Calvin R. Stapert "My Only Comfort:
Death, Deliverance, and Discipleship in the Music of Bach"

William B Eerdmans Pub Co ; ISBN: 0802844723 ; (2000/03/01) amazon.co.jp

 

『私のただ一つの慰め−バッハの音楽における死・救済・信仰』はバッハ没後250年の2000年に数多く出版されたバッハ関係の本の中でも、ちょっと違った視点からバッハを眺めさせてくれる本だ。もともとがカルヴァン派の教会での礼拝に関わるシリーズとして出版されたもので、著者はアメリカのカルヴァン・カレッジの音楽教授。

バッハは言うまでもなく、(バロック)音楽における至高の存在であり、深い宗教性に基づいた多くのカンタータや偉大な受難曲、ミサ曲を作った。その音楽には当時の宗教観も反映された(他のバロック音楽とも共通する)各種の象徴や音楽修辞法が駆使されており、私達のような器楽中心のアンサンブルにとっても、その語法を理解したり、実践に役立てることは重要であり、そうした視点では意味をもつ歌詞のある宗教曲でのバッハの作曲手法の理解は大いに役に立つ。また、そんなことを抜きにしても200曲以上のカンタータ、ミサ曲、オラトリオ、受難曲などの宗教作品は、バロック音楽を愛する者にとっては、無尽蔵ともいえる音楽の世界を提供してくれる。

しかし、どうしても鍵盤曲、管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲などの器楽曲をバッハ体験の原点とし、キリスト教にも門外漢の器楽奏者にとっては、器楽から楽曲を眺め、宗教曲もそこでの個々の歌詞の意味と作曲手法との対比に、目(耳)が行ってしまい、宗教曲が本来持っている音楽による説教の意味を考えたり体感することは難しかった。本書は、信者でもある著者が、「ハイデルベルク宗教問答集」を縦糸とし、受難曲、ミサ曲、カンタータなどを横糸として配した構成を持ち、宗教(説教)側から、バッハの音楽に入っていくという視点で書かれており、新しい体験をさせてくれた。

最初のバロックの音楽語法、象徴と、カンタータ、オルガン・ミサ、受難曲などのジャンル別の要約解説(ここは特に目新しくなかった)のあと、タイトルにあるように、バッハの宗教観全体を要約する「慰め」と副題の「死・救済・信仰」について、ハイデルベルク問答と関連するバッハの宗教曲を詳しく解説している。宗教的な内容が濃く、200ページを超える本書のすべてを読みきれたわけではないが、いくつかの例と、参照されている楽曲を紹介したい。

「慰め」の章では、ハイデルベルク問答集の最初にある問い「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか」をもとに、キリスト教の中心的概念である「慰め(Comfort:ドイツ語でTrost)」が、バッハの宗教曲でも数多く使われる言葉であり、それは、信者とキリストが双方向的に一体となることであると説明し、モテット「恐れるなかれ、我汝と共にあり」を題材に具体的に説明している。印象的なのは、バッハが原詩の構成を一部変更し、モテットの最後で信者を表すソプラノの「私はあなたのもの」の声部に、キリストを表す「あなたは私のもの」の声部を応答させ、何も恐れることのない慰めが、キリストにすべてをささげることにより与えられることを、見事に描き出しているという部分である。プロの作曲家として、音による説教、もしくは神の声の現世での表出に深く打ち込んでいるバッハの姿を垣間見たように感じ、いつも耳にしていた曲が新たな姿で感じられた。

「死」についての章では、ハイデルベルク問答集の第二の問い、「あなたが慰めの中に、祝福されて、生き・死ぬことができるためには、あなたはいくつのことを知らねばならないのですか」他を軸に、カンタータ199番「わが心は血の海に漂う」が、楽章ごとの調性の変化を中心に分析されている。

「救済」ついての章では、同じく問答集の別の問いを中心に、救済の内容についてはカンタータ61番「いざ来ませ異邦人の救い主よ」が、キリスト者の信条についてはロ短調ミサ曲のクレドが、歌詞と象徴を中心に分析されている。ついで、イエスの生についてはクリスマス・オラトリオ、イエスの死については両受難曲、そしてイエスの復活についてはカンタータ4番「キリストは死の縄目につながれたり」を題材に、紹介されている。

ここでは、イエスの生を扱ったクリスマス・オラトリオ第2部の分析が印象に残った。シンフォニアは羊飼いと天使の会話を表し、羊飼いを連想する田園曲(パストラーレ)となっている。バッハは曲を、天使を表すフルートと弦楽の(田園曲らしからぬ複雑高貴な)曲想ではじめ、ついで対照的に4本の(羊飼いの楽器)オーボエを(羊飼いにふさわしい)シンプルな曲想で登場させる。徐々に天使と羊飼いの会話が進み、キリストの生が予感される。有名なアルトのアリア「眠れ愛するものよ」は、世俗カンタータ213番からのパロディではあるが、改作により、幼子イエスの安らかに眠る姿とその場面を、低音のゆりかごの象徴音型、オクターブ高くユニゾンでイエスを見守るフルート(天使)、オブリガートで伴奏するオーボエ(羊飼い)で見事に表している。さらにバッハは、眠り=死(受難)を連想させる二重の意味もこの曲に込めており、マタイ受難曲の最終合唱曲との類似性も指摘されている。最後のコラールでは神の栄光が讃えられる。ここでは、シンフォニアの楽想が回帰するが、シンフォニアと違って、天(天使:フルート)と地(羊飼い:オーボエ)が一塊になり、文字通り一体となったことを聴衆に伝えている、というもの。

最後の「信仰」の章では、カンタータ77番「汝の主なる神を愛すべし」、147番「心と口と行いと命をもって」、140番「目覚めよと我らに呼ぶ声聞こえ」および56番「われ喜びて十字架を負わん」が紹介されている。

本書を読み終わり、J.E.ガーディナーによる2000年のバッハ・カンタータ巡礼の録音を自宅の部屋で聴くリスナーにルース・タトローが寄せた言葉を思い出したので引用する。「バッハ時代のライプツィヒにおける教会の雰囲気を、実際に再構成することはできない。(中略)・・・鐘が鳴り止んだ。都市は静まり返っている。聖餐にあずかる人は、断食を続けている。礼拝が始まって、かれこれ一時間。歌詞本が開かれ、音楽が始まった・・・(礒山雅 訳)」

例題は有名曲が多いのでスコアを手に持ち、難しい宗教用語は端折っても一読(一体験)の価値ありの本と思う。信者でないため、上記で宗教的内容の表現が的確でなかったとしたらお許しいただきたい。

(SH、2003年3月)