといわれるわな・・・・・

こうした情けない男(としか思えない)をどう演ずるのか・・・・問題山積



2002/04/05(金) キャスト発表


HPの方にもキャストの詳細を掲載したのですが、(終了により撤去)
このキャストの発表がされたのが去年の11月か12月ごろでした。
当初7月頃の本番予定と聞かされていた僕は、いきなり2ヶ月も早まってかなり焦りました。
ドン・オッターヴィオを歌うのは大変なことですが、音符の量自体は他の役より比較的少ないですから、
なんとか間に合うようにしなければと思っていたのです。
結局スタジオではない本団体の方が6月に特別公演を打つので
その時期を外してということで5月になったと言うことのようでした。

年末は飛ぶように過ぎていきました。僕自身にも「こうもり」の合唱指揮の現場を頂いて、
初めてのコーラスの責任者として(他に誰もいなかっただけですが)
その仕事をなんとかやりおおさなくてはならずプレッシャーのかかる毎日でもありました。
噂によるとドン・ジョヴァンニはなんと立ち稽古もはじまるとのこと・・・・・気が焦るばかりでした。
立ち稽古とは演技をつけ始める稽古のことですが、
もうその時には暗譜(覚えて)していなければいけないのが通例です。
こうもりの合唱稽古で「立ち稽古には譜面をはずせるようにしましょう」といいながら
自分が歌う方はまだまだほとんど覚えていないと言う状態でした。
これは大いなる葛藤です。「ボウフリとしての意地」などと思いながら
立ち稽古では暗譜して立つんだと焦ってばかりでした。

その頃、僕は昨年当初から、「とあるデキモノ」があって、その切除手術を
延ばしに延ばしていました。で、なんとか2週間の入院期間を調整して
1月の末から、2月の数日入院しました。
僕の周りでは今でもいろんな噂があるようですが、
断じて言いますが私は「じ○し」ではありません。再度申し上げます。
私は「○ぬし」ではありません。誤解のないようにお願いいたします。

そんなこんなで肝心の立ち稽古にも出席出来ない状態も続きました。
でも一応「意地でも・・・」と思って結構時間を使っていました。
なにしろ初体験ですから。オペラのソロなんて・・・・・

ということで立ち稽古のことはまた書きたいと思います。

追記:今日、本業ではない仕事場の仲間が、
日記とは名ばかりのこの文章を読んでいることが判明・・・・・
更新を急かされました。





2002/05/11(土) ああもう今週・・・・


忙しさにかまけて・・・・・何度この言葉を書いたでしょう・・・
こんな駄文を読み続けている奇特な方々。お礼いうべきかも・・・・

来週の今頃は初日のお疲れさまをやっているんでしょうね。
僕の初体験もなくなっているわけだ・・・・・・
これから始まる怒濤の稽古一週間・・つら・・

さて、前回立ち稽古のことを書きかけてやめていますね。
そのこと自体実際にはかなり前の話ですなぁ。
これで本番一週間前に話が飛んでは読者から
カミソリの刃入りの郵送物が届きそう・・・今のはやりは薬物か・・・

ということで、立ち稽古の話をしたいと思います。

僕、何を隠そう小学校の頃、演劇部でした。エッヘン・・・・
でも、役者ってやってないんですよ。たいてい効果音係。

効果音というか映画みたいに劇に相応しい音楽を見つけてきて
ちょうどいいところでスイッチ押して流したりする役。
文章を書くのが得意な(んだと勝手に思っていた)ので、
台本を作ったりして顧問の先生の所へ持っていったりもした。
ついでに思い出したが、3年生の頃に合唱クラブ(部活動とは別)のクラブ発表で
本邦初演。当然オリジナル 音楽劇「あかずきん」を発表したりした。

って話が脱線しすぎました。すみません。

ドン・ジョヴァンニの立ち稽古の話でしたね。

前回にちょっと書いたとおり、外の現場、入院 といろいろ続き
なかなか立ち稽古に出られなくてやっと顔を出せたときには
ドン・オッターヴィオ最初のところはとっくに演技がついていて別の場面に進んでいた。
いったいどんな演技がついたのかわからない状態。
その日の稽古は、第2幕のドン・ジョヴァンニのカンツォネッタのあと
マゼットが仲間の農夫を連れてドン・ジョヴァンニを八つ裂きにしようと探し回っている。
さて、僕と言えば、退院後まだ本調子ではなく、ただただ自分の歌うところのみを
なんとか付け焼き刃してきているので、状況が読めない。頭が切り替わらない。
2幕のこの場面で、いまはまだいない合唱のお手伝いの方々のかわりに
(というか結局僕はこの場面に出ないけれどまだそんなことは決まっていない)
いま、その演技に加わらなければいけないということを気づくまでにエライ時間がかかった。

