David Ledbetter "Bach's Well-tempered Clavier"

Yale Univ Pr ; ISBN: 0300097077 ; (2002/11/01) amazon.co.jp

 

バッハの2巻からなる「平均律(?)クラヴィア曲集」について、総合的にまとめられた著作である。著者は、ダブリンとオクスフォードで学び、フライブルグでハープシコードと初期鍵盤楽器について専門的に学んだ学者であり、本書はその専門を生かした、背景や関連情報も含んだ大作で、本文だけで300ページを超え、8つの章で構成されている。

最初の6章では、具体的な楽曲分析に入る前に、この曲集の基礎となる環境やアイデアについて解説している。

「第1章 クラヴィア」では、題名の一部となった楽器名クラヴィアについて、チェンバロ、オルガン、クラヴィコードといったバロック時代の中心的な鍵盤楽器だけでなく、スピネット、ラウテンヴェルク(リュートハーブシコード)およびピアノフォルテについても、その可能性を細かく検討し、第1巻はクラヴィコードに、第2巻はチェンバロに適しているという説を廃し、すべての曲がチェンバロを対象として曲集の形に纏め上げられたことを説明する。

次の「第2章 調律(Well-tempered)」では、バッハ時代の調律とその変化について説明する。日本語では誤って「平均律」と訳され、バッハ自身も年代を下るにしたがって、その指向になったともいわれる平均律ではなく、いわゆる不等分平均律が適切であることを示唆する。特に、第1巻ではバッハ周辺の資料から、ヴェルクマイスターIIIとよばれる不等分平均律を出発点と考え、第2巻においてもこの延長線上で考えるべきとしている。

バッハコレギウムジャパン音楽監督の鈴木雅明氏によると、Well-tempered(Wohltemperirte)とは、日本語でいえば「程よく宥(なだ)めすかされた」ということだそうだ。つまり、バッハのイメージにあったのは、すべての調がチェンバロで程よく美しく響くように妥協した調律で、現代の機械的な平均律を意味しない訳で、これは日々の演奏における調律の実践からみても納得できる内容である。

以上の環境説明の後、「第3章 プレリュード」「第4章 フーガ」ではバロック以前からの伝統やバッハ周辺の作曲家の実践を中心に、前奏曲とフーガそれぞれの可能性を説明する。前奏曲は、演奏会の指慣らし・耳鳴らし(枕)としての伝統的な位置づけから発展して、バッハ自身は楽曲展開の創意工夫(インヴェンション)の原理に基づくものとし、ソナタ、舞曲や協奏曲のリトルネロ形式などの様々な様式を織り交ぜるに至ったことを説明している。フーガの章では、理論的な背景からはじめ、古様式から厳格な各種フーガ、自由なフーガについて説明した後、ここでも、バッハがフーガに協奏曲の原理などの様式を融合し、多面性を拡大したことを証明している。

次の2つの章は、再び曲集の位置づけの再確認に入り、「第5章 すべての全音と半音」では、曲集で使われた24の調性に関わる歴史的な意味と、同時にバロック時代にはまだ明確であった各調性の個性について説明し、「第6章 教師としてのバッハ」では、長男フリーデマンの鍵盤教育を軸に、教師としてのバッハを、教材の展開と鍵盤楽器演奏テクニックの両面から論じている。特に、この曲集は優れた弟子にとっては必須の教材であり、筆写を通じて作曲と演奏の両面での奥義を極めるためのシステマチックな構成を説明している。

最後の「第7章 第1巻」「第8章 第2巻」では、48のプレリュードとフーガの各々について個別の分析や説明を行う。特にバッハの同時代の曲集やバッハの他のジャンル(オルガン曲、カンタータなど)との関連性を示す譜例が掲載されており参考になる。ただし、1巻、2巻自体の譜例はほとんど掲載なく、主に文章で分析されているので、順番に読み下すには、小節番号の書かれた楽譜を手元において読む必要がある。本書の半分以上を占める量なので、順番に読むのではなく、ふと聴いてみた1曲について、その印象を著者の分析と比べて謎解きしてみる辞書のような使い方が適しているかもしれない。

偉大だと感じていた曲集が、身近になるとともに、あらためてその多面性に感心することになると思う。演奏家だけでなく、バッハファンも手元に1冊置いておくことお奨めです。

(SH、2004年6月)