Michael Marissen
"The Social and Religious Designs of
J.S. Bach's Brandenburg Concertos"

(Princeton University Press; ISBN: 0691006865, 1995/1999) amazon.co.jp

 

バッハの有名なブランデンブルク協奏曲のタイトルは後世の命名で、ブランデンブルク辺境伯に献呈された自筆譜では、「種々の楽器のための協奏曲」と題されている。このマリッセンの『ブランデンブルク協奏曲の社会的、宗教的デザインについて』は、従来のさまざまな定説をくつがえすような、新しい発見に出合える本だ。楽譜の引用や図表は少なく、英語もなかなか読みにくく、私の場合は、3回目くらいでようやく大意がつかめてきた。

本文は、ブランデンブルグ協奏曲が、従来言われてきたような、作曲ずみの協奏曲のたんなる寄せ集めではなく、バッハのヴィヴァルディ受容以降の産物であり、かつバッハの明確な意図の下に集められたことを、全体構造と1、4、6番目の協奏曲の分析から説明している。

私たちの演奏会でも、第1番以外はすべて取り上げたことがあり、演奏の場に参加した身としては、「なるほど...そうそう...」と引き込まれる点も多々ある。また、「そんなに深読みできるのかな」と首をかしげる部分もあるが、全体としては、CDの解説文や一般のバッハの本では得られない内容のある本である。

以下、順不同であるが、印象に残った部分を箇条書きにしてみる。(背景や証明に興味のある方は、原書にチャレンジの価値あると思います。)

・ブランデンブルグ協奏曲は、ワイマール時代のものも含めた名曲集というよりは、1710年代に欧州を走りぬけたヴィヴァルディの協奏曲原理、具体的には協奏曲集「調和の霊感」に対するバッハの受容結果であり、それに応える(バッハ流の)「調和の霊感 続編」である。

・6曲は、ハ長調からの5度サークル(時計回りC...G...Dと反時計回りC...F...B♭)2つの構成からハ長調(C)を除く構成になっている。シャープ系(ト長調、ニ長調)は、Concertoの語源のひとつである「競争する」の原理を追い求めたもので、シャープの数が増えるにしたがって、競い合う度合いが増してくる。フラット系(ヘ長調、変ロ長調)はもうひとつの語源である「協調する」の原理を追い求めたもので、フラットの数が増えるにしたがって協調・合奏の度合いが増してくる。

・曲順もこの度合いに沿って計画されたもので、第6番が最後にあるのは大いに意味がある。(最大の協調が大団円)。つまり、1番(協調)2番(協調)3番(競争)4番(競争)5番(最大の競争)6番(最大の協調)の順番で、この順序で演奏することも大いに意味がある。

・第1番や第6番は、表面的にヴィヴァルディ協奏曲のはっきりした特徴が見られないために、バッハのヴィヴァルディ受容1710年頃以前の作曲とされてきたが、詳細に分析するとヴィヴァルディの原理をバッハは消化し、新たな表現方法で利用しているに過ぎない。このため、古い作品とは言い切れない。

・バッハのブランデンブルグ協奏曲には、当時の楽器ごとの地位(つまり楽器演奏者の社会的地位)を逆転させるアイデアが貫かれている。

・たとえば、第1番では、当時の高給取りである貴族お抱えのホルン奏者は、ホルン特有のテーマ(冒頭)では他の楽器と協調できず、(より低い地位の楽器のテーマに合わせることで)次第に溶け合ってくる。ヴィオリーノ・ピッコロ独奏主席演奏者は活躍の場が少なく、第3楽章で活躍した後、第4楽章はtacet(演奏なし)。

・第4番では、見た目は技巧的に活躍し華やかでも、音楽的なテーマ提供は少なく、第2楽章では伴奏に甘んじる主席ヴァイオリン奏者。反対に、音楽的に重要な役割をこっそり与えられているリコーダー奏者(当時は専属でなく他の楽器と持ち替えだったらしい)。

・第5番では、ふだんは縁の下の力持ちのチェンバロ伴奏が、一躍ソロになり、第1楽章の最後では、他の奏者をほっておき、一人舞台にまで駆け上がる。

・第6番では、ヴィオラ奏者(当時は専属でなく他の楽器と持ち替えだったらしい)が脚光をあび、宮廷ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者は、伴奏に甘んじる。

などなど。

・この背景にあるのは、当時のルター派のキリスト教信仰。つまり、現世でははっきりした階層(階級)があり、それは秩序ある社会を構成する上で当然であるが、神の国ではみな等しく平等であるいうもの。また、バッハも(所蔵のカーロフ聖書への書き込みでわかるように)この信条と共にあり、同時に神を讃え、現世で神の栄光を体感する媒体として音楽を明確に位置づけていた。

・したがって、当時の聴衆は、バッハがこのブランデンブルグ協奏曲に込めた現世階級の逆転の構成を、(神の栄光を感じる音楽の場では、なおさらのごとく)、神の前の平等として深く感じ取ったのに違いない・・・というもの。

他にも、第4番のフィアウティ・デコー(エコーフルート)とは何だったか、各曲で使われたヴィオローネについて8フィートか、16フィート(実音は記譜より1オクターブ下を鳴らす)かの解説などもある。

上記要約したようで、(長くなり)できてないが、それだけ奥深い論考だと思って勘弁していただきたい。

(SH、2002年8月)