マゼットの動きに注意を出される演出家としてのN本先生。
演技指導されるのを初めて見てびっくりする。いったいどこで「演技の」勉強をされたのか?
というほどの演技なのだ。これがその後の稽古でも時に拍手が起こるほどなのである。

この時は、他の農夫役の僕たちにもあとに続くドン・ジョヴァンニのアリアで
その言葉に反応して動かなければならないのにもかかわらず
内容か殆どわかっていない!!と檄が飛ぶ。
恥ずかしながら、僕も「あっちにこんな奴がいたらウチの旦那です・・」
とレポレルロに扮しているドン・ジョヴァンニの言葉に思うように動きがついていかない・・・
演技なんて小学校の学芸会以来・・というわけでもないくせにである。

とにかく、こうして恐怖の最初の立ち稽古参加は一言も歌わず、幕を閉じた。





2002/05/12(日) アシスタント


1回目の立ち稽古がなんとも情けない感じで終わってしまったので
次回は・・・と思い、自分の歌のことだけを考えて、また出かけていった・・・

土曜日のお昼の稽古だったと思う。いろんなことで疲労もあったが
とにかく「歌わなければ・・・」という想い会場に行ったのだが

先生がいらっしゃって、開口一番・・・・
「ふぃがろ君 振って!」

一瞬、目がテン状態。
脳みそが「ヤバ」と指令を出しているのに口は「ハイ」と動いていた。
いつかは・・・とは思っていたが今日でしたか????

ここの人たちは僕が棒振る所なんてまだ見たことがないはず。
いや、そうおっしゃっている先生だってそのはずだ。
これは「試験だ・オーディションだ」と頭をよぎる。
失敗しちゃ絶対にいかん・・・・でもやるのって多分2幕だよねぇ・・・

あとは殆ど記憶にない。必死で音楽をリードしようとした。
さて、歌っている人はどんな風に思ってくれたのだろう?
でも、かなりやばい状態であることは明らかだと自分でわかっていた。
終わったとき「勉強してきます」と言う以外なかった。

今日も歌えなかった・・・・・・と思いつつ帰った。




2002/05/13(月) 立ち稽古


さて、自分がオッターヴィオを歌うことと、
公演のアシスタント指揮者として関わることの両立はかなり大変でした。
以前からの懸案事項であるレチタティーヴォ・セッコもなんとなくは口が回るようになってきたものの、
台詞の意味を踏まえて歌うのはただ言葉が言える以上に当然ながら重要なことで、それはそれは深いのです。
しかも、立ち稽古でやっと順番が回ってきたときに家では出来たはずの肝心のセッコが出てこない・・・
正直かなり狼狽しました。音程も定まらなかったりいろいろ起きました。
音楽だけではなく実際に演技を加味していくときに油断するとうっかり音楽がなくなってしまうのです。

9番の四重唱、DGとエルヴィラに挟まれてどっちが本当のことを言っているのか?という演技も
舞台での立ち位置などを考えたり、言葉に反応する演技を考えたり・・・・・
オッターヴィオは、言葉が少ないので、ドンナ・アンナのセッコやアリアを聞いているときに
どうその間を演技で埋めるか?ということがとても難しかったのです。
いまさらながらに、オペラって一人じゃあ出来ないのね・・・と思った瞬間でした。



2002/05/14(火) アシスタント兼任


正式にアシスタントの要請をいただいたのは2.3度稽古で振ってからでした。
N本先生はこの公演で演出家も兼ねているので、演技稽古を中心になさりたい時には、
やはり音楽を進行させるという役目を別の人間が担ったほうがなにかとやりやすいのでしょう。

ただ、問題なのは、僕の歌うところ・・・・・・・・・
そのうち、振りながら「先生もうすぐ出番ですが・・・・」などとなったりした。
自分の役を歌うことで結構精神的にもいっぱいいっぱいになっていたものが
改めて指揮者の目で楽譜に向かった時に、今まで見えなかったものが見えてくることもあった。
もしかしたらアシスタントという立場をいただけないでいたら
見落としていたかもしれないような事柄がたくさんあった。

