Associated Board of the Royal School of Music ; ISBN: 1860961908 ; (2000/06/10) amazon.co.jp
ケネス・ギルバートやグスタフ・レオンハルトに師事した名チェンバロ奏者であり、音楽学者でもあるデイヴィット・モロニーによるバッハの伝記である。わずか100余ページの分量であり、そこに用いられている材料は、「バッハ・リーダー」などですでに公にされているものばかりのようなので、あまり期待せず、バッハに対する理解の再確認のつもりで読み始めた。しかし、そこに詰まっていたのは、非常に整理され凝縮されたバッハの年代記であり、簡潔な中に生き生きとした生命感を感じさせる記述であったので、ついつい引き込まれ、一気に読み進んでしまった。
型どおり、1685年のバッハの出生の周辺から始まり、1750年までの65年間の人生を順を追って説明しているが、副題にあるように、バッハの同時代人としての特異性を、その気質・音楽・演奏などを中心に説明している。記述は学者の得意そうな口調とも違い、(Eidamの著書のように)作家的な創作的な押し付けがましさもない。首尾一貫して一次資料を中心とした客観性とバッハの気持ちを代弁するような主観性の適切なバランスのもとで章が進められる。推測になるが、このバランスの良さは、著者の長年にわたる研究活動と演奏活動の実践からくる成果なのではないか。適切な表現ではないかもしれないが、本書はいわば、自己のバッハ体験を原点とした全体像をバッハの出生と関連付けて整理したもの(第一章)を主題とし、そのテーマに基づいた年代ごとの章からなるヴァリエーション。最後のバッハ晩年の記述には、見事に最初の主題が回帰して、モロニー作の変奏曲を完結させている。
また、偉人の伝記に欠けがちな、神格化しない、同時代からみた位置づけ(先輩作曲家や同時代のテレマンとの対比、ミツラーの協会のメンバーとの対比など)にも感心した。さらに、年代順の記述の章のなかで、趣向をこらした人間バッハを浮き彫りにするテーマ(食事、ワイン、タバコなど)が4つ散りばめられており、一貫した変奏曲の中での気分転換に役立つ楽しい配慮である。バッハ通にもそうでない人にもお薦めしたい一冊。
(SH、2003年12月)