バッハのチェンバロ曲の中には精緻な対位法的作品が多いが、チェンバロの音は発音されると瞬時に減衰するので、特に長い音符からなる主題や対旋律は聴き取りにくい。それを旋律楽器のアンサンブルで演奏すると、対位法の綾がよくわかり、緊張感が増す。モーツァルトが平均律曲集のフーガをいくつも弦楽四重奏用に編曲したのは、おそらくこういう理由からだろう。
一方、オルガン曲はどうか。鍵盤を押さえている間は音が持続するオルガンは、チェンバロよりも対位法的な音楽に適しているといえるが、生演奏ならともかく、録音で聴くオルガンの音はどうしても分離が悪く、スコアを見ながらでも内声部は聴き取りにくい。表現効果の面からも、旋律楽器のアンサンブルの方がオルガンよりも適しているオルガン曲は、少なくないに違いない。だいいち、われわれはオルガンを弾く機会などほとんどないのだから、自分で演奏しようと思ったら、仲間とアンサンブルでやるしかないのだ。しかし、こちらはリストやブゾーニらによる多くのピアノ編曲とシェーンベルクやストコフスキーらによるオーケストラ編曲はあるものの、旋律楽器のアンサンブル用の編曲は、なぜかほとんどない。
それでは、どのようなアンサンブルがいいのか。チェンバロ曲にしてもオルガン曲にしても、ヴァイオリン属のアンサンブルに編曲すると、音域の点で無理が多い。今日のヴァイオリン属にはテノール音域(ヴィオラとチェロの中間)の楽器がないので、ヴィオラに割り当てた声部でヴィオラの音域を下回る音は3度、5度、またはオクターブ上に移さなければならない。弦楽四重奏などの第2ヴァイオリンについても同様。もちろん、移調すればこの問題は解決するのだが、音域があまり高くなると曲全体に落ち着きがなくなるし、演奏も難しくなる。一般的に弦楽器よりも音域の狭い管楽器のアンサンブルではさらに困難だろう。その点、各サイズの音域が広く、またテノール音域の楽器があるガンバ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)属は、これらの作品の編曲・演奏に理想的だ。
そういうわけで、多くのガンバ弾きは、バッハのチェンバロ曲やオルガン曲をガンバのコンソートで演奏してみたいと思うだろう。ガンバ・コンソート本来のレパートリーは膨大だが、「名曲」といえるのは少ないし、またバッハのガンバ曲(パート)はもっと数が少ないのだから、なおさらだ。しかし、チェンバロ曲・オルガン曲はふしぎと録音がほとんどなかった。筆者の知る限り、まとまったアルバムとしては Quartetto Italiano de Viole da Gamba による「Preludi ai Corali」が最初である(2000年)。そして2005年、神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団の「どっぷりバッハ」と、Fretwork の「Alio modo」(「別形」の意)が、相次いでリリースされた。そこで、これらをまとめて紹介する。
3つのアルバムの収録曲は次のとおり。黄色の文字は共通して録音されている曲である。
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「Preludi ai Corali」は、オルガンのためのコラール・プレリュードばかりで、原曲は3声と5声が1曲ずつ、残りはすべて基本的に4声(終結部で声部数が増えるものがいくつかある)。BWV 603、608、610、614、625の5曲には、それぞれ同じコラール旋律に基づくバッハ自身による4声コラール楽曲(BWV 65、368、64、288、158)が並べて収録され、これらはテルツ少年合唱団のメンバーが歌っている。Quartetto Italiano de Viole da Gamba の編成は一貫してソプラノ(トレブル)/テノール/バス/バス。