ところで日付は5/14 この日、オケ練習開始
実は6番のマゼットのアリアを今回の公演では原調F-durのものをG-durにしていた。
これは前後の関係からしてもF-durのままでは確かに不自然なところであるのでG-dur楽譜を作ったのだが、
それをオケの方たちに事前に渡さなければいけないということで、余裕もって出たはずでしたか
なんと遅刻してしまいました。

いよいよ・・・・という感じになってきた一日でした。






2002/05/15(水) オケ合わせ

2日目のオケ練習とA組のオケ合わせの日になった。
なんとこの日も遅刻・・・・出がけになんと鼻血が・・・
いつまでたってもアシスタントとして紹介できない・・・
とN本先生に苦笑される・・・・

さて、オケ練習もいよいよ終わってオケ合わせとなる。
今までアシスタント席にいたのが歌い手として
後ろの席に回らないといけない。

座ったとたんにトランペットのプレイヤーの方が露骨に驚いた顔をした。
ジェスチャーで、「歌うの?」 そうです歌うんです・・・・
後から聞いた話だが、まだきちんと紹介されていなかったので、
オケの中でかなり受けていたらしい。「あいつはナニモノ?」

暗譜はさすがにしていたが、先生の前だとうまくいかないこともある。
今日は堂々と譜面が見られるので安心だ・・とちょっとほっとした。
オケ合わせ中、異常な緊張をしてしまう人もいる歌い手さんたちの中で
自分でもかなり冷静に歌いとおすことができたと思った。
そりゃあプロの歌い手のようには歌えないけれど、
初めてといっていいくらい、自分の歌に対して少しいい感情を持てた。

そして周りを見回すと、モーツァルトを愛しこの作品と向かい続けてきた
仲間が横に大勢いた。ちょっと感動した。

とはいうものの、1幕が終わればアシスタント席に戻って、
いろんなチェックをしなければいけなかった。歌い手としてそんな感慨に
ふける余裕もなく。

長い作品だが、あっという間だった。オケの方からは感想いろいろ。
また明日・・・・・である。

2002/05/16(木) オケ合わせ2


この日は、B組のオケ合わせ。時間も夕方からなので
久々に午前中ゆっくり起きた。

浜松町の駅からバスで会場に向かう。バスターミナルで
ドンナ・アンナを歌うKさんに会った。
もうすぐ本番だというのに、字幕の詰めに追われていて相当お疲れ。
娘さんの絶大なるご協力で作業がなんとか進んでいるとのこと。
聞けば聞くほどスペシャル・サンクスである。

さて、時間になってもタイトルロールのTさんが来ない。
どうやら時間の伝達がうまくいっていなかったらしい。
この日は騎士長のKさんも、前日来ているのでお休みだった。
マゼットのT浜君がその代わりをいつもの稽古どおりに歌うはずだったが、
既にレポレッロの歌が始まっている最中に、
「DG歌って。僕が騎士長いくから・・・」ということになった。

ちょうどいい機会なので、このマゼット君を紹介しておきたい。
このT浜君、国立音楽大学を卒業したばかり。とにかく意欲的で稽古にもよく通ってきた。
騎士長は量も少ないので最後の最後にしか来ない。その間彼がほとんど
代役をかって出てくれていた。また、DGも以前に抜粋で経験しているらしいが、
この機会を十二分に生かしどんどん自分のものにしようという姿勢が本当によく見て取れた。
今後が楽しみな人材だ。

やはり時間が伝わっていなかったらしく10分位してからDGのTさん登場。
それから昨日の音楽中心の合わせとは違い、とにかく動きたいタイトルロールのTさんは、
舞台があるかのごとく動きをつけて歌った。

この日もあっという間に終わってしまう。作品が偉大だからだ。

明日は小屋入り。長い一日になりそうだ。



2002/05/17(金) 上大岡 ひまわりの郷


いよいよ、この日は、小屋に入る日だ。どんなホールなのか楽しみだ。
朝の9:00集合ということで、7:00をちょっとまわるころ家を出た。
僕の家からは結構な距離なのでたまたまホールの近くに住んでいる
友人宅に2泊世話になることにしてあったので、
金曜日平日の朝だというのに荷物が結構大きい。

電車に揺られながら、忘れ物を思い出した。ペンライトである。
舞台裏でバンダにキューを出すために必要なのだ。
いくら余裕を持って出たとはいえ既に二駅くらい来ていたので
戻ってとってくるほどの時間はない。

