John Butt Ed. "The Cambridge Companion to Bach"

(Cambridge University Press; ISBN: 0521587808, 1997) amazon.co.jp

 

音楽学者 Butt 氏編集のバッハに関する15の論文のアンソロジーで、歴史的視点(社会、宗教や世界観など)に関するもの5編、作品に関するもの5編、および影響と受容に関するもの5編から成り立っている。各国の著名な音楽学者の寄稿があり、内容も種々であるが、作品や影響(特に演奏習慣の変遷など)に関するものは比較的読みやすいものの、宗教・哲学の部分は洋書だけに読みこなすのが(辞書首っ引きでも)一苦労。興味のあるものをつまみ食いになってしまった。(このような地味な書籍は、なかなか邦訳はでないのでしょうね。)

内容的には、バッハとバッハ一族の音楽家系を当時の音楽職位感や近親婚にまで視野を広げて整理した M. Boyd 氏の「バッハ一族」、バッハの生きたザクセン選帝侯国の内政とバッハの苦労や種々の働きかけの背後関係を説明した U. Siegele 氏の「バッハとザクセン選帝侯国の内政」、バッハのライプツィヒ時代の声楽作品を要領よく整理した R.A. Leaver 氏の「バッハ成熟期の声楽作品とその理論的、宗教的内容」などがまとめ方も良く、最近の発見などをうまく整理しており面白かった。また、自身がヴィオラ・ダ・ガンバ奏者である L. Dreyfus 氏の「バッハの創造(インベンション)とその仕掛け」は、ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第1番とカンタータ第78番を題材に、バッハが比較的単純なモチーフをもとに、対位法的・和声的に曲を組み上げていくのに利用した創作の手法は、比較的単純な仕掛けで成り立っていることを説明している。その仕掛けの枠の中で適切な組み合わせを見つけ、飾り・和声などとの連携により、それこそドラえもんのポケットのように多種多様な効果を生み出すことに改めて感動する1編。図表もあり、譜面での説明も多く、演奏者にとっても必見です。

中でも特に面白かったのは、W. Breig 氏の「編曲と転用としての創作」と題する1編で、初期のラインケンの室内楽曲の、チェンバロ独奏への編曲についてと、ライプツィヒに行ってからのチェンバロ協奏曲の作曲について触れたもの。前者は、編曲は自由な装飾を付加し、和声や内声を充実しただけでなく、一部の楽章はフーガのテーマのみ利用してバッハの新規作曲になっていることを、実例を挙げて説明している。後者は、良く聴くし、われわれも演奏してきた曲についての新しい知見を整理している。私にはびっくりの内容だったので、その要約を以下にしてみる。

バッハは、チェンバロ協奏曲は複数台用を先に作り、最後に1台用を作った(編曲した)。残されている手稿譜では、1台用のBWV105257が(チェンバロ用のパルティータのように意識した)6曲のセット(!!)になっている。この6曲の作曲の進行の中でバッハのチェンバロ協奏曲の編曲・創作方法も変化し、完成を見ている。

バッハは6曲に至る前に、まずBWV1058(イ短調のヴァイオリン協奏曲の編曲)に取り掛かった。音域をチェンバロにあわせて移調し、編曲したが、満足がいかなかったらしい。次にBWV1059。これも満足せず中断したため、断片のみ残ったらしい。

ここでバッハ氏は、重要な曲集(6曲が1セット)の開始を表す言葉(Jesu. Juva イエスよ我をたすけたまえ)を記入し、思いを改めて、BWV1052を創作。創作方法は、オケ部分を記譜し、それからチェンバロ部分を記述。初期のヴァイマル時代の作と思われる原曲は、チェンバロ用編曲に適切であり、バッハは左手も十分に書き込み、華麗な協奏曲を完成させた。次にBWV1053。ここではバッハは、まずチェンバロを右手左手とも自由に記述してからオケも創作的に書き込んだ(だから、BWV1053は鍵盤楽曲的な手法をフルに活用するし、オケももう一つの編曲であるBWV169のシンフォニアとは大分違うようなのでした)。しかし、これでは創作の手間が大変だったのか、バッハ氏は2、3楽章では、まず第1・第2ヴァイオリンとヴィオラのパートを原曲から書き写し、チェンバロの両手を編曲して仕上げ、最後に独奏を引き立てるように低音パートを書いた。以降バッハ氏は、この方法を定番とし、続くBWV1054,55,56を創作した。

最後のBWV1057は2本のリコーダーとヴァイオリンを独奏とするブランデンブルク協奏曲第4番の編曲。ここでは、前の5曲と違い、積極的でより大きな創作的な手が加わっている。この大作を創作し終え、満足したバッハ氏は、曲集の完成のしるし(S.G.D. 唯一の神に栄光あれ)を記入した・・・というもの。

どうもチェンバロ演奏家があまりやりたがらないBWV1057は、パルティータ6番みたいなものらしい。なかなか手に負えない曲だが、バッハの思いは強いというのが読後の感想。また、同じくヴァイオリン協奏曲の編曲でも、BWV1054は編曲創作の定番手法を確立したバッハの自信作、一方のBWV1058は、さえないなと感じてはいましたが、バッハ自身も曲集には入れなかったんですね。長年の思いが何か謎解きされた気持ちになります。

(SH,2002年7月)