(春秋社、2002年8月刊) bk1
バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の主宰者、鈴木雅明氏がバッハの魅力を語り尽くした一冊。なんと400ページ以上、内容豊富で読み応え十分の本だ。
バッハの音楽の魅力は、バッハ・ファンといえども言葉にするのはなかなか難しいが、鈴木氏は随所でそれを巧みに表現している。バロック時代の凡百の作曲家と比べて、同じような形式と技法を用いて同じようなことをやっているのに、なぜバッハだけがかくも強く、かくも永続的に聴く者を引きつけるのか。氏は「体で聴くバッハ」といっているが、体で感じたバッハの魅力を理屈で解き明かすことに徹している。
それに加えて、各作品に対して学者の視点とは一味も二味も異なる興味深い解釈、長年バッハに集中した演奏経験に裏打ちされた卓見が散りばめられている。BCJの演奏がなぜかくも聴く者を引きつけるのか、本書はその答えでもある。
聞き手の加藤浩子氏(慶應バロックアンサンブル出身)は、ときに最新のバッハ研究の成果をぶつけ、それに対する鈴木氏の見解を引き出したり、他の話題との関連を探ったりしている。合唱の規模(各パートの人数)の問題はわれわれファンも関心あるところだが、各パート1人はそれぞれが個性を持ったソリストのアンサンブルという性格にならざるを得ず、BCJでの音楽づくりの理念にとってふさわしくないという。たしかに、パロットのタバナー・コンソートやユングヘーネルのカントゥス・ケルンのように、優れたソリストが長年アンサンブルを組んで、共通の理想を育てていかないと、難しいだろう。この問題は今後、多くの演奏家がさまざまな試みを繰り返すうちに、自然にある方向に収束するのかも知れない。BCJのカンタータ全集が完結すると思われる2020年頃にはどんなことになっているか楽しみだが、たとえその頃に各パート1人が主流になっていたとしても、明確な理念のもとに確信を持って行われているBCJの演奏の価値は変わらないだろう。
エピローグ「バッハをめぐる世界観」のうち、最後の2節はバッハ理解とキリスト教信仰について語られている。ここは話がやや抽象的で難しく、よく理解できなかった。別の機会にもう少し要領よくまとめていただけないかと思う。
(ガンバW,2002年8月)