どんなところか知らないけど
近くでちょうどいいペンライトが買えるといいなぁ・・・と思った。

9:00前に上大岡に着いた。思ったよりこぎれいな駅である。
搬入口が地下と聞いて、荷物を置いて地下に降りていった。
思ったよりも少ない荷物だ。

そこそこの人数はいるので搬入自体はさほど時間がかからなかった。
舞台づくりが始まる。オケピも手狭にみえたが確かにある。

こまごました仕事は説明を省くが、交代で昼食をとり、
14時半頃、舞台はソレらしくなった。
18時から僕たちA組のGPなので、その前に場当たり。

いるはずのパネル係が来ていないなどの不都合もあったが、
とりあえず最低限の位置関係は確認できた。

衣装はこの本番直前も、キャストを歌う女声陣が縫っていく。
僕の衣装も、これで完成なのかどうなのか定かでないまま。GPに臨む。

さて、序曲が始まり、大変なことに気がついた。
騎士長を歌うK野さんの姿が見えない。
確かに量が少ないので稽古にいらっしゃれないことは多かったが
GPは??????

もうすぐ自分の出番だというのに、地下まで降りて、探し回る。
いない いない いない・・・・・・・・

とにかく、たとえ代役でも演技が絡むのでいなくては困るのだが、
その代役さえもスタンバイしていない状態なのだ。
2幕のマゼットを歌うA木君に急遽動きの代役を割り振る。
歌はいい。僕が歌う・・・・・・と

とにかく演技は進行したが、僕が歌い出したら
マエストロも歌っているのが聞こえる。

なんだよぉ・・マエストロ騎士長がいないの知ってるジャン・・・・・

僕の大騒ぎは単なる徒労に終わった。要は連絡ミスである。
騎士長が今日のGPにいないなんて聞いていないよぉ。

そんなことを思っている間に出番が来た。
死んだ騎士長をドンナ・アンナが発見するシーン。
続いて復讐を二人で誓い合う重要なシーンだ。
このとき、ホールの響き方を確認して、これはいけると思った。
無理に声を張り上げなくても十分反響が返ってくるのだ。
ここ、いいホールです。

GPは進み、2度目の出番のときに一緒に出るはずの
ドンナ・アンナがいない。ぎりぎりのところで下に呼びに行くと
衣装の袖を縫いつけている最中だった。
手作りオペラなので、こういう作業もなにかとあってこんなぎりぎりである。
もう少しもう少し・・・
といっていたが、結局音楽に間に合わず・・・
ちょっと歌いだして・・・「すみませんドンナ・アンナがいません・・・」
本番じゃなくてよかった・・・・・・

最後の出番はフィナーレ。
僕はいまいちここの踊りのタイミングがよくわかっていなくて
稽古のたびに困っていたが、やっとタイミングが合った。
そのあと、DGの悪事が露見したとの大アンサンブルがあって、
幕切れにオッターヴィオがDGに斬りかかるシーン
2回目か3回目か忘れたが、剣と剣をあわせたときに
なんと、僕の剣の柄から刃が取れてしまった・・・・・・
シーンとしては超いいのだが、これはGP。
本番でそうなったらよかったのに・・・・・・・

こうしてはちゃめちゃでトラブル続きのGPは終わりました。
その後、焼き肉屋にGPお疲れ様のお食事会。
軽く一杯いって、帰ろうとすると外は結構な雨。
友人宅はここから駅3つほどだし、時間的に
電車があるかどうかも不明で、雨の中駅まで戻って
電車がなかったらいやだなあと思って、珍しくタクシーに乗ることにした。
そうは乗らないんです。ビンボーアシスタントは。

ついたときにはとっくに午前様でした。
わざわざ駅まで迎えに来てもらったので、彼にはごめんなさいでした。



2002/05/18(土) いよいよ本番


本番!!の日なのだが、その前にB組のGPである。
僕はオッターヴィオではなく、アシスタントに戻る。
だが、今日本番でキャストを歌う誰もが2日目には合唱の一人として
舞台に上がるので、このGPでも合唱を歌うのだ。

本番のことは忘れて・・・・というわけではないが
とりあえずそれどころではない感じではある。

19日本番組は男声陣が助演の方たちである。
中でも、レポレロのS村さんは、それこそ職人的にこのキャラクターを創っていく。
間近で稽古過程を見てきた僕は毎回圧倒されてきた。

稽古ではこんなこともあった。
2幕、DGの格好をさせられたレポレロが、窓下でドンナ・エルヴィーラを誘い出そうとするシーン。
剣をまるで自殺でもするかのように使っているとき、
ちょっと指をなめたので、道具の剣で指を切ったのかなと思って
急いで絆創膏を調達して持っていったら・・・・
「いや、あれは演技!!」  おそれいりますよ。心配して損した!!