「どっぷりバッハ」はオルガン曲5曲、チェンバロ曲6曲に加えて、「音楽の捧げ物」と「フーガの技法」から4曲、さらに声楽コラール2曲(BWV368はBWV608の原コラールの4声編曲)。やはりほとんどが4声の曲で、3声と5声が2曲、6声が1曲。ただし、ホモフォニックな曲(「パストラーレ」のアリア、「平均律」第1巻の第1番と第8番など)では、声部を数えることができない(あるいは無意味)。神戸合奏団は6人のガンバ奏者がサイズ持ち替えで演奏し、一部の曲では一つのパートを2人(ユニゾン)で弾いているところがあるようだ。
「Alio modo」も同様に多彩なプログラム。「どっぷりバッハ」に比べると5声と6声の曲がかなり多く、4声は4曲、3声が1曲。Fretwork もやはり6人のガンバ奏者がサイズ持ち替えで演奏している。「フーガの技法」が除外されているのは、彼らはすでに全曲盤をだしているからで、その代わりに「フーガの技法」初版に誤って収録された4声のコラールBWV668が録音されている(いわゆる「18のコラール」の最後の曲と同じもの。ブックレットの曲目リストでこのコラール編曲が「クラヴィーア練習曲集第3巻」に含まれるかのように書かれているのは誤り)。
「Preludi ai Corali」はオルガンのためのコラール編曲という地味な曲ばかりで、しかも「シュープラー・コラール」のような有名な曲は避けている。中心となる「オルガン小曲集」は、周知のごとく、「前奏」も「間奏」もない、比較的短い曲が多く、ほとんどの曲はコラール旋律がソプラノにあり、内声部はしばしば複雑な動きをする。そんなバッハの、厳しい制約の下でのコラール編曲技法の多様な世界を手に取るようにわからせてくれる演奏。ややマニアックだが、ふだんあまり親しむことのないバッハのオルガン・コラールを、ぐっと近くに引き寄せてくれる一枚だ。
「どっぷりバッハ」はチェンバロのための「トッカータ ホ短調」で始まり、また純粋にホモフォニックな曲が多いことからもわかるように、バッハのポリフォニーをガンバ・コンソートで実現することのみを目指しているわけではないようだ(「平均律」の3曲もプレリュードのみ!)。ライナー・ノートでも選曲の基準は明らかにされていないが、ポリフォニックな曲よりもむしろ、ふつうはアンサンブルで演奏することを想像しにくい「平均律」第1巻の第1番や第8番のプレリュードなどで、斬新な響きが聴ける。
「Alio modo」はフーガが6曲もあり(「リチェルカーレ」も入れると7曲)、また冒頭の「ファンタジー」は本来3部分から成る曲だが、目まぐるしく動く単旋律風の両端部分を省略して5声で始まる重厚な中間部のみを収録していることからも、バッハのポリフォニーの世界をガンバ・コンソートで再現するという意図がはっきりと見て取れる。ライナー・ノートには、バッハの「抽象的な」対位法作品にはガンバ・コンソートのような同属楽器のアンサンブルが最適であることは、バッハ自身も認めただろう、と書いてある(「抽象的な abstract」とは「創造の奥義 hidden order of creation」を明らかにするような音楽のこと)。
以上のとおり、3つのアルバムは選曲方針がかなり異なるが、「どっぷりバッハ」のホモフォニックな曲を別にすれば、演奏スタイルは際立って違うわけではない。いずれも、アタックは強いが柔らかくふくらむガンバの音がそれぞれの声部の動きを際立たせ、バッハのポリフォニーを理想的な形で聴かせてくれる。
最後に、移調について。調号の多い調の曲はガンバでも弾きにくいし、ガンバの各サイズに最適の音域で演奏するためにも、編曲の際に若干の範囲で移調することは許されるだろう(バッハ自身も編曲の際にはたいてい移調した)。実際に神戸合奏団と Fretwork はいくつかの曲を移調している。しかし、Fretwork が6声のリチェルカーレをイ短調で演奏しているのは理解に苦しむ。音域も演奏しやすさもハ短調のままで特に問題ないし、それどころか、きわめて重要な原曲でB1 の音がイ短調ではG1になり、7弦のバス・ガンバでも出せないのだ(彼らはこの音をオクターブ高くしているため、すぐ次の音と同じになってしまっている)。「フーガの技法」の録音であそこまでオリジナルに忠実であることにこだわった彼らにしては、同種の曲なのに、疑問の残る移調である。もちろん神戸合奏団はハ短調で演奏している。
(ガンバW、2006年1月)