(1973年2月)
最近、ゆっくりコンサートを聴きに行く機会もなく、寂しい思いをしているので、せめて年長者の特権として、昔聴いた古楽演奏の大家達の思い出を綴ってみたい。
当時まだまだマイナーだった古楽演奏やリコーダー。そんな停滞状態を一気に突き破ったのがブリュッヘンの「涙のパバーヌ」というLPだった。ジャケット全面にブリュッヘンの長髪の顔があり、これまでのレコーディングからのベストチョイスといった感じのLPで、最後にコレッリのフォリアが入っていた。このレコードがベストセラーになったのに合わせて、1973年2月ブリュッヘンの初来日がついに実現した。
当時のプログラムが手元にないので記憶は不確かだが、私が聴いたのはリコーダーのリサイタル、リコーダー&トラベルソのリサイタル、クワドロ東京(小林道夫氏、N響の元コンサートマスター田中千香士氏らモダン楽器によるバロックアンサンブル)とのアンサブル、それから公開講座の4つ。コンサートはいずれも上野文化会館の小ホールであった。チェンバロは小林道夫氏。
ラフなジャケットを着た身長2メートル近い長身のブリュッヘンと、小柄な小林氏が舞台に登場。するとブリュッヘンは椅子に深々と腰掛け、それでも椅子からはみ出した長い足を組み、体には不似合いなソプラノ・リコーダーでチマのソナタを吹き始めた。ほっぺたをふいごのように膨らませ、スウィングするような演奏。レコードが磨り減るほど聴いた演奏が目の前で繰り広げられていく。指揮者となった今ではもう見られない彼の演奏スタイルである。文化会館の小ホールがあっというまに、ブリュッヘンの世界に変わっていった。
演奏は、小林氏の堅実な通奏低音に支えられ、まさに自由に飛翔するリコーダーといった感で、チマ、アイク、篠原、オットテールなどの作品を演奏したあと、最後にコレッリのフォリアを演奏した。レコードで何回となく聴いた曲だが、表現方法も装飾もレコードとはまったく違う。まさに一回限りの演奏という即興性を十分に楽しませてくれた。ちなみに公開講座でフォリアを演奏した受講生がブリュッヘンのレコードの通りの装飾で演奏した際、「その装飾は私の演奏したものだ。特許料を払ってもらわないと・・・」と、冗談交じりではあるが厳しく指摘をしていたことが印象に残っている。
また別のリサイタルでは、トラヴェルソでバッハのイ長調のソナタの演奏が強く印象に残っている。この当時、トラヴェルソでのバッハのフルート・ソナタはほとんどレコードになく、その音の柔らかさ、表現力の大きさに圧倒された。
彼の初来日公演はNHKテレビでも放送され、その後アマ・プロ問わず彼の演奏スタイルは(音の出し方から座って足を組むスタイルまで)すぐに広まった。それくらい強烈な印象を与えた来日であった。
(T.M. 2002年7月)