(Schirmer Books ; ISBN: 0028717821, 1989) amazon.co.jp
米国の著名な音楽学者ロバート・マーシャルの論文のアンソロジー。10年以上前に出版された本であるが、未だにその価値を失わない面白い本として紹介したい。私事で恐縮だが、海外出張の折にふと見つけ、洋書なので買おうかどうしようかと迷った末、購入した。わかりやすい英語と、バッハの手書き楽譜や譜例、図表も多く、見ていても楽しいので、あっという間に読んでしまった。以来、バロック関係の図書を出張時に、またインターネットで探す習慣になり、読みきれぬ洋書を貯めてしまう「きっかけ」となった本でもある。
本書は、マーシャルが20年以上にわたって発表してきた各種のバッハ関係の論文を、バッハの先進性を中心とした歴史的意義(Significance)、各種の手稿譜を基にした作曲手法と演奏実践の手法(Style)および作曲年代や曲の真偽を扱う資料批判(Sources)の3つの分野で整理したもので、学者らしい基礎データを基に、アグレッシブな仮説(推理)を組み立てていく。論文なのでこんな喩えは失礼ではあるが、データで事実の現場検証に参加し、マーシャル探偵の推理についてはどきどきしながら楽しめる刺激的な短編ものの味わいあり。
全部で16の論文が収められているが、バッハ晩年の作品における当世風のイタリア趣味やロココ趣味の積極的な採用を扱った「BACH THE PROGRESSIVE」、米国に保存されているカンタータ手稿譜をふんだんに掲載し、バッハの作曲の舞台裏(忙しかった、スケッチを書いてやめたなど)を浮き彫りにする「The Autograph Score of....」、幻想曲と未完のフーガについてドレスデンへの献呈浄書譜(?)とバッハの手稿譜を比較し、作曲・献呈のいきさつやパルティータ集などとの関係を推理した「The Autograph Fair Copys of the FANTASIA PER ILCEMBALO」、バッハのフルート作品の真偽鑑定、作曲の経緯などを明らかにした「The Composition for Solo Flute」、などが読み応えがある。
特にフルートと通奏低音のためのハ長調のソナタはもともと無伴奏曲だった、チェンバロのためのトッカータは本来オルガンのために作曲されたはずだ、などの、この論文集に収録された仮説が、その後、演奏で採用されたりCDに録音されるようになっているので、マーシャルの大発見(!?)の現場をうかがい知ることができる。邦訳が出ればいいと思う本ではある。
(SH,2002年7月)