T良DGとS村レポレロ、本当にいいコンビだった。
ドン・ジョヴァンニはもしかしたら暗いオペラのイメージのほうが強いかもしれない。
それは有名な序曲の冒頭があまりに恐ろしげなインパクトを強烈に残すし、
序曲の終わったすぐそこには殺人まで待っている。
でもこれはどちらかといえば喜劇だ。
ドン・ジョヴァンニという確信犯に散々振り回されるほかのキャストも
一人一人がとても個性的である。

昨日の自分たちのGPと違って、やっとアシスタントらしくサウンドチェックができた。
2幕では効果音を受け持ったり、バンダの裏棒があったりするので
なかなか忙しい。
最後、騎士長が現れる前にノックをするのだが、その効果音を出すのも僕の役目。
なかなか、イメージに合う音を出せないでいた。
マエストロの欲しい音を当然出すのだが、
僕としてもなかなか納得の行くような音が出ない。
それは昨日からいろいろ試していたがずっと解決しないでいた。

GPでもやはり、それらしい音が鳴らない。
響きはするのだが、軽々しいのでイメージと違うのだ。

もうすぐ自分の本番なのだが、GP終了後もイメージに合う音を探して
いろいろ試す。きづち、かなづち。板そのもので床をたたいてみたり、


開演一時間前・・・・・さすがにもう準備に入らなければいけない。

不思議と緊張はなかった。直前までアシ仕事をしていたからかもしれない。
メイクは何度かある合唱でのオペラ出演で覚えた見よう見まねである。
本当に事務的に、顔にどうらんを塗り、軽く眉などを書いて、
女性にちょっと直してもらった。

さて衣装である。最終的に何を着るのかが良くわかっていない。

内容を聞いた僕は一瞬絶句した。白タイツである・・・・・・・
だが「嫌」だの何だの言っている暇がない。
ええい、どうとでもなれ!!!!!!というわけで履くと・・・・
いきなり爪に引っかかって伝線・・・・・わぁおーーー

しかも、伝線はともかく、あまりに薄すぎて濃いス○毛が丸見えだ。
これは、芸術云々というよりもかなりアブノーマルな世界である。
どう考えても、小さなお子様に見せられた姿ではない。
まあドン・ジョヴァンニに小さい子供を連れてこようとは思わないだろうけど。

絶対これは無理と、訴え、どうしようかと思っているときに
バレエ用らしき、白タイツといおうか、白ももひき・・といおうかを
我がタイトルロールから借り受けることに成功。
なんとか開演30分前にはその格好になった。

気分は 「笑え・・道化師!!」だ

もう開場である。

周りでは動物園が始まっている。みんな各々の発声練習を始めているのだ。
高くヒーとか低くアーとかオーとかいろいろ。

いよいよである。いよいよである。

オケの人たちがピットへと向かっていく。「よろしくお願いします。」

後のことはほとんど覚えていない・・・・・
途中のアリアで、大きな事故こそなかったものの歌詞が一瞬変になったが、
なんとかあるはずのものがない・・・・という事態にはならなくて済んだ。

第1幕フィナーレがおわり、1幕キャストのカーテンコール。
まあブーもなく、なんとかやり終えたようだった。

でもこれで終わりじゃないんです。
あとは最後の合唱くらいでしかお客様の前に出ないし、
いる場所は真っ暗なバルコニーなのでさっさと化粧を落とした。

ソロをどうにかこうにかやり終えた。

あとはアシスタントとして、バンダ、効果音などをやるのみ。



瞬く間に2幕も終わった。
この日、2幕マゼットが1幕の死んだ騎士長を運ぶときに
捻挫を起こすというハプニングもあった。
でも、うちにはドクターがいるので(眼科医ですが・・・・・)
裏で必死に回復工作が繰り広げられ彼もなんとか、役をやり遂げられた。

タイトルロールのK上さんをはじめ、いろんな人が僕の歌を
「良かったよ」と言ってくれた。ほっとした。

K上さんこそ、すばらしいタイトルロールだった。
とても本業が別にあるとは思えないすばらしい出来だった。

はじめはあまり気が乗らなかったソロだったが得たものは本当に大きかったし、
これからこの経験の重みを改めて思い返す瞬間があると確信できる。
そして、その機会をすばらしい仲間と一緒にできたことは本当に幸せだった。

さて、明日は本当にアシスタントに徹します。


この日記とは名ばかりの駄文を読んでいただいた皆様
本当にありがとう御座いました。