2001年4月11日、トッパンホールにおけるコンサートのライブレコーディング。
合唱の人数を含む編成の問題について、ライナーノートに詳細な解説がある。それによると、この演奏における武久の選択は、スコラーズ・バロックアンサンブル(Naxos 8.550664-5)ほど徹底してはいないが、現存する自筆譜資料(第3稿まで)にかなり忠実である。ただし、福音史家とイエスには別のソリストを立て、また通奏低音にはオルガンとチェンバロを用いている。
しかし、はっきりいって、そういうことはどうでもいい演奏である。古楽演奏の常識を破る、驚くべき演奏だ。冒頭の合唱曲から、激しいデュナーミクとアゴーギクに驚かされるが、メンゲルベルクのように情緒的な「効果」を狙ったものではなく、歌詞の理解に基づいた、「意味」を込めた変化であることがうかがわれる。
筆者はすぐに、買ってきたばかりのCDをいつもと同じくつろいだ気分のうちに聴き始めたことを、後悔した。このCDは、実演と同様に、こちらも相当の心構えで臨み、二度とは聴かないつもりで聴き始めるべきだったのだ。もっとも、実演を聴いたら、そのただならぬ緊張感にどこまで堪えられただろうか。
アリアや聖句による合唱部分でも、強弱とテンポは頻繁に変化する。しかし、アンサンブルは乱れない。演奏者全員が、何かに憑かれたかのように、まるでこれは今後一切の演奏を禁じられた演奏家たちの、彼らにとって「最後の演奏会」なのかと思わせるほどに、必死の思いで演奏していて、その気迫がひしひしと伝わってくる。
(ガンバW、2002年6月)